“ネガ観念一掃セール” はまだすっかり終わったわけではないけれど、一掃とまではいかずとも かなりの収穫がありました。
それについては 別の機会にゆっくりお話しさせていただくとして、きょうはまたまたショーゲンさんのお話を。
ある日、近所に住むザイちゃんという3歳の女の子が、お父さんに 「流れ星を捕まえに行きたい」 と言ったのだそうです。
いまこれをお読み下さっているあなただったらどうなさいますか?
タンザニアのブンジュ村の大人たちというのは、こういうとき100%の確率で 一緒に流れ星を捕まえに行くのだそうです。
ザイちゃんのお父さんも ザイちゃんと共に出かけて1時間半後に戻ってきましたが、汗だくで脚には切り傷という姿で 「ショーゲン、きょうは見つからなかった、きょうは見つからなかったんだ」 とひどく悔しげで、そのあともザイちゃんと 場所が違ったのかな? などと話し合っていたそうな。
ショーゲンさんは この感覚は自分にはないわーと思いつつ見ていたそうですが、さらに次の日、今度はザイちゃんのお父さんとそのお友達のお父さん、40代の男性二人で 子どもたちのために流れ星を捕まえてやろうと出かける場面に出くわすんですね。
で さすがにこれは止めねばと、流れ星は捕まえられないからと二人に言ったのですが、返ってきた答えは 「お前は流れ星を捕まえようとしたことがあってそう言ってるのか?星が流れているところは捕まえられなくても、どこかに落ちているかもしれないだろう?そこに対してお前にはロマンとか夢はないのか?」
さらに続けて二人はこうも言ったそうです。
「ショーゲンを見ていると、無駄を省いて効率よく生きようとしているけれども、無駄だとかバカバカしいとか言われることの中に幸せっていうものがあるのにもったいないな。
人が生きるっていうことを効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ死ねばいい。
人っていうのは、いかに無駄な時間を楽しむのかっていうテーマで生きているだろう?
ショーゲンが肩書きを外したときの自分の心の中のほんとうの喜びって何だった?幸せって何だった?
小さいとき 自分は何がうれしくて、何に感動していて、何にワクワクしていた?
もう一回その自分の心の中のほんとうの声に耳を傾けてあげないといけないのでは?それできてる?
っていうか、そういう声がけとか投げかけって 自分の親から言われなかった?日本人でしょ?」
。。。。。。。。。。。。なんかもうため息しか出ないなぁ。
子どものころから当たり前のように仕込まれてきた 「無駄なく効率よく」 の号令の中で、ゆとりも潤いも失って カラカラに干からびた心のまま 何十年も過ごしてしまった貴秋には、つくづく耳の痛い話です。
いまの貴秋の暮らしは 社会的な意味での “生産性” はかけらもなく、無駄だの効率だのをそこまで突き詰める必要もないのですが、それでもかつての思考癖が随所に顔を出します。
食後に洗い物をして、さて拭いた食器をしまおうなんていうちょっとした場面でも、ふと氣づくと 「どういう組み合わせで運んだら、流しと食器棚の往復を最小回数で済ませられるか」 なんて考えてたりする。
いったい誰のため ・ 何のための省エネ省時間だというのでしょうね。
この話から連想したのは、ミヒャエル・エンデの 「モモ」。
灰色の男たちの口車に乗せられて 時間を節約すれば のちのち豊かに幸せになれると思い込んだ人々、でも彼らの暮らしは 日に日にせわしなく味氣なくなり、みな険しい顔つきで せかせかイライラ働くようになって、大切なはずの家族や友達とも遠ざかり、子どもたちと共に過ごす時間もなくなって 代わりに高価なおもちゃをあてがうようになる。
そして彼らが貯蓄しているはずの時間は、実は灰色の男たちにまんまとだまし取られてしまっていたのです。
エンデ氏は 子安美知子著 「エンデと語る」 という対談集の中で、「これは単に 『みなさんもっと休みをとって楽しく暮らしましょう』 と勧めるために書かれただけの本ではない」 という趣旨のことを語っておられますが、まったくそのとおり、ファンタジーの体裁をとってはいますが、「モモ」 で描かれているのは、まぎれもなく現在の私たちの暮らしぶり・ 私たちのあり方そのものなのです。
では、私たちはどうしてうまうまとしてやられてしまったのか、そして 現実世界における “灰色の男たち” とはいったい何者なのか。
その答えは、私たちが自身の内のバグに氣づいて向き合い、長年かけられていた催眠を解いたときに おのずとわかります。
形なき魂である私たちが 肉体という形を得てこの世界にやってきたのは、体験というものをしたかったからであり、それはまさにザイちゃんのお父さんの言うとおり、効率第一の価値観から見れば 無駄だとかバカバカしいとか言われるようなことの中にある幸せをどれほどたくさん見つけられるかということと重なっているんですね。
物質的な富は幸せの実現に一役かうこともありますが、それがあれば必ず幸せになれるというものでもない。
私たちがいまの姿形を脱ぎ捨てて彼岸に渡るときに持って行けるのは 「体験の記憶」 だけ、物やお金をどれほど溜め込んでも、それらはすべて置いていくしかないのです。
いまの貴秋が何よりも大切にしているのは、多彩でバラエティ豊かな体験を 記憶の袋の中にひとつでも多く詰め込むこと。
そう思えば、ネガティブな体験さえ宝物になります。
そしていつかこの世とお別れするとき、サンタさんのような大袋を背負って 「ああ楽しかったぁ~」 と満足して笑顔で旅立つことが、貴秋のこの生での最終目標なのです。
※本日のショーゲンさん関連お勧め動画:「全ての日本人は見てください。」
「アフリカの長老が明かす〝大変革の日〟が衝撃すぎる。この動画は絶対に見てください。」
貴秋が大好きな「TOLAND VLOG」のサムさん ・ マサキさんとショーゲンさん ・ 紹介者のひすいこたろうさんの対談動画。
どちらも30分弱、二つ目の方に ザイちゃんのお父さんのエピソードが入っています。
それについては 別の機会にゆっくりお話しさせていただくとして、きょうはまたまたショーゲンさんのお話を。
ある日、近所に住むザイちゃんという3歳の女の子が、お父さんに 「流れ星を捕まえに行きたい」 と言ったのだそうです。
いまこれをお読み下さっているあなただったらどうなさいますか?
タンザニアのブンジュ村の大人たちというのは、こういうとき100%の確率で 一緒に流れ星を捕まえに行くのだそうです。
ザイちゃんのお父さんも ザイちゃんと共に出かけて1時間半後に戻ってきましたが、汗だくで脚には切り傷という姿で 「ショーゲン、きょうは見つからなかった、きょうは見つからなかったんだ」 とひどく悔しげで、そのあともザイちゃんと 場所が違ったのかな? などと話し合っていたそうな。
ショーゲンさんは この感覚は自分にはないわーと思いつつ見ていたそうですが、さらに次の日、今度はザイちゃんのお父さんとそのお友達のお父さん、40代の男性二人で 子どもたちのために流れ星を捕まえてやろうと出かける場面に出くわすんですね。
で さすがにこれは止めねばと、流れ星は捕まえられないからと二人に言ったのですが、返ってきた答えは 「お前は流れ星を捕まえようとしたことがあってそう言ってるのか?星が流れているところは捕まえられなくても、どこかに落ちているかもしれないだろう?そこに対してお前にはロマンとか夢はないのか?」
さらに続けて二人はこうも言ったそうです。
「ショーゲンを見ていると、無駄を省いて効率よく生きようとしているけれども、無駄だとかバカバカしいとか言われることの中に幸せっていうものがあるのにもったいないな。
人が生きるっていうことを効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ死ねばいい。
人っていうのは、いかに無駄な時間を楽しむのかっていうテーマで生きているだろう?
ショーゲンが肩書きを外したときの自分の心の中のほんとうの喜びって何だった?幸せって何だった?
小さいとき 自分は何がうれしくて、何に感動していて、何にワクワクしていた?
もう一回その自分の心の中のほんとうの声に耳を傾けてあげないといけないのでは?それできてる?
っていうか、そういう声がけとか投げかけって 自分の親から言われなかった?日本人でしょ?」
。。。。。。。。。。。。なんかもうため息しか出ないなぁ。
子どものころから当たり前のように仕込まれてきた 「無駄なく効率よく」 の号令の中で、ゆとりも潤いも失って カラカラに干からびた心のまま 何十年も過ごしてしまった貴秋には、つくづく耳の痛い話です。
いまの貴秋の暮らしは 社会的な意味での “生産性” はかけらもなく、無駄だの効率だのをそこまで突き詰める必要もないのですが、それでもかつての思考癖が随所に顔を出します。
食後に洗い物をして、さて拭いた食器をしまおうなんていうちょっとした場面でも、ふと氣づくと 「どういう組み合わせで運んだら、流しと食器棚の往復を最小回数で済ませられるか」 なんて考えてたりする。
いったい誰のため ・ 何のための省エネ省時間だというのでしょうね。
この話から連想したのは、ミヒャエル・エンデの 「モモ」。
灰色の男たちの口車に乗せられて 時間を節約すれば のちのち豊かに幸せになれると思い込んだ人々、でも彼らの暮らしは 日に日にせわしなく味氣なくなり、みな険しい顔つきで せかせかイライラ働くようになって、大切なはずの家族や友達とも遠ざかり、子どもたちと共に過ごす時間もなくなって 代わりに高価なおもちゃをあてがうようになる。
そして彼らが貯蓄しているはずの時間は、実は灰色の男たちにまんまとだまし取られてしまっていたのです。
エンデ氏は 子安美知子著 「エンデと語る」 という対談集の中で、「これは単に 『みなさんもっと休みをとって楽しく暮らしましょう』 と勧めるために書かれただけの本ではない」 という趣旨のことを語っておられますが、まったくそのとおり、ファンタジーの体裁をとってはいますが、「モモ」 で描かれているのは、まぎれもなく現在の私たちの暮らしぶり・ 私たちのあり方そのものなのです。
では、私たちはどうしてうまうまとしてやられてしまったのか、そして 現実世界における “灰色の男たち” とはいったい何者なのか。
その答えは、私たちが自身の内のバグに氣づいて向き合い、長年かけられていた催眠を解いたときに おのずとわかります。
形なき魂である私たちが 肉体という形を得てこの世界にやってきたのは、体験というものをしたかったからであり、それはまさにザイちゃんのお父さんの言うとおり、効率第一の価値観から見れば 無駄だとかバカバカしいとか言われるようなことの中にある幸せをどれほどたくさん見つけられるかということと重なっているんですね。
物質的な富は幸せの実現に一役かうこともありますが、それがあれば必ず幸せになれるというものでもない。
私たちがいまの姿形を脱ぎ捨てて彼岸に渡るときに持って行けるのは 「体験の記憶」 だけ、物やお金をどれほど溜め込んでも、それらはすべて置いていくしかないのです。
いまの貴秋が何よりも大切にしているのは、多彩でバラエティ豊かな体験を 記憶の袋の中にひとつでも多く詰め込むこと。
そう思えば、ネガティブな体験さえ宝物になります。
そしていつかこの世とお別れするとき、サンタさんのような大袋を背負って 「ああ楽しかったぁ~」 と満足して笑顔で旅立つことが、貴秋のこの生での最終目標なのです。
※本日のショーゲンさん関連お勧め動画:「全ての日本人は見てください。」
「アフリカの長老が明かす〝大変革の日〟が衝撃すぎる。この動画は絶対に見てください。」
貴秋が大好きな「TOLAND VLOG」のサムさん ・ マサキさんとショーゲンさん ・ 紹介者のひすいこたろうさんの対談動画。
どちらも30分弱、二つ目の方に ザイちゃんのお父さんのエピソードが入っています。