毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

映画 「ハンガー ・ ゲーム」 その2 ~ 惑わす希望

2019年03月01日 13時25分12秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


「ハンガー ・ ゲーム」 第1作に、パネム大統領スノーのこのようなセリフがあります。


 “ (みせしめである) ハンガー ・ ゲームに なぜ勝者がいる?

   萎縮させるだけなら、毎年24人 (ゲーム参加者の総数) を処刑すれば済むこと。

   希望を持たせるためだ、小さな希望を。

   大きな希望は危険だが、小さな火花なら・・・・封じてる限りはな ”


恐怖ばかりを与え続ければ 反発や抵抗も膨らむ一方だが、小さな希望を紛れ込ませればガス抜きになり、統治者に都合のよいバランスを保てる、ということのようです。

だからゲームの過酷さとは対照的に、さいごまで勝ち残った者には 豊かな暮らしや一生の安泰が約束される。。。。少なくとも表向きはそういうことになっていました (第3作の過去の勝者フィニックの告発で、それすらも実はウソだったことが明らかになりますが) 。

希望が大きくなり過ぎるのも危険だというスノーの見抜き方は いかにも権力側のトップらしく正確で、実際ゲーム中に期せずしてカットニスがもたらした大きな希望は その後の反乱への引き金となります。




このスノーのセリフに、感覚フォーカスで戦いへの執着を手放す際にさんざんてこずった記憶がよみがえりました。

戦いから下りようとする貴秋を引き止め抵抗し続けたものは 戦って勝ちたい欲求でしたが、それを支えていたものこそ 「いつかは勝てる、勝者側に回れる」 という希望であり、勝つまではやめるものかという執念だったからです。

希望がまったくなければ早々に諦めていたでしょうし、大きければ全力で戦いにのめり込んで その空しさにもっと早く氣づけたかもしれない。

ほどほどに小さく しかも魅力的な希望だったからこそ、「戦うのはやめよう」 「いいや一度でも勝つまではやめるものか」 の綱引きが拮抗し長引いたのだと思います。




何かを成し遂げるのに、希望は大切です。

希望の灯を頼りに倦まずたゆまず進むことで、望みが叶ったり 思いも寄らない世界が開けたりします。

が、誤った希望は惑わし灯ともなります。

つねに自分のほんとうの望みは何なのかを確かめるとともに 内なる答えのかすかなささやきに日ごろから慣れておくことで、道を大きくそれずに進むのが容易になります。

また どんな権威の言葉も声高な主張も派手な煽動も、言葉そのもの以上に その根っこにどんな思いや意図があるのか 絶えず目を注ぐことも大切だと思います。