毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

信頼

2014年02月21日 11時11分42秒 | ふと思うこと


19~21日と三連休で、家に戻ってきました。

なつかしいわが家

しばらくよそで暮らすことで、自分のフィールドというかホームというか そういうものへの思いを新たにした氣がします(^^)

ウグイスの鳴き声があちこちから聞こえて、ああ、今年もこの季節がやってきたんだ・・・としみじみ思いました。

梅も満開、まだ風は冷たいけれど、もう春の足音がすぐそこに聞こえるかのようです。



3日もあると思っていたけれど、身の回りのことや家のことなどあれこれしていたら、あっという間に3日目になっちゃった(^^ゞ

きょうの午後、お隣小学校の学習発表会で読み聞かせをしたら、また白浜に戻ります。



白浜での暮らしは、まず自分の居場所の設営から。

3ヶ月お借りすることになる寮の部屋と外廊下など共有部分をしっかりお掃除して、必要なものを揃えて。

2週間足らずの間に すでに私の氣が行きわたり、居心地よいマイスペースとして馴染んでいます。

やっぱり いつでもどこでも、何よりもまず 自分の暮らしを整えて楽しめるようにすることからなんだなぁ♪

自分の生活の足場がしっかりしていなかったら、人様のお世話だって十分にはできない氣がするもの♪



食の方も、基本食堂でお世話になっていますが、仕事の後など小腹が空くこともあるので、おせんべいやクッキーやスナックばかりに頼らないように、煮物など数品作って持っていくことに。

部屋の冷蔵庫に入れておいて その都度温めれば、いつでも美味しい夜食がいただけます



冬の白浜での暮らしは初めて。

あの全国に大雪をもたらした低氣圧の中でも、白浜は雨が降っただけ。

さすがに海から吹きつける風はものすごかったけどね(^_^;)

なぜか朝は早くから氣持ちよく目が覚める日が多く、まだお客さまのほとんどいない温泉にゆっくり浸かったあと、洗濯機を回している間に白良浜や千畳敷をお散歩なんていう楽しみも覚えました



部屋の掃除と洗濯以外は家事をすることもなく、時間のあるときは 美しい海をめで歩き、冷暖房完備・テレビ付きの部屋でオリンピックなど眺めていると、こちらが観光客であるかのような錯覚を起こすほど(笑)

それでもこういう暮らしは一時的なものだからこそ面白がれるけれど、やはり私の生きる土台は 自分の暮らしを細やかに紡ぐ喜びと共にあるんだなぁ、ということも 改めて実感する日々です。



そして。

心のことについて言えば、案の定 白浜に来たことには大きな意味があったらしい。

自分を否定してしまう氣持ちや無価値感をきれいに拭い去って、ありのままの自分を認め愛する氣持ちをのびのびと育てなおす、そのための時間をもらっているようです。

舞台もバッチリ、私の内側を映し出してくれる方々が見事なまでに揃っていて、なんてうまく仕組まれているんだろうと感嘆してしまうほど。

ちっちゃな自分の頭の中だけで なんとかしようとジタバタしなくても、大きな流れに身を任せていれば、ちゃ~んとしかるべきところへ運んでもらえるんだね♪

見えない世界への信頼が一段と増した氣がします(*^ー^*)
















再び

2014年02月06日 11時55分41秒 | ふと思うこと



突然ですが、3ヶ月ほど白浜でお仕事することになりました。

寮に入らせてもらうので、当分家と白浜を行ったり来たりの生活となります。


白浜、というと。。。ちょうど10年前の2004年4月から半年、やはり住み込みで働いていた場所。


今回の仕事は、3次元的にはお金の必要からなのですが、職探しのとき なぜかしきりに白浜に意識が向いて、ふと「そういえばあれから10年か」と氣づいたとき、それ以上のなにかを感じました。



10年前は、それまで心地よくなじんでいた前の職場から 突然ハードな世界に移って もう必死、のちのちまで私の中で「人生の暗黒史」「人生の底を打った場」(おい)という位置づけだったのですが。

遊びに行くのはともかく、仕事で行くなど二度と考えられないところだったのに(^_^;)



しかしやはり 何事も距離が開くたびに違って見えてくるもの、今は あの厳しい環境のすべてが 自分の想念から創り出されたものであることが、はっきりうなずけます。

そして、いかに辛かろうと、あの環境が私には ぜひとも必要だった。

また、「今を認めて ここから始める」「まわりの世界は自分の鏡」などの氣づきや 感謝の氣持ちなど、その後を左右するとてつもなく大きな意識の変化を授けてもらったのも あの半年だったのですね。


あのとき「もう二度と決して戻らない!」と思いながら去った土地に、10年後の今、自ら望んで しかも同じ仕事(旅館は前とはまた別のところですが)に就こうとしている。




3日前、2月3日は 節分。

3年前の節分に 魔よけのお飾りを下さったおじさんの言葉。


「魔は晩にやってくるから 晩の祭りや」


年末年始をはさむここしばらく、見えてくるものがころころ変わり、意識の変化が加速する中で、私の中で おそらく最大の難関であるテーマがふくれあがって 目の前に迫り、今度こそとけんめいにくらいつき くいさがった そのピークがまさにこの節分の晩。

私の望んだ結末は得られず、またも失敗かとすっかり力が抜けた4日早朝、恨むこともひねくれることもなく 素直に負けを認め、これからどうするか考えようと淡々とした氣持ちでいたとき、実は 魔の闇夜を通り抜け、新たな始まり・立春の朝陽を浴びていたことに、あとになって氣づかされました。

そしてその日の夕方、白浜行きが決まったのです。



いくらわかっているつもりでも ついついやってしまうのですが、問題の解決として頭に浮かぶものは、しょせん過去の思考の延長上にしかないのですね。

過去の枠組みからいくら智恵を絞っても、過去の想念の結果から抜け出ることはできない。

今回も、私の考えなど たいした意味はなかった。

私の予想や期待などとはまったく違う次元で、いつのまにか その難関のおおもとであった想念自体が 質を変えられていたようなのです。

敗北と思っていたそのとき、私は 自分のあずかり知らない力によって、どうやら新しい入り口に立たされていたようです。



10年前、恐れや怒りばかりで心が落ち着かず、いくら楽しもうとしても楽しみきれなかった白浜。

今は、なんだか遠足に行く前の子どもみたいに浮き浮きした氣分なのです。

ビフォーアフターじゃないけれど、この10年での自分の心の変化を感じます。

前は、慣れない世界に飛び込むことに 悪いイメージしか持てなかった。

今は、氣分はアドベンチャー、どんな楽しい体験ができるか、どんな新しい出会いがあるかと胸を躍らせているのです。



もうひとつ大きな違い。

前は どんなにいやでも辛くても 私にはその世界しかよりどころがなかったけれど、今は 「ここが自分の居場所」と呼べるところがあります。

私の家、私の土地。

おなじみのご近所さんがいて、大切な友だちがいて、かわいい小学校の子どもたちがいて、大好きな自然に囲まれていて、すっかり私仕様になじんだわが家があって。

さらに 少し離れて あのころはその大切さを省みることができなかった かけがえのない家族がついていてくれる。

もちろんあちらの世界の母たちも含めてね(^^)



10年かぁ。。。

わけもわからず ただただがむしゃらに突き進んできたけれど、こうやって見てみると、深い深い意味のある時間だったんだなぁ。。。



なにかにつけ 10年前との違いを感じながら、また、あのころ味わえなかった楽しみをひとつひとつ拾い上げながら、さらにその先に向けての土台作りを兼ねて いちだんと自分磨き・魂磨きに励む、明日からはそんな日々になるのかもしれません



あちらでパソコン使わせてもらうのは難しそうなので、しばらくは家に戻ったときしか見たり書いたりできないかもしれません。

まあどのみち しょっちゅう間の空くブログだし(笑)

実はネット環境がままならないことにも、ひそかな意味を感じているのです。

ネット依存から身を離し、自分の中を、今・ここを感じることに専念しなさい、これまでの氣づきを実践し 確実に自分のものとしなさい、って



しばらくはご無沙汰になりそうですが、また折を見て あれこれご報告させていただきます。



こんな氣ままなブログをいつもお読み下さるみなさま、ほんとうにありがとうございます。

寒暖の差が激しく不安定な氣候、どうかおからだお大切になさってくださいね。

またお会いできる日を楽しみにしています。

みなさまにもいいこといっぱいありますように!