境内も鮮やかに苔むして…
大工は「松の内」には刃物を持たず、農家は1月11日(鏡開き)を「仕事初め」としていた。昔の格式ある家では「お水取り」と称して、正月三ヶ日は女性に水汲みをさせなかったとか…のんびりと新年を迎え、何がしかの理由付けをして、商売繁盛や豊作を祈っていたに違いない。我が在所では、1月11日「仕事初め」のわら仕事として、ムラの鎮守(弁財天)のしめ縄を綯っていたようであります。『義社御用番』…足軽格ではあるが、半士半農の家の長男が「御蔵」(備蓄米蔵)を守り、ムラの鎮守を守っていたようでありますが、時代は流れ、集落の跡取り(長男)が『士若連』を担い、しめ縄造りを続けてきましたが、今では「わら仕事」なんて農家でさえしませんのでね、かつての『士若』=初老集団が担っておりますよ^^;
「標縄」、「注連縄」、「七五三縄」とも書く。
大相撲の「横綱」の語源となっている白麻の綱は、左綯え(時計回り)に撚った3本縄であり、神域と現世の結界とされる「しめ縄」も左綯えであります。(通常の縄は右綯え…右利きならば、右手を前方に押し出して撚っていく。)我が在所の「しめ縄」は龍を型どっていると言われ、頭と尾の部分は、確かに左綯えでありますが、そこに三本の胴体が付く。稲妻をイメージし、糸の象形であるとされる「紙垂(しで…白い紙)」の他に、3本、5本、7本の稲わらを胴体の七・五・三の位置に差している。この辺りにも「七五三縄」の由来がありそうでありますが…吊るす縄は「左綯えの三本撚り」もう何年と『夢屋農場長』の担当であります。
1年間風邪ひくな!
「ヤハハエロー!目くそ鼻くそ飛んで行けぇ!」
小正月の行事である「さいと焼き」も勤め人がほとんどの世にあっては、しめ縄綯いの日(日曜日)に合わせ、集まりが悪いので日中の行事となりました^^;
伝統行事も人間の都合で変わっていく…偉そうなことを言ったところで、『神聖なしめ縄』を、その辺から拾った棒で叩いて、ブチ切って遊んでいた『悪ガキ』たちが、今そのしめ縄を造り、守っている訳でありますから^^;
今のお子ちゃまたちは、決してそんな悪さはしませんよ…しめ縄造りを守ろうなんて気もないでしょうけれどね。いづれは伝承する者たちも居なくなってしまうとは思いますけれどね…。