その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

夢屋王国(ケセラ)

2011-12-10 05:33:57 | 夢屋王国

友人の『貧乏父さん(H.N.)』が、日々の貧乏生活を綴る。金は天下の回り物などと言いますが、回らないところには回らない。1億総中流社会などというマスコミの報道に踊らされたのはいつの日か?アメリカほどでは無いにせよ、貧富の差は拡大しているのであります。これが自由経済社会なのだと嘯く、竹中某氏を恨めしくも思うのであります。平等と言う名の不平等社会…気付けば日本型社会主義国家に飼い慣らされて、競争と言う言葉を忘れさせられておりました。少なくとも若者に仕事を、日々の糧をと望むことも、競争原理の社会では許されないのでしょうか?
出だしから深刻な書き出しでありますが、巻頭画像はケラ…12月の支払いを済ませたら『おけら』になってしまった者の嘆き節であります。『おけら』とは、ケラを正面から見ると両手を挙げて万歳をしているように見えることから、一文無しでお手上げ状態になった姿を見立てたものとか…^^; 当のケラにしてみれば、一文無しと同列に扱われ、気の毒この上ない話であります。
能天気な『夢屋国王』は畑のケラを見ていると、何故か「ケセラセラ」という曲を思い出すのであります。スペイン語では「Lo que sera sera」…関係詞queと動詞serが発音的に強調されるので、私の耳にはケラ~ケラ~♪と聞こえてしまうのであります^^;
巣穴と坑道で暮らす彼らは、畑の耕運によって外に出されると大慌てで、巣穴に戻ろうとします。

 

金色に輝く体毛が密生しているので、土中暮らしと言えども身体は土で汚れたりしません。でっぷりとしたお腹を見ていると意外に優雅な食生活を営んでいるのではないだろうかと思ってしまいます。「Que sera sera~♪ Whatever will be will be~♪」そう、彼らは、「なるようになる。先のことなど分からない~♪」と土の中の居間で口ずさんでいるような気がしてならないのであります。
さて、ペギー葉山さんなどがカバーしている「ケセラセラ」という曲は、1956年「知りすぎた男」という映画の挿入歌でありますが、Doris Dayの歌声に癒されながら、子どもの時から疑問に思っていたことを思い出しました。確か、越路吹雪さんや菅原洋一さんもカバーしていたような気がするんだけど、曲調が全然違うんですけど…。暇を持て余し調べてみると、はっはっは…「ケセラセラ」ではなく、「ケサラ」、こちらはイタリア語の「Che Sara」でありました^^; どちらも「なるようになる。」という意味では同じなんですけれどね。
「平和で美しい国 信じあえる人ばかり だけど明日はどうなることやら 誰にもわかりはしないさ…」1971年、盲目の歌手ホセ・フェリシアーノの歌…これなら記憶にあるはずであります。当時、出がけのフォーチャンネルステレオ(今は昔の話であります。)を叔父が部品を調達して組み立てました。当時、カラオケなど無かったので、一番下の叔父が、サントラ版のレコードで歌っていた歌であります。「ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ 私たちの人生は~ 階段を手探りで歩くようなもの ケ・サラ サラ クェル ケ・サラ~♪」

When I was just a little boy  Will I be smart, Will I be rich (夢屋改文)
 What will be,will be  The future's not ours to see

かっかっか^^; おけらの『夢屋国王』は、雪空に向かって高らかに歌うのであります。ケ セラ セラ~♪

コメント
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