絵入り随筆 エッセィ・つぶやき

自作の油絵・水彩画、デジタル写真等を入れて、季節の移ろい、雑感などを書いていきます。

越谷宿 ⑩ 旅館白屋

2008-03-31 08:28:39 | 絵画
旅籠という感じの旅館が未だ越谷に存在しているというのは驚きでした。
いったいどんな人が利用するのか確かめたいと思い、しばらく観察していましたが、人の出入りはなく確認できませんでした。
工事に来た人とか出張で来られた人などが泊まるのだろうと思われますが、私も一度泊まってみたいものだと思います。
以前木曾の妻籠宿に泊まったことがありますが、隣室とは唐紙一枚、廊下とは障子一枚の仕切があるだけで話し声は勿論歩く音まで筒抜けで、一晩中まんじりとも出来ず昔の旅人の苦労が実感できました。

越谷宿 ⑨ 防火壁?のある家

2008-03-30 00:20:32 | 絵画
この家の蔵の脇に聳えている煉瓦の壁は何なのだろうと考えました。飾りではないし、泥棒除けでは片側だけでは意味がないし。
考えついたのが「うだつ」の大がかりな物ではないかという事です。
「うだつが上がらない」のうだつです。うだつは隣との境に造り、延焼防止の役割を持っていたのです。
「うだつが上がらない」は、うだつを造る甲斐性もないという事から来ている言葉ですが、恐らくこの家かあるいは隣の家が火事を起こしやすい物を扱っていたのではないでしょうか?
例えば材木屋とか油問屋とかの危険物を扱う商売をしていて危険防止ために大きなうだつを造ったのだろうと推量したのです。当たっているかなぁ?

越谷宿 ⑧  駐車場奥の蔵

2008-03-29 00:53:41 | 絵画
立派な蔵ですが、周りを塀に囲まれていて現在は使っていない蔵です。
こちら側にも扉が付いているから、駐車場側から荷物の出し入れをしていたのでしょう。日光街道沿いの正面に当たる壁は銅板で覆われていますが、脇の壁は土壁です。街道からの見栄えを考えた構造です。
駐車場になっている部分には母屋があったのだと思われます。
蔵は頑丈で痛みも少ないから取り壊すのに忍びなく、残されたのでしょう。
蔵の中には何が入っているのか覗いてみたくなります。
江戸時代の骨董なのか、使わなくなった生活用具なのか、もしかしたら凄いお宝が眠っているかも知れません。

越谷宿 ⑦ 車が邪魔な家

2008-03-28 08:19:56 | 絵画
車が邪魔な家なんて変な表題ですが、雨戸が閉まっていて看板もないから何のご商売なのかも分からず、やむを得ずこんな題になりました。車が有ってその後ろ側が見えないから、何回か行ってみたのですが、依然として車が鎮座しているのです。絵を描くから車をどけてくれ、というほどの勇気もないから致し方なくそのまま描くことにしました。間口も広く、奥行きもかなりあるから、かっては手広く商いをされていたお店だと思われますが、今は商いはやめているのかもしれません。
千住宿の時に「しもた屋」のことを書きましたが、しもた屋とは仕舞った家という意味があるようです。商売を終えて引退した、ということですがそうゆう事なら、この家も「しもた屋」ということが出来そうです。

越谷宿 ⑥ 米屋

2008-03-27 05:13:38 | 絵画
この建物は右側の屋根と左側とでは形が違っています。
おそらく右側にも同じ建物が有って何かの事情で半分だけ撤去されたのだと思います。
長屋には時々こうゆう形で半分だけ残されたものが見受けられます。
この家の商売は米屋です。お役所流に言うと米穀商という言い方になりますが、お役人さんは何故か堅い言葉がお好きなようです。世間一般の言い方ではお役所の権威が辱められると思うのか、漢字の素養をひけらかしたいのかでしょうが、平易な言葉の方が私は好きです。
米屋さんの商売も主食に米を食べる量も回数も少なくなっているし、先行きは暗いですが、がんばって欲しいです。
私事ですが、私は米は北海道産の「朧月」という銘柄を取り寄せています。
この米は美味しいし値段も安いのです。
北海道米は不味くて加工用といった先入観がありますが、品種改良と温暖化のためか、今では美味しい米が作れるようになっています。
私は、以前は南魚沼の生産者から直接「コシヒカリ」を購入していましたが、「朧月」はコシヒカリにひけを取らない品質で値段が三分の一くらいですから、お試しいただきたいです。

越谷宿 ⑤ 鍛冶忠

2008-03-26 02:10:15 | 絵画
店のガラス戸には鍛冶忠と書いてありますが、今は雑貨屋さんです。
昔はきっと農機具や作業用の刃物などを打っていた鍛冶屋だったのでしょう。
近在の農家や職人さんがお客だったのだろうと思います。
町の発展とともに客層が変わって鍛冶屋の客は居なくなってしまったのか、大量生産品に取って代わられたのか、いずれにしても鍛冶職人の出番が無くなってしまったのでしょう。
今やっている雑貨の店も、スーパーやホームセンターに客を取られて、とても繁盛しているようには見えません。品揃えや値段では大型店には太刀打ちできないのですから、老舗の強みが生かせる商売でないと古い個人商店は立ち行かないのです。
このお店も何時まで持ち堪えられるのか心配です。

越谷宿 ④ 生け花教室

2008-03-25 05:50:19 | 絵画
この家は生け花教室の看板がでていました。
生け花の先生の家にしては商家風でちょっと違うかなぁ?という感じですが、どんなご流儀のお花を教えているのでしょう?
雨戸も閉まっていて窺い知ることは出来ませんが、通ってくる生徒さんの顔ぶれも都心のビルにある大手の生け花教室とは違ったメンバーなんだろうと思いました。
私の友人で、もう故人ですが登山やスキーに明け暮れていた無骨な男が居ました。その人がなんと生け花の先生もしていたんです。世の中にはこうゆうミスマッチとも見える事があるんですよね。コサージュなんかを造るのを見ていると見事な手さばきで、不思議な感じがしたものです。

越谷宿 ③ 蔵造りの店(葉書サイズ)

2008-03-24 04:59:59 | 絵画
この絵は未だ日光街道シリーズを全宿場描こうと決める前にスケッチしたものです。
気軽に葉書サイズのスケッチブックに描きました。
蔵造りで、蔵も店の部分も黒壁に仕上げられています。
形もどっしりしていて重厚感があり、私のお気に入りの建物です。
自分の住んでいる町にこうゆう立派なものがあるのだから、市でも郷土愛を育むために取り上げてほしいと、オファーしているのですが、今のところ反応はありません。
億単位の建設費が掛かった市民会館や贅沢な能楽堂を造ることも市民からのニーズはあるのかもしれませんが、古い良き物へも関心を払ってほしいです。一度失ってしまったら取り返すことは出来ないのですから。

越谷宿 ② 宮内庁鴨場正門

2008-03-23 00:07:52 | 絵画
宮内庁鴨場ですから宿場とは関係ありませんが、越谷にあるということで登場させてもらいます。
宮内庁の鴨場は行徳にもありますが、こちらは海に近く、越谷の方は古利根川沿いにあって北越谷駅の近く、桜の名所になっている場所に隣接しています。
鴨場の隣には市立の梅園もあって自然が豊かなところです。
鴨場はいつ行っても正門はピタリと閉ざされていて中を窺うこともできません。
日を決めて近隣の住民に開放したりもしていません。
那須のご用邸の一部を解放するというニューズもありましたが、越谷の方はそのような動きはありません。皇族方がお見えになったという話も聞きませんから、遊休施設になっているのでしょう。勿体ない事だと思います。

越谷宿 ① 荒物屋

2008-03-22 06:46:21 | 絵画
日光街道第3番目の宿場町・越谷宿です。越谷宿の古い家は東武線越谷駅から北越谷にかけて散在しています。残っている家屋数も街道随一です。
この家は荒物屋を営んでいます。商品の品揃えも豊かで私も買い物をしたことがありますが、大きなホームセンターにもない品なども即座に探し出してくれるのは、流石老舗の貫禄です。
荒物屋の店員さんが一人前になるには10年掛かると言われています。商品の数が多く様々な用途の品がサイズ・色・材質の違いでその何倍にもなるから一通り覚えるだけで10年は必要らしいです。

草加宿 ⑤ 蔵を持つお店

2008-03-21 08:00:42 | 絵画
この家も蔵もあるし敷地の間口もかなりあります。
草加には大きな店が多かったのか、大きな店だから現代まで持ちこたえられたのか、おそらく後者の方の理由でしょう。
千住宿では間口3間ほどの店も残っているのですから他にも何か残れる要素があるのかもしれませんが?
此の建物は古い家の軒の上に看板になる衝立様の構造物を造って店構えを現代風に改造しています。
その構造物はチャチな感じはしませんが、店の風格をあげているとは思えません。
古い建物を壊さずに今風に適応しようとした意図は分かりますが、やはりここは古さを生かした、草加宿①で見ていただいた様な店構えであったらと思います。

草加宿 ④ 芯壁造りの家

2008-03-20 23:41:25 | 絵画
一階の窓は細い面格子になっています。面格子は防犯と外からの視線を遮る働きがあり通風は自由ですから、蒸し暑い夏にも風通しがよくて快適に過ごせたことでしょう。
二階は芯壁作りで窓は小さくとってありますから、通風より防火を重視してますから、倉庫か物入れに使うスペースだったと思われます。
5間の間口を持つ商家というのは宿場町とはいえ江戸とは違いますから、大商いをしていた家であったことが分かります。
絵を描きながら、この家ではどんな物を売り、どんな人が買ったのか?なんてことを想像します。
この家の商売は小間物屋で紅や白粉を売っていて、近在の農家の娘さんがお小遣いを握りしめて買いに来ていたとか・・・?

草加宿  ③   空き家

2008-03-19 00:02:43 | 絵画

旧日光街道草加松原が始まるところにこの家はあります。
右側の屋根付きの塀は20m位ありましたが絵ではカットしています。それ故敷地はかなり広いものと思われます。
この家は空き家のようでした。この奥に普通の家を建ててお住まいの模様です。
通りに面した表戸もシャッターが下りたままだし、人の気配が感じられません。
二階の屋根は瓦葺きであったものがトタン葺きに変えられています。
おそらく梁や垂木が痛んで瓦の重量に耐えられなくなったから軽いトタンに葺き替えたものだと思われます。
トタン屋根のペンキも剥げ落ちてはいませんから、そこそこの手入れはなされているようです。
でも、空き家にしておくのだから建物の利用価値はこの持ち主にとってはゼロに近いのでしょう。だとするといつまでこのまま我慢して持ち続けてくれるのか、些か心配ではあります。5階建て30室くらいの小規模集合住宅になら作れ変えられます。そうすれば家賃収入もあるし、資産が活用できるわけですから、建設会社や不動産屋が誘惑しているに違いありません。
この歴史的遺産の存続も風前の灯火といったところです。

草加宿 ② 商家と土蔵

2008-03-18 06:21:56 | 絵画
横に土蔵を従えた商家です。店構えも大きく飼っては大きく商売を営んで居たことが偲ばれます。
現在も営業中の模様ですが、とても盛業中とは見受けられません。
土蔵の方は絵を見てもお分かりの通り荒れ果てていて、この土蔵に品物を入れたら、忽ち雨風に曝されて、痛んでしまうのではないかと思われます。
今なら未だ補修可能でしょうが、それには莫大な費用が必要だし、補修したところでこの家の商売には何らプラスをもたらすことはないでしょうから、恐らくこのまま朽ちるに任せてしまうのであろうと思います。残念な事です。


草加宿 ① 紫暖簾の家

2008-03-17 00:01:07 | 絵画
草加宿の古い家は最近発見しました。
国道4号線のバイパスも旧道も何回も通っていたのですが、昔の日光街道は旧道の脇道になっていて一方通行なので通ったことがなかったのです。
このシリーズを始めるにあたり地図を見るとそれらしい道を見つけたので行ってみて探し当てました。
千住宿に比べると大きな建物が多く、絵心をかき立てられました。
残念なことに高い塀で囲まれていて描けない家や建物全面が改修されて今様のものに覆われているものなどがあって、それらを除くと5軒の建物を描くことが出来ました。
この家は手入れもきちんとされていて、お洒落に紫の暖簾を掛け渡しているのは絵に描くには持って来いでした。