《 Mt.Fuji Kawaguchiko PIANO FESTIVAL 2022 》
日本の近海で大型に発達した台風15号の列島縦断の只中にライブに出かけた。何しろチケットの購入は6月。天候の予測などつくわけがない。当日出かける直前まで開催の有無の問い合わせをするありさま。時節柄、墓参をしてから足を延ばしての二泊三日のドライブ旅行を組んだのだった。
ライブ自体は9月22日から25日まで。会場の河口湖ステラシアター及び周辺の屋内外の施設で催され有料も無料もある4日間のイベント。そのうちチケットを買ったのは23日(土)15時からの4ステージ。
開演10分前にスタッフお揃いのTシャツで手を引かれて辻井氏がステージに登場。その挨拶の中で、このフェスティヴァルが氏のリードで開催の運びになったらしいことを知ったのだった。当然アーティストへの出演の声掛けも氏の名声があってのことだろう。今後毎年続けていきたいと意欲的だった。
プログラムのトップは女性トリオによる坂本龍一作曲集。編曲も彼自身の手になるものとの紹介があった。7曲演奏の間にMCは無し。オーディエンスには馴染みのない曲、しかも前衛的な表現もあり、楽しめた人は多くは無かったのではないかというのがブログ主の印象。
2番手は加古隆。1995年から始まったNHKのドキュメント番組「映像の世紀」は衝撃的だった。この番組を不動のものにした大半は氏作曲のテーマ曲だと思っている。静謐で激情で優しく透明。そして何より日本的情感溢れる旋律。ピアノソロ、弦楽器、オーケストラとヴァリエーションが豊富でどれも素敵。
加古氏の語りで、この春から始まったシリーズで流れている「バタフライエフェクト」も氏が作ったという。「パリは燃えているか」も良かった。
辻井伸行&フレンズは3番手に登場。もしかしたらピアノの大先達の山下洋輔氏(ジャズ)をリスペクトしてトリを譲ったのかしら。演奏したのはショパンのピアノ協奏曲第一番。圧巻の演奏だった。嵐を継いで来たけどその甲斐あったと実感。
自身のパートを弾き終え弦楽器の演奏に移るとズボンの右ポケットからハンカチを出しては汗を拭き鍵盤を右・左と何遍も拭う動作。氏のサウンドとともにこの光景も心に収めて来たという次第。
ラストステージは山下洋輔。往時と変わらぬ無茶苦茶なジャズ。齢80。かつて自身が書いた曲を中心に演奏。バックスの3人、いいですねえ。相当なつわものぞろいとお見受けした。呼吸もぴったり。
かつて映画音楽を手掛けていた頃、山田風太郎原作の映画の音楽を深作欣二監督から依頼をされたが、曲が完成する前に監督が急逝。映画はできず曲だけが残り今でも時々ライブで演奏すると紹介されたのが「幻燈辻馬車」。明治時代が背景とか。原作を読んでみたくなるほどいい曲だった。
余談その1。ステラシアターは初めての経験。会場はすり鉢型の急階段。打ち放しのコークリートの上に座る。背もたれは無くそこにあるのは後列の客の脚。場内入り口に積まれたマットは尻に敷くための物だったことを後で知る。この環境での3時間。高齢者には不向きな優しくない施設ではあった。
余談その2。ブログ主の隣のそのコンクリ席が埋まったのは開演40分も経ってから。70歳代の婦人。聞けばバスが大幅に遅れて難渋したという。横浜から高速バスで来たという。一心に演奏を聴いていたと思ったら、帰りのバスに乗り遅れたら大変になるからと早めに帰途に付かれた。
荒れ模様の天候の中、長距離バスで、一人で往復。孤高の気高さに参いりました。
余談その3。往路の東名高速道路の足柄SAで、財布と小銭入れと定期入れを家に忘れてきたことに気が付いた。定期入れには免許証在中。2泊3日の移動は、速度・信号・標識・車間距離・一旦停止etc.緊張のし放し。全行程330キロ無事帰還できた安堵感と嬉しさは忘れられない思い出となった。
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