毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

いまさらながら新年のご挨拶と、ちょっと不思議なお話二つ

2021年01月22日 10時58分00秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
いまさらで恐縮ですが、新年おめでとうございます。

旧年中は当ブログをお読みいただきありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。




最近身のまわりにちょこちょこ不思議なことが起きているのですが、中でも極めつけのものを二つご紹介します。

まず一つ目は、昨年10月のこと。

この月はほぼ丸一ヶ月パソコンが使えず、空いた時間を日記のバックナンバーを読んで過ごしていました。

大学ノート90冊近くの過去日記、なかなか読みでがありましたが、驚いたのはあの2011年3月11日 ・ 東日本大震災の日の記述。

こちらの記憶とノートに書いてあることが、一部で大きく違うのです。

記憶では 午後山のほうへ散歩に出て、帰り道 家の近くの坂を下っているときに 防災無線であの大津波警報を聞きます。

防災無線自体は珍しくありませんが、いつになく危機感の強い語調に驚いて 急ぎ足で家に戻り、帰宅直後に実家に電話をかけたか向こうからかかってきたかで 初めて東北で大きな地震と津波があったことを知ります。

が、日記では散歩の話はまるで出てこず、正午過ぎにパソコンに向かっていて眠氣がさし、うとうとと3時近くまで過ごしたあと 遅昼食をとっている最中に防災無線が鳴り響いたことになっています。

えー、記憶違い!?

でもいくら探っても 日記にあるような場面はかけらも出てこず、大津波警報が響き渡ったとき歩いていた山道の景色や、後から和歌山も若干揺れたと知って 「斜面を歩いていたから氣づかなかったのね」 と納得した記憶ばかりが鮮やかによみがえります。

ここで思い出したのが、「マンデラ ・ エフェクト」 という言葉。

以前 「こんなところにマンデラ ・ エフェクト」 という記事を書いたことがありますが、その後マンデラ ・ エフェクトとは不特定多数の人が記憶を共有していることが条件と知りましたので、あの体験が事実だったとしても 名称は単なる 「パラレルワールド移行」 となりそうです。

で 当時は自分でも確信が持てなかったこともあり 事実だろうとただのカン違いだろうとどちらでもOKのスタンスでしたが、今回の件はあまりにもあからさまで 貴秋の中では迷いなくパラレル移行に決定です。




二つ目は、今年に入ってからのこと。

年末数日を大車輪で活躍した貴秋、正月三箇日は毎夜夢も見ず爆睡だったので 初夢といえるものを見たのは4日の午睡のときですが、これが不思議なインパクトのある夢で。

家の近所を歩いていて ふと見上げると、夜空と見まごうような暗紫の空に虹が出ているのを見つけます。

アーチ状ではなく 根元だけが柱のように垂直に立った、赤と黄色がアンバランスに強調された虹。

家に戻り もう一度あの虹を見ようと表に出ると、今度は真っ暗な夜空一杯に 長時間露光の天体写真のような星の光跡の円が描かれています。

目が覚めてからもくっきり脳裏に焼きついていたので 夢ノートに書き留めましたが、「普通ならあんな暗い空で虹なんて見えっこないし、夢ならではの光景だよなぁ」 と思ったのを覚えています。

それから10日近く経った13日。

前日録画しておいた BS1の 「生命の樹」 という番組を見ていて、はっと息を呑みました。

出し抜けに あの夢と同じ虹が画面に現れたのです。

番組はアフリカ ・ カラハリ砂漠の樹齢200年のアカシアの大木を一年に渡って撮り続けたドキュメンタリーで、件の場面は長い渇水の後 ようやく砂漠に雨が降ったときのもの。

それまでの青空がウソのように真っ黒な雲に覆われた空一面に目もくらむような稲光が走り、ひとしきりの大雨の後、 紫がかった暗グレーの空に 赤と黄色がひときわ目立つ柱状の虹が映し出されます。

「夢の虹だ!」 と思わず停止ボタンを押して まじまじと見つめてしまいました。

なるほど、こういう事情で空は暗くても虹が出ているのか。

しかもそのあとおしまいのほうの場面で、星の軌跡の映像まで出てくるのです。

うーん、いったいなんなんだこれは。




このような体験をしたからといって 日々の暮らしがいきなり大きく変わるわけではありませんが、以前の自分が当然と思っていた時系列で限定されたものの見方は絶対ではなかった、意識が変われば変わるほど 思いもよらないものがもっともっと現れてくるのだろうなぁという氣はします。

一割の顕在意識オンリーから 潜在意識も含めトータル100%へと移りゆく意識を通して、この先世界はどのような変化を見せるのだろう。

期待に胸膨らませつつ、目はつねに前に向けていようと思います。