毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

映画 「A GHOST STORY」 ~ いつかその日、この生に未練を残さぬために

2023年04月22日 16時20分20秒 | 大好きな本・映画・ほか
貴秋がちょくちょくお世話になっていた動画配信サービス 「GYAO!」 が、この3月末で終了となりました。

まずは、めったに映画館にも行かず テレビもそうは見ない貴秋が 数多くの映画と巡り会う機会を頂いたことに感謝を。。。GYAO!さん、ありがとうございました。

で、そのGYAO!さんから最後にもらったプレゼントが、きょうお話しする 「A GHOST STORY ~ ア・ゴースト・ストーリー」 。

この先映画の内容について 私見を交え詳しく語っておりますので、ストーリーを知りたくない方、貴秋の私見に興味はないという方は、ごめんなさい、ここまでで。











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以下ネタバレご注意


ホラーカテゴリーに入っていたこの映画ですが、ホラーテイストはまったくといっていいほどありません。

むしろヒューマンドラマに入れたいぐらいなのですが、そうならないのは 主人公が人ではなくゴーストだから。

ときおり意見の相違はあっても仲睦まじい若夫婦、その穏やかな日々は 夫の突然の交通事故死で終わりを告げ、病院のベッドにシーツをかぶせられ横たわっていた彼の遺体が シーツごとむっくり身を起こしたところから、ゴーストの物語が始まります。

目のまわりがくり抜かれたシーツをかぶったままの姿で院内をさまよう彼の前に 突然強い光が射し、入り口 (おそらくあの世への) のようなものが開かれますが、ゴーストは入ろうとせず、何か心残りがあってこの世に留まったらしいことが示唆されます。

生者の目には見えない彼は 自宅に戻り、傷心の妻を見守り続けますが、やがて立ち直った妻は家を引っ越し、新生活に踏み出します。

取り残されるゴースト夫、彼は地縛霊なのか、この家? この土地? を離れられないらしい。

彼は、妻が立ち去る前に壁の隙間に押し込んでいったメモを取り出そうとします。

このメモについては、冒頭の夫婦の会話で語られています。

   “ 子どもの頃 引っ越しが多くてね

    メモを書いて、それを小さく折りたたみ 隠した

    そうすれば、いつか戻ったとき 昔の私に会える ”

といっても戻ったことはないのだそうですが、内容は 「その家での生活や楽しかったことなんかを思い出せるちょっとした詩など」 とのこと。

シーツで覆われたままの手で壁を引っ掻き奮闘するゴーストですが、そこへ新しい家族が越してきます。

スペイン系っぽい言葉を話す母親と幼い子ども二人 (この子たちにはゴーストが見えることもあるよう)、彼らの日常風景が坦々と繰り広げられ、ついに我慢できなくなった (らしい) ゴーストは ある夕食時、食器を次々投げつけて割るなどして 一家を恐怖させ 追い出してしまいます。

幽霊屋敷認定され放置されたとおぼしきその家に、ある夜突然現れた浮かれ騒ぐ若者の一団、どうやらいわくつきの家と知った上で 一夜限りのパーティーを開こうと借りたようなのですが、この中の一人が語る 長広舌のせりふ (もともと会話の少ないこの作品で 唯一の長ぜりふ) こそ、この物語の本質をついているように思われます。

貴秋なりに要約すると、

     “ 人は、それぞれ人生で何かを生み出し、愛する人に捧げて 自身の存在の証を残そうとする。

     対象がわずか数人か全世界かに関わらず、自分が消えたあとも覚えていてもらうために。

     だが、あとの世代だっていずれは死ぬし、地殻変動などで人類のあらかたが滅亡することだってある。

     生き残った誰かが わずかに残った名画や名曲に力づけられ、復興を成し遂げるかもしれない。

     過去の名作からインスピレーションを得て 新たな名作を生み出すかもしれない。

     が、それもまたいつかは人類や地球の滅亡と共に 消えてなくなる。

     すべての存在は、現れ 栄え 衰退し 滅ぶことの繰り返し。

     自分の記憶を後世まで刻みつけようなどというのは、無意味なあがきに過ぎない ”




さて、家は再びボロボロの空き家となり、ゴーストは相変わらずメモを取り出そうと頑張っていますが、あと少しというところで 重機が壁を突き破り、取り壊された家の跡地に建ったのは高層のオフィスビル。

ビル内をさまよい歩いたあげく 高層階のテラスから身を投げたゴースト、氣づくと時は遡って そこは何もない原っぱ、開拓者のような男が杭を打っています。

家族とともに幌馬車でやって来た男は そこに家を建てようとしますが、続く場面に映るのは、矢で射られて息絶えた男と幼い娘の姿。

遺骸はやがて朽ち果て、ゴーストは再びあの家に戻っています。

そこに不動産屋に連れられてやってきたのは、なんと在りし日の彼と妻。

そして日が経ち、越してきたはいいが この家があまり氣に入っていない妻と煮え切らない夫の会話、自分の望みがわからないままここに留まりたがる夫、ついに彼が心を決め 「引っ越そう」 と妻に告げた その矢先にあの事故が起こったことが、ここで明かされます。

去って行く妻、窓から見送る夫の新ゴースト、両者を背後から見つめる旧ゴースト。

汚れでくすんだシーツをまとった旧ゴーストは、壁に向き直り またもやあのメモを取り出そうとする、ついに出てきた紙片を広げて読んだ彼は次の瞬間消え失せ、シーツがふわりと床に落ちてエンディングとなります。




見終わった貴秋の心に強く残ったのは、この形ある世界で人生の物語を紡いでゆけることの素晴らしさ、ありがたさ。

新しい暮らしに踏み出そうと心に決めた夫は、その決心を果たせぬまま命を落とし、彼の物語はそこで断ち切られます。

残された妻は 引っ越して、彼女の物語は新たな章へと続いてゆくけれど、夫は共に歩むことができない、彼の物語はすでに終わりを告げ、いまの彼は誰にも見えないゴーストとして 他者の物語をただ傍観するしかないのだから。

ゴーストの心情は一切語られませんが、ゴーストの視点から物語を追う私たち観客は、その無念さや寂しさ、空しさなどを我が事として味わうことになります。

えんえんと見せつけられる縁もゆかりもない他者の暮らし、ついには元の家の面影すらなくなったオフィスビルから身を投げるゴースト、でもすでに亡くなっている彼は 死をもって眼前に繰り広げられる無意味な光景から逃れることもできない。

彼の解放は あのメモを読むことで昇天できたためでしょうが、ではメモにはいったい何が書かれていたのか。

映画では一切明かされていないので 想像するしかありませんが、自分の生の物語が心の準備もないまま突然終わってしまった事実を受け入れられなかった彼が 「それでも自分の人生には意味があったんだ」 と思えるような何か、これをもって自身の物語は完結したのだと腑に落ちるような何か。。。だったのではないかと、貴秋は思っています。

あのパーティーの若者に 「生きた証を形として残そうとするのは無意味」 だと突きつけられたゴースト、その彼にようやく未練や執着を断ち切らせた妻の言葉は、冒頭で 「その家での生活や楽しかったことなんかを思い出せるもの」 と語られていることから、きっと優しさ暖かさに溢れ 彼の空虚な想いを満たしたのでしょう。

映画を通して この世に想いを残したゴーストの心情を疑似体験させてもらった貴秋ですが、考えてみれば 自分だってこういう形で人生を奪われない保証はないのですね。

後に遺された品々は 貴秋を知らない先の世代にはなんの意味もないもの、思い出に関係なく誰かの役に立ちそうな物だって いずれは古びて朽ちてゆくし、よしんば後世に残るような芸術作品を生み出せたとしても それとて永遠に存在するわけではない。

そもそも形を持たない意識体の私たちが わざわざ望んで肉体を得てこの世界にやって来たのは 「体験するため」 であり、からだを脱ぎ捨て彼岸に渡るときに意味を持つのは 「体験の記憶」 だけ。

ならば いつ何時終止符が打たれても悔いが残らぬよう、形ある今しかできないことに存分に打ち込もう、自身の本心に耳を傾け したいことをどんどんして 物語を盛り上げよう、目の前の人との縁を大切にしよう、他者の目など氣にしている場合ではない、自分を満たすことに全力を尽くそう。。。。見終わって 心からそう思ったのでした。




最終日までに4~5回繰り返して見たこの 「A GHOST STORY」、いまも不思議な余韻を残しています。

予告編のリンクを貼っておきますので、よろしければ。

今回も長文をお読み下さり、ありがとうございました。