マレーシアのマハティール首相が、15年ぶりに再び、首相に返り咲いたのですが、首相就任後、初の外遊先として日本を訪問することとし、10日の夕方に日本入りされました。
公式訪問ではなく、11、12日と短い滞在ですが、安倍普三首相との首脳会談、国会内での講演、さらには日銀の黒田東彦総裁との会合、日本商工会議所、日本貿易振興機構(ジェトロ)との投資・貿易フォーラムが開催される予定で、日本記者クラブでの記者会見もセッティングされているなど、オールニッポンの熱烈歓迎がセットされているのだそうです。
1981年にマレーシアの首相に就任したマハティール首相は日本を手本に「ルック・イースト政策」を提唱し、マレーシアを東南アジア域内で急成長させ、「東南アジアの優等生」といわれるまでの開発成長を主導されました。
首相復帰の新生マレーシアは、日本との二国関係をさらに強化し「新ルック・イースト政策」を復活させたいとのこと。
親中だったナジブ政権の10年間、さらにはその前任者で欧州傾斜のアドラブ政権の時代からすれば15年近く、直接投資額では抜きん出ていても、マレーシアへの政治的な影響力の陰が極めて薄くなっていた日本でしたが、マハティール首相の再登壇はまさに「日本の再帰」を意味するのだと。
1961年、戦後の傷跡がまだまだ色濃く残る中で水田の真ん中に聳え立った松下電器産業の工場を目にして、度肝を抜かれ、1964年の東京オリンピックを前に、「敗戦しながらも、急ピッチで復興を遂げる日本人の勤勉さと職業倫理観の高さに感銘を受けた」のだそうで、当時の日本はまだまだ豊かではなかったが、日本人の復興への愛国心にも心を打たれたのだそうです。
「それまで、列強に支配されたアジア諸国にあって、日本が欧米の直接支配を受けず、復興を果たした事実は、それまで『アジアは欧米には勝つことはできない』と信じていた私の認を根本から覆すものだった」とも。
「新生マレーシアは、日本との二国関係をさらに強化し、アジアの発展と安定に寄与したい」と述べられると同時に、「日本にはアジアのリーダーとして自信を取り戻してほしい」と熱い思いを、記者団に語られたのだそうです。
不祥事が続く日本を代表する製造業の各社。
日本こそ、奇跡的な戦後復興を成し遂げた初心に立ち戻る必要があるのですね。
「大国中国が最大の貿易国であるのは変りはないが、日本は直接外国投資で断トツだ。中国は、融資するが、投資らしい投資はない」と日本との貿易や技術移転、製造業などの誘致に期待するとマラヤ大学のライ准教授。
“新ルック・イースト”の新生マレーシアと、日本との新たなパートナーシップが発展することを期待します。
# 冒頭の画像は、”新ルックイースト”で新生マレーシアの未来を日本に託すマレーシアのマハティール首相
この花の名前は、ヒメヒガンバナ
↓よろしかったら、お願いします。
公式訪問ではなく、11、12日と短い滞在ですが、安倍普三首相との首脳会談、国会内での講演、さらには日銀の黒田東彦総裁との会合、日本商工会議所、日本貿易振興機構(ジェトロ)との投資・貿易フォーラムが開催される予定で、日本記者クラブでの記者会見もセッティングされているなど、オールニッポンの熱烈歓迎がセットされているのだそうです。
1981年にマレーシアの首相に就任したマハティール首相は日本を手本に「ルック・イースト政策」を提唱し、マレーシアを東南アジア域内で急成長させ、「東南アジアの優等生」といわれるまでの開発成長を主導されました。
首相復帰の新生マレーシアは、日本との二国関係をさらに強化し「新ルック・イースト政策」を復活させたいとのこと。
「新ルックイースト」を手土産に来日、マハティール首相 中国に偏り過ぎた政策を転換、日本との関係強化を目指す | JBpress(日本ビジネスプレス) 2018.6.11(月) 末永 恵
<前略>
今、米大リーグがイチローを通して、高く評価する「日本人の職業倫理感や職場での規律正しさ」を海を越えて、約60年前にいち早く気づき、その後、自国の政策の見本にした指導者がアジアにいる。
マレーシアのマハティール首相だ。与党から野党の指導者に転じ、先月、61年ぶりの政権交代を果たし(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53065 マハティールの野党勝利 61年ぶりの政権交代)、15年ぶりに再び、首相に返り咲いた。
そのマハティール首相が11、12日に首相就任後、初の外遊先として日本を訪問する。筆者はマハティール首相の随行記者団として取材する。
来日前(マレーシアで)、我々記者団に対して、かつて日本の経済発展をモデルにした「ルック・イースト」の復活を表明したいと語っていた同氏は、“新ルック・イースト”を引っさげて、来日する。
今回の来日は、国際会議(日経新聞主催「アジアの未来」)出席のための「私的な訪問」で、滞在日数はほぼ2日と短い。
新政権スタートから1か月。ナジブ前政権から引き継ぐ膨大な負債財政、1MDBに関するナジブ前首相夫妻や政府・国営企業関係者の腐敗や汚職への追及や訴追、さらには本コラムでも触れてきた中国の“融資トラップ”による一帯一路関連の大型プロジェクトの中止を含めた国内インフラ事業の全面見直しなど国内問題は山積だ。
(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53132、一帯一路のマレーシア東海岸鉄道計画中止か、http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53206、マレーシア高速鉄道計画中止は英断 日本にも転機)
こうした問題への早急の協議と評価判断への対応が迫られる国内事情を背景に、早足で日本を訪問するマハティール首相。
一方、公式訪問でないにしても、かつて日本の経済成長の成功モデルを見本にした開発成長政策「ルック・イースト」を1980年代から21世紀の初頭まで20年以上、敢行してきた同首相の再登壇で、迎え入れる日本は、マハティール首相に秋波を送るのに懸命だ。
親中だったナジブ政権の10年間、さらにはその前任者で欧州傾斜のアドラブ政権の時代からすれば15年近く、直接投資額では抜きん出ていても、マレーシアへの政治的な影響力の陰が極めて薄くなっていた日本。
マハティール首相の再登壇はまさに「日本の再帰」を意味する。マハティール首相の今回の訪問は、”公式”訪問に相当するような日本政府、企業、メディアの「日の丸軍団」がオールニッポン態勢で臨んでいる。
日経の国際会議でも、当初は2日間の最終日の登壇だった。しかし、15年ぶりに“親日派”のマハティール氏が首相に再び返り咲いた政権交代が5月に起こると、プログラムの予定は変更。結局、マハティール氏は初日の開会基調講演を行うことになった。
講演では、アジアの繁栄と安定をいかに持続するかについて語られ、マレーシアのルーク・イースト政策の復活を強調し、アジアでの日本のリーダーシップへの期待が込められた内容が披露される。
筆者も取材招待されており、新生マレーシアの日本への熱いメッセージをフォローする予定だ。
日本政府も「日経の国際会議に出席されることは光栄で、日本政府としてもマハティール首相の来日を歓迎する」(在マレーシア日本大使館の宮川大使)と表明。
マハティール首相の来日を前に、新政権の財政、経済改革の指針を新政府に示す上級専門家評議会議長のマレーシア政界の重鎮、ダイム元財務相と大使が、日馬の新たな二国関係の緊密化を目指し、投資、技術移転、貿易、安全保障、教育問題などについて協議してきた。
こうしたオールニッポンの熱烈歓迎を象徴するように、12日には安倍普三首相との首脳会談、国会内での講演、さらには日銀の黒田東彦総裁との会合、日本商工会議所、日本貿易振興機構(ジェトロ)との投資・貿易フォーラムが開催される予定で、日本記者クラブでの記者会見もセッティングされている。
マハティール首相は、1981年から2003年の首相在任中、日本をモデルとする「ルックイースト(東方)政策」を推進し、日本の成長モデルを見本に、マレーシアを東南アジア域内で急成長させ、「東南アジアの優等生」といわれるまでの開発成長を主導した。
冒頭でも触れたが、マハティール首相が日本を手本にしたいと決意させたのは、今から約60年前にさかのぼる。
1961年、家族を伴って、初めて日本にやって来た。当時、政治家と薬局(マハティール氏は医師)の二足のわらじを履いていた同氏は、大阪(当時)の武田薬品工業を訪問するのが目的だった。
そこで目にした光景が強烈なイメージとなって、のちに自分が首相になったとき、「日本を見習う政策を進めたい」と固く心に誓ったという。
その光景とは、日本が戦後の傷跡がまだまだ色濃く残る中、まず最初に訪れた大阪で衝撃的な出会いに遭遇したことだった。
「大阪にも戦後の焼け跡が残っていたが、その中で水田の真ん中に聳え立った松下電器産業の工場を目にして、度肝を抜かれた」
さらに、1964年の東京オリンピックを前に、インフラ開発事業が進む東京で、日本橋の高架上に、高速道路建設が着々と進んでいた状況を見て、「敗戦しながらも、急ピッチで復興を遂げる日本人の勤勉さと職業倫理観の高さに感銘を受けた」と述懐する。
しかも、当時の日本はまだまだ豊かではなかったが、日本人の復興への愛国心にも心を打たれたという。
日本人のリーダーにおいては、ソニーの盛田昭夫氏と松下電器の松下幸之助氏を最も尊敬するという。
盛田氏の回顧録には戦後いかに日本が国や国民が一丸となって、日本復活のために、汗水流したかが、記されている。
「食糧も十分でないなか、米と醤油で腹を満たし、日本復興の光を夢見て、日々、勤勉に働く日本の人たちの懸命な姿が記述されていた」(「日本人よ立ち上がれ」マハティール氏著、新潮社)
さらに、筆者との単独インタビュー(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53065 マハティールの野党勝利 61年ぶりの政権交代)で話しをしていた際、こういうエピソードも語ってくれた。
「それまで、列強に支配されたアジア諸国にあって、日本が欧米の直接支配を受けず、復興を果たした事実は、それまで『アジアは欧米には勝つことはできない』と信じていた私の認識を根本から覆すものだった」
「ハーバード大学のエボラ教授が出版した『ジャパン・アズ・NO1』は米国や世界に衝撃を与えたが、私は日本の力を信じていた」
1981年にマレーシアの首相に就任したマハティール首相は日本を手本に「ルック・イースト政策」を提唱し、「日本のお陰で、マレーシアは発展を遂げることができた」と日本に感謝している。
当時、マレーシアでは同政策に対して、「何故、欧米を見本にしないのか」との批判が噴出したが、マハティール氏は、1961年の日本初訪問から、何度も日本を訪れ、政策を進めることがマレーシアの国益にかない、国の建設に寄与すると固く信じていたという。
あれから、60年。日本訪問は100回以上を数えるアジアきっての親日の指導者、マハティール首相は、10日の夕方に日本入りした。
訪日前、我々記者に「新生マレーシアは、日本との二国関係をさらに強化し、アジアの発展と安定に寄与したい」と抱負を述べた。
その上で、「ルック・イースト政策を復活させたい。日本にはアジアのリーダーとして自信を取り戻してほしい」とその熱い思いを語った。
マラヤ大学のライ准教授は「今回の日本訪問は中国依存過多だったマレーシアの外交姿勢の“軌道修正”になり得る転機で、マハティール首相の意気込みも強い」と言う。
さらに、「大国中国が最大の貿易国であるのは変りはないが、日本は直接外国投資で断トツだ。中国は、融資するが、投資らしい投資はない」と日本との貿易や技術移転、製造業などの誘致に期待する。
マハティール首相は“新ルック・イースト”で、日本との新たなパートナーシップに新生マレーシアの未来を託している。
(取材・文 末永 恵)
<前略>
今、米大リーグがイチローを通して、高く評価する「日本人の職業倫理感や職場での規律正しさ」を海を越えて、約60年前にいち早く気づき、その後、自国の政策の見本にした指導者がアジアにいる。
マレーシアのマハティール首相だ。与党から野党の指導者に転じ、先月、61年ぶりの政権交代を果たし(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53065 マハティールの野党勝利 61年ぶりの政権交代)、15年ぶりに再び、首相に返り咲いた。
そのマハティール首相が11、12日に首相就任後、初の外遊先として日本を訪問する。筆者はマハティール首相の随行記者団として取材する。
来日前(マレーシアで)、我々記者団に対して、かつて日本の経済発展をモデルにした「ルック・イースト」の復活を表明したいと語っていた同氏は、“新ルック・イースト”を引っさげて、来日する。
今回の来日は、国際会議(日経新聞主催「アジアの未来」)出席のための「私的な訪問」で、滞在日数はほぼ2日と短い。
新政権スタートから1か月。ナジブ前政権から引き継ぐ膨大な負債財政、1MDBに関するナジブ前首相夫妻や政府・国営企業関係者の腐敗や汚職への追及や訴追、さらには本コラムでも触れてきた中国の“融資トラップ”による一帯一路関連の大型プロジェクトの中止を含めた国内インフラ事業の全面見直しなど国内問題は山積だ。
(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53132、一帯一路のマレーシア東海岸鉄道計画中止か、http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53206、マレーシア高速鉄道計画中止は英断 日本にも転機)
こうした問題への早急の協議と評価判断への対応が迫られる国内事情を背景に、早足で日本を訪問するマハティール首相。
一方、公式訪問でないにしても、かつて日本の経済成長の成功モデルを見本にした開発成長政策「ルック・イースト」を1980年代から21世紀の初頭まで20年以上、敢行してきた同首相の再登壇で、迎え入れる日本は、マハティール首相に秋波を送るのに懸命だ。
親中だったナジブ政権の10年間、さらにはその前任者で欧州傾斜のアドラブ政権の時代からすれば15年近く、直接投資額では抜きん出ていても、マレーシアへの政治的な影響力の陰が極めて薄くなっていた日本。
マハティール首相の再登壇はまさに「日本の再帰」を意味する。マハティール首相の今回の訪問は、”公式”訪問に相当するような日本政府、企業、メディアの「日の丸軍団」がオールニッポン態勢で臨んでいる。
日経の国際会議でも、当初は2日間の最終日の登壇だった。しかし、15年ぶりに“親日派”のマハティール氏が首相に再び返り咲いた政権交代が5月に起こると、プログラムの予定は変更。結局、マハティール氏は初日の開会基調講演を行うことになった。
講演では、アジアの繁栄と安定をいかに持続するかについて語られ、マレーシアのルーク・イースト政策の復活を強調し、アジアでの日本のリーダーシップへの期待が込められた内容が披露される。
筆者も取材招待されており、新生マレーシアの日本への熱いメッセージをフォローする予定だ。
日本政府も「日経の国際会議に出席されることは光栄で、日本政府としてもマハティール首相の来日を歓迎する」(在マレーシア日本大使館の宮川大使)と表明。
マハティール首相の来日を前に、新政権の財政、経済改革の指針を新政府に示す上級専門家評議会議長のマレーシア政界の重鎮、ダイム元財務相と大使が、日馬の新たな二国関係の緊密化を目指し、投資、技術移転、貿易、安全保障、教育問題などについて協議してきた。
こうしたオールニッポンの熱烈歓迎を象徴するように、12日には安倍普三首相との首脳会談、国会内での講演、さらには日銀の黒田東彦総裁との会合、日本商工会議所、日本貿易振興機構(ジェトロ)との投資・貿易フォーラムが開催される予定で、日本記者クラブでの記者会見もセッティングされている。
マハティール首相は、1981年から2003年の首相在任中、日本をモデルとする「ルックイースト(東方)政策」を推進し、日本の成長モデルを見本に、マレーシアを東南アジア域内で急成長させ、「東南アジアの優等生」といわれるまでの開発成長を主導した。
冒頭でも触れたが、マハティール首相が日本を手本にしたいと決意させたのは、今から約60年前にさかのぼる。
1961年、家族を伴って、初めて日本にやって来た。当時、政治家と薬局(マハティール氏は医師)の二足のわらじを履いていた同氏は、大阪(当時)の武田薬品工業を訪問するのが目的だった。
そこで目にした光景が強烈なイメージとなって、のちに自分が首相になったとき、「日本を見習う政策を進めたい」と固く心に誓ったという。
その光景とは、日本が戦後の傷跡がまだまだ色濃く残る中、まず最初に訪れた大阪で衝撃的な出会いに遭遇したことだった。
「大阪にも戦後の焼け跡が残っていたが、その中で水田の真ん中に聳え立った松下電器産業の工場を目にして、度肝を抜かれた」
さらに、1964年の東京オリンピックを前に、インフラ開発事業が進む東京で、日本橋の高架上に、高速道路建設が着々と進んでいた状況を見て、「敗戦しながらも、急ピッチで復興を遂げる日本人の勤勉さと職業倫理観の高さに感銘を受けた」と述懐する。
しかも、当時の日本はまだまだ豊かではなかったが、日本人の復興への愛国心にも心を打たれたという。
日本人のリーダーにおいては、ソニーの盛田昭夫氏と松下電器の松下幸之助氏を最も尊敬するという。
盛田氏の回顧録には戦後いかに日本が国や国民が一丸となって、日本復活のために、汗水流したかが、記されている。
「食糧も十分でないなか、米と醤油で腹を満たし、日本復興の光を夢見て、日々、勤勉に働く日本の人たちの懸命な姿が記述されていた」(「日本人よ立ち上がれ」マハティール氏著、新潮社)
さらに、筆者との単独インタビュー(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53065 マハティールの野党勝利 61年ぶりの政権交代)で話しをしていた際、こういうエピソードも語ってくれた。
「それまで、列強に支配されたアジア諸国にあって、日本が欧米の直接支配を受けず、復興を果たした事実は、それまで『アジアは欧米には勝つことはできない』と信じていた私の認識を根本から覆すものだった」
「ハーバード大学のエボラ教授が出版した『ジャパン・アズ・NO1』は米国や世界に衝撃を与えたが、私は日本の力を信じていた」
1981年にマレーシアの首相に就任したマハティール首相は日本を手本に「ルック・イースト政策」を提唱し、「日本のお陰で、マレーシアは発展を遂げることができた」と日本に感謝している。
当時、マレーシアでは同政策に対して、「何故、欧米を見本にしないのか」との批判が噴出したが、マハティール氏は、1961年の日本初訪問から、何度も日本を訪れ、政策を進めることがマレーシアの国益にかない、国の建設に寄与すると固く信じていたという。
あれから、60年。日本訪問は100回以上を数えるアジアきっての親日の指導者、マハティール首相は、10日の夕方に日本入りした。
訪日前、我々記者に「新生マレーシアは、日本との二国関係をさらに強化し、アジアの発展と安定に寄与したい」と抱負を述べた。
その上で、「ルック・イースト政策を復活させたい。日本にはアジアのリーダーとして自信を取り戻してほしい」とその熱い思いを語った。
マラヤ大学のライ准教授は「今回の日本訪問は中国依存過多だったマレーシアの外交姿勢の“軌道修正”になり得る転機で、マハティール首相の意気込みも強い」と言う。
さらに、「大国中国が最大の貿易国であるのは変りはないが、日本は直接外国投資で断トツだ。中国は、融資するが、投資らしい投資はない」と日本との貿易や技術移転、製造業などの誘致に期待する。
マハティール首相は“新ルック・イースト”で、日本との新たなパートナーシップに新生マレーシアの未来を託している。
(取材・文 末永 恵)
親中だったナジブ政権の10年間、さらにはその前任者で欧州傾斜のアドラブ政権の時代からすれば15年近く、直接投資額では抜きん出ていても、マレーシアへの政治的な影響力の陰が極めて薄くなっていた日本でしたが、マハティール首相の再登壇はまさに「日本の再帰」を意味するのだと。
1961年、戦後の傷跡がまだまだ色濃く残る中で水田の真ん中に聳え立った松下電器産業の工場を目にして、度肝を抜かれ、1964年の東京オリンピックを前に、「敗戦しながらも、急ピッチで復興を遂げる日本人の勤勉さと職業倫理観の高さに感銘を受けた」のだそうで、当時の日本はまだまだ豊かではなかったが、日本人の復興への愛国心にも心を打たれたのだそうです。
「それまで、列強に支配されたアジア諸国にあって、日本が欧米の直接支配を受けず、復興を果たした事実は、それまで『アジアは欧米には勝つことはできない』と信じていた私の認を根本から覆すものだった」とも。
「新生マレーシアは、日本との二国関係をさらに強化し、アジアの発展と安定に寄与したい」と述べられると同時に、「日本にはアジアのリーダーとして自信を取り戻してほしい」と熱い思いを、記者団に語られたのだそうです。
不祥事が続く日本を代表する製造業の各社。
日本こそ、奇跡的な戦後復興を成し遂げた初心に立ち戻る必要があるのですね。
「大国中国が最大の貿易国であるのは変りはないが、日本は直接外国投資で断トツだ。中国は、融資するが、投資らしい投資はない」と日本との貿易や技術移転、製造業などの誘致に期待するとマラヤ大学のライ准教授。
“新ルック・イースト”の新生マレーシアと、日本との新たなパートナーシップが発展することを期待します。
# 冒頭の画像は、”新ルックイースト”で新生マレーシアの未来を日本に託すマレーシアのマハティール首相
この花の名前は、ヒメヒガンバナ
↓よろしかったら、お願いします。