私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住んでいる。
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなり、遠方の地に一戸建てに住み、
私より14歳年配で87歳の身となっている。
過ぎし年、私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
我が家より2時間半を要する千葉県のある市で独り住まいの生活をされて、早や13年半となっている・・。
これ以来、家内は季節が変わるたびに、独り住まいとなっている家内の母宅に、
季節の変わり目の支度で、6泊7日前後で行ったりしてきた。
やがて家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
こうした後、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
一昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりして『要介護2』となってきた。
そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。
まもなく家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
そして昨年の5月より、家内の母はデイ・サービスに通った成果で、市の福祉課が再審査を得て、
『要介護2』から『要支援2』と回復して認定されたりした。
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で『おひとりさま』の生活となっている。
たまたま本日の朝、家内は独り住まいの家内の母宅に行く日となり、
私たち夫婦は朝食後、やがて軒下に降り立った。
そして私は、門扉の近い道路に降り立って、
『お義母(かあ)さんに、よろしく・・』
と私は家内に言った後、家内を見送くったりした・・。
こうした関係で、ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごし、
早や13年半を迎えている・・。
いつの日にか私たち夫婦も、どちらかが片割れとなる『おひとりさま』になる時が来るので、
私としては『おひとりさま』の特別演習かしら、と思いながら過ごす時もある。
こうした中、ときおり『おひとりさま』になる私は、勝手きままに過ごしたりしている。
恥ずかしながら、私のこの時節の『おひとりさま』の定例となった生活の実態を発露する。
朝、目覚めた後は、やがて台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』、『燃えないゴミ』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりしている。
やがて朝食は、家内は炊き上げた十六穀米の入った白米のご飯を、
半合単位にラップに包んで、冷蔵庫の片隅に保存してくれているので、
私は電子レンジで温めて、頂いたりしている。
こうした中で、私の朝食の前菜は、
新タマネギと生ワカメとあえたりした常食をミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。
この後は、電子レンジで温めた十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、しらす干し、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、サバの味噌煮の缶詰としてきた。
この後は、我が家の最寄りのスーパーに行き、夕食用のお惣菜(総菜と同意語)売場で数品を選定したり、
野菜、果物売場で少し買い求めて帰宅することが多かった。
昼食はヨーグルトを箱の二分の一を食べた後は、アンパンをひとつを頂いたりした。
その後は、台所で鼻歌を唄いながら皿洗いなどをして、水遊びをした。
午後の時間は、いつものようにブログの投稿文を送信した後、
私が愛読している御方のブログの投稿文を読ませて頂いたりし、
或いは本を読んだり、音楽が聴きたくなった時は、音楽棚からDVDを取り出して、
ライブ盤などはテレビを通して、視聴したりしてきた。
やがて夜の8時前後に入浴した後、家内が温めて食べられる料理を数多く準備してくれているのを、
夕食として食べたりしている。
そして健康の源(みなもと)は、程々の食物から形成されると学んだりしてきたので、
前菜として、ニンジンを千切りにして、電子レンジで少し温めて、
ゴマドレッシングに少しお醤油をかけて、食べている。。
そして家内が4泊以上になる時は、家内が準備してくれた料理は品切れとなり、
私がスーパーのお惣菜(総菜と同意語)売場で買い求めた品を並べて、
食べているのが実態となっている。
こうした中で、話し相手がいない私は、ウィスキーを濃い水割りを数杯を呑みながら、
殆ど映画棚から、その日に観たい作品をテレビを通して、視聴したりしてきた。
洗濯に関しては、洗濯から乾燥できるまでの洗濯機に頼り、
せめて下着、タオル、パジャマぐらいはしょう、と当初は私は思ったした・・。
しかしながら家内より、着替えはたくさんあるでしょう、私が帰ってからします、
と強い口調で私は言われてしまい、助かるよぅ・・と私は即答したりしてしまった・・。
このような洗濯機の機能も知らずに、今日まで至っている軟弱な私となっている。
掃除に関しては、多少の埃(ほこり)がたまっても・・とグウダラな心情で、
二日に一回・・電気掃除機を曳いて、掃除したくらいである。
こうした中、私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
平素は何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。
そして私は、ときおり『おひとりさま』になる時は、家内が留守の為か、
ご近所の奥様、ご主人などと長話になることが多くなったりしている。
このように私は手抜きの『おひとりさま』の生活をしているが、
家内は料理、掃除、洗濯などの家事は優等生であり、私などはいつまでたっても初心者以下あり、
もとより落第生だよなぁ・・と微苦笑を重ねたりしている。
私は平素は亡き母の遺伝を受けて、男の癖におしゃべりで、何かと家内とは談笑を重ねているが、
『おひとりさま』の生活をしていると、話し相手がいなく寂しいのが、本音である。
しかしながら、人は誰しも孤独を感じる時がある、と学んできた私は、
平素の日常生活でも、ひとりを愉しむ時を過ごしている。
こうした楽観なプラス思考を深めたのは、過ぎし2010年8月下旬の頃に、
医学博士で病院長の帯津良一(おびつ・りょういち)さんの本を読み、多々教示されたりしてきた。
やがて2011年〈平成23年〉の秋に、氏の『楽々往生 ~老いを輝かせる12の心得』(ベスト新書)を購読したりした。
そして精読しながら、私は何かと大いに励ましを受けた一冊であった。
この本の帯に明記されている『楽々往生のための心得』として、
《 ◎いくつになっても、ときめきをもつ
◎「定年」で終わりにしない
◎ひとりを愉しむ
◎自分なりの「養成法」をもつ
◎敗れることも必ず想定に入れる
◎できるだけ身軽でいる 》
このように記載されていることを私は多々教示されて、私のセカンドライフの格言としている。
(意味合いが想像して、ご理解できない方は、この本をお読みください。)
私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めて、早や年金生活13年半となっている。
私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。
こうした根底には、歩きながら観える景観に良いし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。
何よりも歩けなくなった時は、もとより自由な時が制約され、何よりも困苦するのは自身だ、
と秘めながら殆ど毎日のように歩いている。
こうした中で家内は少なくても料理、洗濯、掃除などがあり、
私は現役のサラリーマン時代から、小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後の年金生活に於いては、日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
そして家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
こうした後、私は高校生より都心で学び、その後も大半は都心の空気を共有してきた為か、
人出の多い都心は、定年後の年金生活で苦手となっている。
そして独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりしている。
こうした時は紳士バックを園児のように真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
それでも小心者の私は、引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーが飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回ぐらいは淹れたりしている。
このように家事に関しては、恥ずかしながら殆どしてこなく、
ときおり庭の手入れは、現役時代から私の専任者となっているぐらいである。
平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、仲良し恋し、
と何と社交辞令を頂いている私たちでも、いずれは片割れとなり『おひとりさま』となる・・。
そして残された方は落胆し寂寥感を深める中、強い趣味があれば、やがて失墜感は薄らいで、
命果てるまで生きがいのひとつとなると思い、お互いの趣味の時は大切にしている。
そして時折、友人と居酒屋など逢ったり、家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
このような家内と平素の生活を過ごしてきた私は、ときおり『おひとりさま』となる生活は、
男の癖におしゃべりな私として、何かと家内とは談笑を重ねているが、
話し相手がいなく寂しく感じたりしている。
そして平素も買物とか散策で出逢ったり、或いは自治会の回覧板を廻す時、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑しているが、
『おひとりさま』を過ごすと、少し長話になったりし、後で独り微苦笑したりしている。
或いは私がブログを綴って投稿時間、そして愛読しているブログを読ませて頂く時間が、
まばらになったりしている。
買物する時間帯も午前中から、夕方になったりし、お惣菜コーナーの売り場などで、
探し求めたりすることもある。
このような年金生活を13年半ばかり過ごしてきた私は、ときには独り愉しむ時を享受し、
独り遊びが上手になってきた、と独り微苦笑をしたりしている。