夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『小雨降る径』の歌、今朝かぼそい声で私は唄い、やがて私たち夫婦の新婚時代を思い馳せられて・・。

2018-05-09 14:01:43 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
今朝、二階の寝室で眠り込んでいる私は、屋根に雨脚が強くはじける音で目覚めたりした。

やがて玄関の軒下に降り立ち、ぼんやりと小庭に降りしきる雨を眺めていたら、
まもなく何かと単細胞の私は、ひとつの歌が脳裏から舞い降りて、かぼそい声で唄いだした・・。

♪静かな雨 並木の雨
 あなたを待つ 胸に降る

【『小雨降る径』 作詞・Robert CHAMFLEURY、訳詞・坂口 淳、作曲・Henry HIMMEL 】 

このような歌を唄った後、この歌を盛んに聴いたりしていた頃が想い浮かび、
過ぎ去る年の私たち夫婦の新婚時代を甦(よみがえ)ったりした・・。

              

確か45年前の前後、この頃の独身の私は会社を退社後に、
幾10回ぐらい銀座の一角にあるシャンソン喫茶として名高い『銀巴里』に通うように行き、
数多くのシャンソン歌手が近くで唄われるのを、
私はコーヒーを飲みながら、名曲の数々を聴いたりしていた。

そして、近くにあるカフェ・バー形式のような『蛙たち』にも行き、
私は濃いめの水割りのウィスキーを呑みながら、数多くのシャンソン歌手が唄われるのを、
聴き惚れ、心酔していた時期であった。
そして、ときおり歌をリクエストをしたりしていた。

この後、家内と結婚前に交際していた時も、この『銀巴里』とか、『蛙たち』にも行ったりしていた。

               

私たち夫婦は、1976年(昭和51年)の3月下旬に結婚し、新婚生活の始めた。
入居した所は、東京都と千葉県の間に流れる江戸川沿いにある『国府台』であり、
この駅の付近には東京医歯大、和洋女子大、国府台高校などある学園街であった。

京成電鉄の『国府台』駅より商店街を抜けると、真間川が流れ、
この近くに賃貸マンションがあり、ここの最上階のひとつの2DKを借り入れた。

角部屋の窓を開けると、樹木に覆われた小高い丘にお寺があり、
私はこの窓辺から観える景観に瞬時に魅了され、貸り入れることを決めたりした。
そしてこのお寺は、由緒ある弘法寺(ぐほうじ)であることを知るのは後日ある。

私はこの当時は音楽業界のあるレコード会社に勤めて、コンピュータの専任者として、
兄弟会社のようなレコード会社の担当者と共に、
未熟な私は指導を受けながら、システム開発を共にして奮闘したりしていた。

そして家内は専業主婦として過ごす中、
中学生の時から茶事を学んできた延長として、週に一度にお茶の先生の宅に訪れて習ったりし、
料理、洗濯、掃除も手を抜くこともなく、何かと従順な新妻であった。

               

こうした中で、私たち夫婦が新婚まもない1977年(昭和51年)の晩春だったと記憶しているが、
東銀座にある東急ホテルの小さなレストランで、
デイナー形式でシャンソンを聴きながら、夕食を頂くのに、私たち夫婦は参加した。

歌い手は、私がこの当時圧倒的に心酔していた金子由香里さんで、
私は、金子由香里さんが『銀巴里』、『蛙たち』と違った面が表現できる方、
と私は感じたりしていたので、家内を誘ったりした。

そして金子由香里さんが3曲を唄った後、ボーイさんがリクエスト曲の用紙を廻してきた・・。

私は万年筆で、『小雨降る径』と書き込んだ。

やがて20分過ぎた頃、リクエストの3番目として、
『どなた様が・・この《小雨降る径》をリクエストして下さったのでしょうか・・』
と金子由香里さんは言った。

私は少し恥ずかしげに、片手を少し挙(あ)げた。

金子由香里さんは、リクエストした方が人生の苦楽に未熟な若い方であり、
少し驚ろかれた表情されたが、唄いだした・・。

この後、数曲唄われた後、私たちのテーブルに近寄ってきた。

『今晩・・来て下さって・・
あたくしの歌を・・よく聴いてくださる方よねぇ・・』
と私に向って、金子由香里さんは言った。

私はカフェ・バーの『蛙たち』などにも、幾たびか通ったりし、
金子由香里さんの歌を聴きたくて時折リクエストなどをし、記憶されていたのかしら、と私は照れたりした。

そして、金子由香里さんは、
『あなた方・・お若くて・・これからの人生・・何があろうとも・・
お互いに思いやりがあれば・・大丈夫ですから・・』
と微笑みながら、このような意味合いの言葉を私たち夫婦に言った。

私は、人生の駆け出しの夫婦として、希望と幸福に満ちたあどけない私たちを視(み)て、
人生は波乱に満ち、たとえ苦難にあっても、励ましと慰めがあれば・・このように配慮されて下さり、
わざわざ私たちのテーブルに寄って下さった、と思ったりした。


このようなささやかな思いでが私たち夫婦にはあったが、
若き日々、人生を歩みだした時、『小雨降る径』をリクエストしたのだから、
この頃の私は人生の怖さ、痛みも知らず、ただ気負(きお)っていたのかしら、
と結婚生活42年を過ぎた私は、人生には世間の荒波などもあったからねぇ、微苦笑したりした。

この後、私は金子由香里さんの『小雨降る径』を急に聴きたくなったりした・・。

                

私の音楽収納棚には、金子由香里さんのレコード、カセット、CDは少なくとも15枚のアルバムはあるが、
この『小雨降る径』が収録されたのはレコードだけであり、少し気落ちしたりした。

私はレコード・プレイヤーを手放しているので、やむなくネットの【YouTube】に頼って検索し、
久々に【YouTube】の上であるが、
愛(いと)しき金子由香里さんの『小雨降る径』の歌に、めぐり逢えた・・。


http://www.youtube.com/watch?v=8ynlEywBSBI&playnext=1&list=PLC14E9415E89B51B1
☆【YouTube】【『小雨降る径』 作詞・Robert CHAMFLEURY、訳詞・坂口 淳、作曲・Henry HIMMEL 、唄・金子由香里】☆

私はあれから42年近く金子由香里さんにお逢いすることなく、
ときおりCDのアルバムで聴いたりするばかりであるが、
お齢を召されもお元気なのかしら、と私は小雨降る小庭を眺めながら思ったりした。

               

余談であるが、過ぎし6年前、私が勤めていた会社でOB懇親会の中、
洋楽畑に在籍されていた金子由香里さんの弟さんとお逢いした時、少し談笑した後、
私は何かと金子由香里さんには人生の機敏を教えられました、と御礼の言葉を重ねたりした。

『そうぉ・・姉貴がねぇ・・』
と少し照れくさそうに弟さんは私に言ったりした。
 
コメント
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