峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

プチオフグリッドな暮らし

2021年10月21日 | 移住
地球温暖化が、いよいよ待ったなしの状況になっているようだ。いや、もう既に手遅れなのかもしれない。

この期に及んで、ようやく人類は脱炭素社会に向けて重い腰を上げ始めている。
日本でも、2050年までに温室効果ガスの排出をゼロにするカーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことを菅前首相が昨年10月26日の所信表明演説で宣言した。

私が暮らすここ備前市においても今年2月2日、「2050年二酸化炭素排出実質ゼロ宣言」が田原前市長により表明されている。

昨日行われた備前市職員による政策コンペのプレゼンの中にも、電力削減と脱炭素社会の同時実現を目指す新しいアイデア・仕組みである「電力リバースオークション」を活用する提案があった。

それでは、あなたは、どうすると自身に問いかけてみる。

「オフグリッド」という言葉がある。電力会社の送電網に繋がっていない状態、あるいは電力会社に頼らなくても電力を自給自足している状態を指す。
よく、屋根一面にソーラーパネルが貼ってあるのを見かけるが、あれに蓄電池があれば、可能のようだ。
だが、そのハードルはなかなかなもので手が出ない。

そこで我が家で用いているのがセンサー式のソーラーライトだ。現在、12個を活用している。
屋外3か所に設置している他、風呂場・洗面所・廊下・土間、そして夜間用に居間にも合わせて9個置いている。
日が昇ると同時に、それらを集めて太陽に向けて並べる。大切な日課の1つだ。

もう1つの我が家の温暖化対策が薪風呂だ。
我が家は、購入時から薪風呂だった。薪風呂であったことは購入の決め手の1つになった。

薪風呂の燃料は薪だ。
薪は木を伐採して作る。木は、十分な大きさになるまで空気中の二酸化炭素を吸収して育つ。
木を燃やすと二酸化炭素は再び空気中に排出されるが、さらにその二酸化炭素を木が取り込んで育つという循環が出来上がっている。結果的に地球上の二酸化炭素の量は、ほぼ変わることがない(カーボンニュートラル)。

また、木は伐採しても再び芽吹き、半永久的に再生を繰り返す。この点も、限りある化石燃料である石油・石炭と決定的に異なるところだ。

子供や孫を持つ親・祖父の責任の1つとして、サスティナブル・持続可能な社会の実現を望み、考え、出来る限りのことに努めたい。
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備前市役所 職員「政策コンペ」二次審査

2021年10月20日 | 移住
きょうは、午前8時半に家を出て市役所に向かった。

この日は、「備前市役所職員政策コンペ」の2次審査会(プレゼンテーション)。
私も「市民代表」という形で6組のみなさんのプレゼンテーションの審査に加わった。

審査を終えて、帰宅したのが午後1時頃。昼食を取り、一息ついた後、溜まっている庭仕事をこなすため表に出た。

夕方5時、薪風呂を沸かし、女房どのに入ってもらう。その後に私も入浴。
午後7時前には夕食だ。

このところの晩酌は、もっぱらワイン。
そう言えば、今日も「My Wine Club」から1ダースワインが届いていた。

夕食の後に今日の様子を記そうと思っていたのだが、ワインを飲んだら、やはり朦朧(もうろう)としてきた。

市役所職員一次審査通過後の6組のみなさんは、いずれも時代の趨勢に適うテーマを熱くプレゼンされた。

時を置いて、それに触れてみたい。
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栗拾い

2021年10月19日 | 移住
敷地内に栗の木が何本あるのだろう。
数えたことがないので正確なところは分からないが、この時期、そこここに栗のイガが転がっている。
表に出るたび、ズボンの両ポケットは栗の実でパンパンになる。それでも拾い尽くせない程で、ほとんどはアナグマさんたちの食料となっている。

おかげで、毎日ホクホクの栗ご飯が頂ける。
ただ、栗の皮をむくのは大変なようで、去年、女房どのは肩こりに悩まされた。

ということから、今年、シーズン初めに、栗の皮むき専用の器具を女房どののために用意した。

全ての栗の実が落ちてしまった頃、丸々と太ったアナグマさんは冬眠に入るのだろうか。
静かに里山の秋は更けていく。
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この地で生きる

2021年10月18日 | 移住
昨日午後2時前、私も含め、昨年から当屋を務めた戸主が、1年間預かっていた御幣(ごへい)を白い扇子の上に載せ、地区の神社に集まった。
間もなく、今年、当屋に当たる戸主の方々も礼服に身を包み参集される。

当屋番を交代する「当屋渡し」を行うためだ。
もちろん、地区のみなさんほとんども参列された。

宮司が祝詞を唱えた後、宮司に続き、当屋の代表が玉串を祭壇に捧げるのだが、世話役から私にその役割を務めるよう告げられた。

みなさんから、地区の仲間として認められつつあるのが嬉しい。

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おねえさん

2021年10月17日 | 移住
昨日、私たち夫婦が暮らす地区で秋祭りを行った。
普通、「秋祭りが行われた」と言うところだろうが、規模の小さい私たちの地区のような自治会では、ほとんどの事柄が「自分ごと」だ。

それに異を唱える声を聞いたことがない。また、文句や愚痴をこぼす人もいないようだ。

作業中、その合間、みんな笑顔で、常に冗談が飛び交っている。私たち新参者にも、誰かれなく声を掛けてくれる。
とにかく、空気が穏やかで明るい。

今年から、神事を執り行う「当屋」の番を、地区を2つに分けて交互に行っている。今年、私たちは、その当屋に当たっていた。

この日、準備のため、当屋は午前8時に神社に集合となっていた。
その20分ほど前、女房どのと一緒に軽トラで家を出た。女性陣は、いったん集会所に集まることになっていると言うので、女房どのを集会所前で降ろし、神社に向かった。

神社に着き、軽トラから降りると、地区で一番若いご夫婦の奥さんであるSさんから「おねえさん、集会所に行かれました?」と声を掛けられた。
「おねえさん」というのは、どうやら女房どのを指しているようだ。
「ええ、いったん集会所に集まると言ってましたよ」と答えると、やってしまったという顔で「やっぱり集会所でしたか」と、彼女は笑顔で集会所の方に歩いて行った。

帰宅後、女房どのにそのことを話すと、彼女より年長である私たちのことをSさんは「おねえさん」「おにいさん」と呼んでくれているという。
女房どのは、彼女を「Sちゃん」と呼ぶ。そして、Sちゃんが可愛らしいと言う。

私には弟と妹がいる。彼らは私を「あにき」と呼ぶ。したがって「おにいさん」なんて、今まで誰にも1度も呼ばれたことはなかった。(追記:弟の妻と妹の夫は、私を「おにいさん」と呼んでくれるのを忘れていた)
「おにいさん」、なんて響のお良い言葉だろう。

午後4時半に当屋は再び神社に集合。近隣の神社から宮司を招き、午後5時から神事を執り行った。

その後、当屋以外のみなさんが三々五々神社に集まって来られた。
その中のお1人、Rさんが最後の準備に勤しんでいる私を呼び止められた。

「〇〇をお読みになられましたか」とおっしゃる。どうやら本のタイトルらしい。
「いや、読んでいません」と答えると、背広のポケットからコピーされた数枚の紙を取り出し、「これ、その冒頭の部分です。読んでみてください」と、文庫本をコピーした数枚の紙を差し出された。

Rさんにお会いすると、何故だか、時々、文学の話を振ってこられる。
何故、文学の話を振ってこられるのかは分からないが、少なくとも私に親愛の情を寄せてくださっているのは間違いなさそうだ。
「読ませていただきます」と、その折りたたまれたコピー用紙を受け取った。

皆さんがお揃いになった後、宮司からお祓いを受け、この日は解散となった。

この地区で良かった。しみじみ、そう思っている。
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ホームランを打ったことのない僕は

2021年10月16日 | 絵本
なんとなく気になる人と言えば、絵本作家でミュージシャン、その他、小説や評論など、幅広い分野で多彩な表現活動を繰り広げている長谷川集平さんも、その1人だ。

長谷川さんは、1976年に森永ヒ素ミルク中毒事件(彼自身、この事件の被害者である)を扱った絵本・「はせがわくん きらいや」で鮮烈デビューした。同絵本で第3回創作絵本新人賞を受賞している。

長谷川さんは、2005年9月22日付けの長崎新聞「うず潮」欄で、当時、長崎で相次いで発生した中高生の自殺に関し、下記のように述べている。

「新学期、長崎で中高生の自殺が相次いだ。わが国では年間三万数千人が自殺するそうだ。世界的に見て、異常な多さだけれども、その中でも長崎の子どもが目立つのは、やはり特殊なことだ。原因は長崎にありと真っ直ぐに受け止めるべきではないか」

長谷川さんのHP「シューへー・ガレージ」によると、彼は、兵庫県姫路市生まれで、1991年より長崎市に住んでいる。
長谷川さんは、長崎に住むようになって以来、ずっと孤独だったと語っている。

「腹を割って話してくれない人たち」「大事な話をしようとすると、いつもうっちゃられ、逆襲されてしまう」「ピントをうまく外す話術は何のために洗練されてきたのだろう」
長谷川さんが長崎の人たちと接してきての印象だ。
これと同じような話を、佐々町に住む複数の人から私も聞いてきた。

そんな長谷川さんの絵本に2006年、理論社から出版された「ホームランを打ったことのない君に」がある。
野球においても人生においても、未だホームランを打ったことのない僕としては、ずっと気になっていた絵本だ。

それを、先日ようやく求めることが出来た。
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もう一つの「化粧」

2021年10月15日 | 音楽
世の中には、何となく気になるという人がいるものだ。

そのうちの1人、ロックバンド・エレファントカシマシのボーカリストであり、近年、ソロ活動に新境地を開いた感のある宮本浩次さんだ。

先日、ミスチルの櫻井和寿さんとのコラボ「東京協奏曲」に心を揺さぶられたと、このブログにも記したばかりだった。

最近、テレビで宮本さんが他の歌手の楽曲をカバーしているのをよく見かけるが、今週火曜日のNHK・TV「うたコン」で中島みゆきさんの「化粧」をカバーするのを視聴した。

 化粧
作詞:中島みゆき
作曲:中島みゆき

化粧なんて どうでもいいと思ってきたけれど
せめて 今夜だけでも きれいになりたい
今夜 あたしは あんたに 逢いにゆくから
最後の最後に 逢いにゆくから

あたしが出した 手紙の束を返してよ
誰かと 二人で 読むのは やめてよ
放り出された昔を 胸に抱えたら
見慣れた夜道を 走って帰る

流れるな 涙 心でとまれ
流れるな 涙 バスが出るまで

バカだね バカだね バカだね あたし
愛してほしいと 思ったなんて
バカだね バカだね バカのくせに
愛してもらえるつもりでいたなんて

化粧なんて どうでもいいと思ってきたけれど
今夜 死んでもいいから きれいになりたい
こんなことなら あいつを捨てなきゃよかったと
最後の最後に あんたに 思われたい

流れるな 涙 心でとまれ
流れるな 涙 バスが出るまで

流れるな 涙 心でとまれ
流れるな 涙 バスが出るまで

バカだね バカだね バカだね あたし
愛してほしいと思ってたなんて
バカだね バカだね バカのくせに
愛してもらえるつもりでいたなんて

「化粧」、オリジナルもいいけれど、その夜は宮本さんの表現が、しんみり心に沁みた。
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棋士・堀口一史座

2021年10月14日 | 将棋
棋士には魅力的な人物が多い。
前述した堀口一史座七段(46歳)もその1人。

堀口さんが日本将棋連盟のプロ棋士養成機関である奨励会三段リーグ(半年を1期に全18戦行われ、上位2名が四段に昇段し、順位戦C級2組に入る)をトップの成績で抜け、プロデビューを果たしたのは21歳の時だった。

奨励会三段リーグ最終日、奨励会幹事による恒例の昇段祝賀会が行われたが、堀口さんは、それを断った。
「年齢制限規定でプロ入りを断念したり、これからも苦しい戦いを続ける仲間がいる中で、祝賀会に参加するわけにはいかない」というのがその理由だった。
なんという思いやり、なんという優しさだろう。

藤井猛九段がある棋戦の解説中、木村一基九段について、性格のいい人はタイトルを獲れない(藤井九段はタイトル獲得3期、一般棋戦優勝8回を誇る)。木村さんはよく獲ったねというようなことを話していた(木村九段の人柄の良さは棋界では周知のこと)。

木村九段は、一昨年の王位戦挑戦者決定戦であの羽生九段を降し、タイトル獲得経験のないまま7度目の挑戦を決め、豊島王位との七番勝負を4勝3敗で制し、ついに悲願のタイトルを奪取した。
この時、木村さんは46歳3か月、初タイトル獲得の最年長記録となった。

しかし、昨年の防衛戦で藤井聡太当時棋聖に敗北、失冠した。
また、今期「最後のチャンスでしょう。精一杯頑張りたいと思います」と臨んだ永瀬王座との五番勝負も1勝3敗と敗れた。

藤井猛九段の言葉は案外本当かもしれない。
木村さんの王位獲得は将棋の神様のプレゼントだったのか。

現在苦戦している堀口さんも、2001年度の朝日オープン将棋選手権の決勝五番勝負で杉本昌隆八段(現)を破り、初代チャンピョンとなり、選手権者として1期在位している。

やはり、これも将棋の神様からのプレゼントだったに違いないと言えば、堀口さんに怒られるかもしれない。
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将棋ワールド その3

2021年10月13日 | 将棋
プロ将棋の持ち時間は、ベースとなる順位戦が6時間。
両者それぞれ6時間だから、全部使い切ると1局に12時間かかるということになる。加えて持ち時間を使い切っても一手1分未満で指すことが出来る。
これに、昼食・夕食のための休憩が40分ずつ加わる。

対局開始が午前10時だから、決着がつくのが大抵午前0時前後となる。午前1時、2時というのもそれほど珍しいことではない。
この長丁場を、プロ棋士はネクタイを締めスーツを着て乗り切る。

2004年・B級1組の中川大輔対行方尚史戦では持将棋千日手指し直しが発生したため、翌朝9時過ぎまでかかったという記録が残っている。

さすがにこの時、中川は、ジャケットやワイシャツを脱ぎ、Tシャツ姿で対局したとある。
そこまでいって、将棋を指すのにネクタイにスーツは相応しくないのが分かるか。

そこまでいかなくても、スーツは厳しいねという話を一つ。
昨年度の名人戦挑戦者で、かつて「王座」のタイトルを保持したこともあるばりばりのトップ棋士の1人である斎藤慎太郎八段(28歳)、彼が対局中に正座を崩しているところを見たことがない。
そんな斎藤さんの高価なスーツのズボンのしわが気になるのは、私だけか。

余談だが、2005年に行われたB級1組、青野照市対堀口一史座戦で堀口が56手目の一手に5時間24分かけた大長考の記録がある。
後日、「将棋フォーカス」という番組でこの対局が紹介された際、井上慶太九段は「プロなら第一感の手(当然の手)」と語ったという。

将棋世界は実に面白い。
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将棋ワールド その2

2021年10月12日 | 将棋
昨日の続きを。

日本家屋の設えが近年大きく様変わりした。畳の部屋が減少し、フローリングの床が増えるに従い座布団に座る生活から椅子に腰かける生活に変化した。

神社での神事や寺における法事なども、かつては座布団に正座が当たり前だったが、最近は椅子が設けてあるところがほとんどだ。
地域の集会所や公民館なども、ほとんどがテーブルと椅子に代わった。

私たち夫婦の住まいとて例外ではない。
移住に伴い、築70年を超える古民家を購入した。
地区のみなさんの話によると、私たち夫婦で三代目になるようだ。

二代目のご夫婦時代に1度リフォームがなされ、既に畳の部屋はなかった。私たちの代になり、さらにリフォームを行った。が、畳の部屋は今のところ復活していない。
外観は古民家だが、中身は全く異なる。

そんな時代にあっても、将棋界は伝統を守り、座布団に脇息だ。そこにネクタイを締め、スーツを着用し、お洒落なヘヤースタイルの棋士がすらりと伸びた足を折りたたみ正座する絵面は、やはり面白い。

続きは、また明日に。
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