春の七草のひとつ「仏の座(コオニタビラコ)」?
『夢屋農園』の年末年始休業も最終日、明日からは仕事始めであります。(とは言え、強欲な農場長は既に青物の出荷作業を始めていますけれどね^^;)それでも、動きの悪くなった右肩と軋み始めている右膝のリハビリにと、隣り町の赤湯温泉公衆浴場(入浴料100円)に朝風呂を浴びに出掛けました。「あずま湯」「とわの湯」、新装「カラコロ館」…住宅地の中の「烏帽子の湯」が見つけられなくて、早朝の町並みを農場長の公用車である軽トラックで徘徊いたしました。
およよ、「田中屋のあんびん」がまだある!朝買いに出ないと売り切れてしまう人気商品でありますが、入浴前に買い求めました。
大福…餡餅(中国語の餅…ピンの音便か?)
今は亡き親父が子どもの頃、祖母の実家に連れられて出掛けると「もうちょっと頑張れ。田中屋のあんびん買ってやっから!」と励まされた(子供だまし)と話していた。軽トラックで距離数を測ってみると約10kmの道のりであります。車やバスも無かった時代の話でありますから徒歩…祖母にしてみれば実家に帰ることは楽しみであったかも知れませんが、小学校低学年であったろう親父にとっては、10kmの行程はひどく長いものだったに違いない。大人たちが発する言葉「もうちょっと…もう少し」は気をつけなければならない。かなり歩いたはずで「あと何分?」と聞いても、必ず返ってくる言葉は「もうちょっと」なのだから(笑) 学校の成績だってそうだよなぁ…折角成績が上がっても、もう少し頑張れなのだから…大人の言う「もうちょっと」には際限が無いのでありますよ。
やっと見つけたピタカタ浴場「烏帽子の湯」
田中屋のあんびん(餡餅)には、もうひとつの思い出がある。病室を見舞った叔父に「あんびんが食べたい。」とひと言いったとか。病院の売店には「だんご」しか置いておらず、時を経たずして、突然帰らぬ人となった長兄に「あの時、赤湯中を探してもあんびんを食べさせてあげれば良かった。」と法事の度に叔父は語って聞かせる。その叔父も我が親父の立ち歳と同じ年齢となり、認知症が進んでしまっております。
さて、私の『最後の晩餐』は、一体何を所望するのでありましょうや?急性膵炎の疑いで3日間ほど食抜きをされた時には、近所の然して美味しくもない「中華そば」が夢にまで出てきた。(我が一生の不覚^^;)親父の出張の傍らに乗せられで、初めて「海」というものを見せられた時、朝ご飯の替わりに食べさせられた「カステラと牛乳」が、この世の物とは思えないほど甘く美味しく感じた記憶が残っている。最後の食事などとは、所詮そんなものかも知れません。
少雪の年に農園を徘徊して探す「春の七草」…ホトケノザまでは手に入れました。あとは「ゴギョウ(母子草)」…ん~雪の下に埋もれてしまう我が在所では、「七草粥」と言うよりは、冬野菜を使った「納豆汁」が定番なんですけれどね。義理の親父も来ることだし、オッカーに「納豆汁」をリクエストしてみるかな^^;