ここは駐車場ですけれど…
「姥捨て山」は、口減らしなどのために高齢の親を山に捨てることになった息子と、その親の物語であり、各地に民話として残っているようである。そもそも何で『姥(老婆)』なんでしょうねぇ?『尉:じょう(老翁)』でも良いはずなのに…古来から男の平均寿命は、女のそれより短かったのか、男が有用とされたのか?まぁ、親父と息子の関係性より、お袋と息子の関係性の方が涙を誘うような気もするが^^;
今から40年程前までは、老親を施設に入所させようものなら、『棄老物語』のように薄情な『嫁』(あくまで息子ではなく嫁である^^;)という風潮ではあったけれど、介護施設も充実し、お金さえあれば、お互いに不自由で、不慣れな自宅介護生活を送るよりは、幸せであるという認識に変わりつつある。介護施設に入所するお金がなければ、老々介護や家族介護で何とかやりくりしなければならない。(デーサービスやショートステイなど、介護サービスが充実しているから、疲れ果てる前に福祉分野に相談することが重要ですよ。)そして、「バリアフリー」の試みとして、段差の解消や手摺の設置など整備は行われておりますけれど(これも重要な施策ではある。)、雪国では、積雪に備えるための段差があり、雪で足元が危ないという『バリアアリー』な世界での生活を余儀なくされる訳ですよ。こうなってくると、施設整備なんて追い付かないから、『バリアアリー』な社会でも生活できる「健康寿命」の保持に重きを置くことが重要なんじゃないかなぁ…なんて『おやじぃ』は考えるのでありますよ。
『シロ♀』は夜中に迎えに来たようだ^^;
吹雪の中、寂しくなったのか自宅まで迎えに来たように足跡が残っていましたよ^^; こうして、人(他者)から頼りにされるということは、日頃から疎まれても存在する意義を感じるのでありますよ。
「姥捨て山」の伝承には、必ず「難題型(老人の知恵で問題を解決する。)」と「枝折型(息子を想う親心に改心する。)」といった型に類別できるということである。悲惨な物語の中にも、古老の経験に基づく知恵は重要であり、子を想う心は深いということを教え諭しているとも言えなくもないけれど…コインランドリー駐車場の裏の「雪捨て場」が、ふと『姥捨て山』に見えてしまったのは何故でしょう?「使用済みのオヤジは再利用不可能です。水気を切って、紐で硬くしばって出して下さい。」などと、自虐的に注意書きを考えてみた^^; そうそう、老父を捨てに行った親子が、子に『もっこ(背負子)』を親父の時に使うから持って帰ろうと言われて、ハタと自分の非道に気付いたというお話もあるらしい。世の中『送り巡り』…自分のやったことは、必ず自分の身に返って来る。要らないと雪を捨てるから、また雪が降るのかい?そんなことある訳ないけれど、雪捨てして、少しはオヤジの存在意義を示しますか…動ける内は動かなければ^^;
「生ごみ」「粗大ごみ」の扱いでは困るから…そうそう、今日は「瓶」の回収日だった(笑)