日光街道の宿場町に現存する歴史ある家たちを描いてから
もう4年が経ちました。
4年の間に私が知るかぎり草加宿と越谷宿だけでも
四軒の家が取り壊されています。
栗橋宿の家も河川改修のために全て取り壊されたと聞いています。
越谷郷土研究会会長の宮川さんから越谷宿にまだ残って居る家も有るから
それらを描いてくれないか? と言うお申し出でがありました。
住宅地図に所在地をプロットして下さり、
ご案内も頂けるという過分のお話しです。
越谷郷土研究会の事務所で落ち合い
最初に教えてもらったのがこの『稲荷屋』です。
この家は旧日光街道に面しているのですが、
正面がモルタルで囲まれたようになっているから、
私の写生には入れていなかったのです。
古い建物であることは斜め横からみれば分かります。
と言う事でこんな構図になりました。
これから「越谷宿の歴史ある家 Pert Ⅱ」と言うことで連載して参りますので、
お付き合いの程お願いいたします。
この辺りの山は高さはそれほど高くはないのですが、
奥が深く、日光や足尾の山まで続いていますから
奥深いのです。
イノシシ、鹿、熊が出没しても不思議ではありません。
家から2時間もあればいけるところにこんな自然が残っているのは嬉しいです。
この道の奥が私が泊まった宿「梅庵」ですが、道の脇には
恐ろしい看板が立っています。
熊の絵が書かれていて「熊出没に注意」とあるのです。
熊の痕跡はみたことはないですが、イノシシの暴れた痕や
鹿の鳴き声は聞いたことがあります。
今度梅庵に来る時にはスイスで買った、牛がつける鈴のミニチュアか
ワールドカップやパリ市警で公式認定されている野田鶏鳴社の
ホイッスルを持ってこようかな?
今時、舗装無しで、轍の真ん中に草が生えている道なんて
滅多にお目に掛かれませんよね。
時代劇のロケには好適かも?
手前に更に大きく野甘草を取り込みました。
そして曲がった道、これで絵の奥行きが出せます。
梅庵は贅沢な宿です。
何しろ一日に一組の客しか受け入れません。
それも、一組4名までです。
広い庭とよく手入れされた古民家、そして一日中は入れるお風呂。
料理については前に書きましたが、いずれも手のこんだ心の籠もったものです。
どちらの木苺も我が家の狭い庭で実ったものです。
酸味が強いので生食も出来ますが、ジャムやジュースに加工した方が
美味しいです。
花の時期には我が家にミツバチ達も盛んに訪れて居ましたから、
私は蜜と果実の両方を頂けるというわけです。
紫陽花の色は土壌のPHによって決まると聞いたことがありますが、
同じ場所に赤も白も青も咲いていたりするところがあるから、
必ずしも土壌のPHだけが発色の決め手ではないのだろうと思います。
紫陽花は江戸時代に西洋に運ばれて品種がいろいろ作られ、
日本に逆輸入されたものですが、私は古来からあるガクアジサイの
素直な感じが好きです。
ご覧のとおり野菜を中心にした献立です。
その日の朝、読売新聞の一面下部に掲載されていた
『おやじダイエット部の奇跡』桐山秀樹著(マガジンハウス刊)
にピッタリの献立だったから、今朝から私も実行することにしました。
食べなかったのはご飯と芋煮だけ。
それでも満腹になりました。
そのダイエットの本は帰りがけに購入しました。
三週間で劇的効果が現れるそうです。
今ある服が着られなくなる心配がありますが、
その時は和服で通すことにしました。
和服なら多少の融通が効きますからね、そんなことになったら良いのですが・・・
帰り道、佐野のアウトレットに寄りました。
土曜日なので人が多かったですが、駐車場が満タンと言うほどではなく、
一時より客は減ったようです。
アウトレットは、あちこちに出来ていますからね。
私は2時間ほどぶらついて四軒で買い物をしました。