先ほど、ときおり愛読しているネットの【マネー ポスト WEB】の経済面を見たりしている中、
【 「団塊世代は逃げ切り世代」、「団塊ジュニアは貧乏くじ世代」は本当か 】と見出しを見て、
どういうことなの、と思いながら記事を精読してしまった。
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受して、早や14年目となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/d7/4d0c4bb8ce07671a49c7c9e9ec16e0f7.jpg)
過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。
私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くの御方は60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈したりした。
私は25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。
こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。
もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。
そしてここ数年、団塊世代の諸兄諸姉の一部には、70代を迎えられ、
私は70代こそが、体力の衰えを実感させられながらも、
それぞれの御方なりに深みのある日々が過ごせますょ、と共感を重ねている。
このような私は何かと団塊世代を注視してきたので、記事を精読してしまった。
この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年5月25日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の【マネー ポスト WEB 】に2018年5月16日に配信され、無断ながら転載させて頂く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/51/d86e5edf23d02ef51595f4fd3ce7a1a1.jpg)
《・・この国の社会には、生まれ年が1年違うだけで「得する世代」と「損する世代」に
明暗が分かれる世代間の断層がいくつもある。
例えば、60歳定年と同時に年金が支給されて
“悠々自適”の老後を送っているように見える団塊世代(1947~1950年生まれ)は
「逃げ切り世代」、
65歳になる前に“得する年金(部分年金)”を受給できる次の新人類世代(1955~1964年生まれ)は
「半逃げ切り世代」、
65歳になるまで年金をもらえず働かなければならない団塊ジュニア(1970~1984年生まれ)は
逃げ遅れた「貧乏くじ世代」と呼ばれる。
年金だけを見ると、各世代には老後の生活費に明らかに経済的格差が生じる。
そうした世代間格差は、生まれた時から決まっているわけではない。
団塊世代が生まれた時の日本の年金制度は、
自分が積み立てた保険料を老後に受け取る「積み立て方式」だった。
これなら、将来少子化が進んでも、年金財政がパンクする心配はなかった。
ところが、団塊世代が社会に出て働き、保険料収入が積み上がると、
政治家たちは、票をもらうために、その金を高齢者対策などにバラ撒いた。
労働人口が増えていく高度成長期は、矛盾が表面化しなかったが、
年金を受け取る高齢者が増えると、年金財政が急に行き詰まり、
政府は年金支給開始を60歳から段階的に65歳まで引き上げる年金大改悪を行ない、
将来の支払い額を減らした。
新人類世代が社会人になった1985年のことだ。
現在の世代間格差の正体は、政治家が年金失政のつじつまを合わせるための制度改悪で
つくり出した世代間の不公平なのだ。
だから、世代間の損得の境界線は、これからも政治判断でどんどん変えられていく。
病院の窓口で支払う医療費の自己負担を一挙に2倍(1割から2割)に引き上げる方針を打ち出した。
人口が多い団塊世代が、後期高齢者になる前に値上げし、
75歳になっても医療費を下げない仕組みをつくろうという政策だ。
団塊世代は、年金60歳支給で他の世代からは恵まれているように見えても、
医療費では、負担増のターゲットにされて「損する世代」になるのだ。
「教育」、「就職」、「出世」、「住宅」、「結婚」などの面でも
世代によって恵まれていたかどうかの環境は違う。
新人類と団塊ジュニアに挟まれたバブル世代(1965~1970年生まれ)は
好況期に青春を謳歌して就職状況も恵まれていたから、
就職氷河期に直面した団塊ジュニアからは「勝ち組」と思われている。
本当にそうなのか。
「損した世代」と「得した世代」は、政策の失敗とつじつま合わせで
そう思わされていることが少なくない。
アベノミクスの金融政策や女性活躍社会、働き方改革、税制が少し変わるだけで
世代の損得は入れ替わる。
だから、世代間で反目し合えば、本質を見失う。
重要なのは、少子高齢化で社会の矛盾がどんどん広がる中、
政治家が次にどこに、世代間の損得の境界線をつくり出そうとしているかを見抜いて備えることだ。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
思い馳せれば敗戦後の荒廃した日本は、敗戦直後からの一部の裕福な家庭を除き、
誰しも貧乏な時代を体験してきた世代である。
私より10歳以上の先代の諸兄諸姉の多くは、それぞれに奮戦し、
少なくとも世界の中でも、有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
そして後続する私たちの世代、そして団塊の世代は、先輩に叱咤激励されて、奮闘してきた。
こうした結果として、確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。
そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。
その上、経済は都心の一部は活性化しているが、地方は未(いま)だに低迷している現在さえも、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、
医療の充実もあり、主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。
そして国民も誰でも、容体が酷くなれば、
無料で救急車に乗車できて、病院に搬送して下さる稀な国家となっている。
私たちが過ごしてきた昭和の時代は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、年収も毎年増え、
そして家族全員で、明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。
こうした中で、私たち年代を含め多くの先輩、後輩の男性は、
一家の主(あるじ)、或いは夫として、もとより家計の責務で奮闘して働いていた。
そして妻の多くは後方支援となり、育児、料理、掃除、洗濯、交際など専業主婦として奮戦し、
昭和妻の責務を果たしてきた。
やがてバブルが終息し、そして平成元年(1989年)11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』した後、
まもなくソ連が崩壊し、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変した。
そして世界の経済が自由主義経済の一色となり、やがて日本は失われた15年で、
主要各国や躍進してきた中国などに国際競争力に敗退し、かっての高度成長の総中流社会の再現は、
見果てぬ夢となった。
そして殆どの民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。
やがて私は確か7年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年〉の時点から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。
私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。
周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となっている。
そして大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。
このように私は漠然としながら、敗戦後から昨今まで感じ受け止めてきた・・。
今回の記事を読み終わった後、政治家の思惑で、それぞれの世代が翻弄されることは、
溜息を重ねたりした・・。
しかしながら2018年の社会保障給付費は、高齢化率は28・2%の現状の中、
年金は56・7兆円、医療は39・2兆円、介護は10・7兆円、
子供・子育ては7・9兆円、その他6・7兆円・・総計121兆円となり、
国内総生産(GDP)に占める割合として、21・5%と公表されている。
やがて2025年には、団塊世代が75歳以上の後期高齢者を迎え、
もとより高齢化率は増加し、社会保障給付費も膨張するので、
世代間の論争などは、せんなきことだ・・と無力な私は溜息ばかりしている。