しばらくベクトルが完全に内向きになっていて 外に向けて言葉を発する作業ができずにいましたが、おかげさまで元氣に過ごしております(^^)
4月27日から2週間弱、実家に行ってました。
家事がだんだん負担になってきている母を手伝うための 恒例の奈良行き。
家事手伝いに ショッピングに 弟一家が遊びに来たりもして、久々に長期の家族日和。
母の日に実家にいるなんていうのも何年ぶりのことか、ちょっとした雑貨と「ほぼ完全(笑)主婦休業日」をプレゼントさせてもらいました。
・・・とここまでなら よくあるほのぼの実家訪問記なんですが。
なんか最近ね、自分が“多層構造”っていうか、”多次元構造”っていうか、そんなことになってる氣がするんですよ。
。。。。。。なんじゃそりゃ(^◇^;)
え~っと、どう言えばいいかな
一番上の浅いところは、五感でキャッチしてる もっともわかりやすい自分。
家、学校、職場、娯楽、家族、友だち、仕事仲間にご近所さん、みたいな、見えて聞こえて 誰にでもわかってもらえる世界。
20代前半ぐらいまでは、当たり前にそれが自分のすべてだと思ってた世界。
ここまでは書きやすいんだけどなぁ。。。
その下に、自分の捉え方次第で もう少し深い世界があるような氣がするんです。
世界っていうより 視点って言う方が近いかな。
これがどうも何層もある感じで、奥に行くほど本質に近くなり、言葉にしにくくなる。
こっちの方にちょっと視点をずらすと、実家で過ごした時間が 今になって まるっきり別の意味をもって見えてくるんです。
私は一見ごく普通の家庭で育ったけど、母はいらいらと怒りっぽく、父は私たちの確執に無関心で 弟は中学以降はすっかりマイペース、私は父と弟とは距離を置き、母とはしょっちゅう衝突しながら成長しました。
結婚してからも 実家のすぐそばに住み、相変わらずひんぱんに行き来しては 母と激突してました。
奈良を離れた一番大きな理由は、こういう母親との関係をいつまでも引きずっていたらそのうちエライことになる、という危機感でした。
和歌山に移ってもう少しで10年、あれからいろんなことがあり、私は 自分の中に母そっくりの心のからくりがバッシリ入り込んで 始終自分を振り回していることに氣づかされました。
親からは 世界中のお金を積んでも買えないようなすばらしい(精神的)宝物も譲り受けたけど、同時に これ持ったままでは いつまで経っても幸せにはなれないな・・・と思うような心のクセも刷り込まれていて、和歌山で過ごした時間の多くを そのクセから自由になるために使うことになりました。
親にそっくりなからくりを持つ人とのさまざまな悩みや揉め事、そのたびにアタマを抱えながらも 相手ではなく 自分を見つめ続けてきた長い時間。
腹が立つことを言われたりすると ついつい相手に怒りたくなっちゃうけれど、実は相手は単にスイッチを押したに過ぎなくて、実際には私が自分の中でひとりもつれて腹を立ててるだけ。
その正体は、過去の親とのバトルで充分表現できないまま 行き場をなくした過去の怒りであり、本来の対象は親だったんですね。
それを1個1個見つけては解き放って。
そしてついにやってきました、そっくりさんではなく、本家本元とひとつ屋根の下でみっちり過ごす2週間☆
いやぁ、鍛えられたなぁ(笑)
相変わらず 母は私の地雷のど真ん中を踏み抜くのがうまくて
そのたびに、反射的に過去に飛び込んでしまわぬよう 自分を外から見つめて、けんめいに真ん中に踏みとどまって。
向こうにも日記を持っていって ほぼ毎日つけてたけれど、今読み返すと「腰からタイヤを引きずって 急坂を下から上にウサギ跳びするようなもの」なんて記述があったりする(笑)
そして今、約2週間分の日記をひと息に読み返すと、あれ?と氣づかされるのです。
今回の奈良での日々は、私の中に取り込んでしまった「母」を すっかり私から切り離す、つまり、この数年かかりきりになっていた作業の総仕上げのためにあったんだなぁって。
いや、正しくは、「母」の姿を投影させてるけど 実はもうすっかり自分の一部になっていた心のクセ、つまり自分のネガな部分だったんですね。
母はきっかけではあったけど、その後はもう関係なかった。
それが今回、生身の母の姿で 私の心の負を総ざらえで明るみに出すのに力を貸してくれた。
おかげで自分のネガなクセがどれほど見やすくわかりやすかったことか。
一人暮らしの日常では決して氣づけなかったであろう 貴重な体験でした。
滞在中 腹を立てたこともけっこうあったけど、今思えば、母の日のプレゼント以上に大きな贈り物を 私が母からもらってたんですね
ありがたいことだなぁ
「自分の中の怒りをどう扱うか」なんてテーマでブログを書いたことが何年も前にあったけど、その頃からずっと悩み続けていた問題、ここにきてやっと解放されつつある氣がするのです。
ちなみにタイトルは ここしばらくお氣に入りでしょっちゅう見てるジブリの「ハウルの動く城」の中の 火の悪魔カルシファーのセリフ
なんか今の氣分にぴったりなんだよね
4月27日から2週間弱、実家に行ってました。
家事がだんだん負担になってきている母を手伝うための 恒例の奈良行き。
家事手伝いに ショッピングに 弟一家が遊びに来たりもして、久々に長期の家族日和。
母の日に実家にいるなんていうのも何年ぶりのことか、ちょっとした雑貨と「ほぼ完全(笑)主婦休業日」をプレゼントさせてもらいました。
・・・とここまでなら よくあるほのぼの実家訪問記なんですが。
なんか最近ね、自分が“多層構造”っていうか、”多次元構造”っていうか、そんなことになってる氣がするんですよ。
。。。。。。なんじゃそりゃ(^◇^;)
え~っと、どう言えばいいかな
一番上の浅いところは、五感でキャッチしてる もっともわかりやすい自分。
家、学校、職場、娯楽、家族、友だち、仕事仲間にご近所さん、みたいな、見えて聞こえて 誰にでもわかってもらえる世界。
20代前半ぐらいまでは、当たり前にそれが自分のすべてだと思ってた世界。
ここまでは書きやすいんだけどなぁ。。。
その下に、自分の捉え方次第で もう少し深い世界があるような氣がするんです。
世界っていうより 視点って言う方が近いかな。
これがどうも何層もある感じで、奥に行くほど本質に近くなり、言葉にしにくくなる。
こっちの方にちょっと視点をずらすと、実家で過ごした時間が 今になって まるっきり別の意味をもって見えてくるんです。
私は一見ごく普通の家庭で育ったけど、母はいらいらと怒りっぽく、父は私たちの確執に無関心で 弟は中学以降はすっかりマイペース、私は父と弟とは距離を置き、母とはしょっちゅう衝突しながら成長しました。
結婚してからも 実家のすぐそばに住み、相変わらずひんぱんに行き来しては 母と激突してました。
奈良を離れた一番大きな理由は、こういう母親との関係をいつまでも引きずっていたらそのうちエライことになる、という危機感でした。
和歌山に移ってもう少しで10年、あれからいろんなことがあり、私は 自分の中に母そっくりの心のからくりがバッシリ入り込んで 始終自分を振り回していることに氣づかされました。
親からは 世界中のお金を積んでも買えないようなすばらしい(精神的)宝物も譲り受けたけど、同時に これ持ったままでは いつまで経っても幸せにはなれないな・・・と思うような心のクセも刷り込まれていて、和歌山で過ごした時間の多くを そのクセから自由になるために使うことになりました。
親にそっくりなからくりを持つ人とのさまざまな悩みや揉め事、そのたびにアタマを抱えながらも 相手ではなく 自分を見つめ続けてきた長い時間。
腹が立つことを言われたりすると ついつい相手に怒りたくなっちゃうけれど、実は相手は単にスイッチを押したに過ぎなくて、実際には私が自分の中でひとりもつれて腹を立ててるだけ。
その正体は、過去の親とのバトルで充分表現できないまま 行き場をなくした過去の怒りであり、本来の対象は親だったんですね。
それを1個1個見つけては解き放って。
そしてついにやってきました、そっくりさんではなく、本家本元とひとつ屋根の下でみっちり過ごす2週間☆
いやぁ、鍛えられたなぁ(笑)
相変わらず 母は私の地雷のど真ん中を踏み抜くのがうまくて
そのたびに、反射的に過去に飛び込んでしまわぬよう 自分を外から見つめて、けんめいに真ん中に踏みとどまって。
向こうにも日記を持っていって ほぼ毎日つけてたけれど、今読み返すと「腰からタイヤを引きずって 急坂を下から上にウサギ跳びするようなもの」なんて記述があったりする(笑)
そして今、約2週間分の日記をひと息に読み返すと、あれ?と氣づかされるのです。
今回の奈良での日々は、私の中に取り込んでしまった「母」を すっかり私から切り離す、つまり、この数年かかりきりになっていた作業の総仕上げのためにあったんだなぁって。
いや、正しくは、「母」の姿を投影させてるけど 実はもうすっかり自分の一部になっていた心のクセ、つまり自分のネガな部分だったんですね。
母はきっかけではあったけど、その後はもう関係なかった。
それが今回、生身の母の姿で 私の心の負を総ざらえで明るみに出すのに力を貸してくれた。
おかげで自分のネガなクセがどれほど見やすくわかりやすかったことか。
一人暮らしの日常では決して氣づけなかったであろう 貴重な体験でした。
滞在中 腹を立てたこともけっこうあったけど、今思えば、母の日のプレゼント以上に大きな贈り物を 私が母からもらってたんですね
ありがたいことだなぁ
「自分の中の怒りをどう扱うか」なんてテーマでブログを書いたことが何年も前にあったけど、その頃からずっと悩み続けていた問題、ここにきてやっと解放されつつある氣がするのです。
ちなみにタイトルは ここしばらくお氣に入りでしょっちゅう見てるジブリの「ハウルの動く城」の中の 火の悪魔カルシファーのセリフ
なんか今の氣分にぴったりなんだよね