その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

泥遊び…

2023-10-21 09:32:20 | 転職

「オニノゲシ」の葉っぱのギザギザ…

子どもは何故「泥遊び」が好きなのでしょう?衣服を汚して、後から怒られることは分かっているはずなのに。(それも「分別」というものが芽生えてからではあるけれど^^;)『びっちゃ』(水溜まりの方言)に入って、水を跳ね上げる。『泥だんご』を作るetc.『おやじぃ』が記憶をたどっても、我が子どもたちの成長過程を思い返しても、「泥遊び」はあったわなぁ。怒られること(不快)よりも、興味や楽しさ(快適)が勝っているからに違いない…。
突然ですが、今では死語となりつつある『昼メロ』を調べて見た。「メロドラマ(英:Melodrama)」…本来は、感情の起伏を誇張した恋愛劇で、音楽(ギリシャ語の「メロス(歌)」)とともに上演されたことに由来するらしい。『愛憎劇にメロメロになる』からなどと、とんだ勘違いをしておりましたわ(笑)
1965年の「愛染かつら」のテレビドラマ化(当然『おやじぃ』は記憶にない。)、1970年代の市毛良枝さんの『嫁姑シリーズ』(死んだバアサンが観ていた記憶がある。)、1990年代に「ぽっかぽか」なる親子のふれあいを描いたドラマもあったようだけれど、極め付きは2004年の「牡丹と薔薇」etc.…いずれも基本路線は『ドロドロ』にあったような気がする(笑)


スカッとさわやか…

さて、お仕事で『昼メロ』など観る機会も無かったはずなのだけれど、何故か不思議とその『サワリ』だけは知っている。直接、見聞きした訳ではないのだけれど、夜のバラエティ番組などのネタから、知っているような気になっているのかも知れない。『叶わぬ恋』に『嫁姑問題』、『いじめ』etc.と、子どもの頃の「泥遊び」が、大人になっても『ドロドロ遊び』が好きなのねぇなんて思っておりますよ^^;
はてさて、かつての『昼メロ』は打ち切られ、最近では『情報番組』に置き換えられた感がある。とは言え、芸能人の『ドロドロ』を追い掛ける姿勢は変わっていないようでありますけれどね。時として『共感』し、時には『反感』の感情をくすぐる…自分とは関係のない世界のお話だから、「ああでもない。」「こうでもない。」とコメンテーターをしのぐ解説ができるのかも。そうそう、今朝のお題は「泥遊び」…大人が「泥遊び」をしないのは、後からの洗濯が厄介だからと分っているからであり、大人になっても『泥遊び』をするのは、『洗濯(謝罪)』の苦労より、楽しさの方が勝っているからに違いない。『洗濯』してくれるのがオッカーならば、『おやじぃ』も『泥遊び』をしてしまうかも…コラコラ(笑)

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オッカーの発見…

2023-10-20 09:00:40 | 転職

内蔵を取って乾燥させたものだが…

俗に『なめくじに塩』とは、苦手なものを前に、縮み上がることの例えでありますが、我が家のオッカーにとっては、ヘビ、昆虫(特にガ)の類が苦手の最たるもののようである。(最近では、嫌いなモノのひとつとして『おやじぃ』も加えられているかも知れない^^;)子どもたちには、悪さをしない生き物を無闇に怖がらないように、小さな頃に触らせたりもしたので見ただけで怖がるということはないようではありますが…。
昨日「お父さん!ナメクジのミイラが付いている!」とオッカーのご注進がありましてね、体内水分約90%のナメクジがミイラになるなんて今世紀最大の発見と確かめてみたら、コカマキリの卵塊でした。ご丁寧に母親とおぼしきコカマキリ♀も近くにおりまして「彼女のお子たちです。」と説明申し上げましたけれど、怖い、キモイという感情がそう見せてしまうのか、彼女の発想力に舌を巻いたところであります。(決して、彼女の前で笑ってはいけない。『発想力』という表現で、彼女を褒め称えることが長生きの秘訣であると既に学習を重ねているから^^;)
『ミイラ』とは、人為的または自然に乾燥した動物の死体であるならば、『干物』もある意味『ミイラ』かしら?洋の東西を問わず、『ミイラ薬(粉末)』なるものも存在したらしいから、お魚の『干物』も不老長寿のお薬になるかも知れないねぇ(笑)


『復活信仰』の為せる業ですかねぇ…

さて、包帯でグルグル巻きにされた『ミイラ男』が街を徘徊する。ホラー作品で観る光景ではあるけれど、乾燥した組織では、タンパク質が変質してしまっており、水分を補給しただけでは、生命を取り戻すことは出来ないようであります。一方、植物の種子の場合は、ロシアの永久凍土から発見された約3万年前のナデシコ科の植物が花を咲かせたという記録があるようです。アハハ、復活を望むならば『乾燥』保存より、『冷凍』保存の方が有効かもしれませんぞ(笑)
はてさて、『僧は死なず、生死の境を超え瞑想に入る』…民間信仰からすれば、ありがたい「即身仏」なるものが山形県内には多数存在するらしい。疫病や飢饉からの救済を求めて、苦行に耐えて『入定』されたということらしいのですが、これまた生きたままの『ミイラ化』に他ならない。オッカーの『ナメクジのミイラ』の発見から、お話は際限なく広がっていく。ご存じ水戸黄門の主題歌「あゝ人生に涙あり」では、「人生楽ありゃ苦もあるさ♪」と歌い上げておりますが、『おやじぃ』は歌詞を替えて『人生いき方しだいで楽できる~♪』と歌ってしまう。自ら『苦』を求めて修行する必要もありますまい。『オッカーの新発見』に吹き出しそうになるのを堪えながら生きていることの方が『楽』といえば気楽でありますよ(笑)

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イクメンの日…

2023-10-19 09:14:21 | 転職

そろそろ交尾の季節なのかも知れない…

昨日、独り暮らしの老人宅の洗面台の排水管が壊れたと相談を受けまして、仮補修はしてあげたのだけれど、部品さえ調達出来れば『おやじぃ』にも直せるとレンチでネジを回したら、管が腐食しているから途中で折れてしまいましたよ。(余計な仕事を増やしてしまった…排水管も詰まっていたから外さない訳にはいかなかったという事情もあるのですが^^;)専門店で材料を調達しようとしたら在庫がない…「私が生きている内だけ使えれば良い。」という彼女の言葉に、洗濯機用の排水管を加工して接続だけはしましたけれど、今度は洗面台のパッキンが老化して新たな水漏れが…目地止めの『白テープ』で補修して水漏れはしなくなりましたが、『ガタ』が来るとアチコチやられるという好例でありますなぁ…材料代と時給を合わせて2千円也。(謝礼を求めるつもりは無いのだけれど、受け取らないと余計に気を使われてしまうから、多少なりとも時給として受け取ることにしている^^;)
はて、外は晴天…「フタモンアシナガバチ」がブンブン飛び回っている。そろそろ、巣離れ(交尾期)なのかも知れない。子育ては専ら姉さん(ワーカー)たちの役割であり、♂蜂は触覚の曲がりで判別できるのだけれど、彼らの役割は『交尾』だけ?10月19日は『イクメンの日』だというのに、今風に言えば、『ワンオペ育児』に徹している。かく言う『おやじぃ』は、育児にどれだけ関わって来ましたかねぇなんて反省しておりますが…。


親はなくても子は育つ…

さて、用足しを終えて、携帯の画面を見たら真っ黒…着信があって、相手の声が聞こえてもコチラの声が相手に聞こえないという症状が出ていたから、そろそろ買い替えの時期とは思っていた矢先の出来事…お友だちもいない『おやじぃ』には然したる影響もなかったのだけれど、遂にオシャカ。慌ててショップの予約を取り付け、買い替えたのだけれど、約2時間、若いおネェさんとお話できて喜んでいる。職を辞してからは、とんと若い女性と会話するなどということが無くなりましたもの…『スケベ心』も若さを保つ上では必要かも知れませんぞ(笑)
はてさて、『子育て』から解放されて「フタモンアシナガバチ」の子育てについて考えてみる。社会性昆虫と呼ばれる彼らの場合、その構成員を個々の個人と考えるのは間違っているのかも知れない。(勝手な私見です。)巨大な卵巣と精液を蓄えた女王蜂だけが生き残り、子どもたち♀(ワーカー)は手足であり、♂蜂は巨大な精巣であり、それら全てで『個体』を造っているのではないかなんてね。彼ら彼女らは、生き残るために最も適する『形』に進化した。そうそう、『子育て』でしたなぁ。社会で生き残るために最も適した『形』に変化を遂げる。優しいお父さん像を良しとはしないけれど、これからは積極的な手出しも必要…『おやじぃ』だって、がんばってきたつもり…個人の見解ではありますが(笑)

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ご遠慮ください…

2023-10-18 08:51:40 | 転職

健康のためにお控えください^^;

夢見る『おやじぃ』は、イベント会場で長蛇の列を前に、入場整理のお仕事をしていた。最初は一列、いつの間にか横にもう一列出来上がってしまっていたけれど、「コチラの列が先です。」という説明に誰も文句を言う方はいなかった。(現実の世界では、こんなマナーの良い客は稀なはずである…どこまでも自分に都合の良い夢に仕上がっている^^;)お手伝いの方が1名増えて、2列を同時に受け付け始めたところで目が覚めた…はて、何で入場制限をしていたのだろうか?皆さん入場チケットも持っていて、マナーも守ってくれているというのにねぇ…むしろ、入場整理が混雑に拍車を掛けているのではないかと思い始めた矢先だったのでねぇ。(もちろん、夢の中のお話です。)
『〇〇での××はご遠慮ください。』…『おやじぃ』の場合は、「禁止」と受け止めるのだけれど、約2割の方々は「少しだけならやって良い。」と解釈しているという調査結果もあるようです。確かに『婉曲表現』だから、どちらにも受け取れる。ルール(法律)違反なら「禁止」、主催者(管理者)からの「お願い」ならばマナー違反といったところでしょうか?「遠慮」の原意は、遠くを見通すということらしいから、相手を慮ることが必要なのかも知れないねぇ(笑)


「秋めく」という言葉に…

さて、「すっかり秋めいて…」という場合の「めく」は、接尾語で「そのような状態になる。」という表現に使われる。しかし、「色めく」と言う場合は、「その時期が来て色が美しくなる。」という場合と、「騒然となる。」という意味合いで使われる場合があり、後者で使われる場合が多いような気がする。「謝罪会見に報道陣が色めいた。」なんてね。
はてさて、『車座社会』なる造語を発見し、『おやじぃ』はハタと膝を打った。『リーダー待望論』…ムラ社会であれ、政界、会社組織であれ、リーダーは車座になって、参加者からの意見を聞いている風には装っているけれど、最後は自分の意見を通してしまう。それに多くは従い、上手く事が運べば持ち上げ、少しでも弱味を見せようものなら一斉に叩く。そして決まり文句として「だから俺は言っていたはずだ。」と付け加えれば、自分が決定に無関係だったように装えるのでありますよ。某事務所問題も同じ構図が見えて来る…もう、そうした報道姿勢は『ご遠慮ください。』なるほど、「禁止」でもない「お願い」でもない、ルール(法律)違反ではないから何でも許されるのかななんてね(笑)

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なむからたん…

2023-10-17 09:32:13 | 転職

お経と挨拶は長いほどありがたい?

ブログネタに困って、妻方の叔父の葬儀に参列した際の焼香の際の『お経』を調べて見た。曹洞宗の僧侶が読み上げると「なむからたんの~とらや~や~」…正直なところ、この一文しか耳に残らないし、悲しみの場であるはずなのに、思わず吹き出しそうになる場合がある。(不謹慎である^^;)どうやら漢字に直すと「南無喝囉怚那 哆囉夜耶」となるらしく、漢字を拾い上げるにも「IМEパット」で一文字ずつ確認しないと書き出せないのでありますが…。現代語訳すると「仏法僧の三宝に帰依します。」ということになるのだそうでありますよ。正式名称が「大悲円満無礙神咒(だいひえんもんぶかいしんじゅ)」というお経らしく、千手観音の悟りの内容を説いたお経らしいのですが…残念、これだけで頭が痛くなる。結婚式の披露宴で、美味しそうな料理を前に、さほど新郎新婦とはお付き合いもないオジサンのスピーチを聞いているときのように、「はて、新郎はそんな性格をしてましたっけ?」などと内心思いながら『待て!』をくらっている『犬』のような状態が続く^^;
『ありがたい』には違いないのだろうけれど、『仏法僧』の教えも伝わって来ないのでありますよ。


何がありがたい…

さて、仏教に限らず『宗教』が活ける人々の救済を説くものだとすれば、死者を葬送するために『ありがたい』お経を唱えたところで、成仏できるとは限らない。むしろ『有り難し』…この世に生を受けたことさえ奇跡であり、『ありがたい』ことと諭していかなければいけないはずである。この世の『苦しみ』から逃れ、あの世とやらに行けば『楽になれる』などと考えるのは誤った考え方であり、若くしてその道を選んでしまってはいけない…とは言え、日々『苦しみ』を感じて生きている人がいらっしゃることも確かである。
はてさて、歳を重ねて、子どもの頃から身近にあったはずの『仏教』を考えてもこの程度である。お釈迦様の教えがサンスクリット語で伝えられ、古く高僧が漢字変換し、日本の高僧がそれを音読し…意味が分からないから『ありがたく』、意味不明な言葉が長く続くから『ありがたい』。とすれば、意味などないと考えている人生も、長く生きられただけでもありがたい。例え短い人生だったとしても、残された人々には記憶として長く心に残るから『ありがたい』…そんな風に、現代風に訳し直さないと伝わっていかないのかも知れないねぇ。「なむからたんの~とらや~や~」…にわか仏教徒の『おやじぃ』は、勝手に解釈して生きることにいたしますわ(笑)

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女の一生…

2023-10-16 10:00:23 | 転職

「更科そば」…そう言えば「更級日記」が…

夜明け前、妖怪『更科』なる魔物が夢に登場し、『おやじぃ』は木刀で「スネ打ち」を繰り返すのですがあえなく撃沈…はて、長野県に果たして『更科』なる妖怪は存在するのかと調べた次第^^;
信州更科の「姨捨山伝説」や信濃国戸隠山の「紅葉伝説」があることを知る。そんなかんなで『更科』のイメージを膨らませていたら、「更級日記」があるじゃないかと、中学校の歴史の時間を思い出しましてね(高校時代は日本史を選択せず、古典でも読んだ記憶がない。)はて、「更級日記」とはどんな文学だったのかとおさらいした次第であります。
どうやら「菅原孝標女(すがわらの たかすえの むすめ)」が作者らしく、旦那さんを亡くし、13歳から52歳頃までの約40年間を回顧したものらしい。源氏物語を愛読しながらも、平凡な男性と結婚し、子育てや晩年まで描かれる。まさに『ある女の一生』ではあるわなぁ…(おさらいは、さらりと済ませるところが肝要なようであります^^;)
貴族社会の栄枯盛衰を今さら読み返したところで、日常生活に何の役にも立たないけれど、『上級社会』のゴシップネタを覗き見るということには現代に通じるものがあるような気もするし、平安時代や源氏物語をひも解くには、貴重な史料でもあるらしい。素人はこの辺で止めておこう(笑)


ムラサキシキブ…こちらコムラサキ

さて、平安時代に女流文学が盛んになったのは、「かな文字」が発達したことや宮廷に集められた優秀な女性たちが「暇」だった(失礼^^;)ということが理由かも知れない。『豊かさ』や『暇(ゆとり)』といったものが、『妄想』や『エッセー』を生む原動力になったような気もする。めでたく結婚し、子育てを経験したとは言え、そこには小間使いや乳母が存在したであろうから、庶民の子育てのドタバタ劇とは違っていたはずである。果たして、庶民はどんな暮らし向きをしていたものやら…。
はてさて、「更級日記」が『ある女の一生』を回顧したものであるとすれば、モーパッサン(こちらは男性)の「女の一生」もまた貴族社会の女性の一生のようである。男女同権論は、ボーヴォワールの「第二の性」に譲るとして、この世界、何年経過しても決着は見られないようである。それどころか、今では「ジェンダー」問題も存在するから、「第二の性」さえ時代錯誤と考え方を改めなければならないのかも知れない。夢に出て来た妖怪『更科』は、得体の知れない怪物ではあったけれど、自分の理解を超えるものには『怪物』と別なものと捉えてしまう。「性」はどうあれ、それぞれに『幸せ』を求める権利がある…そんな風に考えないと落とし所が見当たらなくなるのかも知れませんなぁ。

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笑いが止まらない…

2023-10-15 08:35:19 | 転職

これは「イグチ」のはずである…

世には「マジックマッシュルーム」なるものが存在し、古くは宗教的な儀式に使われたり、日本でも「今昔物語」に『舞茸』という呼び名(現在のマイタケとは違う。)で登場するらしい。飛んだり、跳ねたり、踊ったりetc. 子どもの頃の『笑茸』…食べると急に笑いが止まらないという設定なのだけれど、どうやら顔が引きつって笑って見えるというところが正解のようであります。
今夜は、お隣の『エっちゃん』からキノコの差し入れ…コチラは『幻覚成分』など含まれておりませんが、秋の恵みに自然と笑顔になる『笑い茸』でありますなぁ(笑)
その戦果を聞くと、朝から隣り町の山に出掛け、お昼ご飯も食べずに、お隣の市の山に出掛けて、2ヶ所の山を駆け回ったらしい。「ちなみに『お里』はどちらですか?」と尋ねたら、決して山手の集落育ちではなく、「嫁に来てから始めた。」とのことである。『おやじぃ』はと言えば、田舎暮らしと言えども平場育ちだから、キノコのことなどほとんど知らないのでありまして、知ったフリをして手を出すのは危険であると思っているから、例え「今年はマツタケが豊作である。」などと聞いても、出掛けないし、悔しくもない…こうして、缶ビールを手に待っていると、キノコの方から下処理されて出て来るのだから楽ちん、楽チン(笑)

『チャオちゃん』も稲刈りを終えた^^;

さて、「土曜日までは天気が続く。」天気予報を信じて、残る田んぼは土曜日に手伝うと約束した。ぬかるむ小さな田んぼ、道路横断と、本人は達者なつもりでも、隣りで見ていてヒヤヒヤものでありますよ。ならば、『おやじぃ』が替われば良いではないかということになるのだけれど、意外と『クセ』のある機械でありまして、『おやじぃ』もコンバインだけは操作したことがないのでありますよ。来年一年がそろそろ限界かな?などと本人も『おやじぃ』も考え始めている。機械が壊れたら、その時点で終了…と覚悟は決めておりますけれどね。
はてさて、そんな一丁前なことを言っている『おやじぃ』でありますが、田んぼをグルグル回り、畦畔の草刈りなどしていたら、身体の節々が痛くて堪らない。(典型的な運動不足…いや、老化でしょう^^;)『身の置き場もないほど』疲れたとか『膝が笑う』というやつですかねぇ。山のキノコが下処理されて、向こうからやって来てくれるように、お米も気付いたら田植えが終わっていて、向こうから精米されてやって来たなら『笑いが止まらない』のにねぇ…。口を開けたら、ご飯が自然に運ばれて来た…それって、オッカーの介助でしょう。動ける内は動かないとねぇ。『お金も女も追い掛ければ逃げて行く。お金が追い掛けてくる男が一流よ!』などとうそぶいていたのはいつの日か?今では、そんな自分の愚かさに『笑いが止まらない』…キノコの幻覚症状かい(笑)

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流れのままに…

2023-10-14 08:16:02 | 転職

「虹の橋」のたもとには…

最近、ペットの死を意味する『虹の橋を渡る』という表現があるらしい。エドナ・クラインという方の散文詩が元ネタという説もあれば、2番、3番の詩も追加され、作者も曖昧というお話もある。1番の詩の内容だけを見れば、先だったペットたちは虹の橋のたもとにあるという快適な暮らしができる草原で飼い主を待っていてくれているというお話になるのですが…。
妻方の叔父さんが亡くなり、葬儀に参列したのだけれど、ひと足違いで最後のお別れが出来ず仕舞いに…遺影は生前の最高の笑顔であり、長患いした後の姿が記憶に残るよりも、それはそれで良いとしようとオッカーを慰めたのではあるけれど…。火葬から告別式を待つ間に、列席者の携帯が鳴りまして、「今月、三つ目のお葬式だわ。」なんて会話が耳に入りましてね、そりゃ~そうですわ、叔父さん叔母さんもみんな80歳を超え、いつお呼び出しが掛かってもおかしくはない年齢なのだからと今さらながらに思うのでありました。疲れて家に帰り、腰を下ろしたところに電話が入りまして、今度は集落のお年寄りが亡くなったというお知らせ…『おやじぃ』もまた三つ目のお葬式となってしまいましたよ。


そのまま受け入れるしかないが…

さて、少々お酒も入り、通夜会場に駆け付ける訳にもいかず、喪主から聞きたいことがあると言われても電話の応対しかできない情けなさ。またしても、集落の『しきたり』と喪主の意向に悩むことになる。喪主が簡素に送りたいというのであれば、それはそれで可能なのだけれど、中途半端に『しきたり』を気にされるから、コチラも中途半端な折衷案しかお話できないことになる。この際、一切合切を葬儀屋さんに委ねて、『しきたり』とは無縁の喪主さんの意向に沿ったお葬式に変わって(変えて)いくべきじゃないかとも思い始めておりますよ。
はてさて、ペットたちが待つと言う『虹の橋』のたもと。「あの世でも…」と思うのは自由であるけれど、恐らくは『オッカー』よりも先に旅立つことになるだろう『おやじぃ』が待つかと言えば、さっさと『虹の橋』を渡ってしまうかも知れない。最近では、二人で並んで歩くのも葬儀会場くらいだもの…それより何より、子どもの頃の、そして若い頃の顔のイメージを引きずっているから、親戚の顔さえ『おやじぃ』の方が憶えているってどういうことよ…。きっと、虹の橋のたもとで待っていたところで、『おやじぃ』の顔さえ分からなくなっているかも?そうそう、先のお話よりも、今あることの幸せを感じていることの方が大切だわ。捨てられないように、忘れられないようにしないといけないねぇ(笑)

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かきちゃん

2023-10-13 07:24:00 | 転職

「柿色」ってどんな色?

相方『チャオちゃん』の稲刈りがようやく終えました。(正確には、小さな田んぼがもう一枚ありますけれど^^;)『おやじぃ』のお仕事は「マメ刈り」…田んぼに生えてしまったクサネムの種子が混入しないようにコンバインを先回りして刈り取っていくのだけれど、10aの田んぼを何度もグルグル回り疲れました。『疲れ直し(慰労)』に『チャオちゃん』と焼酎を飲んで、疲れが倍増したような気分でありますが…おバカは治らない^^;
最近、仕事をしない代わりにネット配信のドラマを見続け、遂には観るべきドラマも見尽くしてしまった状態…難病や身障者を題材にしたドラマも何点かあって、その筋立てや結論の導き出し方に苦労されていることは分かるのだけれど、果たして理解が深まったかというと甚だ怪しい。
こんな話題になったのも『チャオちゃん』宅で『かきちゃん』という名の茶トラ猫と一緒になったから…娘さんに拾われて3年ほど経つらしいのだけれど、左目は白濁し、右目も傷めていてほとんど視力がないのではと思われる。捨て猫のままならば1年ともたなかったような気もするし、飼い主に巡りあえて良かったねとか、幸せだねなんて月並みな感情が湧いてくるのだけれど、果たしてどうなのよ?などという捻くれた感情もかすかに浮かぶ…。


『とら次郎』も逞しく生きていた…

さて、ノラ猫の寿命は5年程度という説もある。ましてや雪の降り積もるこの地で生き永らえることは至難の業に違いない。親切な友人『ノロ社長』にエサをもらいながら、それでも一度たりとも触れることすら拒み続けておりました。ノラ猫にもノラ猫なりのプライドがあるに違いない。果たして家に囲い込まれて飼い猫となることが幸せなのかというとそれは勝手な人間のエゴなのかも知れないと思った次第でありますよ。
はてさて、猫と人間の関わり合いは約1万年前まで遡れるらしい。やはり「ネズミ捕り」が最大のお仕事だったのか?子どもの頃は、満足なエサも与えなかったし、充分なエサを与えるとネズミを捕らなくなるとまで教えられたからなぁ…。(その代わりに、食卓の魚を奪われることもしばしばあった^^;)人間にも猫にも何らかの『役割』があって、そこに生きている価値がある。『お仕事』ばかりが価値ではないはずであり、年老いても、身体が不自由であっても、何がしかの『役割』を担っていると信じたい。目の不自由な『かきちゃん』が幸せかどうかは分からない。しかし、周りの人間に幸せを感じさせてくれるのは確かなようでありますよ…。さて、出掛ける準備をしないと…。

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裸の白兎…

2023-10-12 08:34:11 | 転職

「ガマ」の穂で思い出すこと…

むか~し昔、『幻灯機』(今では「スライド映写機」も死語かしら?)というものがあった時代に、「因幡の白兎」のお話を見たような記憶があるのだけれど、もしかすると紙芝居だったかも知れない。哀れ白兎は、皮を剥ぎ取られ泣いているところを大黒さまに助けられ、ガマの穂にくるまってその傷を癒したのだとか…。素直な『夢屋少年』は、皮を丸ごと剥ぎ取られたウサギをイメージしたのだけれど、大人の常識人となった『おやじぃ』は、恐らく毛をむしり取られたか、傷ついた程度のウサギだったに違いないとまた下らないことを考え始めた^^;
はて、元々、ウサギはワニ(和邇)をだました悪い輩であるはずなのに、何故、大黒さまはウサギを助けたのだろうか?もしかすると、隠岐の島(淤岐島)のウサギ族が、因幡(稲羽)の地のワニ族と敵対関係にあったのかも知れない。大黒さま(大国主)は国造りの神とされているから、この地の有力な勢力であり、ウサギ族と手を結び、負傷兵の傷の手当方法を教えたのではなかろうかなんてね。確かに、ガマの穂(雄花の花粉)には、止血効果のある成分が含まれているらしい。神話の世界も、征服者側を称える筋書きになっているだろうから、大黒さまは、因幡のヤガミヒメと政略結婚して、目出度しめでたしなんてね…田んぼのガマの穂から妄想が広がっていく(笑)


今年の大豆の出来は…?

さて、自分の稲刈りは終了したものの、相方『チャオちゃん』の飯米の稲刈りがまだ残っている。週末まで天気が続きそうだから、何とか今日中に稲刈りを終わらせたい。(明日は葬式が入ってしまったもの…。)そんな訳で、田んぼに出掛けてみると『チャオちゃん』も草刈りに来ておりましたよ。(稲刈り前の草刈りって、一体何なんだ…水をかけても抜けるという栽培条件の悪さと体力が落ちて草刈りが出来ないという理由があるんですけれど。)ヒエの種なら選別機で落ちるんですが、ノエンドウの種だけは選別機で落ちないから、コンバインで刈り取る前に手で刈り取ってやらんといかん。
はてさて、昔は小さな田んぼでも、飯米と少量の出荷をしていたものでありますが、今では、4軒ほどの大規模農家と『チャオちゃん』と『おやじぃ』が残るのみ。『大黒さま』が大きな機械で刈り取っていく。大黒さまの大きな袋には、実は兄弟の荷物が入っていたんですってねぇ…ある意味、先陣を切った兄弟たちは、強引な手法で因幡の地の征服に失敗し、ウサギ族を懐柔した大黒さまが国造りに成功したのかも知れない。大きな流れに抗っていても仕方が無い。ガマの布団(蒲団)にくるまっていた方が楽なのかも知れないねぇ。『因幡の白兎』が実は悪者だった説…あら、オラたち悪者だったかしら(笑)

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