街はすっかり夜の帷が降りて、オルレアンのランドマーク
「オルレアンの少女の銅像」のライトアップも映えています。
先刻訪れた教会をバックにしたポスターにあわせて私もポーズ。
こうゆう小さな教会も落ち着いた感じで好きです。
日本では機関車が牽引する列車は少なくなってしまったから、
こうゆうパワーの塊、と言った機関車を見るとつい写真を撮りたくなります。
私はフランスに来ると,生牡蠣やムール貝があると必ず注文してしまう。
魚介類が好きだからだが、フランスは魚に関しては保存方法に問題があり
美味しい魚に出会えない。
漁師が魚を獲っても網に掛けたまま港に戻り,
上陸してから網から魚を外すから、
その間に魚は鮮度を失い,嫌な匂いを放つようになる。
シェフはその匂いを取るために様々な香料を使う羽目になるが、
新鮮な魚の味を取り戻すことは出来ない。
漁師が魚を獲ったなら直ぐに網から外し氷詰めにするか、
生け簀に入れて生きたまま港に戻れば,簡単に美味しい魚が食べられるのに
勿体ないと何時も思う。
漁獲直後の処理が問題なのだから,
港町で食べても日本のように美味しい魚には出会えないのだ。
その点、ムール貝や生牡蠣については貝が自分で殻を
しっかり閉じて身を守るから、
3日くらいは鮮度を保てるので魚のような問題は生じない。
内陸でも美味しい貝が食べられるという訳だ。
オルレアンは美女の産地らしい。
私の周りにいる女性は,私の直近に居る女性を除いては皆、
すこぶる付きの美女ばかりだ。
ムール貝は美味しいしワインも中々だし、眺めも良い。
オルレアンは良い街だなぁ!
この奥が賑やかな場所のようなので向かいました。
若者達が陽気に呑んでいます。
私も仲間に入りたいくらい良い雰囲気です。
もう一度教会の正面に向かいました。
暗くなってきたのでライトアップが映えます。
アップと↓全体です。
市電の路線は使われていないようです。
並木までライトアップされています。建物の奥行き感を深める効果があります。
夕闇の迫る街を歩きました。
案内書を見て歩くわけではないから、足の向くままに彷徨いました。
立派な教会があり,ライトアップされています。
日本の木目込み人形のような綺麗な人形が飾られています。
教会のサイドで写しました。
この辺りが旧市街で賑やかなところです。
オルレアンの街を散策して夕食も食べようと思い
中心街とおぼしき方向へ歩きました。
街の広場でオルレアンの少女に遭遇。
凛々しいお姿ですが、美少女かどうかは判別出来ませんでした。
メリーゴーランドはもう閉店していまいました。
フランス人はこれが好きらしく何処の街にもあるみたいです。
三陸海岸地帯の津波被害報告で中断していた,フランス旅の日記に戻ります。
昼食をおえて,ワイン街道を今夜の宿泊地、オルレアンに向かいます。
オルレアンは,十字軍のオルレアンの少女で有名です。
街道にはカーヴの看板が立ち並んでいます。
CAVEはワイン醸造所、VINSはワインのことです。
なだらかな起伏の道は緩やかなカーブで延々と続きます。
長閑な田園地帯を90k/h前後のスピードで走ります。
Dの付いている地方道は市街地を除き制限速度は90kmです。
(市街地は50kmです)
夢の島の由来を教えてくた漁師さんが牡蠣を浜値で分けてくれました。
手のひらサイズの大きな牡蠣です。
渡してくれる時に、生では食べないでくれ、
加熱調理して食べるようにと言われました。
生で食べたいなら店で塩素殺菌処理したものを買ってくれと言うのです。
殺菌処理したものは美味しくないよ、と私が言うと,
そうだ美味くねえ、と言うのです。
これ生で食べられるでしょう?と私が言うと,
さっきお前えに剥いて食べさせただろう、大丈夫だよ。
つまり、建て前と本音の話でした。
私が自分の判断で食べる分には一向に構わないと言うことです。
帰宅してから全部生で美味しくいただきました。
海鳥が群れている島がありました。
名勝松島のすぐそばです。
近くにいた漁師さんに聞くと,夢の島という名前だそうです。
東京の夢の島はゴミの埋め立てで出来た島ですが、
松島の夢の島は塩釜港の浚渫残土で出来ているそうです。
浚渫残土は、以前は海洋投棄していたのですが、
それが出来なくなり、ここへ運んできたというのです。
時間が経って松でも生えてくれば、新松島とでも改名するするのでしょうか?
漁師さんにとっては迷惑な島なのだそうです。
奥松島に着いた時間は、1年前に津波が襲った時刻でした。
浜には大勢の人が集まって海に向かって手を合わせていました。
ヘリコプターも海上を旋回していました。
僧侶が読経している一団もいました。
おそらく家族が海に呑まれたままの方々なのでしょう。
この土手の先には壊れた消防署もあり、
そこには多数の消防団員が参集していました。
消防団員も職務遂行中に殉職された方が多かったことでしょう。
奥松島には高台も、高い建物もありません。
この土手を越えた津波に,逃げる場所もなく多くの方が
お亡くなりになったのでしょう。
私は津波の来た日の少し前にこの地を訪れて居ます。
私が昼食を摂った国民宿舎は二階まで破壊されていました。