本を読み返すことは稀ですけれど…
東京の「夏休み」は8月末まで…一方、山形県内の「夏休み」は8月24日前後で終わるのが定番だった。(何で?)関東方面からお盆に帰省する従弟たちの夏休みの長さを羨ましく思ったものである。(高々、一週間ほどの違いなのだけれど、それでも一週間の差は大きいのだ^^;)当然、小学生にとっての大きな『不公平』の理由を大人に尋ねるのだけれど「東北地方は冬休みが長いから…。」というのが大方の答えであったのだけれど、正月に帰省する子どもたちの「冬休み」に大きな違いは無かったのである。「田舎は都会に比べて授業(勉強)が遅れているから…。」という答えもあったのだけれど、天下の文科省「学習指導要領」では、年間授業時数が定められているから、未だに「夏休み」の長短に答えが出ていないのでありますよ^^;
さて、「夏休み」といえば課題学習…立派な『夢屋少年』は、定番の「おさらい帳」は、日付を入れて計画的にこなし(祖母がそうさせた^^;)工作は得意、自由研究は興味の赴くままに取り組み、「読書感想文」だって、『ちょちょいのちょ~い』と終わらせていた。先生(大人)の心を『くすぐる術』を心得ていたというべきか、そこそこに評価を頂いたような気もする。がしか~し、中2の夏休みの『課題図書』だけは困ってしまった。読後、何の感情も湧かなかったのでありますよ。(題名は憶えておりますけれど、敢えて書きません。)「無味乾燥(感想)」なんてね、選者(大人)は、結構な本として推薦したのだろうけれど、中2の反抗期というヤツでしょうか…感動も感慨も一切覚えなかった記憶であります。
困ったのは娘の宿題…作文、読書感想文だけが必ず残りましてねぇ。「夏休み」の最終日、帰宅してみるとまだ終わっていないと定番の報告…始めの内は「どう思った?」なんて優しく?聞き取りするのですが、『聞き取り調査』も深夜に及ぶとさすがにキレて、「何も感じなかった。つまらなかった。」という言葉をそのまま素直に書きなさいというのが精一杯…それもまた、良い思い出ではありますけれどね(笑)
感動も感想も湧かないのだから仕方がない^^;
さて、「世に優れた文学作品」と評される小説だって、二度読みすることなど稀でありますよ。国語の読解力アップのために「読め、ヨメェ~!」と尻を叩かれて来たような記憶であります。大人になって読み返し、なるほど登場人物の感情はこう揺れ動いたのか…なんて気付けるのは『大人』だから^^; 児童文学といえど書いているのは『大人』ですもの…青春時代の感情を思い起こして書いているのだから、それ相応の年齢になって感じられるものもあるに違いない。教科書の短歌や小説について、『湧き上がる感情』にもう少し時間をかけて触れていたなら、少しは楽しい授業だったろうなどと思うのでありますけれどね。
はてさて、「全国戦没者追悼式」の天皇陛下の「おことば」と岸田首相の式辞全文に触れてみた。岸田首相の式辞については、「反省」の言葉が無いとか、歴代のコピペであるという散々な書かれ方なのであるけれど、「反省」という言葉は、「自分の良くなかった点を認めて、改めようと考えること。」の意味のようである。天皇陛下も岸田首相も既に「戦後世代」なんだよなぁ…などと思ってしまう『おやじぃ』であります。『おやじぃ』や岸田首相が(並列で書くなんてねぇ^^;)先の大戦にいくらかでも関わっていたならば「反省」という言葉もアリかも知れないけれど、「戦後世代」の『おやじぃ』が、そして、その子どもたちがいつまで「反省」し続けなければいけないかと考えてしまうのでありますよ。(これって、「歴史の教訓」に目をつむるということではないと思うのだけれど…。)いずれどなたかが、国際情勢や歴代の式辞を参考に、推敲に推敲を重ねて代筆されたものなのだろうけれど、「歴史の教訓」という言葉の方が『おやじぃ』には重く受け止められるのでありますけれどね。
「夏休み」も終盤戦…読書感想文の『代筆アルバイト』でも始めてしまうかね(笑)
#戦争反対 悔い改める気持ちの無い「反省」など繰り返しても始まらない。「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。」という日本の立ち位置で振る舞うことが必要だと思うのですが…。