毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

見えてきた

2014年01月29日 21時21分26秒 | ふと思うこと


うわ~、氣がつけば元旦以来一回も更新してない


それにしても1月、なんという盛り沢山な月なんでしょう。。。って 例のごとく内面の話ですが(^_^;)


「今年はガンガン飛ばしていきますよ~」って天から言われているような。





母が生きている頃から思ってたんだけど、実家っていうのは、“作られたストーリー” つまり幼少期からの誤った思い込みをことさら意識しやすい場なのかもしれません。

なにせ、良きにつけ悪しきにつけ 思い込みの土台作りを手伝ってくれた本家本元(早い話が親)のいるところですから


他の人だとさらりと流せることに、なぜか親が相手だと引っかかってしまい、そこから自分の中に深く沈んでいた思い込みのストーリーを見つけて 誤解を解く機会をもらう。

母のドラマをほぼ終えて、最近は父のほうにかかっているわけですが、このお正月の滞在では ことさら大きな発見があったような。


当初の予定よりだいぶ長くいさせてもらうことになり、ようやく月半ばに帰ろうとしたら、いつもの帰路が土砂崩れで全面通行止めになっていることが判明、折悪しく長期の寒波到来とぶつかったこともあって、帰宅がさらに延びてしまいました。

年末からの波乱の展開、まだ続いてる?(^◇^;)


余分に足止めされた理由は、帰宅のまさに前日にわかりました。

身内も読みにきてくれるこのブログに 細々と内容を書くことはできませんが、これまでいくつも見つけてきた思い込みの さらに土台となる大元の思い込み。

不意打ちのフラッシュバックにいっとき大泣きしてしまったけど、そのあとの清々しい解放感といったら。

信じられないような大物を釣り上げた氣分。


そして翌朝、件の土砂崩れ箇所が片側通行可能になったと知り、タイミングを合わせたように氣温も上がって、行きに積雪で動けなくなったあの峠もどうにか越えて、無事家に帰り着くことができたのです(^^)


「危ないときに無理して帰ることないから」と快く長期滞在を許してくれたお父さん、どうもありがとう♪




父と母、それぞれにまつわる“作られたストーリー”の原点ともいうべきところをしかと確認して、これでもう大丈夫、と数日浮き浮き過ごしたのですが。

甘かった(笑)

ここまで徹底的に自分のドラマを見定めたつもりでも、やはりスイッチが入れば またもや毎度おなじみの恐れが上がってくることを思い知らされたときは 大ショックでした。

上がり間近で振り出しに戻されたような氣がして。

でもじきにわかってきました、同じ反応のようで 実は同じではないのだと。



先にわかった 負の思い込みの原点というのは、自分に対する無価値感でした。

ほとんどすべてといっていい恐れや痛みの元に この無価値感があるとは、ずっと以前から聞いていたことですが、自分の身に置き換えると どうもぴんとこなかったのです。

たしかに劣等感や自信のなさはあるけれど、無価値とまで思っているようには見えないがなぁ、と。

しかし、親との間で何が起きていたのか、からずっと奥までたどっていったそこには、まぎれもない無価値感が横たわっていました。

自分をここまで無力・無能に見ていたのか、そんな自分をここまで愛せず認められずにいたのか。。。お腹の底から思い知らされました。

と同時に、それが幼い自分の目から見た 偏った世界観を基に刷り込まれていたこともはっきりとわかり、もうそんな思いを抱えて生きることはないのだということも 深く納得でき、しかも 痛みが立ち退いたあとには 真反対といっていいような明るく満ち足りた思いが湧き起こってきたのです。


そして、この体験後に再現された恐れのドラマは、ひとしきり暴れたあと ひょいっと姿を消し、そのあとにあの至福感が取って代わるようになったのです。

これまでのように ただ消えるだけではなしに。

後付けの幻の反応が消えたあとに、本来の自分の存在がひときわはっきり確認できるようになった、ということでしょうか。



それでもなお、天国と地獄の乱高下のような状態が続くのには かなり辟易させられましたが、その理由もなんとなくわかってきました。

これは 新しいクセ付けなのだと。

過去に引き戻されては また現在に戻る、何度引き戻されても諦めずに今・ここに帰ってくる、これを繰り返すことで、これまでいともたやすくネガに引っ張られるようになっていた思考のクセを、本来の安らかな自分に向かう流れに切り替わるように クセを付け直しているんですね。

繰り返せば繰り返すほど、ネガ → 今・ここの安らぎ という流れが太くなってくるのですから。



さらに。

以前にも書いたかもしれませんが、ネガへの揺り戻しは、より大きなジャンプに向けての助走のための後退という意味もあるようです。

ネガにさんざん振り回されると、そのあとに前より大きな安心感・解放感がやってくるようになったからです。



それまでは、負の感情が消えても そのあとの着地点は見いだせないままだったのが、自分の無価値感をしっかり把握できたことで、過去のドラマに取って代わるものが はっきりと姿を現し、定着し始めたようです。



こういった動きが次から次へと起こったこの1月、つくづく濃い時間だったなぁ( ̄ー ̄;)ゞ

振り返ると、元日が はるか彼方に思えるよう。。。実際その時間の中にいたときは、時の経つのがやたら速く感じられたのに。。。

なんだか不思議な心持ちです。




















明けましておめでとうございます

2014年01月01日 06時33分33秒 | ふと思うこと


2014年。

明けましておめでとうございます。

いつもいらしてくださる皆さま、昨年も拙いブログをお読みいただき ありがとうございました m(__)m

本年も どうかよろしくお願い申し上げます。





今年も実家でのお正月。

天候の関係で 予定を一日早めて12月27日にこちらに来ました。

当日はなぜか朝からハプニング続きで 出発時間が大幅に遅れたあげく、峠越えの際 急な積雪に トンネルを出たところで身動きが取れなくなり、JAFに救出していただいたのがクライマックス(^◇^;)

ほんのちょっと下までは雨だったので、一番氣温の低い峠のてっぺんさえ越えてしまえば大丈夫、と 少しずつ雪が積もり出している道路を ノーマルタイヤのまま強引に進んでしまった私の判断ミス。

思いがけず急な積もりっぷりに、他にも立ち往生した大型車などがあったようで、一時は完全に道が渋滞して、1時間で来てくれるはずのJAFさんも 到着まであと1分というところで止められてしまい、そこからさらに1時間待ち。

私の思いが私の世界を創る。。。って、いったいぜんたいどんな思いを持ってたんだ自分(笑)



しかし、今となって心に残っているのは、ああいう際の 人の心の暖かさや連帯感。

軽く滑って 対向車線にはみ出し氣味に止まっている私の車を 路肩の安全な場所まで押してくださった 軽トラのおじさん。

1時間待つのなら、と 歩いてトンネルを引き返し 近くの道の駅までお手洗いを借りに行こうとしている私を「危ないから」とパトカーに乗せて送ってくださったお巡りさん。

渋滞でさんざん待たされたあげく、寒い中 たったお二人で鮮やかな手際で私の車をトラックに積み、雪のないところまで運んで下さったJAFの方。

携帯の充電が切れかけているのに JAFの連絡先が見つけられず、とっさに助けを求めた私のために、仕事を中断してJAFに救援要請してくれた父と事務所の方々。

心細い状況で いろいろな方に助けていただき、ありがたさが身に沁みました。

私も 訳もわからず渋滞にはまってしまった他の車の方々に 自分が目にしたりお巡りさんから教えてもらったりした現況をお伝えして、ささやかなご恩返し。

結局4時ごろに実家に着くはずが、晩の8時過ぎの到着となりました



その後実家でも なにかとハプニング続きで まるで予定通りに事が進まぬままの年越し準備となりましたが、むしろ「予定通りに進めたい、コントロールしたい」という執着を手放す機会を与えてもらったような心持ち。

例年ならふっくらと煮えるはずの黒豆を、レシピ本を忘れてきてしまったため いつもと違うレシピをネットで見つけて試したら どうもうまくいかず、少ししわがよって固くなってしまったときは さすがに口惜しかったけど、そこではっと氣がついたのです。

「黒豆がうまく作れる」という評価を存在の拠り所にしている 自分の意識に。

そう、うまくいくこともあれば いかないこともある。

それは 中立の事実。

そして、私という存在は、そういう外側の出来事とは関係なく 常に完璧。

そこに評価という物差しをわざわざ持ち込んで、エネルギーを落とすことはないのだと。



きのう大晦日は、もう計画すること自体を忘れてしまったような心境で、余計なことはまるで思い浮かばず、ただひたすら目の前に現れる作業を淡々とこなすのみ。

「こういうふうに進めたい」という欲がないと、こうまで余分な力が抜けるものなのか、と 物心ついて以来初めての体験でした。

また、結果にも執着しないから、何が起こっても「よかよか」(^^)

ミートローフの焼き型が見つからなくても、お節作り初参加の父と導線がこんがらかっても、年越し蕎麦の準備が遅れて「年越しちゃった蕎麦」になっても、ぜ~んぶ「よかよか」♪

以前だったら、こういうひとつひとつがイライラの種になって、すごいストレス溜め込んでいたのにね



こういったすべて、私が意識して起こしたわけではなく、向こうから自然に起こってきて、ハタと氣づいてなんとか対応できた、という感じ。

2013年さいごのさいごで、貴重なレッスンを授けてもらった氣がします



そして、2014年は どんな年にしていこうかなぁ

今年もまた、真新しいぴかぴかの一年が目の前に広がる スタートのときを迎えています。

この真っ白なひとときひとときが これからどんなふうに書き込まれ 塗り替えられていくのでしょう。

希望に胸が高鳴る 元日の朝。

充実の船出です