絵入り随筆 エッセィ・つぶやき

自作の油絵・水彩画、デジタル写真等を入れて、季節の移ろい、雑感などを書いていきます。

♪希望・信仰・愛情・幸福♪

2005-08-30 06:29:50 | Weblog
クローバの葉は、普通3枚ですが、中には4枚のものも有ったりします。
ミッシェルの散歩をする公園の広場にはクローバが生い茂っています。
ミッシェルがほかの犬と遊んでいる間に、見つけた四つ葉と五つ葉のクローバです。
漠然と見ているとなかなか見つからない四つ葉のクローバも目が慣れると次から次へと見つかります。
数えていませんが、30葉以上の四つ葉と、6~7枚の五つ葉が見つかりました。

今日は衆議院議員選挙の公示日です。
各党首の発言も漠然と聞いていないで、耳を凝らして聞かないと、党首達の言い分が頭の上を素通りして行きますからね。
郵政民営化の是非だけで他の重要な政策を白紙委任したりしないように、しっかり言い分を聞き分けたいですね。
憲法改正、年金一元化、消費税増税、どれも、私にとっては郵政問題より重要だと思えるのです。

                        30th. AUG. 2005.

烏瓜(カラスウリ)

2005-08-29 06:22:30 | Weblog
花が白い綿毛様のもので覆われている変わった感じの花です。
受粉の妨げになるのでは?と、心配になります。
秋にはオレンジ色とか、緑色の実になります。
昔はひび割れの薬になると言われていましたが、いま踵にひび割れを作る人はいないから、薬の効能は忘れられているようです。
私はこの瓜の色の変化や蔓の巻き方がおもしろく、秋になると水彩で描くのを楽しみにしています。
よそ様で生える分には風情があって楽しいのですが、自分の庭に生えたら困りものです。
藪枯らし以上に旺盛な生命力で繁茂し、大きな木でも蔓で覆いつくしてしまうのです。

                         29th. AUG. 2005.

男嫌いのリリー

2005-08-28 06:17:48 | Weblog
黒ラブのリリーはとても内気な犬で、私が近づくと、スッと体をかわす。さらに近づくとママの後ろに隠れてしまう。
男性が近づくのを許すのは、飼い主のパパとその息子だけである。
ママが首輪を押さえていれば私も近づくことが出来る。
この時だけは、私がリリーの頭を撫でても逃げたりはしない。
男嫌いというより、恥ずかしがり屋さんなのかもしれないね?
女性に対しては全く警戒心は抱かないようだ。
双子ちゃんとそのママに囲まれて、リリーはリラックスしている。
リリーは名前の通り女の子である。
人間の女の子にも、男性に過剰に拒絶反応する子が居るけどね・・・

                          28th. AUG. 2005.

害虫処理システム

2005-08-27 08:44:55 | Weblog
三宅の友人Kさん宅には殺虫剤は置いてありません。
あるのは蚊取り線香だけ。
その代わりに、害虫退治システムが完備しています。
あのゴキブリでさえも、Kさん宅に迷い込んだら一巻の終わりです。
翌朝には黒い粉末に姿を変えています。
そのシステムがこの写真です。
「ヨクモキタ」という言葉がありますね、漢字で書くと「夜蜘蛛来た」です。
私の祖母も、夜来る蜘蛛は殺してはいけない。と言っていました。
蜘蛛が害虫を捕殺してくれるのです。その上死骸も残さないのです。
Kさん宅には大型から小型まで様々な蜘蛛が居を構えています。
彼はそれを取り除いたりはしないで、害虫処理システムとして共存しているのです。
私が彼の家へ行くと毎朝蜘蛛の食べ滓を掃除するのが日課になります。
Kさん宅にある火山ガスを脱硫する空気清浄機を凌ぐ、優れもののシステムです。

                           27th. AUG. 2005.

私のもの忘れの原因物質?

2005-08-26 08:59:01 | Weblog
ミョウガを食べると物忘れすると、お年寄りがよく言っていましたが、本当なのでしょうかね?
私はミョウガが好きでよく食べます。私は物忘れの名人です。でも、ミョウガを食べない時期でも物忘れはするんですよね?
ということは、私の物忘れの原因は、私の脳味噌の欠陥であって、ミョウガの責任ではないわけです。
ごらんの通り、今年は我が家のミョウガは大豊作!
ヤブ蚊に喰われながらの収穫ですが、生のまま刻んでオカカと醤油で食べてもいいし、薬味にしても食欲をそそります。ミョウガのぬか漬けをわざと古漬けにしてカクヤにして食べたら堪えられないです。天ぷらも捨てがたいし・・・
刻んだのを冷凍しておけば、端境期にいただけます。
貧乏絵描きには貴重な一品です。

                            26th. AUG. 2005.

蝉時雨

2005-08-25 08:40:32 | Weblog
私の住んでいる地域は以前は田圃と畑の農業地帯、その上湿地が多かったから、森とか林は少なかった。せいぜい点在する農家の屋敷林がある程度だった。
市の区画整理で農地は減少し宅地と公園用地とが整えられた。
私が移り住んだ頃は、新築の家々に植えられた庭木も、やっと根付いているという状態だった。
移り住んだ当初、以前住んでいた地域に比べて蝉の声を聞くことは滅多になかった。
移り住んで十余年、今年の蝉時雨は強烈である。其れも、油蝉、ツクツクボウシ、ミンミンゼミと多彩である。
蝉たちも新天地に移ってきて、永い地下生活を終えて、大挙して地上に躍り出たのだろう。
バイクの騒音には苛立つが、蝉の合唱には心が癒される。
庭の木に残された蝉の抜け殻も、ごらんの通り、ラッシュの様相です。

                               25th. AUG. 2005.

島びとの気質

2005-08-24 21:54:46 | Weblog
前回、三宅島からの帰りの船を待っていた桟橋で、Kさんの紹介で三宅村長と話をする機会があった。以前は毎日のようにTVでお目に掛かっていた、人なつこいお顔の、あの人である。
私が絵を描きに来ていることを知ると、あかこっこ館で個展をしたらどうですか?と勧めてくださった。
帰宅後すぐに、あかこっこ館にメールを入れた。が、今日の夕方まで梨の礫であった。
5時頃、犬の散歩に出かけようとしているときに電話があり、お宅は**さんですか?という。聞いてみるとあかこっこ館のレンジャーをしてるYだという。
メールでの照会を半月以上放っておくというのは、忙しいのか暢気なのか分からないが、話していると悪気があってのこととは思えない。
きっと、メールを寄こす奴が居るなんて考えもしないで、チェックなどしないんだろうね。
イギリスとかフランスにメールを入れても、時差で寝ている時間を差し引くと、即刻返事が来るからね。
島の暮らしはマンマンディーなのかなぁ?
月末か、月端に打ち合わせに伺うことにした。

*写真は村長と出会った阿古の桟橋です。
*アカコッコ 鳥の名前、島の鳥みたいな存在。胸毛が赤くて綺麗。
                        24th. AUG. 2005.

共○丸と三本嶽

2005-08-23 07:48:15 | Weblog
共○丸も阿子の漁船です。
民宿もやっているから、遊漁線ですが、客がいなければ漁業もするという営業形態です。
私の友人Kさんの知り合いで、船長が落ち込んでいるから、絵を描いてあげてほしいと頼まれました。
何で落ち込んでいるかというと、奥さんが出て行ってしまった、というのが原因らしいです。
出て行かれて落ち込むくらいなら、出て行かれないような接し方をすればいいのに、、、というのが、海○丸の船長の意見です。
私は詳しい事情はわからないけど、海○丸の船長の言い方を聞いていると、出て行かれても仕方ない原因が、共○丸の船長にあるみたいでした。
私のこの絵を見て、共○丸の船長が元気出してくれるのかなぁ?
水平線近くの岩礁は地元では単に三本といっている無人島(岩礁)でかっては米軍の射爆場だったところです。

 *注。 ○はプライバシー保護のための伏せ字です。

                   22th. AUG. 2005.

豊年満作

2005-08-22 16:52:13 | Weblog
5月の連休頃に田植えをした水稲が、8月になった途端に穂を出し始めました。
3ヶ月でここまで成長するんですね。
今は兼業農家が増えて、田植えは連休にするのが当たり前になっています。
昔は梅雨時の降雨を利用していたんだと思うのですが、水利の発達と田植え機械の進歩で片手間農業が可能になったんですね。
稔るほど頭を垂れる稲穂かな。なんて修身の教科書に出ていたような記憶がありますが、間違いかな?
何せ、私が修身を習った期間というのは僅か4ヶ月ほどですからね。
(敗戦で修身の教科書は廃棄させられたんです。)
一本の穂につく米粒の数も増えて、頭が重くなった稲の茎は、倒伏の危険が多くなったと思うのですが、茎の強度を増したり、茎の高さを低く抑えたりという品種改良があって、今の米余り現象が起こったんですね。
もちろん自民党政府が票田である農家を厚く保護したことも大きな要因ですが。
私は、日本にいるときは、2.7食/日、位は米飯です。残りの0.7食は麺類です。パンはおやつという感覚ですね。
フランスにいるときは3食ともパンですけど、、、(蛇足の見本ですね!)

                         22nd. AUG. 2005.

オカメ・メダカ

2005-08-21 07:06:03 | Weblog
子供の頃には小川や田圃に幾らでも群れていたメダカが、このごろは滅多に見かけることの出来ない希少な魚になっている。
我が家の水槽には群馬から連れてきたメダカが子孫を増やして水槽が5カ所にもなってしまっている。朝夕餌をやるだけで、水質の管理とかにも気を遣っていないのに、どんどん増えてしまう。
それが自然界では絶滅しかねない状態だという事は、自然界の水質汚染が如何に深刻なものかを伺わせるものだ。
写真に写っているのはオカメメダカの貴重種、赤目のオカメである。この水槽には、白メダカ、青メダカも入っている。ヒメダカという赤い色のも居るし、普通の黒っぽいメダカも居るから、メダカの世界も結構カラフルなんですよ。

                          21st. AUG. 2005.

夜来香

2005-08-20 08:25:24 | Weblog
夜来香(イェィライシャン)発音表記がおかしいかな?
字の通り、夜、妖しい芳香を放つ草花です。
花自体より、山口淑子の歌でご存じ方が多いのではないでしょうか?
ご存じない? そうでしょうね。戦中から戦後間もなくにかけて流行った歌ですからね。
三宅島の友人宅の庭で咲いていたのを一枝いただきました。
挿すと直ぐに根付くというのですが、真夏では無理でした。
我が家のダイニングで、香りを楽しんでいる内に枯れてしまいました。
健気にも、枯れるまで香りを放し続けてくれました。
又時期の良い時に、挿し木に挑戦してみます。

                        20th. AUG. 2005.

苦瓜が豊作!

2005-08-19 15:12:48 | Weblog
私のニガウリ栽培は年期が入っています。
沖縄がアメリカの統治下だった頃、パスポートの代わりに入域許可証というのを沖縄の民政府から貰って、おまけに、築地の聖路加病院に行って、コレラやら、黄熱病やらのワクチンを注射して証明を持っていないと沖縄に行けなかった頃からの栽培歴が有るんですからね。
沖縄でニガウリと苦菜(ニガナ)が気に入って、ニガウリの種は手に入れましたが、苦菜は崖に生えているよ、みたいなことを言われて、種は手に入らなかったのですが、ニガウリは早速持ち帰って、栽培に取り組んだんです。
一年目は大豊作、二年目、三年目とニガウリのサイズが小型化していきました。
瓜類は連作を嫌う事に気づき、植える場所を変えたり、土の入れ替えをしたりと、栽培技術に磨きが掛かりました。
虫たちも知らない植物には見向きもしないから、消毒とかは必要ないのです。
当時は未だ国内ではあまり知られていなかったから、お店では買えません。
沖縄出身の人にあげると大喜びされたものです。
ニガウリは沖縄ではゴーヤ、日本でも江戸時代から観賞用として栽培されていて、呼び名はレイシでした。
今夜はゴーヤチャンプルと、ゴーヤジュースでも作ろうかな?

                         19th. AUG. 2005.


                         

名も知れぬ茸

2005-08-17 08:12:58 | Weblog
正確には、名を知らぬ、というべきでしょうね。
富賀神社の入り口付近の枯れ木に生えていました。
毒は無さそうでしたが、食べるのは控えました。
白木耳(キクラゲ)かと思ったのですが、形が違います。
火山ガスで枯死した木が程良く枯れてくると、キノコ達が潜り込んで木の腐食を促進します。キノコは動物の餌になったり、腐食した木は腐葉土になって森の再生に役立ちます。
人間が排出したゴミは、自然界を汚染し環境を破壊しますが、自然の中にあるもの達は上手にリサイクルしているんですね。
太古の人間達は、きっと自然の掟に従って、汚染や破壊には手を染めなったと思うのですが、人が地球を壊しだしたのは何時の頃からなんでしょう?

                         17th. AUG. 2005.

酒屋が教えてくれたポイント

2005-08-16 08:02:56 | Weblog
富賀神社から、立ち入り禁止看板を無視して先に進むと、富賀海岸に出ます。
磯釣りの好漁場も有るようで釣り人のものと思われる車が停まっていました。
海岸は岩と黒い砂(溶岩が砕かれたもの)の男性的な風貌です。水平線のあたりに三本嶽が見えます。10月頃、丁度入り日が三本嶽に落ちるそうで、写真にするには良いところです。
酒屋の親父さんは写真が趣味とのことで、店内には、三本嶽に落ちる太陽を見事に捉えた写真が何枚も飾ってありました。
絵はがきにもなっていて、褒めたら一枚プレゼントしてくれました。
Kさんがこの酒屋のお得意さんと言うことも有るのでしょうが、、、、

                          16th. AUG. 2005.

阿古漁港盛夏

2005-08-15 16:35:47 | Weblog
阿古漁港の高台に酒屋があり、そこの庭からの眺めです。
「展望公園」と看板があったから、村の公園かと思ったらその酒屋の地所でした。
酒屋のおやじさんと、お話しして分かりました。
他にも絵を描くのに良い所有りませんか?と聞いたら、富賀海岸が良い、という。
息子に車でおくらせるよ。と言ってくれましたが 私もKさんの車があるから、道順だけ聞いて
置きました。親切で心の広い酒屋さんでした。

「阿古漁港盛夏」 P15号 油彩 

暑くて根気が続かず、少しずつ描き進めましたが、やっと何とか見られる絵が出来ました。
我ながらこの猛暑の中、エアコンも使わずによく頑張ったものだと自負しています。
ご高評を賜れたら幸いです。

15th. AUG. 2005.