晩秋から初冬にかけて移動性の高気圧に覆われて、穏やかな暖かい日を「小春日和」と呼びます。ちなみに、「こはるびより」と読み、決して春先の陽気を指すのではありません。と、わざわざ断り書きを入れますのも、若者が「こはるよしかず」とか「こはるびわ」などと読んでしまいそうで、要らぬ心配をしてしまいます^^;
さて、時は元禄15年12月14日播州赤穂浪人47名は、旧主浅野内匠頭の仇である吉良上野介邸に討ち入り、武士の本懐を遂げて以来308年が経過した本日、『夢屋国王』は1ヵ月ぶりに「大沢山」に出掛けたのであります。忠臣蔵と大沢山行きに何の関連性もありませんが、12月中旬としては爽やかに晴れ上がり、ブログネタに困っている時はネタを探しに行くのが一番と昼食の弁当もそこそこに出掛けたのであります。昆虫なんか居るはずも…今朝は氷点下で、キャベツの表面さえガチガチに凍っていたというのに、ノシメトンボが二匹まだ飛んでいました。この時期の山は、下草も枯れてしまうので、夏には見えない獣道のような作業道が現れ視界も拡がり、夏場では足を踏み入れることが出来ないような場所にも入って行くことが出来ます。とは言え、昼休みの短い時間の内ですから、熊が出そうな場所まで入って行くことなど出来ないのですけれど…。
真夏のセミの大合唱の頃とは違って、沢の流れや小鳥の囀りを耳にするのもまたよろしいもんです。この場所では、以前、カモシカと鉢合わせになったことがあります。正直なところ、恐いもの見たさという心理も働きますが、野生動物とにらめっこするのは御免被りたい。存在を承知して、相手に気付かれないように近付くのならまだしも、偶然の鉢合わせは、お互いが動けません^^;
苔むした朽木を眺め、夏の植生を思い出しながら、足元の植物を見てイチリンソウやシャクの株を見分けてみます。来春もまた花を咲かせてくれるだろうと…。本当に12月なのだろうかなどと思える陽気に7月のとある日の光景を重ねてみます。画像は、オカトラノオの花から吸蜜しているヒメキマダラセセリであります。
実にのどかな好日でありますが、もし、吉良邸討ち入りが小春日和の日だったら、(西暦では1703年1月30日深夜であったらしいので、小春日和ということは有り得ないのでありますが…)討ち入りをしようなどという気持ちになったのでありましょうか?主君を失い、苦しい浪々の身…苦しさのはけ口が、討ち入りという形になったのでありましょうか?ドラマの世界では、幕府の偏向した裁きを問うであるとか、主君の仇を討つという大義名分の下の展開になっておりますが、真の姿は浪人集団による吉良氏及び家人に対する大量殺人事件であります。殺人に参加・加担したものが忠臣として祭り上げられ、参加しなかった者が不忠者とされてきたドラマが正当化されるとしたら、法治国家とは言えなくなってしまうのであります。(赤穂義士祭奉賛会のみなさん、御免なさい^^;)
人間食足りて、暖かな陽気に恵まれると、世間のいざこざなど忘れてしまう『夢屋国王』なのでありました。