「更科そば」…そう言えば「更級日記」が…
夜明け前、妖怪『更科』なる魔物が夢に登場し、『おやじぃ』は木刀で「スネ打ち」を繰り返すのですがあえなく撃沈…はて、長野県に果たして『更科』なる妖怪は存在するのかと調べた次第^^;
信州更科の「姨捨山伝説」や信濃国戸隠山の「紅葉伝説」があることを知る。そんなかんなで『更科』のイメージを膨らませていたら、「更級日記」があるじゃないかと、中学校の歴史の時間を思い出しましてね(高校時代は日本史を選択せず、古典でも読んだ記憶がない。)はて、「更級日記」とはどんな文学だったのかとおさらいした次第であります。
どうやら「菅原孝標女(すがわらの たかすえの むすめ)」が作者らしく、旦那さんを亡くし、13歳から52歳頃までの約40年間を回顧したものらしい。源氏物語を愛読しながらも、平凡な男性と結婚し、子育てや晩年まで描かれる。まさに『ある女の一生』ではあるわなぁ…(おさらいは、さらりと済ませるところが肝要なようであります^^;)
貴族社会の栄枯盛衰を今さら読み返したところで、日常生活に何の役にも立たないけれど、『上級社会』のゴシップネタを覗き見るということには現代に通じるものがあるような気もするし、平安時代や源氏物語をひも解くには、貴重な史料でもあるらしい。素人はこの辺で止めておこう(笑)
ムラサキシキブ…こちらコムラサキ
さて、平安時代に女流文学が盛んになったのは、「かな文字」が発達したことや宮廷に集められた優秀な女性たちが「暇」だった(失礼^^;)ということが理由かも知れない。『豊かさ』や『暇(ゆとり)』といったものが、『妄想』や『エッセー』を生む原動力になったような気もする。めでたく結婚し、子育てを経験したとは言え、そこには小間使いや乳母が存在したであろうから、庶民の子育てのドタバタ劇とは違っていたはずである。果たして、庶民はどんな暮らし向きをしていたものやら…。
はてさて、「更級日記」が『ある女の一生』を回顧したものであるとすれば、モーパッサン(こちらは男性)の「女の一生」もまた貴族社会の女性の一生のようである。男女同権論は、ボーヴォワールの「第二の性」に譲るとして、この世界、何年経過しても決着は見られないようである。それどころか、今では「ジェンダー」問題も存在するから、「第二の性」さえ時代錯誤と考え方を改めなければならないのかも知れない。夢に出て来た妖怪『更科』は、得体の知れない怪物ではあったけれど、自分の理解を超えるものには『怪物』と別なものと捉えてしまう。「性」はどうあれ、それぞれに『幸せ』を求める権利がある…そんな風に考えないと落とし所が見当たらなくなるのかも知れませんなぁ。