毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

「相棒 ・ 物理学者と猫」 とコロナ騒動

2020年04月25日 12時02分59秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
コロナ騒動を機にテレビとは距離を置いていますが、そんな中で久々に見た 「相棒シーズン14」 の 「第17話 ・ 物理学者と猫」 。

もう何度も再放送されているものですが、いちおうここから先はネタバレ注意とさせていただきますね。

筋を知りたくない方は ごめんなさい、ここまでで。












*           *           *           *           *














横着して あらすじはこちらに丸投げさせていただくとしまして (^^ゞ

おそらくただひとりの理解者であっただろう恩師を失い、傷心の堀井准教授。

その痛みからとる彼の行動は、何度繰り返しても悲劇に行き着いてしまいます。

そのたびに 「他に僕にどんな選択があるというんですか」 と訴える堀井。

その言葉に行き当たると 右京さんの指がぱちんと鳴るのを合図に時間が逆戻りし、またもや同じことの繰り返しに。。。というところで 決まって介入する一匹の黒猫。

事件解決ののちに右京さんが 「亡くなった成田先生の生まれ変わりかも」 とつぶやくこの猫が 書類を払い落としたり 受話器を外したり 突然部屋を飛び出したりするたびに、そこから新たな手がかりを見つけて 相棒コンビはループを巡りつつ推理を進めてゆきます。




喪失感、深い悲しみ、怒り、そんなネガ感情の渦に呑まれたままの堀井は、ループを何度行き来しても 否定的な結果しか生み出すことができません。

そんな彼に代わって俯瞰の位置から冷静に事実を導き出してみせるのが 右京さんなんですね。

結果、成田先生は堀井が疑った誰に殺されたのでもなく自殺で、そのきっかけとなったのが堀井自身の解いた数式だったことが明らかになり、ついには自分自身をも死に追いやろうとする堀井を あわやというところで相棒コンビが押し留めます。

そこで右京さんを通じて提示されるのが、謎だった 「RT」 という文字が意味する 「再考する、探究し続ける」 という新しい道。

ものみに徹した右京さんの視点を借りて ようやく現実を直視した堀井に、これまで考えもしなかった “他の選択” が姿を現した瞬間でした。




いまの私たちも 思いがけず新型コロナウイルスをきっかけに混乱の渦に投げ込まれ、多くの人々が不安や恐れにさいなまれています。

このまま渦に呑まれっぱなしでいるか、これを機に俯瞰の視点を獲得 ・ 強化するか、どちらを選ぶかは自由だし、どちらがいい悪いということでもありませんが、ただ 渦の中にいたままで 不安や恐れから抜け出るのは、あの堀井と同じく不可能なんですね。

私たちは物語と違って時間を遡ることはできませんが、いま ・ ここから選択を変えることはできます。

感情に流されず なにが起きているのか冷静に見つめる確かな視点をもつことで、あっぷあっぷしているときには見えなかった新たな選択肢が見えてきます。

そして その俯瞰の視点を思い出させ育ててくれるのが、コロナに怯えざわつく心そのものなのです。

いつ感染するかもしれない恐怖、この先の暮らしがどうなるのかという不安、そんな状況で大切な者たちを守らねばというプレッシャー、ルールを守ろうとしない者への怒り、そのひとつひとつを直視し感じる中から、思いも寄らない新しい物の見方が さりげなく姿を現します。

いまのこの世界のどんなトップやリーダーよりも信頼できる、頼もしく確かな導きです。













どんなときも、そしてこんなときだからこそ、楽しくいよう

2020年04月16日 12時56分37秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


ここまで広く長く続いているのだから当然といえば当然なのですが、今回のコロナ騒ぎにまつわる情報のまあ多いこと。

大手メディアは相変わらず安定の横並びのようですが、ネット上では あのウイルスは細菌兵器として開発していたのが研究所から漏れ出てしまったのだとか、いや逃げられたのではなくわざと出して広めたのだとか、いやいやあれは実はフェイクでほんとうはパンデミックなんて起きてないんだとか。

またウイルスに効果ありという食品薬品の情報も目白押し、さらにはマスクでも手作りしようかと動画を検索すれば出てくる出てくる、あれこれ眺めるだけで1時間ぐらいすぐ経ってしまいます。

そしてこれだけ情報が氾濫していると、矛盾する話が多く出てくるのも致し方ないこと。

まあどれもこれもなんとなくうなずける要素はあるのですが、それをいちいち 「どれが効くの? どれが正しいの? どうすればいいの?」 と悩んでいたら身が持ちません。




こんなとき貴秋は、自分の氣分がよくなるもの、安心できるものを選びます。

マスクなんてしなくてもぜんぜん氣にならないという人は はた迷惑にならない範囲でそうすればいいし、食品などある程度備蓄があるほうが安心という人は 常識の範囲内でできる備えをすればいい。

布マスクは目が粗くウイルス対策にはあまり効果がないという話もありますが、それでもしたほうが安心感が増すのならつければいいし、最近人氣の疫病封じの妖怪アマビエなども それで安心できるのなら身につけ持ち歩くのもいいでしょう。

たとえ意見の違う家族や友人に笑われようと呆れられようと、健康食頼みでも神頼みでも 無理のない範囲で 自分がいい氣分になれること、心が落ち着くことをすればいいと思います。

そして大切なのは、自分が立てた対策の成果を見渡し 満足感を味わうこと。

よくぞこれだけ準備できたなあ、備えはばっちり、これでもう私は大丈夫☆ とにこにこ明るい氣持ちになることです。

これを忘れると 備えること自体が目的のようになり、執着が生じて いくら準備してもまだ足りないような氣になり、かえって不安が募ります。

日本はパンデミックのさなかといってもまだまだ衛生的で、蛇口をひねればふんだんに水が使えるし 石鹸も洗剤もある、その上これだけの備えができたなんて物質的に恵まれた国ならではのこと、とその幸せを十分にかみしめましょう。

コップ半分の水を 「もう半分しかない」 と思うか 「まだ半分ある」 と思うかで人生が変わるといいますが、こういうときはとりわけ不安をふくらませたり不安に流されたりしないことが大切です。




私たちの本質は姿形ではなく、形なき意識のほうにあります。

私たちの身を置く世界は、私たちの思いに強い感情が乗ることで 具現化されたもの。

こんなコロナ騒ぎの最中でも、その原則は変わりません。

騒動自体は集合意識によって生み出されたものだから、個人の意識だけで変えたり終らせたりするのは難しいでしょうが、この状況とどのようにつき合うかは 私たちひとりひとりが思うままに決めることができます。

いまリラックスしていい氣分でいられれば、その先もそれに見合う世界が自分の現実となるのです。




ここで大切なのは、具現化のもととなる思いや感情を動かしているのは、顕在意識ではなく潜在意識のほうだということ。

ときどき聞かれる 「ウイルスに感染しないよう意識の波長を高く保ち、ウイルスの低波動と同調させない」 というアドバイスは適切だと思いますが、心の表面を陽氣にとりつくろうだけでは 残念ながら意識エネルギーを高める役には立ちません。

うわべだけ不安を振り払い 明るく楽しくと努めるほど、奥からうらはらな感情がこみ上げてきます。

こういうときは、逃げるのをやめて 進んで否定的感情の中に飛び込み、しっかり味わうこと。

いまの状況の明るい面を見ようとしても ついつい不安や恐れが先に立ってしまうという方は、いい機会です、きちんと向き合って終らせましょう。

飛び込んで突き抜けた先には、今度こそほんものの揺るぎない自信 ・ 強さ ・ 明るさが待っています。

ことさらなろうとしなくても、自然と身の内から起こってくる新しい、そして本来の姿です。












コロナの脅威は 意識の縛りを解く願ってもないチャンス

2020年04月12日 13時33分30秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見

現在世界中に蔓延する新型コロナウイルスCOVID-19は、健康面だけでなく経済面でもさまざまな不安を私たちにもたらしています。。。と書くと ウイルスが直接の原因であるかのようですが、実のところウイルスは もともと現行の経済システムが潜在的に抱えていた問題を明るみに引っぱり出したに過ぎません。

突発的災難で暮らしが立ち行かなくなったのに、国民を守るのが仕事のはずの国から十分な助けが得られない・・・という状況は、なにも今回が初めてではないのですから。

地震、台風、津波に山崩れ、倒産、解雇、心身の病氣、家族の介護、稼ぎ手だった家族との死別や離別、などなど予期せぬ突然の不幸に見舞われ 収入が途絶えたり激減したりで困窮者となった人は、これまでにもおおぜいいました。

ただそれがごく一部のことだったから、目の前にはいなかったから、おかしいと思いつつも目を背け なかったことにできただけ。

でも今回はそうはいきません、世界中どこを見ても、この問題を突きつけられてない人なんてないのだから。




現行のお金のシステムについての貴秋の考えは すでに 「あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く その1~10」 で語っていますので、ご興味がおありの方は 長文で恐縮ですがそちらをお読みいただければと思います。

あれを書いていた頃は まさかこんなに早く世界を挙げてこの問題に取り組まざるを得なくなる日が来るとは思っていませんでしたが、どのみち直面しなければならない問題なら 早いほうがいいともいえるでしょう。

すでにさまざまな意見や提案が挙がっていますが、貴秋が見る限り 残念ながら現行のシステム内でいかにうまく乗り切るかというものばかりで システムそのものを根底から見直そうという話は聞こえてきません。

貴秋に言わせれば、いまのお金のシステムとは そもそも皆のものであるはずの富を力のある者に集めるために作られた仕組み。

なのに、そうと氣づかれないよう教育などを通じてさまざまな刷り込みを施され催眠にかけられた私たち庶民の意識は、知らず知らずのうちに 自分たちを幸せにしないシステムを下からがっちり支える役割を果たしてしまっています。

目に映っているのは裸の王様なのに、愚か者には見えない服を着ているというウソをあっさり受け入れ信じてしまう民衆が、現在の私たちなのです。




しかし、見えない流れは そんな不自然を正そうというほうに向かっている。

真の自分から遠ざかる一方の 「行き」 の道を過ぎて、いまの私たちは 本来のありように戻ろうとする 「かえり」 の道にあります。

かけられた催眠を解き ほんとうの自分を思い出そうとする動きに追い風が吹く、そんな時代に私たちは立っています。

コロナウイルスが提起してくれた現行の経済システムの歪みを 誰もが安心して暮らせるように正そうと思うなら、いますべきは国に文句をつけることでも 富裕層に戦いを挑むことでもありません。

なにをおいても真っ先にすべきは、私たちの潜在意識にがっちり刷り込まれている 「ちっちゃな個の私にそんな力なんてない」 という思い込みを解くこと。

渦の中から渦全体を見渡すことができないように、物語の内からの視点だけでは 起きていることを正しく見抜くことすらできません。

恐れと不安の物語からいったん抜け出し 言葉や感情抜きのものみの視点からありのままの状況を見つめて初めて、なにがどうおかしくなっていて どうすればもつれをほどけるのかが見えてきます。




そして朗報。

新型ウイルスがもたらした健康上 ・ 経済上の脅威にさらされているいまこそ、思い込みを脱ぎ捨て ほんとうの自分を目覚めさせるに絶好のチャンスなのです。

いま私たちが感じている不安や恐れこそ、潜在意識に沈潜して知覚できずにいた催眠が 顕在意識上に姿を現したものなのですから。

催眠を解くには、その不安や恐れを払いのけずにまっすぐ見つめること。

貴秋は不安や恐れのおおもとであるからだの感覚に集中する方法をとりましたが、手立てはほかにいくらもあります。

正直な氣持ちを日記にしたためてもいいし、「ホ ・ オポノポノ」 のように言葉の力を借りてもいい、ヨガ、瞑想、食べ物を変える、カウンセリングやヒーリング ・ 催眠療法などを受ける、等々 いまはまさにこういうとき力を貸してくれる情報や場が目白押しの時代ですから。




こういう観点から眺めると、新型コロナウイルスは 私たちの曇っていた意識を揺さぶり目覚めさせるために登場した天の使いのようにも思えてきます。

とそんなふうにちょっぴり意識を前に向けるだけでも、私たちはこれまでよりもっと楽しい新世界に向かう道に 一歩を踏み出していることになるのです。












コロナが差し出すメッセージ

2020年04月05日 16時28分56秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見

イギリスの推理作家アガサ・ クリスティの 「死が最後にやってくる」 は、なんと紀元前の古代エジプトが舞台の異色ミステリーです。

主人公は、広大な荘園を持つ墓所僧インホテプの娘で、夫に死に別れ 幼い一人娘を連れて実家にもどった若き女性レニセンブ。

実家には父親のほか 二人の兄とその妻や子どもたち、末の弟に老いた盲目の祖母、さらにおおぜいの使用人がいて、暖かく迎えられたレニセンブですが、ある日所用で旅に出ていた父インホテプがうら若い愛妾ノフレトを連れ帰ったところから、家族の間に動揺が走ります。

一族をじわじわと蝕んでゆく反感反目、嫌悪、憎悪、そしてそのクライマックスに突然訪れたノフレトの死。

死因は事故で片づけられ、一族に再び平和が戻った。。。と思えたのですが。

蜂の巣をつついたような騒動のさなか 事態を冷静に見つめていた二人の人物が、高齢の祖母エサと インホテプの有能な書記官で家族の信頼も厚いホリ。

すべてをノフレトのせいだと思い込むレニセンブを ホリは冷静に諭します、「変化のもととなるものは、ノフレトが来る前からすでにここにあったのですよ」 と。




この 「死が最後にやってくる」 、数あるクリスティの名作の中でも とりわけ好きなお話のひとつですが、最近よくこの物語が頭に浮かびます。

突然殺人事件の真っ只中に放り込まれたレニセンブたちと 突然コロナ騒動の真っ只中に放り込まれた私たちの境遇に、相通じるものを感じるせいでしょう。

新型コロナウイルスの登場で 私たちの生活は引っくり返ったけれど、混乱の真の原因はウイルスそのものではなく、もっと前から一見平穏な私たちの暮らしの中に潜んでいたのだと思えてなりません。

想定外の事態であることを差し引いても 政府の手際の悪さや的外れな対応は目につきますが、ならば以前の政府は公明正大で国民に寄り添い、そのニーズに迅速かつ的確に応え、みなに心から慕われ信頼される存在だったといえるでしょうか。

このコロナ騒動さえなければ、私たちはみな十分に豊かで 日々の暮らしになんの不安も不満もなかったのでしょうか。

子どもたちは一人残らずそれぞれの望みに応じた教育を受けることができ、晴れがましく充実した人生を歩み出せていたのでしょうか。

そんなふうに考えると、コロナウイルスはたしかに健康上の脅威ではありますが、同時に私たちの隠れた問題を明るみに出し 改善の機会を与えようとしてくれているようにも思えてきます。

起こることすべてに意味がある、ならば私たちは このコロナ騒動にどんな意味を見出すことができるのか。




まだしばらくは収まりそうにない事態の中で、貴秋の目に映るもの ・ 日々感じる思いをまた綴っていきたくなり、久々にキーボードに向かいました。

どんなときでもピンチとチャンスは表裏一体、危険なウイルスも 見ようによっては福音のもたらし手ともなり得ます。

医学的見地とはまた違う角度から、このウイルスが私たちに差し出しているメッセージを読み解いていければと思います。





p.s. ちょうどこれを書いている最中に、絵本作家 ・ 五味太郎さんのこんな記事を見つけました。

    「五味太郎さん『コロナ前は安定してた?』不安定との向き合い方

   すごいシンクロニシティ w( ̄Д ̄;)w

   こちらもぜひお読みいただければと思います。