毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

リアル版 “灰色の男たち” のウソを見破れ! ほんとうの人生を取り戻すために

2023年12月27日 13時12分41秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
“ネガ観念一掃セール” はまだすっかり終わったわけではないけれど、一掃とまではいかずとも かなりの収穫がありました。

それについては 別の機会にゆっくりお話しさせていただくとして、きょうはまたまたショーゲンさんのお話を。




ある日、近所に住むザイちゃんという3歳の女の子が、お父さんに 「流れ星を捕まえに行きたい」 と言ったのだそうです。

いまこれをお読み下さっているあなただったらどうなさいますか?

タンザニアのブンジュ村の大人たちというのは、こういうとき100%の確率で 一緒に流れ星を捕まえに行くのだそうです。

ザイちゃんのお父さんも ザイちゃんと共に出かけて1時間半後に戻ってきましたが、汗だくで脚には切り傷という姿で 「ショーゲン、きょうは見つからなかった、きょうは見つからなかったんだ」 とひどく悔しげで、そのあともザイちゃんと 場所が違ったのかな? などと話し合っていたそうな。

ショーゲンさんは この感覚は自分にはないわーと思いつつ見ていたそうですが、さらに次の日、今度はザイちゃんのお父さんとそのお友達のお父さん、40代の男性二人で 子どもたちのために流れ星を捕まえてやろうと出かける場面に出くわすんですね。

で さすがにこれは止めねばと、流れ星は捕まえられないからと二人に言ったのですが、返ってきた答えは 「お前は流れ星を捕まえようとしたことがあってそう言ってるのか?星が流れているところは捕まえられなくても、どこかに落ちているかもしれないだろう?そこに対してお前にはロマンとか夢はないのか?」

さらに続けて二人はこうも言ったそうです。

「ショーゲンを見ていると、無駄を省いて効率よく生きようとしているけれども、無駄だとかバカバカしいとか言われることの中に幸せっていうものがあるのにもったいないな。
人が生きるっていうことを効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ死ねばいい。
人っていうのは、いかに無駄な時間を楽しむのかっていうテーマで生きているだろう?
ショーゲンが肩書きを外したときの自分の心の中のほんとうの喜びって何だった?幸せって何だった?
小さいとき 自分は何がうれしくて、何に感動していて、何にワクワクしていた?
もう一回その自分の心の中のほんとうの声に耳を傾けてあげないといけないのでは?それできてる?
っていうか、そういう声がけとか投げかけって 自分の親から言われなかった?日本人でしょ?」




。。。。。。。。。。。。なんかもうため息しか出ないなぁ。

子どものころから当たり前のように仕込まれてきた 「無駄なく効率よく」 の号令の中で、ゆとりも潤いも失って カラカラに干からびた心のまま 何十年も過ごしてしまった貴秋には、つくづく耳の痛い話です。

いまの貴秋の暮らしは 社会的な意味での “生産性” はかけらもなく、無駄だの効率だのをそこまで突き詰める必要もないのですが、それでもかつての思考癖が随所に顔を出します。

食後に洗い物をして、さて拭いた食器をしまおうなんていうちょっとした場面でも、ふと氣づくと 「どういう組み合わせで運んだら、流しと食器棚の往復を最小回数で済ませられるか」 なんて考えてたりする。

いったい誰のため ・ 何のための省エネ省時間だというのでしょうね。




この話から連想したのは、ミヒャエル・エンデの 「モモ」。

灰色の男たちの口車に乗せられて 時間を節約すれば のちのち豊かに幸せになれると思い込んだ人々、でも彼らの暮らしは 日に日にせわしなく味氣なくなり、みな険しい顔つきで せかせかイライラ働くようになって、大切なはずの家族や友達とも遠ざかり、子どもたちと共に過ごす時間もなくなって 代わりに高価なおもちゃをあてがうようになる。

そして彼らが貯蓄しているはずの時間は、実は灰色の男たちにまんまとだまし取られてしまっていたのです。

エンデ氏は 子安美知子著 「エンデと語る」 という対談集の中で、「これは単に 『みなさんもっと休みをとって楽しく暮らしましょう』 と勧めるために書かれただけの本ではない」 という趣旨のことを語っておられますが、まったくそのとおり、ファンタジーの体裁をとってはいますが、「モモ」 で描かれているのは、まぎれもなく現在の私たちの暮らしぶり・ 私たちのあり方そのものなのです。




では、私たちはどうしてうまうまとしてやられてしまったのか、そして 現実世界における “灰色の男たち” とはいったい何者なのか。

その答えは、私たちが自身の内のバグに氣づいて向き合い、長年かけられていた催眠を解いたときに おのずとわかります。

形なき魂である私たちが 肉体という形を得てこの世界にやってきたのは、体験というものをしたかったからであり、それはまさにザイちゃんのお父さんの言うとおり、効率第一の価値観から見れば 無駄だとかバカバカしいとか言われるようなことの中にある幸せをどれほどたくさん見つけられるかということと重なっているんですね。

物質的な富は幸せの実現に一役かうこともありますが、それがあれば必ず幸せになれるというものでもない。

私たちがいまの姿形を脱ぎ捨てて彼岸に渡るときに持って行けるのは 「体験の記憶」 だけ、物やお金をどれほど溜め込んでも、それらはすべて置いていくしかないのです。

いまの貴秋が何よりも大切にしているのは、多彩でバラエティ豊かな体験を 記憶の袋の中にひとつでも多く詰め込むこと。

そう思えば、ネガティブな体験さえ宝物になります。

そしていつかこの世とお別れするとき、サンタさんのような大袋を背負って 「ああ楽しかったぁ~」 と満足して笑顔で旅立つことが、貴秋のこの生での最終目標なのです。









   ※本日のショーゲンさん関連お勧め動画:「全ての日本人は見てください。
                      「アフリカの長老が明かす〝大変革の日〟が衝撃すぎる。この動画は絶対に見てください。」 

      貴秋が大好きな「TOLAND VLOG」のサムさん ・ マサキさんとショーゲンさん ・ 紹介者のひすいこたろうさんの対談動画。
      どちらも30分弱、二つ目の方に ザイちゃんのお父さんのエピソードが入っています。










この師走の忙しいときにキツイけど、でも顔晴る!

2023年12月18日 12時32分21秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
きょうはショーゲンさんのお話ではなく、ちょこっと近況を。

ショーゲンさん情報を楽しみにしておられる方がいらっしゃったらごめんなさい。

まだまだすごいお話がたくさんありますから、そちらもなるべく早く書きますね。。。一刻も早く 一人でも多くの方に知っていただきたいお話ばかりなので。




4日後の22日は、冬至。

それはわかっていたんですが、すっかり忘れていました、この日が 「陰極まりて陽に転ず」 の日だということを。

実は 12月に入るか入らないかぐらいから、貴秋の中のネガ観念一掃セールとでもいうようなものが始まりまして。

さすがに 奈落の底に突き落とされるとか 全身の力が抜けるとかいうような過酷なものはありませんが、それでもけっこう真剣に時間をかけて取り組まなければならないようなのが 次から次へと。

まあなんとなく冬至と年明けまでの手放しを急ピッチで求められている氣はしたので、意識して向き合い続けていましたが、よりによってなんで一年で一番家仕事が忙しくなるこの時期に。。。。とゲンナリもしていました。

でも 氣づいてみればそれもそのはず、いまは冬至直前の陰の極大期なんですものね。

意識が内に向かい、押し込めていたものが表に出てくる、そんなエネルギーの流れにぴったり合わせて 真我さんが 「さあがんばって、馬力上げていこー!!」 と背を押したとすれば、これはよほど大切なことに違いありません。

貴秋のお勧め動画欄には 相変わらず20○○年になにやらビッグイベントが・・・的なタイトルがバンバン上がっていますが、具体的な時期はともかく そう遠からず何か大きなことが起こるだろうなぐらいのことは、未来透視能力など持ってない貴秋にだってわかりますもの。

「行き」 から 「かえり」 への転換点はとうに過ぎたというのに、私たちの世界では相変わらず愛よりお金が幅を利かせ、心の美しさよりも高地位高収入が尊ばれ、飢えたり傷ついたりする人が増えるばかりの現状を尻目に 高層ビルが次々建てられ、戦争で多くの人が亡くなるすぐ横で オリンピックやら万博やらに巨額の資金をつぎ込む流れは少しも止まらない。

それを私たち人間が止められないなら、あとは一直線に滅びへと向かうか、人智を超えた巨大な力が 私たちの愚かしさの象徴である虚飾と偽りの世界を打ち壊すのを為す術なく見守るかのどちらかしかないでしょう。

その一撃が 滅びを食い止めるためのせめてもの救いの手なのだとすれば、どれほど多くの犠牲が出ようと 恨むことも責めることもできない。

そんな最悪の事態を免れたいなら、一人でも多くの人間が少しでも早く目を覚まし、これまでの間違いに氣づいて 人本来のありように戻る、この一択しかありません。

だからこそ、「わかってるんだったら まず自分の負をとことん終わらせるところからやりなさーい」 と言われてるんですね (^^ゞ

2025年の誕生日プレゼントもかかってますしね、これはもうやるっきゃない。




負の手放しは 根氣と忍耐のいる作業ですが、自分の意識が変われば 自分に見えるものが変わり、自分の世界も変わります。

戦争を起こすヤツ、富を独り占めするヤツを見つけ出してこらしめてやろうなんて考える必要はありません。

外に見えている世界は 自身の内面の投影であり、世界の不幸のタネは 自身の意識の中に潜んでいるのですから。

負の手放しにうってつけのこの時期を有効活用することで、来る未来はきっと明るいものになる、ブンジュ村のシャーマンや村長さんが言われたように 誰もが豊かな心で幸せに暮らせる世界が必ず実現すると思って、いましばらく集中感覚フォーカスに励みます。



・・・・・・・大掃除にももっと時間使いたいんですけどね













“自分ファースト” ノススメ ~ まず自分の心を満たすことが まわりを癒やし 世界を救う

2023年12月12日 10時48分59秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
ペンキ画家のショーゲンさんと縄文スピリットに溢れるブンジュ村の人々のお話、第三弾。

いえ、シリーズものにするつもりはないです (笑)

ただ、ショーゲンさんの動画を見ておられない方にも ぜひとも知っていただきたいなぁと思う話がたくさんあって。

きょうは、とりわけ貴秋の心に刺さったエピソードを。




タンザニアのブンジュ村に絵を学びに行ったのに、絵以上に人として 日本人としての本来のありようを学ぶことになったショーゲンさん。

ある日 こんなことを言われたそうです。

「ショーゲンを見ているとヒヤヒヤする。

 自分を置いてけぼりにする瞬間を よく見るよ。

 困っている人を見つけたら 今すぐ駆けつけて助けてあげたい、っていう優しい氣持ちはすごいね。

 でもね、世界中の人の心の中には “喜びのグラス” というのがあるんだよ。

 その “喜びのグラス” が 水で満たされて一杯になって溢れた、その溢れた分で 人に愛を注いだらいいのに、

 今のショーゲンのグラスの中の水は すり減って枯渇している。

 この世の中のすべてのトラブルは、この水がすり減っている人たちが 誰かに何かをやってあげようとしたときに起きるんだよ。

 あなたの周りに幸せにしたい大切な人がいるのであれば、まずは自分の心を喜びで満たそうね。

 それを本来あなたたちはできていたでしょう?」




衝撃でしたね。

まさにドンピシャ、自分の身に起きたことだったから。

貴秋の 「世話焼き母さん」 とは、その 「水がすり減って枯渇したグラスのまま 人の世話ばかり焼く」 というのを脊髄反射的にやってのけてしまう 厄介なバグだったのです。

いつも 「こんなにがんばって人のために尽くしてるはずなのに、少しも満足できない、報われた氣がしない」 と感じていた当時の自分のありようを言い当てられた氣分。

ずっとセルフイメージが低く自信が持てなかったのも納得、「よかれと思ってやっているのに 望む結果とまるで結びつかない」 なんて体験ばかり積み重ねていれば、誰だってそうなるでしょう。

その恨みつらみがどれほど深く大きくどす黒いものかは、目下身をもって体験中です。

「いまの一番」 を問う習慣が身についたおかげで、反射的に動いてしまうクセはかなり直ったし、貴秋の “奉仕” を (無自覚にだが) 当てにする相手にノーと言ったりスルーしたりするのにも慣れてきましたが、長年いいように使われたという恨みは相当根深いようで、当てにされているなと感じた瞬間こみ上げる怒りは、さんざん感覚フォーカスを重ねたいまもなお収まっていません。

実際のところ、原因は他者ではなく 自分の内にあるのですが、それでも 「いいように使われた」 という自作の物語をなかなか払拭できないのです。

これはもうリハビリ中ということで 根氣よくフォーカスを続けるしかないのでしょうが、だからこそ すべてのトラブルの原因がそこにあるという言葉にも 大きくうなずけます。

他者をわっせわっせ世話する陰で ほんとうの自分が私のことも考えて、大事にしてと訴えている、それに氣づかないまま無理を重ねていれば、やがてその矛盾が怒りとなって噴き出すときが来る、自分を粗末にする原因は自身の中にあるのに 怒りをぶつける対象はつねに他者なのですから、トラブルにならないわけがない。

と同時に、枯渇したグラスのまま何十年と過ごしてきた人でも、その怒りや痛みをしっかり味わって解放すれば “自分ファースト” に転向できるというのもわかります。

怒りが残ってはいても、貴秋の心が以前とは比べものにならないほど自由になり、毎日がぐんと楽しくなったのは事実ですから。

しかも、この自由で楽しい毎日は たまたま授かったのではなく 自分の手でつかみ取ったのだというひそかな誇りが加わっていればなおさら、ね。

他者に尽くしては失望を味わうばかりだった人でも、その失望や悲しみや怒りとまっすぐ向き合い手放せば、自分を大切にしよう、まず自分自身から喜ばせようという氣持ちが おのずと湧いてきます。

2025年7月5日までに、ブンジュ村の人々をお手本に 私たちが縄文人のスピリットを取り戻す、いや 取り戻せないまでも 限りなく近づくことは 決して夢じゃないと、貴秋は思っています。

すでに豊かな心で幸せに暮らしている人だってたくさんおられるでしょうし、まだそうじゃないという人だって いまから始めて十分間に合うはず。

物やお金が幅を利かせる世界と 心の豊かさを尊ぶ世界、後者に向かうと心に決める人が増えるだけでも、その分世界はこのままいくよりソフトランディングで事態を収拾でき、縄文時代のような誰もが満ち足りて暮らせる新しいありように近づくことになると思うのです。



      
          ※ショーゲンさんの動画は こちらからどうぞ。














ハッピーバースデー 新 ・ 縄文、ハッピーバースデー 貴秋! となるために

2023年12月05日 18時41分49秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
今回もペンキ画家のショーゲンさんのお話から。

ショーゲンさんの過去動画をメモを取りながら見続けていますが、その中でもたびたび繰り返されるのが、縄文人の教えを代々受け継ぐタンザニア ・ ブンジュ村の人々に 「ショーゲン、お前はほんとうに日本人なのか?」 と驚かれるという話。

ブンジュ村の人々には今もしっかり根付いている 自然と調和した生き方や 喜びに満ちあふれた豊かなありようから、縄文子孫であるはずの私たち日本人がいかに離れてしまったかということですね。

ショーゲンさんも 一時は 「実はインドかイラン ・ イラクの人なのでは」 と疑われていたそうです (笑)

たしかにブンジュ村の方々にはショックだったろうなぁ。。。。遠く離れたタンザニアの自分たちがずっと守ってきた教えを、当の日本人の子孫がすっかり忘れてしまっているなんて。

でも貴秋的には、「行って かえる」 の筋書きに照らせば おおいにありだなと思える流れなのです。

本来のあり方からいったん離れて 再び戻ることで 対比効果が生まれ、縄文の人々の教えの素晴らしさがより深く心に刻まれる、そのための悩み多き旅だったのだと思えば、ね。

しかも、あまりにも離れ過ぎて戻り方がわからず迷子になってしまったときのために、豊かな自然に囲まれ 純真で素直な心を持つアフリカの人々の中に 縄文のスピリットを残しておいてくれるなんて、すご過ぎるではありませんか。

だからこそ、いまの私たちは ショーゲンさんが取り次いでくださるブンジュ村からのメッセージをしっかり受け止め、旅のゴールまで確実にたどり着くことが何より大切なのだという氣がします。




さて、情報量が多過ぎて 何からお話しすればいいかわからないほどですが、ここはやはり一番重要だと思われるところからいきましょうか。

前回の記事で 「いまのこの時代、日本人には果たすべき大事な役目があるようだ」 と書きましたが、実はここにも “2025年7月” が関わってきます。

しかも今回は日付入り、2025年7月5日に 「あること」 が起こるそうで、ショーゲンさんは 村のシャーマンから それまでに日本人が本来の日本人の感性を取り戻す必要があると言われたのだそうです。

そこからはまったく怖がる必要はない、明るい日本の未来が待っているよ、でも お金とか権力とかだけで生きてきた人たちには生きにくい時代になるから、それまでに いかに人と心で愛を持って繋がれるかというところが 重要なカギになるんだ、とね。

この 「あること」 については、歴代のシャーマンたちがずっと言い続けてきたことだそうなので、おそらくは 「かえり」 の道を決定づける何か、もう本質から逸れる道には戻れないよと宣言するような何かが ちょうどそのあたりで起こるように 魂レベルで設定されているのだろうなと 貴秋は想像しています。

そして それが起きるとき、古い意識の枠組みや思い込みを脱ぎ捨てて 新時代に乗り出す準備ができている人がどれぐらいいるかで、新時代の幕開けか人類の滅亡か、またソフトランディングかハードランディングかが決まるのではないかな、とも。

だから、その 「あること」 を無事乗り越えることができれば たしかに間違いなく明るい未来を迎えられるでしょうが、そのためには あと1年と7ヶ月をどう使うかがものずごく重要になってくるはずなんですね。

ショーゲンさんがブンジュ村の人たちにたびたび指摘されたように、いまの日本の私たちも せっかくかえりの道のりにあって 本来のありように戻るよう背を押されていながら、まだまだ古い思い込みを捨て切れずに振り回されていることが多いのですから。

だからこそ、ブンジュ村の方々も ぜひとも縄文人から受け継いだ教えをいまの日本の人々に広めて欲しいとショーゲンさんに頼み込んだのだろうし、ショーゲンさんも全力でその思いに応えるべく活動しておられるのでしょう。

貴秋もそんなショーゲンさんやブンジュ村の方々に心から感謝していますので、微力ながらもショーゲンさんのメッセージに 自身の氣づきや体験を重ね合わせて発信することで、ささやかにお手伝いさせていただければと思っております。




ちなみに、貴秋の誕生月も7月であると前にお話ししましたが、日にちは5日より後なのです。

なので、「新時代の到来をみんなと共に思いっきり祝い、その切り替わりとスタートの目撃者となる」 ことを 2025年の自分への誕生日プレゼントに決めました。

いまだかつてないすっごい誕生日になるだろうなぁ。。。いまから胸が躍ります♪

そのためにも いままで以上に感覚フォーカスにいそしみ、そこから得たものをブログにもどんどんあげていくつもりです。

ほんとうでない自分を手放し 本質である自分が表に出てくれば、必ずや縄文の頃の豊かな心持ちに戻れると確信していますので、滅亡したらどうしようなんて不安は微塵もありません。

さし当たり、来る2024年はこれまでになく活動的な年となりそうな予感、楽しみです!


       ※ショーゲンさんの動画は こちらからどうぞ。














時空を超えて 縄文人の愛と智恵がやってきた ~ ペンキ画家ショーゲンさんのこと

2023年11月20日 23時07分45秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
これまでの分断と格差の世界から より望ましい世界に移行するイメージ作りのために、来る新世界での人のありようとはどんなものか模索する中で 都市伝説系動画にたどり着いたと 前回お話ししました。

通説では 弥生時代あたりから力による支配や貧富の差が生じ始めたと思われるので、着目するのはそれ以前、すなわち縄文時代ということになる。

で、いっとき縄文にまつわる記事やテレビ番組を片っ端から見たのですが、縄文人の暮らしぶりなどは詳しく描かれていても、その暮らしを生み出した彼らの心のありようについて突っ込んで語られることはなく、手がかりとなる情報はほとんど得られませんでした。

まあ 仕方ないですよね。。。手紙や日記などの古文書が残るような時代じゃないのだし。

が、一万年以上ものあいだ平和を守り続けることができた意識というものを想像するのは、戦いや争いの絶えない時代しか知らない貴秋には難しく、それでも 「行って かえる」 の道のりを思えば、私たちが戻るべき原点とは やはりそこであるように思われて諦め切れず、星野道夫さんの描くアラスカ原住民の人々の話や マルロ ・ モーガン著 「ミュータント ・ メッセージ」 のアボリジニの人々の描写など いま持っている情報を手がかりに、目指す世界のイメージを少しでも鮮明なものにしようとするかたわら、動画でのヒント探しも続けていました。




そして、一ヶ月ほど前のこと。

お勧め動画にふと惹かれるタイトルのものがあり、見てみてびっくり。

それは ペンキ画家ショーゲンさんとおっしゃる方のお話動画で、この方は 「ティンガティンガ (6色のエナメルペンキを使い 下描きなしで一氣に描く絵画)」と呼ばれるアフリカ ・ タンザニア発祥のアートを学ぶために、タンザニアのブンジュという村の師匠のお宅に住み込んで 現地の人々と生活を共にしながら一年半暮らされたそうです。

で 村に着いて まずブンジュ村の村長さんのところに挨拶に行ったところ、そこで驚くべき話を聞かされるんですね。

「不思議な話になるが、この村に入った日本人も外国人もショーゲンが初めてだけれども、この村には実は 日本人の文化とか価値観が色濃く反映されているんだ。
120~130年前に生きていた私の祖父は 祈祷や神事を司る村のシャーマンだったが、彼は夢の中で よく日本人と繋がっていて、みんなで幸せに生きていくためにはどうしたらいいのか、自然と共存するとはどういうことなのかなど、生きていく上で大切なすべてのことを教わっていたんだよ」

ショーゲンさんが それはどんな生活をしていた日本人だったの? と訊くと、

「夢に出てきた日本人はね、穴を掘って竪穴式住居に住んでいたそうだ。
その穴の中に入ってしゃがむと、自分の目線がアリンコや大地と同じ高さにくる、そんな人たちから教えてもらったんだよ、と。
そして不思議なことに、その人たちは女性をモチーフにした土器をたくさん作っていた、とも。
彼らは当時の日本列島の地図も描くが、そこに毎回出てくるのは、いまの日本海の部分は大きな湖だったという日本。
その頃の日本は 愛と平和に溢れていて、一万年から一万五千年続いた中で 亡くなった人に (戦いで負った) 刺し傷や切り傷がいっさい見当たらない、そんな時代だったそうだよ」 と。

すごくないですか?

「縄文」 という言葉こそ出てこないけれど、これって間違いなく縄文人の話ですよね。

まず見つかるまいと思っていた情報が、ショーゲンさんという一人の日本人を仲立ちに、なんと時空を超えて 100年以上前のタンザニア ・ ブンジュ村の人々を通じてもたらされるなんて。

そしていまの時代のこのタイミングで、動画や書籍 (ひすいこたろう ・ SHOGEN共著、廣済堂出版 「今日、誰のために生きる?」) となって 多くの人々のあいだに広まっている。

このような情報を求めていた人が多かったのでしょう、ショーゲンさんご自身の動画のみならず さまざまな都市伝説系、スピリチュアル系などといわれるユーチューバーさんとのコラボ動画もいくつも配信されています。




ただ ショーゲンさんは、縄文のスピリットを受け継ぎ その愛と平和の教えを代々忠実に守って暮らしているブンジュ村の人々から たびたびこう訊かれたそうです。

ショーゲン、あなたはほんとうに日本人なの? って。

彼らの知る日本人は 自己愛に溢れ 自己肯定感がものすごく高くて、日常に溢れる小さな喜びを拾い上げるプロだったはずなのに、あなたは心にゆとりがなく、本質に向かえてもいない、いまの日本人はみんなあなたのようなのか? と彼らは焦っていたそうです。

なぜなら、日本人が今一度日本のプライドを取り戻せたときに、世界は最短ルートで精神的に豊かな未来に向かえるということを ずっと言われ続けてきたから。

どうもいまのこの時代、日本人には果たすべき大事な役目があるようなんですね。

なのでショーゲンさんは、ブンジュ村に伝わる縄文人のメッセージを 一人でも多くの日本の人たちに伝える役目を託されて帰国され、以来出会う人出会う人に片っ端からご自身の体験を話してこられ、また動画や書籍を通じても伝え続けておられるそうです。




貴秋も ショーゲンさんの過去動画を順々にメモを取りながら見せていただいていますが、ずっと欠けたままだった重要なパズルのピースを与えられた氣分です。

消化にはまだ時間がかかりそうですが、いまの時点でひとつ言えるのは、本来の自分でない要素をこつこつ手放してゆくことで、すっかり忘れたように見える縄文人の心豊かなありように おのずとかえってゆけそうだ、ということ。

かえりの道のりが ますます楽しくなってきた貴秋、この先も ショーゲンさんのお話をたびたび取り上げさせていただくことになりそうです。




ショーゲンさんの動画一覧は こちらから。

よろしければ ぜひご覧ください。

今回も長文をお読みいただきありがとうございました。
















“神が未来を見せてくれるのは、結末を変えるチャンスがあるときだけ”

2023年11月13日 11時36分46秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
念のために申し上げれば、貴秋が 「毎日を楽しく安らかに生きられるようになった」 といっても、バグをすべて一掃し バグの影響をまったく受けずに生きられるようになったということではありません。

ネガのフラッシュバックは相変わらずだし、「ムッ」 とか 「カッ」 とか 「どよ~ん」 なんてこともしょっちゅう。

半世紀以上上塗りを重ねてきたバグが、そうそうあっさり消えてくれるはずもありませんよね。

ただ、そういう時間と その合間の和やかな時間との比率が逆転して、暮らしを楽しめる時間がぐんと長くなったことと、ネガに襲われてもどうすれば平静に戻れるかがわかっているし、フォーカスすればするほど ますます状況がよくなっていくこともわかっているから 迷ったり悩んだりせずにいられる、この二つのおかげで 以前よりはるかに穏やかで平和な人生を送れているのは確かです。




以前は毎日のように見ていたカードリーディング動画をぱたりと見なくなったのは、この春ぐらいからだったでしょうか。

イヤになった嫌いになったということではなく、ふっと 「これはもういいな」と思った瞬間があって。。。。まあ 真我さんがそうさせたということなんでしょうね。

で 代わりにちょくちょく見るようになったのが、都市伝説系の動画。

感覚フォーカスによるバグ手放しのおかげで、起きて欲しくないことは起きなくなりましたが、今度はその空いたスペースに 新しく創りたい世界のイメージを描き込む必要がある、そこでハタと立ち止まってしまったのです。

すでにさんざん見てきた地獄をイメージするのはたやすいですが、まだ見ぬ楽園を鮮明に思い描くというのは なかなか難しくて。

「いまの一番」 の連続で エネルギーの周波数を軽やかに保つのは有効だとしても、やはりある程度これから向かう先のイメージについてもはっきりさせておかないと、真我さんのほうでも 「いまよりいいところ 楽しいところって言うけれど、具体的にはどこへ行きたいの?どこへ連れて行けばいいの?」 となってしまいますものね。

で、なにかヒントになるような情報がないかと探すうちに出会ったのが、都市伝説系動画だったのです。




結果 このところ貴秋のお勧め動画欄に頻繁に登場するようになったのが、未来予言めいたタイトルの数々。

特に最近 「2025年7月に何か大変なことが起きる」 と具体的な年月を挙げたものが多くなり、「また7月かぁ~」 とため息をついております。

あの五島勉さんの 「ノストラダムスの大予言」 も 恐怖の大王が降ってくるのは 「1999年の7月」 でしたからね。。。7月は貴秋の誕生月なのですよ。

小学生の頃は 「わたしって37歳まで生きられるかどうかわからないのか・・・」 とよく落ち込んだものでした。

で 今回は、再来年の誕生日がどうなるかわからないって? いえ、落ち込みはしません (笑)。

といって、予言を鼻で笑うつもりもないのです。

私たちは 「行き」 の道で 人本来のありようを大きく外れ、バブル崩壊あたりからの転換点を過ぎて、元のありように戻ってゆくはずが どうもうまくいっていない。

例えれば、体調が悪化しつつある事実から目を背け、よくない生活習慣をなかなか改めようとしない人みたいなもの。

そんな人でも お医者さんから 「このままではあと○年 ・ ○ヶ月で まず間違いなく命を落としますよ」 なんて言われれば、重い腰を上げざるを得ませんものね。

貴秋は、具体的な時期を提示しての予言には それと同じような効果が期待できると考えています。

実際一人や二人じゃないですからね、この 「2025年7月」 を挙げておられる方は。

「あと2年もないじゃない、すぐにでもどうにかしなきゃ」 と思う人が増えるとすれば、それは動画タイトルの深刻さとは裏腹に 福音ともなり得ると思うのです。




この福音を活かそうと思うなら、いたずらに怖がって守りに入らないことじゃないかな。

恐れながら備えを固めることは、むしろその恐れる事態の具現化につながってしまいますから。

慌てて動こうとする代わりに 恐れとしっかり向き合い、感じ切って終わらせれば、意識のフォーカスがおのずとまだ何も起きていない自身の平和な時間へと移り、感謝の思いが湧いてきます。

その温もりの中で 改めて現状を見つめ直せば、いまここで 何をすればいいかが浮かんできますから、そこで初めて行動を起こせばいい。




個の意識から見れば 無論大きな破壊や災害など起きないに越したことはありませんが、しかしそれが避けられないこともあります。

私たちはこの世界を 人本来のありようからどんどんずれていく土台の上に築いてしまったのですから、かえりの道に入ってなお軌道修正がなされないまま進み続ければ、あとは破滅するしかない。

あの予言の数々は、そうならないよう私たちの意識の変容を促すメッセージだと貴秋は思っています。

それを受け入れるなら、ネガティブな未来予想図をやたら恐れるのでも無視するのでもなく、私たち一人一人が自身の怒りや恐れと向き合い 意識を書き換えてゆくことで、大難を小難に変えてソフトランディングさせることができるでしょう。

この記事のタイトルは、長年愛読しているパウロ ・ コエーリョ著 「アルケミスト」 の一節を要約したもの。

天 ・ 神 ・ 宇宙は、書き換えられない結末をわざわざ見せつけたりはしません。

「このままでは破滅するよ」 の警告は、「いま奮起すれば もっといい世界を創れるよ」 との励ましでもあるのです。
















恥ずかしいけど ま いっか☆

2023年10月23日 08時55分17秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
きょうは、ひそかに恥ずかしく思っているあることを白状しようかと。

貴秋はこれまでに “源” からさまざまな情報を下ろしてもらっていて、それはひらめきという形でぽんと入ってくるんですが、これが来ると 身の内にわっと沸き立つような喜びが渦巻くんですね。

そして思うわけです、こんなすごいことを知ったのだから、私はもう大丈夫、これからは今よりもずっとうまくやっていける! って。

それはまあ間違いではないんですが、肝心なことがわかってなかったんですね、その与えられた情報を取り込んで消化吸収し じっくり寝かせて、やがてそれが自分の言葉として自然に上がってくるようになるまでは、使うことも伝えることもできないってことが。

わかってなかったものだから、そのまだ自分のものになっていない情報を 「これはぜひ皆さんにもお伝えしなきゃ!」 と すぐさまブログに書いちゃった

最近ようやくわかってきたんです、以前の自分のブログがなぜあんなに言葉数が多かったかが (いえ、いまでも十分多いんですけれど)。

自分の言葉に落とし込まれていないものを 外から眺めて描写しているだけだったから、実感が希薄な分 どうしてもクドクドと説明的にならざるを得なかったんですね。

いま読み返すと、そのクドさにゲンナリしつつ、それでもなんとかこの感動を伝えたい! とあの手この手で言葉をひねくり回しながら何時間も格闘していた必死さを思い出して、ため息が出ます。

そして何より頭を抱えたくなるのは、こんな書いた当人でもゲンナリするような代物をお読み下さった方が 何人もいらっしゃったこと。

いまなら二、三行で済む話を二千字も三千字も使って力任せに綴った こんがらかった糸のような文章を、どれほどの忍耐をもって読んで下さったのかと思うと、深々と頭を下げて ごめんなさいとありがとうを申し上げるしかありません。

なので 昔の投稿を読み返す必要が出たり、どなたかがずっと遡って過去記事を読んで下さった形跡を目にしたりすると、もう小っ恥ずかしくて 消去してしまいたくなることもたびたびなんですが、まあこれも成長する上で必要なプロセスだったのだから いまさら否定することもないと自分に言い聞かせて思いとどまっています。




その一方で、自分の世界は 自分の意識や言葉によって構築された 自分だけの世界なのだということが腑に落ちたのか、絶対で唯一の答えを探し求める代わりに、数ある選択肢の中から 好みに合うものを選んで 自分だけの物語を紡ぎ出すことに ためらいがなくなりました。

ウサギがオオカミに捕食されるとき、ウサギから見れば悲劇でも オオカミから見れば喜ばしいことなように、形ある世界の真実なんて 誰の目を通すかでいかようにも変化するものなのですから、そこで絶対無二の答えを探すなど 徒労以外の何ものでもない。

そうわかったから、自分の物語は 自己責任で 自分の創りたいように創る、バイキングで好みの料理ばかりを選んで 自分だけの一盆を作るように、自分の好きなもので自分の世界を埋め尽くすのだ、とすっと思えるようになりました。

すると、まず自分の選択について 他者の目を氣にかけなくなり、さらに 他者が自分と違う選択をしていても 氣にならなくなりました。

いい子で優等生だったころの貴秋は 他者の評価命でしたから、自分の選択や行動の正当性を他者に認めてもらわないと 一歩も先へ進めなかったのですが、いまはもう 「いまの一番」 と真我さんの導きに従い 我が道を行くのみ。

自分なら選ばないものを他者が選んでいても、以前なら 「なんて選択するのよ、どういうセンス? 常識あるの!?」 といちいち敵視して 内心突っかかっていましたが、いまは 「ふ~ん、ああいうの選ぶ人もいるんだ~、ま あの人がそれで幸せならいっか」 ぐらいのもの。

ブログの記事にしても、以前はどこからどう反論がきてもいいようにと 読む人の目をすごく氣にして書いていた (だからクドクドしくなっちゃったんですね) ものですが、いまはカテゴリー名に乗っかって 「これは貴秋の偏見なんで、お氣に召さない方はスルーでよろしくね」 と証明などするべくもない内容を 浮かぶがままに書き放題、もちろん自分の言葉には責任を持つけれど、それが受け入れられるかどうかは お読み下さる方の自由にお任せできるようになりました。

“源” とつながり 中心が定まってさえいれば、そこからどんな形を生み出すかは各自の自由なのだとすんなり思えるようになったのも、あの自分の言葉を獲得するまでの長い時間をブログ読者さまやブロ友さんたちに支えてもらえたからこそ、改めて いま以上に未熟者だった貴秋を忍耐強く支え励まして下さった読者の皆さま方に、心から御礼申し上げます。

正直いまでも自分の古い過去記事は極力読み返したくないですが、そんなアラだらけの拙い文章も 迷ったり転んだりしながらなんとかここまで来ることができた自身の軌跡なんだと思うと、恥ずかしいけど ま いっか☆ ということにできるような氣もします。
















「ピンチはチャンス」の法則は、いまのこの世界にもしっかり生きている

2023年10月19日 17時08分55秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
世界がますます騒がしくなってきているようですね。

そこに誰のどういう意図が絡み合い作用しているにせよ、とにもかくにも いま世界はこのようなことになっている。

で、私たちはそのどこを見るのか、どんな立ち位置から 目の前の世界のどこに焦点を合わせるのか、ということです。




個の視点と引きの視点の行き来は、感情の扱いがカギとなります。

感情的になっているときの私たちは、自身が構築した世界の登場人物 (主人公) として世界の内にいて、さまざまな出来事を味わい体験する立場にあります。

ここでは ネガティブな体験もアリ。。。というか 魂的にはむしろ歓迎、なにしろ 本質としての自分には味わえないそういった感情を知るためにこそ、私たちはわざわざ不自由な思いをしてまで この形ある世界にやってきたのですから。

ただ問題なのは、一度体験すれば十分なはずのネガ感情やネガ観念から抜け出せなくなってしまったとき、すなわち否定的な体験をするために潜在意識に仕掛けられたネガ情報がうまく外せず、バグとして居座ってしまったときですね。

バグが困りものなのは、本来フィフティフィフティで自由に選べるはずのネガポジなのに、コントロールが効かず ネガのほうにばかり引っ張られてしまうため。

同じような不快体験を何度も何度も繰り返せば、誰だって自信を失い セルフイメージが下がって、ますますネガから抜け出すのが難しくなります。

ここで有効なのが、引きの視点に立つこと。

引いたところから 感情に囚われている自分を眺めるときの私たちは、登場人物ではなく 自身の世界の作者 ・ 創造者の視点に立っており、作者としてバグを無効化し 否定的観念を塗り替えることができるのです。

引きの視点に立つには、先ほどの逆で 感情的にならないことが大切であり、感情から距離を取るには、言葉を引っ込め 極力使わないことです。

感情とは、ある種のからだの感覚に 「悲しみ」 「怒り」 「後悔」 などと 言葉によるラベルがついたもの。

感情から 苦しいだの辛いだのムカつくだのといった言葉を取り去ってしまえば、あとに残るのは 胸が締め付けられるとか 手足や顔の筋肉がこわばるとか 全身の力が脱けるとかいう感覚だけ。

その感覚を 言葉を用いずじっと感じていると バグが消えることを、体験から知りました。

最近さらに、感覚に集中しながら 深く静かな呼吸を繰り返すと、手放しの時間が短くなることがわかってきています。

バグが外れたかどうかは、起こる出来事や 自身の反応が変わってくることでわかります。

こうして自分が変わり 自分の世界が変わるにつれて、当然氣分もよくなってきますから、今度はそのいい氣分を存分に味わうことで、再び世界の内に入り込み 体験者に戻って楽しめばいいのです。




以前から何度も書いていることを なぜいま改めてお話しするかというと、いまのようなときこそ必要な情報ではないかと思うからです。

イスラエルで ガザで ウクライナで ロシアで起きている戦闘とその犠牲者、覚え切れないほど世界のあちこちで起きている地震や洪水や大規模火災などの災害とその被災者、加えて病氣に事故に恐ろしい事件の数々、さらには世界規模での食糧危機だの経済危機だのと、これだけの報道に連日さらされていて 氣分が落ち込まないわけがありません。

YouTubeのお勧め動画にも やたらと 「20○○年に大災害が」 「世界大戦が近づいている?」 「日本滅亡か!?」 といったおどろおどろしいタイトルが現れるところからも、人々の不安が見て取れます。

不安を感じるのは当然ですが、不安に囚われ 振り回されたままでいると、その不安が形となり 現実になってしまいます。

ここで思い出していただきたいのが、この形ある世界では どんな物事にも相反する二面があるということ。

こんな氣の滅入るようなニュースにもいい使い道があって、それが 「感覚フォーカス → ネガ観念の手放しのチャンス」 ということなのです。

悲しいニュース、痛ましいニュースの数々に心を乱されたときこそ、そのおおもとに潜むバグとお別れするチャンス。

地味に忍耐のいる作業ではありますが、その積み重ねは 確実に私たち一人一人の意識や感じ方を変え、世界を変えます。

「ピンチはチャンス」 の法則は いまのこんな世界にもちゃんと働く万物普遍の法則ですから、世界規模のピンチの裏には それに見合うだけのビッグチャンスが潜んでいることを、どうか忘れずにいてくださいね。

雲がかかったからといって 太陽そのものがなくなるわけではなく、雲が消えれば再び太陽が顔を出すように、バグから生み出された不安や怒りや恨みなどのネガが消えれば、隠れていた私たちの純粋な愛という本質が表に出てくる、それで世界が変わらないはずがないのですから。














真我さんは比べない、真我さんは裁かない

2023年10月14日 11時39分00秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
最近 「シンギュラリティ」 とか 「2045年問題」 とかいう言葉をちょくちょく目にします。

難しい用語はさっぱりわかりませんが、理数系が苦手な貴秋にもわかる範囲でざっくり言えば、「AIが賢くなり過ぎて人間の手に負えなくなり、人間の活躍場所が奪われちゃったり 人間固有の概念が覆されちゃったりする問題」 ってなところでしょうか。

でも、貴秋はたいして心配していません。

貴秋にとってのAIとは、マジックハンドのようなもの。

人間の手では掴めないものが掴めるよう 長さだの握力だのといった手の機能をパワーアップさせたのがマジックハンドであるように、人間の脳ではできない速さで大量の情報を処理したり計算したりできるのがAIってことですよね。。。って平たく言い過ぎな氣もしますが。

つまり、どれほどすごいといっても 所詮は人間の機能の一部を担うに過ぎないわけで、部分が全体を凌駕するなんてあり得ない。

そのあり得ないことがあり得るように錯覚してしまうのは、私たちが左脳偏重に傾きすぎているせいではないでしょうか。

「脳」 といっても、AIがカバーできるのは 左脳 すなわち理論脳の分野だけ、過去の情報なら高速でガンガン処理できても、まだこの世に現れてもいないものをイメージしたり、言葉では掴み切れない本質を腑に落とし込んだりするのは無理な話です。

人間が言葉を用いて “源” から分け出せる知識や情報なんて 全体から見ればほんのわずかに過ぎないのですから、“源” とつながり 無限の領域からいくらでもインスピレーションを受け取れる私たちが AIに支配されたり滅ぼされたりするなんてあり得ない。。。と貴秋は思っています。

もしそんなことがあるとすれば、それは左脳オンリー ・ 顕在意識オンリーで生きる人たちの世界でのことなんじゃないかな。




最近のAIさんたちは、顔形を得たり 語彙が豊富で感情表現が豊かだったりと 妙に人間くさい面も見せるので、こういう言い方は申し訳ないような氣もしますが、言ってしまえば AIとて道具であり、人間の暮らしをよりよくするために 人間の手で作られたものです。

それが人間に害をなすとすれば、それはAIの問題というより 人間の問題でしょう。

形ある世界には つねに相反する二つの面が存在しますから、金槌だって包丁だって 創作の道具ともなれば、凶器ともなる。

どちらになるかは、使う人次第ということですよね。

AIの能力があまりにすごいので、ついつい独立した存在のように錯覚してしまいますが、AIだって まずなにがしかの初期情報を入力しなければ動けないはずです。

そして その初期情報を入力するのは人間であり、AIは自分勝手に動くのではなく 入力者の意図に応じて判断解釈し 結論を導き出すわけですね。

最近、AIが人間の学業や仕事の成績評価や 日常の態度や暮らしぶりの評価、引いては格付けに使われるなどという話を聞くことがありますが、その線引きのもとになる情報は 誰が入力したのか、誰のための評価であり格付けなのか、ということです。

そして そんな評価や格付けが、私たちの世界を統合に導くのか 分離に導くのか、世界をステップアップさせるのか 破滅させるのか、ということですよね。

貴秋の左脳なんて AIと比べれば 笑っちゃうような単純な働きしかしませんが、それでも 引きの視点に立てば これぐらいのことは訳なく見て取れます。

別に知ろうとしなくても、勝手に見えてきちゃうのです。

だから 心配せずにいられるんですね、真我さんと手を携えている限り、AIに人間が滅ぼされるなんてありっこないって。

人間を滅ぼすのは、人間だけ。

AIを作ったのも人間なら、武器を作ったのも人間、その知性を世界を平和に豊かにするために使えるのも人間なら、人よりも多くの金や地位や名誉などを得る手段として使うのも人間。

AIが止められないほどの暴走を始める前に手を打つつもりなら、私たちがまずしなければならないのは、忘れられていた真我さんを 自身の内に見つけ出し、その導きを信頼して従うことではないでしょうか。

真我さんは、誰のことも 裁いたり他と比較してレッテルを貼ったりなんてしません。

そもそも どんな人間であれ、この体験世界で 「行って かえる」 の壮大な物語を織り成すために送り出した自身のパーツであり、無駄無意味なパーツ、むげに捨ててもいいパーツなんてただのひとつもないことを 誰よりも一番よく知っているのが、他ならぬ真我さんなのですから。

私たちが お金や地位や名声や優秀な頭脳やコンピューターなどではなく、真我さんをなによりも信じて導き手とする限り、シンギュラリティも2045年問題も恐るるに足らず。

そう確信しているから、きょうも貴秋は 騒がしい世間を尻目に キンモクセイの香りに酔いしれ、庭仕事やおやつ作りに興じていられるのです。




勝手に始まっちゃった 「真我さんシリーズ」 ですが、そろそろこのタイトルにも飽きてきたので(おい)、今回でおしまいにさせていただきますね。

本日も 長い文章をおしまいまでお読み下さり、ありがとうございました。















真我さんは諦めない、真我さんは見放さない

2023年10月08日 12時06分38秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
なんか "真我さんシリーズ” みたいになってきちゃってますが、最初はそんなつもりじゃなかったんです。

二番目の記事のタイトルを考えているとき、ふと前と同じ 「真我さんは ~」 が出てきてしまって、なんとなくこういうことに。

でもまあ 何をやろうが企てようが そこには常に真我さんの意図が働いているのだと思えば、こういうのもありかと。。。というわけで、本日は “結果的に真我さんシリーズ ・ その4” でございます。




先日 ある動画のサムネを見て、「この内容はきっと正論だと思うし 聞いてみたくはあるけれど、ちょっと手が出ないなぁ」 という氣分になりました。

タイトルの文言から、内容よりも先に 投稿者さんの 「こんなに正しいことを言ってるのに なぜわかってくれないの!?」 という怒りや苛立ちのエネルギーが伝わってきたからです。

いや、これが少し前まで 「正しいことをするいい子」 で通してきた貴秋のかつての嘆きの投影なのは間違いないので、氣持ちはすごくわかるのですが、同時に 怒りのエネルギーをまとったまま望む結果を手に入れるのはまず無理だということもわかってしまうのです。

怒りが出てくるのは 自分の望みや意図が妨げられているときなので、怒りを感じているときは 「こうしたいのにできない、邪魔されて思うように動けない」 者の立ち位置にいることになります。

「~できない」 という立場で できないことへの怒りを募らせる、つまり認識と感情がセットで発動されてしまうのですから、その 「~できない」 という現実を引き寄せてしまうのは当然なんですね。

怒りとは 望みを諦めていない現れでもありますから、決して悪いばかりのものではないのですが、望みを叶えるためには、それを外に向かって発散させるのではなく、自身の内に目を転じて 怒りを受け止め、感じ切って終わらせる必要があります。

そうして怒りと向き合い 消化 ・ 昇華させた先に、これまでは見えていなかった新たな選択肢が姿を現し、望みの実現に向かう道が開けます。




以前の記事で、「感覚フォーカスを重ねて “世話焼き母さん” がバグによる自動反応だったと氣づいたとき、次に起きたのは解放ではなく、『長年だまされていいように使われてきた』 ことへのすさまじい怒りだった」 と書きましたが、ほんとこの怒りには苦しめられました。

ちょっとすごいことをお話ししましょうか。

貴秋が実家で使わせてもらっている部屋の押し入れに、弟の物だったのか 木製の野球用バットが入っているのですが、溜め込みすぎた怒りのパワーが感覚フォーカスの集中力を上回り 身の内が引き裂かれそうになると、このバットを引っ張り出して あちこちの壁や不要になった家具を力一杯ぶん殴って どうにか発散させていました。

それだけじゃありません、大好きな台所仕事をしているときは 不快な記憶のフラッシュバックも多いのですが、これって危ないじゃないですか、包丁がいつでも手元にある台所で そんな精神状態に陥るなんて。

で こみ上げる怒りの収拾がつかなくなると、自分や父をうっかり傷つける事態を回避するため 調理台に刃物を叩きつけたり突き立てたりして なんとかやり過ごしていました。

おかげで実家は 感情荒れ狂う引きこもりの高校生でもいるかのような有様・・・でも これをやったのは ティーンエイジャーではない、分別盛りの50代後半の貴秋なのですよ。

しかも、怒りの正体も 怒りを終わらせる手立ても 十分わかっている身でありながら。

ドン引きさせちゃったらごめんなさい、ただ 言いたかったのは、長年抑圧してきた怒りのエネルギーは それほどまでにコントロールが効かず凄まじいものだということなのです。

ニール ・ ドナルド ・ ウォルシュ著 「神との対話」 に、「抑圧されつづけた怒りは、憤怒になる。 (中略) 人々は怒りのために人殺しをしてきた。戦争が勃発し、国が滅んだ」 とありますが、これが誇張ではなく事実だということが 貴秋には身をもってわかります。

正論も理性も吹っ飛ばし、普段はまっとうな暮らしを営む物腰穏やかな大人にさえ 「あのおとなしい人が!?」 と世間を驚かせるようなことをさせてしまうのが、憤怒の持つ負のパワーなのです。




先日書いたジャニーズ問題への人々の反応もそうだし、コロナでもウクライナ侵攻でも他のどんな問題でもそうですが、私たちはともすると 責任者とおぼしき者 (それが真の責任者だとは限りません) を探し出し、詰問しバッシングすることで、溜まりに溜まったフラストレーションを発散させようとします。

でもそういった問題は、実はもともと持っていた怒りを発動させるきっかけに過ぎず、怒りの真の原因は 一人一人の心の奥深くに埋もれ忘れられているのですから、貴秋がバットや包丁を振り回しても一時しのぎにしかならなかったように、爆発寸前の民衆感情のガス抜きにしかならず、怒りの原因の真の解決にはなり得ません。

それどころか、目くらましの身代わり羊に民衆の目が向いている陰で、もっととんでもないことが進行している可能性だってあるのです。

いまの貴秋は 一昔前の自分の姿を引いたところから眺めて語れるまでに心が落ち着き、ようやく安心して日々の暮らしを楽しめるようになりましたが、それは 一時しのぎで稼いだ時間を怒りの手放しに費やすことで、意識を大きく書き換えることができたから。

同じことを 怒れる民衆の一人一人が行えば、戦ったりバッシングしたりするのとはまったく別次元の、そしてもっと根本的に世の中を変えるすごい方法を思いつき、力を合わせて実行して、誰もが心安らかに楽しく暮らせる世界を創造し直すことだってできるのです。




そして、この地味で地道な努力を支えてくれるのが、真我さん。

真我さんは、個がどれほど荒れようが投げやりになろうが 導くことを諦めないし、こちらを見捨てることもありません。

私たちが 繰り返し同じような不快な状況に陥ったり 苦手な人に出くわしたりするのは、真我さんが諦めることなく 負の感情を手放すチャンスを与え続けてくれているからなのです。

思い切って 同じパターンの反応を繰り返すのを止め、心をかき乱すようなニュースを聞くたびにこみ上げてくる怒りそのものにフォーカスしてみませんか?

怒りと共に歩んできた時間が長い人ほど 忍耐は必要ですが、その結果は 間違いなく大きな喜びをもたらすはずだし、そうなって初めて それまで真我さんがどれほど忍耐強く見守り寄り添ってくれていたかに氣づいて、深く心を動かされることと思います。

私たちがどれほどヘマをしようがブチ切れようが、真我さんは決して諦めないし、見放さない。

そしてそれは、私たちの本質そのものでもあるのです。