コスモスの花言葉は「乙女の純真」^^;
全国野球選手権もベスト4が出揃い佳境を迎えております。猛暑の中で繰り広げられる試合に『狂気の沙汰』と批判する向きもありますが、結局のところ高校生球児の熱闘の前に、そんな批判の声もどこかへ消え去ってしまう。部活のひとつでしかないのだけれど、強弱はあれ全国の球児は「甲子園」を目指す。「甲子園」が競技条件の良いドーム球場へ移ったら…その熱は一気に冷めてしまうのだろうか?野球をしない『おやじぃ』には分からないけれど、「甲子園」を目指す球児にとっては『聖地』なのかも知れませんなぁ…。そんな『おやじぃ』もベスト4に東北地方の2校が残ったことを喜んでいる。山形県民であって、東北地方と一括りにされることを嫌うくせに、こうして東北勢の活躍を目の当たりにすると何故か『同郷意識』が湧いてくるから不思議な現象でありますよ^^;
そして、必ずと言っていいほど「深紅の優勝旗は『白河の関』を越えられるか…。」というフレーズが飛び交うのでありますよ。(2004年には、白河の関どころか津軽海峡を越えて駒大苫小牧高校が優勝しておりますけれどね^^;)「白河の関」は、「鼠ヶ関」「勿来関」とともに古代奥州三関のひとつ。古くは「白河以北一山百文」と言われたように、奥州は価値のない場所だったのでありましょうかねぇ…。高校野球の優勝校を調べてみたら、何と記念すべき第1回大会(1915年)で秋田中が準優勝している。『おやじぃ』の記憶に残るところでは、第41回大会(1969年)に太田投手を擁した三沢高(青森)に始まり、以降、東北勢7校が準優勝しているんですなぁ。(当然、山形県の記録はない^^;)今回の準決勝では東北勢がぶつかるから、どちらかが丁度10度目の挑戦ということになりますよ。『熱狂』している訳でもありませんが、夏の季語ともなっている「甲子園」が終われば、いよいよ秋本番となって参りますよ^^;
ダレている場合じゃないんですけれど…
「日本の一番長い日」の著者である故)半藤一利さん(2021年没)は、「①国民的熱狂をつくってはいけない。」と教訓を残されているようである。(残念、その著作は一切読んでおりません。)「国民的熱狂は戦争を引き起こす。」と誰かが言っていた記憶のようではあるけれど…。今では、「東北地方が遅れている。」などという気持ちも無いのだけれど、どこかに下に見られてきたという意識が残っているのも事実。ネガティブに『遅れている』とひとつ一つ数え上げるよりも、ポジティブに『ここが優れている』と数え上げられるようになったこともあるかも知れない。『白河の関越え』もそのひとつ。東北勢のレベルは着実に上がっているとポジティブにとらえる…もし、『白河の関』を優勝旗が越えたなら、そりゃ~県民のみならず東北地方は『熱狂』するに違いない^^; そうねぇ、自分事では無いはずなのに『熱狂』する心は『おやじぃ』にも潜んでいるのでありますよ。
はてさて、『政治屋さん』が某宗教団体と関わったと一斉に叩かれ、コロナ禍にあっては『行動制限のない夏』と煽られ、新規感染者数の全数把握は定点把握へとマスコミ報道が続く。(科学的エビデンスなんて、どこへ行ってしまったのだろう?)見事に『おやじぃ』も誘導されておりますなぁ^^; 『コロナ疲れ』『戦争報道疲れ』『不満のはけ口』etc.…半藤一利さんの教訓は、「②最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。」「⑤すぐに成果を求める短兵急な発想をやめよ。」と続くようでありますよ。日々の『疲れ』と『不満のはけ口』を自分の外に向けさせる。『情熱』と『熱狂』は違うんだよなぁ…『情熱』が失せかけている夏、異常なまでの『熱狂』に巻き込まれないようにしないとなぁ。
#戦争反対 予備費のやり繰りだけ(行政)だけで、国会(立法)が開催されないなら、議員さん必要ないじゃん。無駄な議論と言わずに意見を戦わせなければ…戦うのは『外』だけではないと思えるのだけれど。