将軍様の共和国は当面の体裁を取り繕ったものの、祖父のカリスマ性を引き継ぐことなく、体制維持のための操り人形と化さないのか?権力の中枢にあるものはこれを利用し、またその恩恵に与れない者は、別の体裁を整える方向に動くでありましょう。カリスマ性や神格化した象徴を政治の礎にすることは、彼の国に限ったことではありません。この日本という国でさえ、神格化された天皇家と結びつき、また利用することで時の体制を正当化する根拠としてきたのでありますから…。
権力とは大多数の国民に支持され、結果、大多数の国民の幸福を保障するために使われるべきものであるはずですが、現代では国も地方もパフォーマンスの得意な声高の人が支持される傾向にあり、また、これを利用し支持を集め政を行おうとする。そこには国家100年の大計も、これから子孫に引き継ぐべく国家像も念頭には無く、ただその時の勢いだけであります。この勢いのある船に乗り損ねれば沈没する…海図を持たない航海は座礁の危険性もあるというのに…。
突然ですが、巻頭画像は『夢じぃ漬け』が「常陸牛」に化けた瞬間であります。一枚当たり100g…5A級の「米沢牛」の舌の上で溶けるようなお肉ではありませんが、「常陸牛」を名乗れるのは4A級以上^^; 適度に噛み応えがあって美味しかったのであります。
さて、『夢屋国王』の黄金郷の旅は、まだ中尊寺から離れられません。正直、寒くてお腹が空いてきたので、巻頭に「常陸牛」を持ってきました。中尊寺本堂の「木像阿弥陀如来坐像」は平安時代末期の作と言われ、国の重要文化財に指定されております。「讃衡蔵(宝物殿)」に安置されており、現在の御本尊とは…阿弥陀様には違いありません^^; 金色堂から表参道を逆順で下って来ますと義経師従の像が安置されている「弁慶堂」がございます。「京の五条の橋の上…♪」師従の出会いから奥州まで、師従関係と言うよりは友情に近い関係が続くのでありますが、助命された者が時の権力を倒す急先鋒となり、そして権力を手中に収めれば兄弟と言えども武力の台頭を許さない…軍略家としての義経の存在を恐れたのでありましょうか…頼朝の圧力に屈した四代目泰衡も、義経を自害に追い込んだものの、仕舞には鎌倉の軍勢に滅ぼされてしまうのであります。
松尾芭蕉は、こうした人の世の栄枯盛衰に泪したものと思われますが、凡人『夢屋国王』は空腹に耐えられない^^;
「束稲山」の大文字送り火跡を見ても、弁慶の最期となった衣川と北上川の合流点を眺めても、感慨よりも空腹と寒さに負けてしまうのでありました。一時間程度の散策でありますが、身体の芯から冷えてしまいました。いや~暖かい蕎麦が美味しかったこと…『夢屋国王』にとっては、権力も黄金文化も必要なく、只々、目先の食糧にありつける幸せを感じた瞬間でありましたとさ^^;
ようやく午前の部終了…黄金郷の旅は、まだまだ続くのであります。