富山土産の「鱒寿司」ですけれど^^;
友人『ノロ社長』は久し振りの長距離仕事…お盆だと言うのに「富山県」までの遠征であります。我が在所は、先の豪雨災害で目立った被害が無かったようにも思えますが、近隣市町の被害は甚大で、途中の国道113号やJR米坂線は、小国町(山形県)、関川村(新潟県)で被害が集中したようであります。(改めてお見舞い申し上げます。)ボランティアの方々が復旧作業に汗を流しておられる中、物見遊山的な見物は不謹慎でありますから、『ノロ社長』が見た光景から被害の状況を想像し心を痛めております。
さて、大雨の予報の中、富山県宇奈月温泉まで荷届けを終えた彼を追い掛けるように雨が降り、帰り道は国道113号の利用を断念し、磐越道で大きく迂回して帰宅したとのことであります。福島県会津若松市と山形県米沢市をつなぐ「大峠」国道121号も通行止め…先の豪雨災害は隣県をつなぐ主要道路を寸断してしまったようである。まったく、いつまで降り続くのやら…新型コロナ感染症のように、今年は自然災害の波が、一波また一波と続いておりますよ。
暗くなってばかりもいられない。夕刻に帰宅した『ノロ社長』が途中で買い求めて来てくれた富山土産の「鱒寿司」で一杯やろうやと声を掛けてくれた。『河鱒(サクラマス…ヤマメの降海型)』を使った寿司が伝統のスタイルらしいのだけれど、需要と漁獲量が見合わず、今では輸入や北海道産の鱒が使われているらしい。『おやじぃ』は、「鱒寿司」「鯖寿司」が好物でしてね、喜んでお呼ばれいたしましたよ。「ほほ~!白魚の塩辛ねぇ…珍しいねぇ^^;」汽水域で一生を終える「シラウオ」は小さく、川を下り荒波に揉まれてから遡上するサクラマスは、渓流釣りでメジャーなヤマメとは似ても似つかぬ大型の鱒となって帰ってくる。田舎に生まれて、都会に出て帰ってくる子どもたちのようでもある。季節は、早盆の送り日、田舎では、大きく成長し帰省した客人たちがそそくさとまた都会に戻っていく頃である^^;
参道にはコスモスの花が咲いていた…。
体調がすぐれず、ウダウダした生活とモヤモヤした気分に、どこかで踏ん切りを付けるために、突如、オッカーを誘って実姉の墓参りに出掛けてみました。『おやじぃ』の立ち直りを信じて、文句も言わずにそっとしておいてくれているのに、イラついて声を上げそうになった自分に嫌気が差してしまったのでありますよ。(本来、その思いやりに感謝しなければならない立場なのに、声を荒げてしまうなどというのは実に情けない。)厄介な『憑き物』に取りつかれたような気分を一新して、秋からの戦闘モードに切り替えるぞという宣言でもありますが、仏様に頼ったところで仕方がない^^;
はてさて、一番下の叔父が特産の「和梨」を送ってくれたので、お礼の電話を入れて近況を尋ねてみた…あれまぁ、肺炎を患って10日間ほど入院したらしい。「長年続けた、煙草が原因だよ。お前も煙草止めなよぉ~。」なんて、弱々しい声で甥っ子にアドバイスを送ってくれる。まったく、我が親父と同じ病気で苦しんでいるなんてねぇ…。電話をすれば『病気自慢』と『薬の数自慢』だったのだけれど、今回ばかりは相当堪えたらしい。それでも心配しているのは施設に入所している地元の叔父(兄)のこと…「こんな状況で、もしものことがあったら出向くことが出来ない。」などと心配しているのでありますよ。15年程前は、四兄弟揃って「兄弟会」なんぞしていたのにねぇ、それぞれが老け込んでしまいましたよ。この調子で行くと、あと20年で『おやじぃ』も『病弱老人』の仲間入りするに違いない。のんびり生きても、焦って生きてみても、あと20回ほどの植え付け、収穫しか経験できないのかね…あと20回と考えるか、まだ20回と考えるか?心の持ちようで生き方も大きく変わってくる。もうこれ以上『荒波にもまれて大きく育つ』ことは無いと思うけれど、もう少しだけジタバタしてみようかと思った一日でありましたとさ(笑)
#戦争反対 誰しにも平等に訪れる「死」…強制されて死地に向かうなんて御免被りたいものである。