<会津磐梯山は宝の山よ 笹に黄金がまたなりさがる>
野麦とは笹が枯れるときに実を付けますがその実のことです。
笹や竹は意外にも稲科の植物です。
竹も笹もおよそ60年に一度実を付け、その後枯れてしまいます。
竹・笹類は薮を形作って居ますが草の仲間ですから根は繋がっていて薮全体が一株で構成されています。
ですから枯れるときは一度に山全部が枯れます。
更に付近の竹藪もだいたいは同じDNAですから、広い範囲の竹藪が一斉に枯れてしまうのです。
今年はどうやらその60年目に当たるらしいです。
ドライブしていると彼方此方の竹藪、竹林が元気がありません。
新緑の季節なのに山全体が枯葉色になっているのです。
「笹に黄金がまたなりさがる」という光景が見られるかも知れません。
笹や竹の実は食用になります。食べたことはありませんが美味しい食べ物では無いようです。
でも、万年飢饉状態だった昔の人にとっては有り難い授かり物だったに違いありません。
正に、笹に黄金が成り下がると言う思いになったことでしょう。
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磐梯山が昔は鉄が採掘出来たから、と言う答えが載っていました。
その答えでは笹に黄金が成り下がる、と言う歌詞と矛盾します。
笹に成り下がるのは野麦でなければならないと私は考えて居ます。