毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

二次元アバターはイラスト羊の夢を見るか?  その3

2019年08月31日 14時24分32秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


またまた前記事から日が空いてしまいました。

その1 ・ その2に何が書いてあったか忘れてしまわれたかもしれませんね、ごめんなさい。

遅くなりましたが その3です。



VR (ヴァーチャルリアリティ) の強みは、なんといっても家にいながらにしてさまざまな場や催しに参入できることではないでしょうか。

VR就業が広まれば、加藤さんがおっしゃるように満員電車で通勤する必要もなくなるし、会社がどこにあろうと関係なく仕事を選べるようになりますね。

また映画 「サマーウォーズ」 のOZのように 役所や銀行などの手続きもVRを通じて家から済ませられるようになれば、お年寄りやからだの不自由な方、子育てに手のかかる世代なども 移動の手間が省け楽になることでしょう。

イベント参加なども距離の制約を受けずに済むから楽しい機会が増えるし、逆に自分から人を呼び集めたいときも 場所の制限がない分さまざまな企画を打ち出しやすくなる。

貴秋が少し前まで住んでいたような 交通の便の悪い田舎ほど、VRの恩恵は大きいかもしれません。




そして貴秋がもっとも大きな可能性を感じるのは、いまや社会問題となっている引きこもりについて。

加藤さんも大学中退後3年ほど引きこもりの経験がおありだそうですが、貴秋も20代前半は引きこもり同然の生活だったし、南紀の山里でも無人の集落で機織りでもして暮らしたいと願うほど人付き合いが苦手だった時期もあり、いま問題になっている40~50代の引きこもりなど他人事とは思えません。

引きこもっている人の多くは ほんとうは仕事にも就きたいし他者と交流もしたい、普通の生活がしたいと望んでいると聞きますが、それだけに他の人たちができる当たり前の暮らしができない自分に引け目を覚え、自信をなくしているようにお見受けします。

この落ち込んでしまったセルフイメージ回復の糸口として、VRやアバターを活用できるのではないかと思うのです。

アバターをまとっての交流なら 実生活でのセルフイメージから解放されて心を開きやすいでしょうし、匿名性があるから発言もしやすいでしょう。

あまりにも長いこと引きこもっていていきなり外に出るのはハードルが高過ぎる人でも VR空間なら大丈夫かもしれないし、同じ問題を抱える人どうしのVR交流会やグループセッションなどに参加することで、状況を打開するきっかけが掴めるかもしれません。

そういえば そんなことを考えていたおりもおり、「その1」 の記事をアップする直前に 不登校の子どもがアバターを通じてネット上で授業を受ける試みについてのニュースをやっていて、タイミングのよさにちょっとビックリしたものですが、もっと年齢が上の引きこもりの人たちについても VRでの就労相談やカウンセリング、セラピーなど さまざまな受け皿を用意できるかもしれませんね。




。。。とこのように人の持つ可能性を大きく広げ 貴秋のようなシロウトがちょっと想像を巡らせただけでもさまざまな夢を見させてくれるVRですが、貴秋はVRをはじめ 時代の最先端をゆくどんなすごい発明も科学技術も マジックハンドみたいなものだと思うのです。

つまり人間の肉体の限界を大きく引き伸ばし可能性を広げてくれるものという意味で。

マジックハンドが手の届かないところのものを取ったり動かしたりさせてくれるように、VRも生身の肉体のままでは体験できない世界を体験させてくれ 距離などの制約から解放してくれる。。。要は道具ということですね、とてつもなく優れもので贅沢な道具ですが。

そして昨今の科学技術の目覚しい進歩は 私たちの暮らしを豊かにしてくれるしみじみありがたいものですが、その2にも書いたとおり こういった最先端の技術にも使いようというものがあり、ここに加藤さんのおっしゃる 「VR技術が発達するほど より本質的に人間の内面が重要になってくる」 という話が重なってくるように思えるのです。

















二次元アバターはイラスト羊の夢を見るか?  その2

2019年08月19日 13時57分50秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


下書き削除の山に撃沈しかけたあげく ようやっと動き出しました。

「その2」 お待たせいたしました <(_ _)>




「SWITCHインタビュー 達人達 (たち)」 の加藤直人さんの数々のお話の中でももっとも印象深かったのは、「大事なのは内面」 という話。

アバターをまとってのコミュニケーションでは 普段より心を開いて積極的になれるので、距離感が近くなり仲良くなりやすいのだそうです。

生身の自分には 引け目に感じたり氣に入らなかったりという部分があっても、アバターとなれば 生来の容姿に関係なく美男美女いくらでも好きなように作り込めるため、外見的に自信が持てるということでしょうか。

が、そうなると今度は外見で差別化が図れなくなるため、より内面的 ・ 本質的なところが重要になってくる、というのです。

加藤さんは 「人間の魂」 と表現しておられましたが、この内面 ・ 本質 ・ 魂とはどのようなものなのか もっと詳しくお聞きしたかったところです。





まずそもそも、アバターに入ってるときってどんな感じなんだろう?

番組内で 諏訪部さんのアバターが最初に出会った案内役の女の子アバター ・ クラスターちゃんと握手を交わしたとき、本体の諏訪部さんは コントローラーを握ったご自身の手を見て 「わ! 握手した」 とおっしゃってました。

ということは、アバターの触覚がある程度本体に伝わる仕組みになっているんだろうか。

番組は、諏訪部さんのアバターの動きと同時に アバターを操作する諏訪部さんのお姿や アバターに入った諏訪部さん視点の映像も映し出していて、アバターから見えるもの聞こえるものを通じてバーチャル空間の情報がご本人に伝わっているらしいことはわかります。

視覚 ・ 聴覚 ・ そして触覚までもバーチャル世界と連動していれば、それなりの臨場感が生まれるであろうことは なんとなく想像できるのですが。




で そうやって感覚器官が受け取った情報はその後どうなるか? というと、三次元空間のときと同じく私たちの脳に伝えられて その人なりに処理されるわけですね。

ということは、与えられた情報が二次元だろうと三次元だろうと、「私の物差し ・ 価値観」 というフィルターを通して加工される点ではなんら変わりないことになる。

加藤さんのおっしゃる 「内面」 というのは、このフィルターの状態次第ということになりそうですね。

貴秋はVRをまだ体験したことがないので 想像でしか言えませんが、きっと最初はすごく新鮮で目新しく楽しい世界だろうなと思うのです。

が、そこに集う面々が本体のマインドフィルターを持ち込まざるを得ない以上、時が経ち距離感が近まれば近まるほど そのフィルターの個性やクセが前面に出てくるのは避けられないでしょう。

そこから先が 「あ~面白かった」 であっさりおしまいになるか より深まって新しい境地が開けるかは 結局フィルター如何ということになる、そこが加藤さんの言われる 「大事なのは内面」 というお話と結びつくように思います。

作り込んだアバターの出来栄えが 内面の個性を超えられないなら、体験の起きるところが二次元だろうが三次元だろうが 最終的に行き着く地点は大差ないのではないかしら。

VRが画期的な技術であることは間違いないと思うけれど、内面という点でいうなら そこが仮想空間だろうが現実だろうが 自信の持てない人は持てないままだろうし 怒りを抱えた人は抱えたままだろうし、そういった問題をストレートに覆すほどの力はVRにはない、貴秋にはそんなふうに思えてなりません。




ならば貴秋はVRに価値を認めないのかといえば いえいえ決して、番組を拝見していて VRは多くの人を喜ばせるすばらしい可能性を秘めていると感じたこともまた確か。

VRのことをなにも知らない身でこう言うのもなんですが、貴秋なりに感じたところを言わせていただけるものなら 要は用い方次第だと思うのです。














二次元アバターはイラスト羊の夢を見るか?  その1

2019年08月08日 19時17分55秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


NHK ・ Eテレ4月27日放送の 「SWITCHインタビュー 達人達 (たち)」 の録画を繰り返し見ています。

「SWITCHインタビュー 達人達 (たち)」 とは 異なる分野で活躍する二人の人物による対談番組で、番組の前半と後半でゲストとインタビュアーが入れ替わるのが特徴。

この回は 人氣声優 ・ 諏訪部順一さんとVR (バーチャル ・ リアリティ) 起業家 ・ 加藤直人さんの対談で、声優さんたちのお仕事に一時期興味があった貴秋は 諏訪部さん目当てで見始めたのですが、のっけからのバーチャル空間でのアバターによる初対面シーンに度肝を抜かれ、ここまできていたのかというVR世界のありように驚かされました。

ご覧になっておられない方のためにご説明すると、通常ならすぐに顔つき合わせるはずのご両者が 別々の個室でVR用の特殊なゴーグルを着けて めいめいのアバターに入る形をとり、そのアバターどうしがアニメみたいな二次元空間でご対面となるのです。

アバターとはネットワーク上の仮想空間で自身の分身となるキャラクターのことで、必ずしも自分に似ている必要はなく、番組でも諏訪部さんのアバターはかなりご本人寄りに作られていましたが、加藤さんのほうは普段からご愛用の青い鳥のお姿でしたからね。。。手がないから握手したくてもできないって (笑)

ほかにもバーチャル会場でのライブだとかプレゼンだとか握手会だとか バーチャルグラウンドでの運動会だとか 番組内で次々紹介されるアバター集結のバーチャルイベントの数々、これもうまるっきり 映画 「サマーウォーズ」 のOZの世界じゃないですか。

OZとはなんぞや? という方は こちらをどうぞ。

アバターに入り込んでのバーチャル空間における交流なんて近未来の話だと思い込んでいましたが、すでに着々と実現しつつあったのですね。




その後場所を変えて ようやく生身のご本人どうしの対面と相成ったのですが (諏訪部さんドアを開けるなり 「よかった~、鳥じゃなかった!」 って叫んでおられました) 、そこから展開されるVRの実情や可能性についての数々のお話の興味深いことといったら。

二次元アバターどころか 生身の肉体さえ三次元世界ゲームに加わるために天から貸し与えられた立体アバターだと思える今、VRについての加藤さんのお話はいろいろと示唆に富んでいて面白いのです。

たとえば、バーチャルとリアルについての捉え方の話。

昨夏行なわれた世界初のVRでの商業ライブコンサートは チケットは即完売、観客からの評価も上々だったそうですが、このVR会場とは別にVR機器を持たない人のために映画館でのパブリックビューイングも用意され こちらにも4000人ほど集まったそうなのですが、この場合リアル参加は二次元のバーチャル会場のほうで、現実世界のパブリックビューイングはそれを覗き見る傍観者のポジションだったというのです。

加藤さんによると、バーチャルという言葉は 「仮の~」 という意味で使われることが多いが 実はその元の語源は 「実質」 を表すのだそうで、VRは 「見る」 体験ではなく 「参加する」 体験であり、バーチャルイベントでは参加者が集うバーチャル会場のほうがリアルスペースなのだというようなことをおっしゃっておられました。

おもしろ~い

これを突き詰めれば、ではそもそもリアルとはなんぞや? という話になるではありませんか。




この話、この先どう転ぶかまったくわからない状態で書いていますが、長くなるのは間違いなさそうなので分割させていただきますね。

よろしければどうぞお付き合い下さいませ。














この胸のときめくままに

2019年08月03日 13時10分00秒 | 日々の楽しみ


時節柄 やはり言わねばなりますまい。

暑い!!

流汗淋漓とはまさにこのこと、デトックスを兼ねて冷房を点けずに家事をしているので 首に巻くタオルは欠かせず、水を始め各種飲料の消費量もハンパなし。

しかし慣れとはすごいもので、今では真昼間でも 湿度60%台で氣温35℃ぐらいまでならクーラーなしでへっちゃらです




そしていまや毎朝5時開演のセミ合唱団コンサート。

メンバー見っけ



早朝から全身を包み込むような大合唱も不思議とうるさいとは思いませんが、さすがにこの距離だと耳にビリビリきてツライ (^_^;)

でもまあ 強烈な日差しにセミの声、花火にスイカ、麦茶に水ようかん。。。とやっと夏らしい夏が来てくれてうれしいです♪




先日の 「居場所と名前」 という記事でちらっとお名前を挙げた こんまりさんこと近藤麻理恵さんのご著書 「人生がときめく片づけの魔法」 は、いまや世界40ヶ国以上で翻訳出版されてミリオンセラーになっているそうですが、この 「ときめき」 という言葉は こんまりさんの片づけ指南で 持ち物をとっておくか処分するか決める際の指標となっているようです。

貴秋はまだこんまりさんを存じ上げないうちから、こんまりさんがモデルのドラマで 仲間由紀恵さん演じる片づけコンサルタントの 「ときめくかどうかで見分ける」 というアドバイスのセリフにインパクトを感じていました。

これが意識のどこかに沁み込んでいたのでしょう、和歌山を引き払う際の荷物の片付けで 無意識のうちにこの 「ときめき」 の有無を選別の基準にしていたように思います。

そして実家に居を移してすぐに見たこんまりさんのドキュメント番組で 改めてこの 「ときめき」 というワードと出会い、以来 「ときめき」 は 貴秋にとっても重要な指標となりました。




貴秋の中で、「ときめき」 と似て非なるものに 「色めき立つ」 というのがあります。

氣持ちが高ぶりドキドキしてくるという点で 「ときめき」 と似ているので混同しそうになりますが、注意深く観察すると、「ときめき」 は舞い上がるように軽やかで迷いがないのに対し、「色めき立つ」 のほうは妙な焦りや緊張感を伴うドキドキで、「ときめく」 ときのようにスッとピンポイントでキマる感じがありません。

好きなものと出会ったときに起こるという点は同じですが、「色めき立つ」 ときの 「好き」 はマインドに働きかけてくるようで、「欲」 と対になっている感があります。

欲をかき立てる魅力とそれが手に入らなかったらどうしようという恐れ、そして奥に秘められた 「それを手に入れる ・ 実現することで 嫌なことを忘れたい」 という切なる願い、そんなものがない交ぜになったのが 「色めき立つ」 なのかなと思います。




内側の感触からこの二つを見分けられるようになって以来、「ときめき」 はこの上なく確かな指針のひとつとなりました。

「ときめく」 とは 波長が合うとかいうようなことでしょうか、とにかく何をするにも何を買うにも ときめくかどうかで決めれば間違いはありません。

子どものころから 夢中で手に入れたものがすぐ色あせて魅力を失うことにさんざん悩まされてきましたが、それももうおしまい。

セミの声、トンボの舞、ゴーヤのつぼみに思いがけない夕刻の涼風、夏向きの料理やおやつのアイデア、などなど ときめきでいっぱいの夏は、猛暑であっても幸せです (*^^*)