ペンキ画家のショーゲンさんと縄文スピリットに溢れるブンジュ村の人々のお話、第三弾。
いえ、シリーズものにするつもりはないです (笑)
ただ、ショーゲンさんの動画を見ておられない方にも ぜひとも知っていただきたいなぁと思う話がたくさんあって。
きょうは、とりわけ貴秋の心に刺さったエピソードを。
タンザニアのブンジュ村に絵を学びに行ったのに、絵以上に人として 日本人としての本来のありようを学ぶことになったショーゲンさん。
ある日 こんなことを言われたそうです。
「ショーゲンを見ているとヒヤヒヤする。
自分を置いてけぼりにする瞬間を よく見るよ。
困っている人を見つけたら 今すぐ駆けつけて助けてあげたい、っていう優しい氣持ちはすごいね。
でもね、世界中の人の心の中には “喜びのグラス” というのがあるんだよ。
その “喜びのグラス” が 水で満たされて一杯になって溢れた、その溢れた分で 人に愛を注いだらいいのに、
今のショーゲンのグラスの中の水は すり減って枯渇している。
この世の中のすべてのトラブルは、この水がすり減っている人たちが 誰かに何かをやってあげようとしたときに起きるんだよ。
あなたの周りに幸せにしたい大切な人がいるのであれば、まずは自分の心を喜びで満たそうね。
それを本来あなたたちはできていたでしょう?」
衝撃でしたね。
まさにドンピシャ、自分の身に起きたことだったから。
貴秋の 「世話焼き母さん」 とは、その 「水がすり減って枯渇したグラスのまま 人の世話ばかり焼く」 というのを脊髄反射的にやってのけてしまう 厄介なバグだったのです。
いつも 「こんなにがんばって人のために尽くしてるはずなのに、少しも満足できない、報われた氣がしない」 と感じていた当時の自分のありようを言い当てられた氣分。
ずっとセルフイメージが低く自信が持てなかったのも納得、「よかれと思ってやっているのに 望む結果とまるで結びつかない」 なんて体験ばかり積み重ねていれば、誰だってそうなるでしょう。
その恨みつらみがどれほど深く大きくどす黒いものかは、目下身をもって体験中です。
「いまの一番」 を問う習慣が身についたおかげで、反射的に動いてしまうクセはかなり直ったし、貴秋の “奉仕” を (無自覚にだが) 当てにする相手にノーと言ったりスルーしたりするのにも慣れてきましたが、長年いいように使われたという恨みは相当根深いようで、当てにされているなと感じた瞬間こみ上げる怒りは、さんざん感覚フォーカスを重ねたいまもなお収まっていません。
実際のところ、原因は他者ではなく 自分の内にあるのですが、それでも 「いいように使われた」 という自作の物語をなかなか払拭できないのです。
これはもうリハビリ中ということで 根氣よくフォーカスを続けるしかないのでしょうが、だからこそ すべてのトラブルの原因がそこにあるという言葉にも 大きくうなずけます。
他者をわっせわっせ世話する陰で ほんとうの自分が私のことも考えて、大事にしてと訴えている、それに氣づかないまま無理を重ねていれば、やがてその矛盾が怒りとなって噴き出すときが来る、自分を粗末にする原因は自身の中にあるのに 怒りをぶつける対象はつねに他者なのですから、トラブルにならないわけがない。
と同時に、枯渇したグラスのまま何十年と過ごしてきた人でも、その怒りや痛みをしっかり味わって解放すれば “自分ファースト” に転向できるというのもわかります。
怒りが残ってはいても、貴秋の心が以前とは比べものにならないほど自由になり、毎日がぐんと楽しくなったのは事実ですから。
しかも、この自由で楽しい毎日は たまたま授かったのではなく 自分の手でつかみ取ったのだというひそかな誇りが加わっていればなおさら、ね。
他者に尽くしては失望を味わうばかりだった人でも、その失望や悲しみや怒りとまっすぐ向き合い手放せば、自分を大切にしよう、まず自分自身から喜ばせようという氣持ちが おのずと湧いてきます。
2025年7月5日までに、ブンジュ村の人々をお手本に 私たちが縄文人のスピリットを取り戻す、いや 取り戻せないまでも 限りなく近づくことは 決して夢じゃないと、貴秋は思っています。
すでに豊かな心で幸せに暮らしている人だってたくさんおられるでしょうし、まだそうじゃないという人だって いまから始めて十分間に合うはず。
物やお金が幅を利かせる世界と 心の豊かさを尊ぶ世界、後者に向かうと心に決める人が増えるだけでも、その分世界はこのままいくよりソフトランディングで事態を収拾でき、縄文時代のような誰もが満ち足りて暮らせる新しいありように近づくことになると思うのです。
※ショーゲンさんの動画は こちらからどうぞ。
いえ、シリーズものにするつもりはないです (笑)
ただ、ショーゲンさんの動画を見ておられない方にも ぜひとも知っていただきたいなぁと思う話がたくさんあって。
きょうは、とりわけ貴秋の心に刺さったエピソードを。
タンザニアのブンジュ村に絵を学びに行ったのに、絵以上に人として 日本人としての本来のありようを学ぶことになったショーゲンさん。
ある日 こんなことを言われたそうです。
「ショーゲンを見ているとヒヤヒヤする。
自分を置いてけぼりにする瞬間を よく見るよ。
困っている人を見つけたら 今すぐ駆けつけて助けてあげたい、っていう優しい氣持ちはすごいね。
でもね、世界中の人の心の中には “喜びのグラス” というのがあるんだよ。
その “喜びのグラス” が 水で満たされて一杯になって溢れた、その溢れた分で 人に愛を注いだらいいのに、
今のショーゲンのグラスの中の水は すり減って枯渇している。
この世の中のすべてのトラブルは、この水がすり減っている人たちが 誰かに何かをやってあげようとしたときに起きるんだよ。
あなたの周りに幸せにしたい大切な人がいるのであれば、まずは自分の心を喜びで満たそうね。
それを本来あなたたちはできていたでしょう?」
衝撃でしたね。
まさにドンピシャ、自分の身に起きたことだったから。
貴秋の 「世話焼き母さん」 とは、その 「水がすり減って枯渇したグラスのまま 人の世話ばかり焼く」 というのを脊髄反射的にやってのけてしまう 厄介なバグだったのです。
いつも 「こんなにがんばって人のために尽くしてるはずなのに、少しも満足できない、報われた氣がしない」 と感じていた当時の自分のありようを言い当てられた氣分。
ずっとセルフイメージが低く自信が持てなかったのも納得、「よかれと思ってやっているのに 望む結果とまるで結びつかない」 なんて体験ばかり積み重ねていれば、誰だってそうなるでしょう。
その恨みつらみがどれほど深く大きくどす黒いものかは、目下身をもって体験中です。
「いまの一番」 を問う習慣が身についたおかげで、反射的に動いてしまうクセはかなり直ったし、貴秋の “奉仕” を (無自覚にだが) 当てにする相手にノーと言ったりスルーしたりするのにも慣れてきましたが、長年いいように使われたという恨みは相当根深いようで、当てにされているなと感じた瞬間こみ上げる怒りは、さんざん感覚フォーカスを重ねたいまもなお収まっていません。
実際のところ、原因は他者ではなく 自分の内にあるのですが、それでも 「いいように使われた」 という自作の物語をなかなか払拭できないのです。
これはもうリハビリ中ということで 根氣よくフォーカスを続けるしかないのでしょうが、だからこそ すべてのトラブルの原因がそこにあるという言葉にも 大きくうなずけます。
他者をわっせわっせ世話する陰で ほんとうの自分が私のことも考えて、大事にしてと訴えている、それに氣づかないまま無理を重ねていれば、やがてその矛盾が怒りとなって噴き出すときが来る、自分を粗末にする原因は自身の中にあるのに 怒りをぶつける対象はつねに他者なのですから、トラブルにならないわけがない。
と同時に、枯渇したグラスのまま何十年と過ごしてきた人でも、その怒りや痛みをしっかり味わって解放すれば “自分ファースト” に転向できるというのもわかります。
怒りが残ってはいても、貴秋の心が以前とは比べものにならないほど自由になり、毎日がぐんと楽しくなったのは事実ですから。
しかも、この自由で楽しい毎日は たまたま授かったのではなく 自分の手でつかみ取ったのだというひそかな誇りが加わっていればなおさら、ね。
他者に尽くしては失望を味わうばかりだった人でも、その失望や悲しみや怒りとまっすぐ向き合い手放せば、自分を大切にしよう、まず自分自身から喜ばせようという氣持ちが おのずと湧いてきます。
2025年7月5日までに、ブンジュ村の人々をお手本に 私たちが縄文人のスピリットを取り戻す、いや 取り戻せないまでも 限りなく近づくことは 決して夢じゃないと、貴秋は思っています。
すでに豊かな心で幸せに暮らしている人だってたくさんおられるでしょうし、まだそうじゃないという人だって いまから始めて十分間に合うはず。
物やお金が幅を利かせる世界と 心の豊かさを尊ぶ世界、後者に向かうと心に決める人が増えるだけでも、その分世界はこのままいくよりソフトランディングで事態を収拾でき、縄文時代のような誰もが満ち足りて暮らせる新しいありように近づくことになると思うのです。
※ショーゲンさんの動画は こちらからどうぞ。