毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

でかい野望はもういらない、いまがよければすべてよし

2023年07月31日 13時45分49秒 | ふと思うこと
前回牛乳で作るアイスクリームのことを書きましたが、これとコーヒーゼリーの相性が抜群なことに氣づいてゴキゲンな貴秋です。

ゼリーといっても ゼラチンではなく寒天パウダーを使い、コーヒー液多めの配合にして柔らかく仕上げるのが好みですが、甘みは控えめにして、物足りない人にはグラニュー糖で作ったガムシロップを添え、牛乳をたっぷりかけて崩しながら食べるのが貴秋流。

で、ふと思いついて このゼリーに例のアイスを乗っけてみたら、溶けたアイスが牛乳の代わりになるので 「溶けちゃう前に食べなきゃ」 という焦りから解放され、また合間合間に口にするゼリーが アイスで冷え切った口の中をほどよく温めてくれて、とてもいい組み合わせなのです。

きのうはここに 残っていた缶詰の黄桃のスライスを添え、庭のアップルミントを飾りました♪




「自己満足で氣が引ける」 なんて言いながら このところ毎回こんな話を書いておりますが、白状すれば やっぱり楽しいし、こんな他愛ない話でも読んでくださる方があるのがうれしく幸せです。

それにしても、同じように日常のことを書いていても 和歌山時代とはなんて違うのでしょう。

あの頃は どんな楽しい時間も長くは続かなくて。。。っていうか、自分の中に 「いい時間は長くは続かない」 という思い込みがあったんでしょうね。

だから、「いまはこんなていたらくでも 先にはもっといい世界があるはず、よりよい未来が実現するまで なんとかいい氣分を保って時を稼ごう」 というスタンスで毎日を生きていて、純粋にいまという時間を楽しめてはいなかったのです。

何かに打ち込んでいても、それが済むとふっと退屈を覚えたり空しくなったり、避け続けていた不安や恐れにどっと襲われたり、といった具合で、来る日も来る日もそんな感情の浮き沈みの繰り返し。

鬱モードになると 何をする氣も起こらなくなるから、せっかく種を播いたり苗を植えたりしても そのあとほったらかしで、ふと氣づくと 枝葉がぼうぼうに茂って 全体に養分が行き渡らず実付きが悪かったり、天然酵母のパン種を仕込んでも、ここぞというところで氣力が失せて 発酵のベストタイミングを逃して失敗したり、青梅を買ってきたのに 落ち込んでいる間に黄色く熟れてしまって 予定のものを作り損なったりと がっかりすることも多く、そんなネガ氣分に引っ張られまいと いいことや楽しい時間にことさら意識を集中させてのブログ書きだったわけです。

書いていることにウソはないけど、実際は書かれていない負の時間のほうが長く優勢で、それに負けまいと懸命だった。

それがいまは 不安に脅かされることもなく、子どもの遊びのように 次から次へと “いまの一番” を渡り歩く毎日なのですから、変われば変わるものです。

発酵食や保存食作りでタイミングを逸することもなければ、毎日欠かさず手入れをするおかげで 野菜もたっぷり実を恵んでくれます。

この話のミソは、状況がよくなったから 氣分が安定したのではなく、不安や恐れを手放して氣分が安定したから 状況がよくなったのだというところ。

もう 未来にばかりフォーカスして いまをどうにかやり過ごす なんて生き方をする必要はない、いつだってそのとき選んだものが “いまの一番” なのだから、いまをただ楽しんでいれば 未来の悪かろうはずがない。

すっかり氣が楽になり、ひとかどの人間になろうとか 大きなことを成し遂げようとか そんな力みはどこかにいっちゃって、おいしいご飯やおやつを作って食べ、夏の空や花を愛で、セミの声に耳を傾け、秋蒔き野菜は何にしようとプランを練る、そんなささやかな積み重ねだけで十分ハッピーな人生です。
















ことしも 暑くてナンボの夏が来た!

2023年07月28日 13時49分34秒 | 自然
近畿地方は20日に梅雨明けしたそうで、以来連日快晴、すっかり夏らしくなりました。

築50年ほどの実家は 断熱処置など施されていませんから、連日の猛暑日 二階の居室の温度は36~7℃ぐらいまで上がりますが、水分をきちんととって 静かにしている限り、扇風機のみで問題なしです。

全身を滝のような汗が流れ落ちるのを感じつつ、よし、体温調節機能ことしもバッチリ☆ と内心ニンマリしたりして

そして、暑さMAXの午後3時を通り抜けた後に食べるヒンヤリおやつの、なんておいしいこと♪

この夏のマイブームは 牛乳と卵で作る素朴なアイスクリーム、簡単に作れる上に、舌に触れるシャリシャリ感と さっぱりした後味が父にも好評で、冷凍庫でキンキンに冷やしたガラスの器にたっぷり盛り、フルーツなどを添えていただきます 。

毎日のおやつは とにかく手軽に作れておいしいのが一番、和スイーツが好きな父には 前もって煮ておいたあんこを使ったあんみつや冷やし白玉ぜんざいなども喜ばれます。

そんな和のおやつにぴったりなのが、麦茶。

冷蔵庫に入れ場がなくて しばらく作っていませんでしたが、先日父を訪ねて来られたお客さまに 話の合間に心置きなくたっぷり飲んでいただけるようにと作ったのがきっかけで、この夏は3年ぶりに麦茶作りを再開しました。

久々に飲むと やはりこのすっきりした香ばしさは格別で、ペットボトルに小分けして 冷蔵室の棚の隙間に押し込んででも常備するようにしています。

沸かし立ての麦茶がなみなみと入ったやかんを冷水に浸けて粗熱をとっていると、子どものころ 流しで母が同じようにしていたのを懐かしく思い出します。




そんなのどかな夏の暮らしを瞬時にぶち壊すのが、ネガ記憶のフラッシュバック。

手先も汗ばむ自室での午後は 日記書きやペーパークラフトなど紙に触れる作業には不向きなので、たいていは本を読むかネットを見るか昼寝するかなのですが、そんなときにこれがしばしば起こります。

負の手放しの過渡期には避けて通れないことなのでしょうが、これにやられると 氣分が急降下して 重く不快な心持ちになり、それまで平氣だった熱氣が にわかに耐えがたいものに感じられて、体調までおかしくなってくるよう。

このままではマズいのはわかりきっていますから、すかさず感覚フォーカスの体制に入る。。。と 言葉を引っ込め 深呼吸するうちに、やたらこちらを苦しめる性悪な敵のように思えた暑さが いつの間にかただのもわっと熱い空氣に戻り、全身の不快感もほとんど消えています。

こんなことを何度も繰り返していると、「ネガ反応を呼び覚ますのは、起きた出来事そのものよりも それについての自身の解釈のほう」 というのがよくわかります。

今年もメディアは連日どこそこで最高氣温更新、病院搬送者何人などと騒ぎ立てては危機感を煽り、まあそういう注意喚起が必要な人も確かにいるのだとは思いますが、幼児や高齢者、病氣で抵抗力の落ちている方でもない限り、ムリやガマンをせず からだが楽になるように工夫して、夏という季節を満喫しつつ機嫌よく暮らすのが 何よりの暑さ対策だと思います。

毎年言ってますが 夏は暑くてナンボ、例年より暑いというなら それに見合った手立てを施し からだを慣らして、高波を乗りこなすサーファーのごとく この暑さをも乗りこなし、盛夏ならではの楽しみや味わいに変えてゆけばいい。

そして涼風が立ち始めるころになって ふと酷暑の日々を振り返れば、きっと笑顔になり 「ああ いい夏だったなぁ」 としみじみ思えることでしょう。

そんな想像を巡らしつつ、きょうもしっかり暑さと向き合い暮らしと向き合い自分と向き合って過ごします。















カテゴリー分類ってムズカしい ~ 日常の平和と心の平和はひとつもの

2023年07月21日 14時57分46秒 | ふと思うこと
三ヶ月ほど前に書いた 「映画 『A GHOST STORY』 ~ いつかその日、この生に未練を残さぬために」 のカテゴリーが 「貴秋の視点、すなわち偏見」 よりむしろ 「大好きな本 ・ 映画 ・ ほか」 だと氣づいて訂正した貴秋です (^^ゞ

なので、その次の記事の冒頭に書いた 「『 貴秋の視点、すなわち偏見』 カテゴリー以外の記事なんて何年ぶりでしょう。」 の一文はナシということで (笑)

こういうことが起きるのも、「形なき」 意識と 「形ある」 実生活が分かちがたく結びついているからなんですね。

目に見える世界は 自身の意識の投影だから、意識の曇りが取れれば取れるほど 実際の暮らしもどんどんよくなっていくわけで、よくなった日常についての感動を言葉にしようとすれば、内なる変化を 「こうしたらこうなってよかったよ~」 って言いたくなる氣持ちもどうしてもついてきちゃうのです。

だから どのカテゴリーに入れるかは、「形なき」 と 「形ある」 のどちらに重点が置かれているかで おおまかに判断するしかないんだなぁ




ところで、さっきたまたま こんなニュース記事が目についたんですが。

    “杏の「育児は人の手を頼って」発言への批判に感じた危機感…従来型の母親像と違う人を頭ごなしに否定する人たち


う~ん、杏さんが自慢や優越感からおっしゃっているわけでないことも 記者さんの危機感もわかる、と同時に こんなとき誰かにネガ感情を叩きつけずにおれない人の心理もわかるんだよなぁ。。。。自分だって 妬み嫉み僻みみたいなドロドロした感情を 人一倍持って生きていたときがあったもの。

ただ 自分もそうだったからこそ、そのままいくら怨嗟の声を上げ続けたところで 何一つよくなるわけじゃないことも よぉくわかるんです。

形ある世界では あらゆることにネガポジ半々の見方があるわけで、そのどちらにも必ず肩入れする人がいるから、個の意識オンリーでいく限り どこまでも賛否両論に分かれてぶつかり合うしかなく、それでは怒りのエネルギーが大きくなるばかりで 何の解決にもならないんですね。

感情的な思いや言葉をいったん脇に置き、形ある世界の枠組みを超えた引きの視点から事の全体を見渡せば、「そもそも何が原因で、これほどの経済格差が生じているのか?」 というところに イヤでも目がいくはず。

そこで理屈であれこれ考えず、その問いに対する答えが自然と内からもたらされるのを待てば、真の解決につながる答えが 最適のタイミングで必ず手に入るし、その先自分が何を選びどう行動すればいいかもおのずとわかります。

答えは問いよりも先に存在していて 問われるのを待っているのですから、あとはほんとうの問いにたどり着く意志があるかどうかだけ。

これはもちろん意志があるからいいとかないから悪いとかいう話ではなく、めいめいの魂が何を体験すると決めてきたかによって自由に選択できますが、格差に怒りを感じるというのは、格差をなくすことを諦めていない氣持ちの表れでもあり、その思いを実現するためには、怒りを外に叩きつけたくなる衝動からいったん離れて 冷静に状況を見極める目が どうしても必要です。

怒りを持ち続けたままだと どんどん氣持ちがこじれて苦しくなり、それをそのまま表に放てば、作用反作用の法則で 必ず同じだけの反発が返ってくる、こうして分裂が大きくなり 根本的な解決策が見出せずにいるうちに、地球環境のほうが持ちこたえられなくなって、やがてはすべてのいのちが滅びてしまいます。

それが人類のあらかたの本意でないことは、怒りを抱える人、すなわち諦めていない人がこれほど多いことからもわかりますから、貴秋がお伝えしたいことも 結局は 「自分はこうしてネガ感情を手放し、真の答えの一端を垣間見ることができましたよ」 という話になってしまうわけです。

梅を漬けたりゴーヤを育てたりのこの平和な日々も つまるところネガ意識の手放しの賜物、貴秋のブログが 日々の暮らしの何をどう語ろうと おしまいには金太郎飴のごとく 潜在意識だの負の手放しだのの話に行き着いてしまうのは、どうにも避けられないことのようです。

















「仲間」 もいいけど 「ひとり」 もね

2023年07月10日 12時11分41秒 | ふと思うこと
珍しく暮らしにまつわる話を三つも書いたと思ったら、早くも内面の話に戻りたくなってきております (^^ゞ

以前は日々のこまごましたことを書き連ねるのがやたら楽しかったのに、何でこうなっちゃったかなぁ? と複雑な思いでしたが、初期の記事を読み返していたら 当時の心境があれこれ思い出されて、なんとなく理由がわかった氣がしました。

あの頃は まだまだ否定的な感情が強く、自分が打ち込んでいるものへの疑念や迷いが浮かぶこともしょっちゅうで、いくら大好きな暮らしといっても、ほんとうにこんなことばっかりしてていいのかなぁ、こんな生き方でいいのかなぁ、という不安に絶えずつきまとわれていたんですね。

経済的にも恵まれず 先が見えない日が続いて、家仕事を楽しんでいても 「この暮らしがいつまで続くかわからない、いつ立ちゆかなくなっても不思議じゃない」 という恐れがちらちら顔を覗かせ、そんな弱氣を振り払うために ことさら楽しみのほうを強調した文章をアップすることで、精神のバランスを保っていました。

ありがたいことに、そんな他愛ない話にも 読みに来てくださる方やうれしいコメントを入れてくれるブログ友達があって、どれほど助けられ励まされたかしれません。

当時のブログは 貴秋にとって 精神安定剤であり、諦めず先へ進もうとする意思の何よりの支え手だったのです。




なら 今は? といえば、感覚フォーカスの積み重ねにより 不安がほぼほぼ消え、自分の進む道に迷いがなくなりました。

自身のほんとうの氣持ちが見えるようになったおかげで、「好きなこと」 と 「好きだと思い込んでいること」 を取り違えることがなくなり、自分で自分を満たし喜ばせている確実な手応えが得られるようになって、自信を取り戻しました。

そのためでしょう、いまの貴秋は 他者の後押しがなくても、自分の選択や行動について 毎回 「あ~楽しかった、めでたしめでたし♪」 と一人きりで自己完結できちゃうんですね。

もちろん 共感してくれる人 ・ 一緒に遊んでくれる人があれば、喜びも楽しみもぐんと大きくなって うれしさ倍増ですが、さりとて一人だけの楽しみであっても なんら問題はないと、やたら一人遊びができるタチになってしまったようなのです。

だから、ブログを書いてても 「こんなのわざわざ吹聴するようなことでもないしなぁ」 という氣についついなっちゃって、意欲が萎えてくるらしい。




コロナ騒ぎに明け暮れた数年を経て、孤独や孤立ということに多くの人の意識が向くようになりましたが、貴秋が自身の体験から思うのは、「孤」 というのは いのちの源を忘れて切り離されたように感じるときに起きる ネガティブなセルフイメージ。

そのネガ感情と向き合い 感じ尽くして手放せば、「孤」 は自然と 「個」 に変わり、自分の根っこや軸を感じとれるようになって、一人であっても強くたくましくなれるようです。

そんな 「個」 が集まれば、源というすべてのいのちに共通の領域を通じてひとつになり、すごい力を発揮できるでしょうし、ことさら 「孤」 を感じさせたこの数年は、案外そこへと向かうきっかけをつけるためにあったのかもしれません。
















ネットで探すおやつのレシピ ~ 暮らしは楽しむためにある

2023年07月06日 11時02分28秒 | 日々の楽しみ
「紡ぐ暮らし」 以外のカテゴリーも使ってみたくなって。。。原点回帰?

で、きょうはおやつのお話。

相変わらずご飯以上にティータイムが好きな貴秋ですが、このところ90歳過ぎの父の食がいささか細くなって、それでも 「○○作ったけど食べる?」 と訊くと決してNOと言わない (甘いもの好き) ので、量を少なくするのと同時に 同じ品でも なるべく低カロリーでお腹に溜まらないレシピを探すようになりました。

梅仕事のときにも思ったけど、最近はクッキング動画がほんとうにたくさんあって、ワガママなリクエストにも応えてくれるので 助かります。

以前なら 書店や図書館に出向いて、何十分も立ちんぼで 目当ての情報を探し出さねばならなかったところ、自宅で 「デザート、ヘルシー、低カロリー」 なんて検索ワード放り込むだけで、たちどころにずらりとレシピが提示されるのですから、なんてありがたいんでしょう。

クックパッドなどのレシピサイトにも以前からお世話になっていますが、最近動画をよく見るようになったのは、調理法以外にも 初めてお目にかかる器具や 思いも寄らなかった使い方、ちょっとした切り方混ぜ方のコツなど、目からうろこの情報をたくさんもらえるから。

「こうすれば 泡を潰さずしっかり混ぜられるのか~」 とか 「これを使えば まっずぐ平らに切れるのか~」 とか 感心しきりで、いろいろなテクニックやアイデアをいただいて、ますますおやつ作りが楽しくなりました。




せっかくですから、きょうは最近お氣に入りのレシピをひとつご紹介。

昨夏 マスカルポーネもスポンジもなしで作れる簡単ティラミスがマイブームになり、自分の誕生日にも作った貴秋ですが、今年ハマっているのは、牛乳から作るカッテージチーズ利用のティラミス風デザート。

牛乳にお酢を混ぜてカッテージチーズを作るのは以前からやっていて、サラダに添えたりパンに乗せたりしていましたが、ティラミスにしようという発想はなかったなぁ。

教えていただいたレシピは、syun cookingさんの 「【材料3つ】牛乳で作る!ティラミス作り方!」 、この方の動画は他にもいろいろと参考にさせていただいています。

ここでご紹介するのは、syun cookingさんのレシピを参考に 貴秋が自分好みにアレンジしたものですので、ぜひご本家の動画もご覧くださいね。


[材料]ティラミス:牛乳400cc、お酢 またはレモン汁大さじ1、砂糖20~25g、塩ひとつまみ
    トッピング:お好みのクッキー、コーヒー、ココアパウダー 各適宜

1.沸騰直前まで温めた牛乳に、お酢 またはレモン汁を加えて軽く混ぜ、30秒ほど置いておく。

2.ゆっくり混ぜながら、乳成分と水分に分かれるのを待つ。
  混ぜる頻度でチーズの粒の大きさが変わる (頻繁に混ぜるほど粒が細かくなる) ので注意。
  水分が黄色がかった透明になったらOK。

3.2をザルで漉し、チーズと水分 (乳清、ホエー) に分ける。
  syun cookingさんは ここでザルにキッチンペーパーを敷いておられますが、貴秋は時間短縮のため ザルだけで横着しちゃいます (^^ゞ
  チーズの粒を大きめに作っておけばこれでも十分漉せるし、ホエーに多少乳成分が混じっても こちらも後から使うので大丈夫。

4.水分が切れた3をボールに移して 砂糖と塩を加え、なめらかになるまでよく混ぜる。
  ここにお好みで無糖ヨーグルトやレモン汁少々を混ぜると、酸味が強まる。
  ヨーグルトを水切りせず使う場合は、3でしっかりチーズの水分を抜いておくとよい。

5.クッキー (大きいものは 割るか砕くかする) をコーヒーで湿らせて 器の底に敷き、上から4を流し入れる。
  これを二回繰り返す。
  器にラップをかけ、冷蔵庫で冷やして出来上がり。
  食べる直前に ココアパウダーを茶こしで振りかける。

おやつをしっかりとるなら 倍量で二人分に、デザートや軽めのおやつなら この分量を小さめの器で二つに分けると、わが家ではちょうどいいぐらいです。

残ったホエーは、パンケーキや焼き菓子に入れると いい味になります。

こんど梅シロップを冷やしたホエーで割るドリンクも試してみようかな♪




日々の暮らしを存分に楽しめるようになって、潜在意識中のバグが減ったのを実感しています。

これまでこんなふうに暮らせなかったのは、バグにつつかれて 心がいつもどこか落ち着かなかったためだったんですね。

最近ふと浮かんだんです、「なんで好きなこと、楽しいことばっかりじゃいけないの?」 って。

不安や怒りが差し挟まれる日常に慣れすぎていて、楽しいことの連続、いい氣分ばかりで暮らすという発想自体がなかったのに氣づかされました。

よく考えたら、ぜんぜんいけないことなんてないじゃない!

というわけで、ひとつ好きなことが終わったら 次を探す、疲れたら休み、ネガ感情がフラッシュバックしたら すかさず感覚フォーカス、という毎日を送っています。

好きなこと、楽しいことだけで なんの不都合もありませんし、こちらがカリカリプンプンしているよりも にこにこしているほうが まわりも氣分がいいはず。

「好きなこと、楽しいことだけでいいじゃない☆」 とこちらがすんなり思えるようになると、不思議とそれができる環境も整うようで、やっぱり外の世界は内の思いの反映なんだなと実感させられます。

暮らしは楽しむためにある、生活の場は遊びの場、と思えるようになった自分がうれしい毎日です。
















ちょこっと力説 「あのね、梅干しってすごいんだよー」

2023年07月01日 19時25分40秒 | 紡ぐ暮らし
二ヶ月以上もほったらかしていたブログなのに、久々に更新したら さっそくお越し下さった皆さま、ほんとうにありがとうございます。

おかげさまでぐんとやる氣が出て、楽しみをひとつ取り戻した氣分です。

で さっそく昨日に引き続き 「紡ぐ暮らし」 カテゴリーのお話なのですが、せっせと梅仕事に励んでいた折も折、ネットで 「梅干しの消費量が減って 製造業者さんが苦境に立たされている」 というニュースを読みました。

若者を中心に、あの強い酸味が嫌い、苦手という人が増えているのだとか。

まあね。。。たしかに食生活も変わってきて、毎朝梅醤番茶を飲むとか、病氣になったらおかゆに梅干しとかいう習慣も薄れつつあるのでしょう。

貴秋だって、そうそう毎日梅干しを使うわけでもないしなぁ。

それでも梅干し作りをやめようと思わないのは、梅干しの強烈なパワーを思い知らされたある体験のおかげなのです。




2011年9月の紀伊半島大水害のとき、夕方5時ごろになって 集落内の道路がひたひたと冠水し始めたのを目にした貴秋は、念のためにご飯を炊いて、塩鮭と梅干しの二種類のお握りを作りました。

そうしたら 夜中近くに水が家すれすれまで上がってきて、急遽タッパーに詰めたお握りと ほか必要な物を持って 土砂降りの中お隣の小学校に避難することになり、さらに翌日 土石流の危険があるからと裏山に移動して、合羽着て傘をさしたまま数時間を過ごすことに。

そして夕方暗くなるのを前に もっと高いところにある中学校に移ることが決まって、この間ずっとお握りの入ったリュックを背負ったまま 雨の中を行ったり来たりしていたわけです。

で やっと警報解除までの落ち着き場所が決まってほっとした翌朝、みんなで食べる朝ご飯の足しにしてもらおうと お握りのタッパーを開けたら、なんと鮭のほうは 全体にうっすらとカビが生えているではありませんか。

湿っぽいリュックに入れたままあちこち持ち回ったのがいけなかったのか、なんともったいない・・・と悔しい思いで梅干しのほうを開けたら、同じ条件なのに こちらにはまったくカビが出ておらず、傷んでもいなかったのです。

なるほど、これが話に聞いていた梅の殺菌効果というものかと感心しきり、こちらは焼きお握りにして無事食べることができました。

以来、大雨台風の備えや蒸し暑い時期のお弁当には 梅干しのお握りが定番となっています。




梅の殺菌力について初めて教えてくれたのは、亡き母の一番下の妹である叔母。

別の姉の子で伊豆に住む甥っこが水泳の授業で海に行く際、カンカン照りの浜辺に長時間置きっぱなしになるお弁当のことを聞いた叔母は、姉に 「ご飯からおかずまで全体に 刷毛で白梅酢 (梅干し作りで 梅を塩で漬け込んで数日後に上がってくる液のこと) をさっと塗っておきなさい」 とアドバイスしたのだそうです。

そのとおりにしたら、他の子どもたちのお弁当はかなり傷んでしまったのに、甥の分はまったく悪くなることなく無事だったのだとか。

この話がずっと記憶に残っていたのですが、自分自身図らずも梅パワーを実証することになって、改めて梅の底力が身に沁みました。

この白梅酢については、女優でエッセイストの故 ・ 沢村貞子さんのご著書 「わたしの台所」 に 「白梅酢を小瓶にいっぱい残しておき、下痢のとき、盃に半分ほどのめば、まさに妙薬である」 という一節があり、これも試してみたら ほんとうにお腹の痛みがピタリと止まってすごい効き目なのです。

自作の梅干しを贈ったスポーツマンの友人からも 「激しい運動の後 これを食べると回復が早い」 と喜ばれたので、沢村さんの情報を添えて 白梅酢入りのをもう一瓶プレゼントしました。

白梅酢は 自分で梅を漬けるところからやらないと手に入らないので、心が動いた方は、今年は間に合わないかもだけれど、来年にでもぜひ。

大きい容器や漬物石がないとか 漬けてみたいけどたくさんはいらないとかいう方は、ジッパー袋と簡単な重しで少量を漬ける方法が 動画やレシピサイトにいくつも出ていますから、そちらをどうぞ。

ご自身でお作りにならない方 ・ 常食はされない方も、非常食としての梅干しは 困難の中で大きな力となってくれますから、少量でも常備しておかれることをお勧めします (梅干し屋の回し者ではありませんが) 。




貴秋の母は、戦争の他 火事や水害にも遭って 三度も住み家をなくした人なので、台風が来るなんていうと、ろうそくや懐中電灯を用意し、風呂桶に水を張り、大皿一杯のお握りを作るのが常でしたから、貴秋も同じようにしています。

正直 紀伊半島大水害のときも、まさかほんとうにあれほどの被害が出るとは思わず、ただ習慣で備えただけでした。

いまでも台風の時など 「どうせたいしたことにはならないだろうけど。。。」 と思いながらも、ご飯を余分に炊いては梅干しを入れてせっせと握っています。

で 実際何事もなく過ぎ去ると、冷たくなったお握りをごま油で焼き、お醤油を刷毛で塗ってこんがり香ばしく焼き上げ、味噌汁や卵焼きなどを添えて お祝いのピクニックご飯にするのがお決まり。

これを毎回やっていると、梅干しのお握り = 被害に遭わずに済む無事の象徴 という刷り込みができてくるんですね (まあ一度だけは遭ってしまったけど、あのときだって命も家財も無事だったし) 。

台風が近づき 次第に激しくなる雨風が不安を誘う台所でお握り作りをしていると、手の中のお握りが いつものように台風一過の安堵の食卓に並ぶ光景がふと目に浮かび、じゃあおかずには何を作ろうかななんて考えていると、不穏な空氣の中でもちょっと楽しい氣分になってくる、その楽しい氣分が イメージ通りの現実を創造する原動力になってくれるのですから、貴秋にとっての梅干しは、食品としても象徴としても 災害時のお守りともいうべき存在なのです。