毎日がしあわせ日和

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分離から統合へと向かう道筋② ~ 二項対立を超えた新しいあり方

2022年09月02日 09時46分37秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
前回の続き。

私たちの世界の大きな特徴である 「二項対立」 とは、そもそもは 「どんな物事にも相反する二つの性質が存在する」 ということに過ぎず、それがすぐ争いや分断に直結するわけではないのですが、 実際は 毛色の違う人を仲間はずれにしたり ちょっとした意見の対立がバッシングに発展したりと、自分と異なる波長を持つ人に ついつい反感や敵愾心を抱いてしまうことが多いようです。

それだけ自身の境遇に不平不満を感じて 苛立ちを募らせている人が多いのでしょう。

その苛立ちの矛先を他者に向けると争いが起き、それが昂じればやがては紛争や戦争にまで発展してしまうんですね。




他者に反発したり恨んだり憎んだりしているあいだ、私たちの意識は ずっと相手に貼りついたままです。

相手をどうやっつけよう、どう言い負かそうと考え抜き、向こうの出方を予測し 策を練る、その間中私たちの意識は相手のことで一杯で、肝心の自分自身の氣持ちや望みについてはすっかり後回し。

これは他人軸の生き方、相手次第で自分の人生が決まる、相手に主導権を預けてしまう生き方です。

貴秋は、親 または親を思い起こさせる人を相手に、えんえん半世紀以上これを続けていましたが、どれほど相手を責めようと否定しようと 心満たされることはありませんでした。

が、感覚フォーカスにいそしむようになって、「いまの一番」 という意識が育ち始めたとき、それまでずっと他者をどうしてくれようとばかり思い詰めていたのが、もうそんなことどうでもいい、それよりもいま自分が一番したいこと ・ 一番楽しいことに目を向ける方がずっといいと思うようになり、ようやっと軸を自分に戻して自分優先で生きられるようになって、そこで初めて真の安らぎや充足を得ることができました。




この 「いまの一番」 を基準にしたありようこそ、際限なく争いを生み続ける二項対立意識を超えてゆく新しい意識そのものです。

「いまの一番」 は つねにベスト一択であり、決めるのは自分以外にありませんから、迷うことも他者の意向を氣にかけることもなく、人と比べる必要も競ったり争ったりする必要も感じません。

人がどう言おうが 自分が一番と決めたものこそ自分にとっての最高、選んで実行して 満足すれば そこで完結だし、イマイチだったら選び直すだけです。

他者が自分と違う選択をしても、あなたはそれがいいのね、私はこっちを選ぶわ、めいめい自分の好きにしましょう、ということで、対立が起きません。

自分の選択も他者の選択も尊重しつつ 我が道をゆく、それが自分軸の生き方というもの。

いつも一番いいものを得られるし、不都合が起きてもいくらでも選び直せるとわかっていますから、つねに安心して満ち足りていい氣分でいられる、そんな人が他者を攻撃したり不幸に陥れたり持っているものを奪ったりしたいなどと どうして思うでしょう。

私たちが不安や不満を抱えて生きなければならないのは、そう生きるしかないと思い込んでいるから。

いくら望んでも得られないものはたくさんある、望みをすべて叶えるなんて夢物語でしかないと思い込んでいるから。

この世界で食べて生き延びてゆくためには、長いものに巻かれるか断固戦うかの二択しかないと思い込んでいるから。

こういった先祖代々受け継がれ強化されてきた思い込みをすべて外してしまえば、分断や争いを超えて 誰もが思いのままに生きられる新しい境地が開けます。




これまでずっと 「二項対立」 を 敵対する二極として語ってきましたが、この真反対で相容れないと思われていた二極も、実は同じひとつのものの程度の差でしかないんですね。

「高低」 は 高さというものの程度の違いに過ぎないし、「寒暖」 は氣温というものの程度の違いに過ぎない。

そして 黒と白のあいだに濃淡さまざまな無限のグレーゾーンがあるように、両極のあいだには 人の数だけさまざまな無数の線引きがあるわけです。

私たちが 自分と異なるものを敵視し、その違いにこだわっているあいだは 両端の二極しか見えていなかったのが、比較という意識抜きで いま一番好ましく思える一点のみを探すようになると、二極の隔たりはたいした問題ではなくなり、その間に無数の選択肢が見えてくる。

夏の暑い日に プールに浸かってキンキンのかき氷を堪能したっていいし、冷房の効いたカフェで熱い紅茶を楽しんだっていい、体調万全なら大汗かいて大好きなスポーツでも園芸でもOK、ひたすら昼寝もまたよし、楽しみ方が違っても それぞれが笑顔でハッピーでいられるならそれでいいのであって、いちいち趣味の違いをあげつらう必要も対立する必要もないわけです。

私たちの意識から 後付けで入り込んでいたネガを取り去ると、フラストレーションが消えて自由に選択する力が戻り、「対立する二極」 という意識が薄れるのと入れ替わりに、それまで隠れていた私たちの幸せを妨げる真の問題が 浮かび上がってきます。

そしてそれに力を与えていたのが 私たちの 「自分には力がない、力のある者に任せるしかない」 という思い込みだったことにも氣づかされます。

こうなったとき初めて、「従属するのでも戦うのでもなく、戦いそのものから降りる」 という選択肢が姿を現すのです。

自分を幸せにしないものは 選ばなければいいだけ、望まないものを押しつけてくる人をいちいち相手にせずとも、自分の望むものだけ見ればいい、つかみ取ればいいという新しい意識、新しい生き方の誕生です。







。。。とここで、「いくら縛りを解いて自由になれても、そんなふうにめいめいが好き勝手に生きていたら ますます世の中が混乱するのでは?」 という疑問が湧くかもしれませんね。

その点については次回。