毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

続 ・ あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その7

2020年11月30日 10時53分05秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
私たちの意識について調べてみると、まだ統一された見解はないようで さまざまな説が出てきますが、おおまかに言って ①自分固有の情報と密接につながり知覚される領域  ②個人の情報がベースだけれど知覚されない領域 ③全生命共有の無意識領域 (ここをさらに 「全人類共有」 と 「全生物共有」 に分ける捉え方もあるようです)  に分かれるようです。

貴秋は①を顕在意識、②を潜在意識、③はそのときどきで無意識とか集合無意識とか宇宙意識、神の領域などと氣まぐれに呼んでいますが、感覚フォーカスなどの体験から、①と③の橋渡しをするのが②で、①から③に向かうほど 個の区分が薄れていく、といったイメージを持っています。




先日興味深い番組を見ました。

Eテレ「こころの時代 ~ 宗教 ・ 人生」 の 「ふたつをひとつに ロボットと仏教」 です。

語り手は、ロボットコンテストの生みの親 ・ 東京工業大学名誉教授の森政弘さん。

ロボット工学のパイオニアであると同時に仏教にも造詣が深く、ご専門の工学のほか 仏教についての本も出版なさっておられるそうです。

笑顔もお話しぶりもチャーミングな方で 楽しく拝聴していましたが、ここで思いがけず大きな手がかりをいただきました。




森先生は 人間や他の動物を模したロボットを作る際、まず生体の仕組みに着目し、生物のからだがいかによくできているかがわかったそうです。

やがて動物から植物に興味を移し、脳のない植物が どうやって芽を出し葉をつけ枝を伸ばし。。。という一連の変化を制御しているのか考えるようになりました。

そして、脳からの命令がなくても形が落ち着き整う、この植物の制御システムを模して作ったのが、「みつめむれつくり」 という七体のロボットです。

見た目は水鳥が泳いでいるような形で、それぞれが前方と左右の三箇所に赤外線センサーを持ち、仲間を見つけると追いかけるが、50cm以内には近寄らないようプログラミングされているとのこと。

これを一斉に動かすと、単体ではめいめいが好き勝手にランダムな動きをしますが、何体かが集まり始めると 魚や鳥の群れのように動きがそろってくるのだそうです。

映像でも紹介されていましたが、アヒルっぽい形のロボットたちが 最初はてんでんばらばらに動いているのが、そのうち二体三体と同調し始め、やがて七体全部がずらりと尾をこちらに向け お尻を振り振りするさまはなんともユーモラスでかわいい。

森先生は、この 「みつめむれつくり」 の動きを 「自立分散制御システム」 とおっしゃっておられました。

コントロールするボスはおらず 自分で自分をコントロールする小さなコンピューターを持っているだけ、それぞれが独自の動きをしながら ある程度まで近づくと動きがそろう、分担協調のシステムなのだと。




これを聞きながらふと思い出したのは、人間の心臓の細胞の話。

心臓の細胞をばらばらにしてシャーレに入れておくと、最初はそれぞれが好き勝手にぴっくんぴっくんしていますが、そのうち少しずつ同調し始め、やがて全部の細胞が元の心臓に戻ったかのようにぴたりとそろってぴっくんぴっくん動くのだそうです。

思えば私たちの全身の細胞だって、皮膚は皮膚の、血液は血液の、骨は骨の、とそれぞれの役割を担っているけれど、総体としては見事に調和して働いているわけですね。

その調和が崩れれば 病氣ということになりますが、原因となった細胞が修復されれば 再び調和を取り戻し、健康を回復する。

このように 私たちのからだが立派な分担協調システムで生かされているのだから、からだの持ち主たる私たちが 分担協調でやっていく力を持たないわけがない、と思うのです。

ただひとつ異質なのが 私たちの自我ですが、これにも立派な存在理由があるのであり、私たちは自我を有しつつ 同時に自然界の分担構成員として、人間同士、また他の生物とも協調し合ってやっていけると思うのです。




「その6」 でお話ししたように、私たちが個の意識に留まっている限り 人の数だけ答があり、“たったひとつの間違いない答え” にたどりつくことはありません。

もし “たったひとつの間違いない答え” というものがあるとするなら、それはこの世界のすべてを調和させ生かすおおもとの力に沿うものであり、私たちが自我の縛りから離れ おおもとの意識とひとつになったとき発動するのだと思います。

ブレイクスルーのカギは、私たちが必要に応じて意識を①から③に限りなく近いほうへスライドさせ、このおおもとの意識と同調し 情報を得て動けるかどうかにあると、貴秋は見ています。












続 ・ あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その6

2020年11月29日 12時17分32秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
私たち人間は、それぞれ独自のものの見方を持っています。

それは 「幼少期に身近な大人から無条件に取り込んだ情報 + 自身の過去の体験から獲得した情報」 を基に、日々新たな情報が付け加えられて変化し続けており、まったく同じものは二つとありません。

私たちの属するこの世界は 大小 ・ 高低 ・ 強弱など相反する二要素が一対で成り立つ性質を持っていますから、ひとつの視点には正反対の視点が、ひとつの意見には正反対の意見が、必ず存在します。

ウサギがライオンに食べられるのを見れば かわいそう! と思ってしまうけれど、ライオンからすればそれは当たり前の食事風景であり、偏った正義感から人間がウサギを助けに入れば、それはライオンにとっては理不尽な仕打ちです。

誰もみな 自身の基準に照らせば 正しいのであり、自分と異なる意見はおかしい ・ 間違っていると映ります。

そんな私たちが、自我を前面に押し出し 独自の基準を固守したまま 「心をひとつに、みなで力を合わせよう」 といくら叫んでも、無理というものではないでしょうか。

せっかく物語を共有する力を得て、協力し合うことで どんな生物よりも強い力を発揮できるようになったというのに、これはいったいどうしたらいいのでしょう。




自分の意見や価値観というものは 誰しもはっきり自覚していますので、これは顕在意識に属するものです。

が、私たちの意識の九割を占めるのは 知覚できない潜在意識の領域、潜在意識には言葉も理屈も通用せず、顕在意識でコントロールするのは不可能です。

形ある世界は五感で手応えを感じることができ、論じることも計量することもできますが、潜在意識は五感も言葉も及ばない領域で、言葉を止めてただ感じるしかなく、そこには自我も個の論理も存在しません。

日ごろほとんど忘れられているこの領域が 私たちの人生でどのような役割を担っているのか、ちょっと探ってみましょう。




蝶や蛾は、誰かが音頭をとっているわけでもお知らせが回ってくるわけでもないのに、時期が来ると次々と繭を作ってさなぎになります。

さなぎって何? 繭ってどうやって作るの? なんて聞いてまわることもありません。

また 人間以外の動物は、お医者さんや助産師さんの助けも借りず 医学の勉強もせずに、自力で子どもを産み落とします。

子育てだって 母親教室で教わらないとできない動物なんていないし、セミやヘビが脱皮の仕方をレクチャーされてるなんていうのも見たことがない。

前もって教えられていないことをどうして彼らはできるのかとずっと不思議だったのですが、ある頃から これは逆なのかもしれないと思うようになりました。

何事も教えられなければできない人間のほうがおかしい。。。。というか、人間だって 前もって教わらなくてもわかる ・ できる力を持っていて、ただそのことを忘れているだけなのではないかと。




私たちの身の周りにあるどんな物も 誰かのアイデアが形になったものであり、そのアイデアは突然のひらめきから訪れます。

なんの脈絡もなくいきなり 「いいこと思いついた♪」 なんてこと、どなたも一度は体験されたことありますよね。

私たちの世界は きちんと言葉 ・ 理屈で証明できないものは勘定に入れず切り捨てる傾向がありますが、こういうことは 証明できようができまいが けっこう頻繁に起きている。

「知覚できない世界なんてあるの?」 「言葉の及ばない領域?なにそれ?」 と思われる方も、氣づいてないところでそういう領域としっかりコンタクトしてるわけです。

ひらめきが 無意識のときやぼんやりしているときに出現するのも よく知られていることですが、「無意識」 「ぼんやりする」 とはすなわち なにも考えていない状態、言葉が止まっている状態。

つまり、意識の焦点が顕在意識から潜在意識に移っているときです。

私たちの理論脳の動きが止まり 言葉が消えて 潜在意識の領域にあるとき、理屈を超えたひらめきが訪れる。

貴秋は、いまの世界のさまざまな厄介ごとの突破口がここにあると思うのです。













続 ・ あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その5

2020年11月25日 18時13分32秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
前の記事で 幾世代にもわたって受け継がれてきた根深い思い込みが 私たちを被支配者の立場に縛り付けている催眠の正体であるとお伝えしましたが、つい最近 この催眠のからくりは支配者側も同様だということに思い至りました。

支配者 ・ 金持ち ・ 特権階級などと呼ばれる人々の意識の継承も やはり何十世代にもわたっており、もとを辿れない点は同じだということです。

彼らがなんらかの理由でいまの立場から降りたいと思っても、根底の意識がそのままでは簡単にはいかないでしょう。

貴秋はこの立場の人間であったことがないので 想像するしかありませんが、強者には強者の論理があり、貧富の差が現れ始めたばかりのころは その論理にはそれなりの裏づけとなる事実があったはずです。

が、いまの世代はおおもとの事情を知らないまま 「自分たちは選ばれた者だ、能力にも機会にも運にも恵まれているのは それを受けるだけの立場にあるからだ、不公平だと騒ぐ者たちは 自分の能力のなさをわかっていなかったり どうしようもない巡り合わせの悪さをわれわれのせいにしているだけなのだ」 というような見方だけをナチュラルに身につけてしまっていると思われます。

自明の理と信じて疑わないことに疑問を覚えるのは難しいし、また外からどれだけ非難されようと 心が動くものではありません。

こうして持てる者と持たざる者双方が、自分の心の捕われに氣づくことのないまま互いに非難し合いいがみ合っているのだとしたら、解決の糸口をどこに見出せばいいのでしょう。




いまこの時期 世の中がざわついて感じられるのは、不安や恐れを感じている人が多いからでしょうが、これは支配者層も同じこと。

本質から離れる行きの道が 本質へ立ち戻る帰りの道に転じたいま、何千年と追い風が吹いていた権力者の生き方は 流れに逆行するものとなってしまい、これまでうまくいっていたものもうまくいかなくなってしまいました。

それだけでも不安なところにもってきて、自分たちに富の独占を許してきた経済システムが限界にさしかかり、あちこちにひずみが生じて大衆の不満が大きくなっている。

万事が以前のようにスムーズに進まないいま、不公平なシステムの責任を問われる事態になったら、民の不満の矛先が自分たちのほうに向くようなことがあったら・・・・考えるだけでも冷や汗ものでしょう。

それに、彼らにも言い分があります。

彼らの側から見れば、理不尽なのは民衆のほうなのです。

彼らは生まれたときから与えられているものを享受しているだけなのに、「それは我々から奪ったものだから返せ」 と責め立てられて取り上げられようとしているのですから。

こう書けばお氣づきの方もおられるかもしれませんが、パレスチナ問題なども こういう構図から生じているのですね。

とはいえ いまの世の流れは彼らに有利とはいえなくなっていますから、身を守る手立てを講じなければならない。

焦った彼らが打った強引な手、それが今回のコロナ騒動だと貴秋は見ています。

さらに これ以上不安に苛まれたままでいることに耐えられなくなった彼らが、より強硬な手段に出て 民衆の力を極限まで押さえ込み、世界をひとつにまとめて一括管理しようとしているという話もあります。

これが事実か否かはわかりませんが、いずれにせよ不安や怒りなどのネガティブな思いからとった行動が ポジティブな結果に終ることはなく、たとえ一時的に押さえ込みに成功したところで それが未来永劫続くことなどあろうはずがありません。

蒔いた種が実りとなって戻ってくるのが宇宙の法則、押せば押し返され、憎しみを放てば憎しみが帰ってくるのがこの世界の約束事なのですから。

なにより悲しいのは、意識の自由を奪われている立場は同じなのに 持てる者と持たざる者に分かれて争い合うことで、地球の巡りそのものが滞ってしまい、人間以外の多くの命にまで影響が及んでいること。

こんなことを続けていれば、最悪の場合 四番目に破滅した世界としてホピの予言に加えられることにもなりかねません。

支配者だろうが被支配者だろうが、そんな未来なんて誰も望んでいないはず。

さてさて、どうすればこれをソフトランディングに導けるでしょうか。














続 ・ あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その4

2020年11月25日 09時58分36秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
貴秋が言う 「意識の共有」 とは、他者の意識を自分のそれとして感じること。

イライラしている人のそばにいるだけでこちらまでイライラしてくることを 「イライラが移った」 などと言いますが、具体的にどのようなプロセスを経てイライラがあちらからこちらに移るのかについては曖昧なままです。

貴秋がこれを 相手の感情や感覚を自分のものとして感じ取っているのではと思い出したきっかけは、以前も書いたように 刈ったばかりの木を眺めながら 自身もまた伸び放題の髪を切ったあとのような爽快感を感じていることに氣づいたとき。

それまでにも 買ってきたゴーヤの苗が立派なグリーンカーテンに育つさまをイメージしたら 苗にびっしりたかって食べようとしていたマルムシが一匹残らずいなくなったり、犬が苦手な貴秋が通り道をふさいでいる犬に心の中で事情を話して頼んだらすっと立ち去ってくれたり、あるワークショップで初対面の人の本人も氣づいていない感情を演じるよう言われて当惑していたら 明らかに自分のものでない笑いの衝動がこみ上げてきたりと、理屈では説明のつかない体験をいろいろしてきましたが、いずれも対象の木や虫や犬や人とのあいだに意識の共有が起こり意が通じたと考えれば納得がいきます。

その後も事あるごとに 「意識の共有」 を仮説として当てはめては腑に落ちることを繰り返してきましたが、あるときふと この仮説を使って根深い思い込みの継承について説明できることに思い当たったのです。




ユヴァル ・ ノア ・ ハラリ氏によれば 農業革命が起こったのは1万2千年前だそうですが、日本でも弥生時代に農耕が始まり、それをきっかけに力を持つ者と持たない者の差が大きくなり、支配者と被支配者にくっきり分かれるようになったといわれています。

そして支配する側は支配者としての、支配される側は被支配者としての意識を持つようになった。

その意識が親から子へ、子から孫へと 「意識の共有」 を通じてコピーのように受け継がれていったとしたらどうでしょう。

共有した意識は他者のものでありながら、共有していることに氣づいていないと 自分自身の思いとして認知されます。

まだ物心つかない幼い子どもが、もっとも身近な大人の意識をわがこととして感じ取り、それが三つ子の魂百まで状態で潜在意識の奥にがっちり入り込む、そんなことが弥生時代から今日まで 何十世代にも渡って繰り返されたとしたら。

因果関係がはっきり辿れる思い込みについては 納得のうえ手放すこともできますが、ただでも記憶の残らない幼少期に いつのまにか自身の思いとして入り込み、知覚の及ばない潜在意識に居座ってしまった思い込みに どうして氣づくことができるでしょう。

仮に氣づいたとしても、思い込みのもととなる体験をしたのは何十世代も前のご先祖さまなのですから、体験という起点がないまま観念だけががっちり根付いて育ってしまったものを どうやって解除すればいいのか。

こうして訳もわからず 「とにかくそういうものなんだ」 と思い込み、思い込んだことさえ氣づかないまま影響を受け 人生を左右され、やがて次の世代に受け継がれてゆく、そうやって何世紀も過ぎるうち いつのまにか自然の法則と同じような扱いになってしまった因習や偏った価値観、それが私たちがかかっている “催眠” の正体です。




これまでにも、こんな差別や格差はおかしい、一方的に理不尽な扱いを受けるなんて我慢できないと怒りに燃えて 権力者に戦いを挑んだ人は大勢いました。

が、結果はご覧のとおり。

理屈で、つまり顕在意識でいくらおかしいとわかっていても、意識の9割を占める潜在意識が催眠にかかったままではうまくいくはずがないのです。

しかも、「その2」 で書いたとおり 支配者側はこういう人間の意識の仕組みを熟知していますから、なおさら勝ち目はありません。

だから まず催眠を解いて。。。。とは以前の記事でも繰り返しお伝えしてきたことですが、今回はもうひとつ先があります。

「その1」 から三ヶ月も空いてしまったのは、おそらくこの 「先」 を自分の言葉で伝えられるようになるまで待てということだったのだろうと、いまはひそかに思っています。











続 ・ あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その3

2020年11月24日 15時24分05秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
10日ほど前に放映されたETV特集 「サピエンスとパンデミック ~ ユヴァル ・ ノア ・ ハラリ特別授業」 で、歴史学者 ・ 哲学者であるハラリ氏は、想像力をもとに作られたストーリーを複数の人間が共有することで、人類はあらゆる生物の頂点に立つほどの力を身につけると同時に、力のあるものが自分に都合のいい物語を信じ込ませグループを支配するのを許すことになった、と述べておられます。

個々の身体能力では他の動物に敵わない人間も、共通の約束事に従って結束し協力し合うことで 自分たちより大きく強い動物を狩れるようになった一方で、一人が想像 ・ 創造した権威を共通認識として他者に刷り込むことで 支配力を持つようにもなり、ここに人類は支配者と被支配者に二分される道を歩み始めた、と。

この権威の中に、お金 ・ 時間 ・ 法律も入るわけです。

「印刷した紙を国が配れば、国民は物が買える」 という物語の共有で成り立つのがお金のシステムだと ハラリ氏は語ります。

貴秋はここに 「時間という共通の物差しなしに きちんとした暮らしは送れない」 「法律という全国民共通の規範を守ってこそ良き国民である」 というストーリーも付け加えたいと思います。

これらはすべて 特定の個人が特定の意図を持って創作した物語であり、受け入れる受け入れないは本来各自の自由なはずですが、私たちはみな これらの物語を宇宙の摂理ででもあるかのように信じ込み、逆らえば人としての尊厳も 場合によっては命さえも保証されないというルールを受け入れてしまっているのですね。

ハラリ氏は 「ストーリーは全知全能の神ではなく 不完全な人間によって作られたものだと理解することが大切」 と説きますが、では理解すれば物語からすんなり降りることができるのか。

残念ながら貴秋にはそうは思えません。

ここに 「潜在意識による催眠」 という厄介なものが入り込んでくるからです。




この 「集団でフィクションを信じることで かつてない力を得ると同時に 特定の個人が支配力を持つようになった」 ことを ハラリ氏は 「認知革命」 と名づけ、続いて起こった 「農業革命」 により、穀物の栽培が経済格差を生み、野生動物を家畜として支配するようになったことが人間同士の支配にまで発展して 奴隷制度や男性優位の社会の出現につながったと解説しておられます。

物語の力を利用して他者を支配することに長けた者が、農耕や牧畜を通じてさらなる力を得、支配者と被支配者の力の差は開く一方となり、支配する側は支配者としての意識を、支配される側は支配される者の意識を、それぞれ持つようになった。

ここに潜在意識の持つ特徴が絡んでくると 貴秋は見ています。




人間は他の動物と違い、脳が未完成のままで生まれてきます。

人間の赤ん坊だけが 生後10ヶ月ぐらいまで立つことも歩くこともできないのは、そのためです。

脳の配線が完了するまでに触れる情報は、無条件に意識の奥深くに入り込み定着します。

無条件というのは、取捨選択の基準を作る 「言葉」 というものをまだ持っていないから。

人間以外の動物の赤ん坊を生まれたときから人間のもとで育てても 人間みたいになることはありませんが、人間の赤ん坊が狼の群れに育てられることで 狼の仕草や生活習慣を身につけたという実例は、この性質ゆえなのですね。

「三つ子の魂百まで」 の例えどおり、言葉を獲得する以前の幼いころに刷り込まれた情報は、 生涯に渡って私たちに強い影響を及ぼし続け 人生を左右するのです。




昨年 「あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その9」 に書いたように、「意識の共有」 ということに目を開かれた貴秋は 例によって日常のあらゆる機会を活かして実地検証に励んできたわけですが、あるときふと、この意識の共有が親子間で次々受け継がれてゆくことで 人類全体が強力な催眠にがんじがらめになり 身動きがとれなくなっている可能性に思い当たったのです。










続 ・ あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その2

2020年11月23日 11時04分18秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
「その1」 を書いてから、三ヶ月近く経ってしまいました。

「その2」 を何回書いても ほんとうにお伝えしたいことに届いてない氣がして書き直し続けるうち、今度はパソコンの調子がおかしくなり、11月も半ばを過ぎたところでようやく態勢を立て直すことができました。

この間に貴秋の意識もまた変わり、記事も最初に考えていたのとは違う展開になりそうです。

続きをずっと待っていて下さった方、大変申し訳ありませんでした。

これよりブログ再開いたします。




最近よく思います、「もうすでに多くの方が 薄々でも氣づいているよね、私たちの世界は私たちの望みに反して 何よりも命を一番大切にするようにはなってないって」 と。

いまや新型コロナウイルスCOVID-19のおかげで、経済格差が生死を分けるさまを 世界中の人々がいやおうなしに見せつけられているのですから。

COVID-19が地球規模で広がり、世界中でさまざまな隔離政策が取られ 人々の行き来が制限されたことで 経済が立ち行かなくなり、苦しい暮らしを強いられる人が増えて、今後お金の問題で命を落とす人は コロナで亡くなる人の数を上回るだろうという予測も聞かれます。

貴秋は以前より、いまの世の中の苦しみのおおもとは 現行のお金のシステムにあると見ています。

今回のコロナ騒ぎは、自身に不利に進み出したゲームの結果をうやむやにするために テーブルごと引っくり返した、みたいなことではないでしょうか。

循環で成り立つこの世界に ひたすら成長することを前提としたお金のシステムを持ち込んでうまくゆくはずがなく、破綻が目前に迫って これまでのように自分たちに有利に事を運べなくなるばかりか、責任の所在を追及され 責任者の正体が明るみに出るのを避けるため、世の中に混乱を引き起こし 万事をうやむやにしたあげく、ある程度事態が収まったら安全な隠れ家から出てきて、「もう一度ゼロからやり直そう」 とのたまいつつ 多くの市民の屍の上に同じシステムを再構築する、というような。

これが戦争や紛争だったら 「戦争反対」 の声が湧き起こるところですが、ウイルスとは考えたな。。。と思っていたら、ちょうどきのう 愛読ブログ 「In Deep」 のOkaさんが このようにお書きになっておられました。


それにしても、「感染症」というのは、コントロールには最良のツールであることも今回のパンデミックで知りました。何しろ「あらゆる主張やイデオロギーが介入できない」ものであり、感染抑制という観念が、なぜか「絶対的な観念」として提示され続けています。

ほぼあらゆる人々が、その統制下に入ることを余儀なくされたわけです。


(「悪魔的存在の計画に関しての個人的妄想 ・ すべての人類の思想をDNAレベルで統一するには」 より)


ほんとうまいこと考えたよね。。。ウイルスに抗議したって反対運動起こしたってなんにもならないもの。

この種の混乱には 当然仕掛けた人がいるはずですが、この仕掛け人は 人間というものの性質を熟知していて それをうまく使い、自身は隠れたまま 長年大衆を支配する側であり続けてきました。

しかしいまや それもうまくいかなくなってきたのでしょう、今回のやり方は明らかに洗練されておらず強引で、なりふり構わず力押しという感じです。

加えて騒動が世界規模に広がったおかげで、これまで氣づかずにいた人も見ない振りをしてきた人も さすがに今回はなにかおかしい、不自然だと うっすらとでも感じているのではないかしら。




いま 世界中の人々が、強い閉塞感やストレスを感じている氣がします。

世の中は明らかにおかしくなっているのに、なにがどうしてこうなっているのかがわからず、決定的な解決策が見出せないから。

いつまで経っても出口が見えない息苦しさが溜まりに溜まって、はけ口を求める人たちどうしがあちこちで衝突し、混乱はますます深まっているようです。

アメリカ先住民族 ・ ホピ族の伝説によれば 世界はこれまでに三度滅んでいるということで、四番目に当たるらしい私たちの世界も このままいったらいつ滅んでもおかしくないのではという氣さえするぐらいですが、さすがに同じ失敗を四度は繰り返したくないもの。

過去の轍を踏まないために、いま私たちはどうすればいいのか。

大丈夫、私たちの選択次第では 希望は十分にあります。