満月堂本舗さんの屋根はしっかりしているのに、
後から改築した袖壁の部分は歪んでいます。
昔の職人の仕事と最近になってやった改築の職人の技の差でしょうか?
*明日の飛行機で北ヨーロッパ方面に出かけます。
ブログの更新は帰国までお休みします。
満月堂本舗さんの屋根はしっかりしているのに、
後から改築した袖壁の部分は歪んでいます。
昔の職人の仕事と最近になってやった改築の職人の技の差でしょうか?
*明日の飛行機で北ヨーロッパ方面に出かけます。
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満月堂はどうやら商いはやっていないようです。
休業日の可能性もありますが、この日よけテントの傷みようでは
食べ物商売には客が引いてしまうと思います。
二階の雨戸も閉まっていますから住人も居ないようです。
屋根の傷みも歪みもありませんから
骨組みはしっかりしているのに勿体ないことです。
私が借りて画廊にでもさせて貰えたら素晴らしいのですが。
会田金物店の方とは何回かお話しもしたし、買い物もしています。
その折に見せていただいたのですが、この絵の左にある倉庫には
江戸開城の際、会津藩が上野の山に籠もって小競り合いがあり、
その戦いに敗れて会津に落ちていく際にこの倉庫の壁に
落書きを残しているのです。
会津の落ち武者が描いたのかは不明ですが、
上野戦争の様子が描かれています。
以前のシリーズで描いた会田金物店は店舗部分だけを描きました。
今回は手前の倉庫部分と隣にある遠藤家の蔵も入れてみました。
往事の日光街道の雰囲気が幾分でも伝わればとの思いからです。
越谷宿の歴史有るいも点在していて並んでいるというのは余り有りません。
あいにくこの日は米長乾物店はお休みでした。
何度か通りかかったときにも客の姿は見たことがありません。
米長乾物店に敬意を表している私も実はこの店で
買い物をしたことがありません。
私が子供の頃、暮れになると乾物屋の店先には、
干し数の子が山積みになって居たものです。
今は何処を探しても干し数の子は見られません。
暮れになると母親達が干し数の子を水で戻していた光景が
懐かしく思い出されます。
私の記憶では干し数の子は10日以上水を替えながら面倒を見ないと
柔らかくなってくれませんでした。
それを更に出汁醤油に幾日も漬け置いて
やっとお正月の食膳を飾る運びになるのです。
今の塩数の子には昔の風味がないように思えます。
*お店の袖看板が歪んで見えるのは絵を撮影したときに
画用紙がまだ濡れていて紙がカールしていたためです。
看板が曲がっているのではありません。
米長乾物店は以前のシリーズでも描いています。
今時、乾物屋さんというのはとても珍しい貴重な存在です。
冷凍・冷蔵技術が発達して、乾燥しなくても、
生の儘で店頭に出せるからです。
でも、乾物にした方が味が良くなるものもあるし、
栄養価が高まるものもあります。
それに乾物なら保存に電気は必要ないですからね。
災害用備蓄にも欠かせない乾物です。
そんな乾物を扱う店を未だに営んでいる米長さんに敬意を表して
二度目の登場というわけです。
それにキッコーマンの大きな琺瑯製の看板も気に入りました。
会社のマークだけを張りだしているというのも粋な看板です。
美味しい、とか醤油であるとか余計なことは一切無しです。
会社名さえ入れずに単にマークだけという単純さは何とも素敵です。
この家は日光街道に面した家ですが、
前回のシリーズからはもれていた家です。
左隣に煉瓦造りの卯建の有る家があり、その一部だと思い込んでいたのです。
しかしよく見ると別の建物ですから今回登場しました。
屋根にペンぺん草を生やすのは、落ちぶれた証みたいな
言われ方をしますが、このままでは雨漏りが始まるでしょうし、
家の腐食にも繋がる事態になります。
建物が可哀想ですから草を抜いて、
出来た穴を漆喰で埋めるくらいのことはやって欲しいです。
トタン壁は前に千住宿でも描きました。
多分最初は銅板のつもりだったのでしょう。
長い間に銅メッキが剥がれて下地のトタンが出てきたのでしょう。
銅は錆びても緑青に覆われてそれ以上腐食は進行しませんが、
トタンメッキは弱いし下地は鉄板ですから赤さびに覆われてしまいます。
赤さびには被服効果が無いので腐食はどんどん進行します。
見るも無惨な姿です。
この建物の背後には古い切り妻屋根が見えます。
昔のものには偽物はないから毅然としています。
新建材(と言っても大正時代のものでしょうが)
には何処か胡散臭い感じがあります。
話は飛びますが、黒さびというのは被服力が強く丈夫な錆です。
自然に黒さびが付くことは稀ですが、人工的に付けることが出来ます。
昔の日本軍の銃剣にはこの黒さびが施されていました。
「何故黒錆が付いているのか?」と上官に聞かれた新兵が
「錆びないためです。」と答えてびんたを食らったそうです。
勿論防錆の目的もあったでしょうが、
「夜間攻撃の際、光ると敵兵に発見されやすいから。」
というのが正解だそうです。
小振りですが石で組上げた品格のある蔵です。
手入れも行き届いていて何処にも傷んだところはありません。
これなら後何十年でもこのままの姿を見せてくれることでしょう。
(今回は鉛筆画の段階で記録し忘れたので水彩画だけです。)
壊れた屋根、草木に蝕まれて居る外壁、水彩で見るより、鉛筆画の方が
感じが出ているのかも知れません。
こうして人工物は、人が手入れを怠ると
急速に自然に帰ろうという力が働きます。
原発事故被災地の家屋などもそうした力が働いていることでしょう。
三宅島が火山活動の為に3年間放置された後、私が訪れた時見た光景は
溶岩流による破壊や亜硫酸ガスによる腐食と、
ネズミやイタチの跋扈による被害が見られました。
酒屋の倉庫などでは特に被害が多かったそうです。
これは頭の黒いネズミの仕業です。
時計屋さんという商売も今は大変だと思います。
街で腕時計をしている人は半分も居ませんし、
デジタル化で価格も安くて正確です。
修理する人は余り居ないのではないでしょうか?
平野時計店のショウウインドには時計以外にも何か並んでいますが、
覗き込む人も居ないし、購買意欲を搔き立てられる品物も見当たりません。
御陰で私は申し訳ないですが、落ち着いて絵が描けるというものです。
平野屋時計店は正面から見るとサイディングで覆われていて、
どんな建物か窺い知れませんが、
横から見るとかなり歴史のある建物だと分かります。
越谷にはこのように良いものを隠してしまっているお店がかなりあります。
昔の姿に戻せば観光資源にもなり、町の発展にも寄与すると思われます。
「越谷市長さん、予算を捻出して街の活性化を図って下さいませんか?」
気を持たせ言い方をしましたが、色をつけた方の絵です。
屋根のこちら側はどっしりとしていますが、向こう側は見る影もない壊れようです。
あちら側に回ってみたかったのですが、入れないので諦めました。
私が描いているのは手前の花を育てている全く別のお宅からです。
母屋の屋根は片側が崩れかけているし、さしかけのトタン屋根も傷んでいます。
鬼瓦を見てもかなり良い建築をして居る家なのに、
この儘では朽ちるのを待っているかのようです。
建物には気の毒ですが、絵に描くにはとても良いモチーフです。
いろいろと描きこむ箇所が多いですからね。
と言うわけで次回の彩色画をお楽しみに・・・・