すっかりご無沙汰しています m(__)m
このところ 家に戻るときって 何か用事があるときばかりなので、パソくんにゆっくり向かう時間がなかなかとれません。
仕事のほうも忙しく、連休とかまずムリなのでなおさら。
きのうはお隣小学校の芝生集会、残念ながら 去年に続き今年も雨で、講堂での開催となりましたが、今回もわが読み聞かせグループ 参加させていただきました♪
大型絵本三冊、「ぽんたのじどうはんばいき」 「まどからおくりもの」 「にじいろのしまうま」 、練習日も一日しか取れなかったけど、まあまあうまくやれてよかったこと (*^^*)
「アンパンマン」のやなせたかしさんが絵を描かれている 「にじいろのしまうま」 は、おしまいの歌のところ、簡単な曲をつけさせてもらいました。
こんなことも初めてだったけど、初めてのことがうまくいくのって うれしいものですね♪
で、もうあと1時間足らずでまた出発なのですが、白浜での近況をちょこっとご報告。
「世界は自分が創っている」 という観念を信じると決めたときから、ずっと疑問に思っていたことがありました。
自分の中にまったくないものを どうやってイメージすればいいの? っていうこと。
あのころの私は、愛の人になりたいと望んでいたにもかかわらず、自分の中に愛のかけらも見出せなかったから。
それが、最近ようやっとわかってきました。
愛、喜び、豊かさ、安らぎ。。。誰もが心から望むそういうものは、自分の中にもとからあるんですね。
っていうか、それが私たちの本質そのもの。
新しく創るとか、どこからか持ってくるとか、そんな必要そもそもなかった。
どこをどう探してもまったく見えなかったから、自分の内にあるなんて あの頃の私には思いもよらなかったけれど (^^ゞ
何度も使ってきた例えだけれど、雲が消えれば お日さまが顔を出す、それだけのことだったんですね。
お日さまは、もとからずーっとそこにあった。
雲に覆われて見えなかっただけ。
だから、結局のところ、私がすればいいのは、自らつけた曇りを せっせとぬぐい続けること、さらに言えば そのプロセスを味わい楽しむこと、それだけ。
たったそれだけ。
いや~、こんなシンプルなことだったとは。。。。
でも それって、わっせわっせ魂磨きをして、その向こうに望むものをちらと見て、「あ~、ずっと前からあったんだぁ」 と氣づいて初めてわかることなんですね
最近ようやっと確信が持てるようになってきました
そして、今年二度目の白浜は、間違いなく そのためにセッティングされた 絶好の舞台でありチャンスです。
いろいろな人の中で揉まれるからこそ、痛い思いや苦い思いもするし、その痛みや苦さこそが ずっと手放せずに来た 長年持越しの思い込みの存在を氣づかせてくれる。
あとは、ひたすらその感覚を味わうだけ。
お役目を済ませた観念さんが去っていくたびに、曇りが薄らいで、やがて その向こうに ずっと望んでいたもの、自分の中にあるとは夢にも思わなかったものが、薄~く透けて見え始めるときが 必ずやってきます (^^)
三次元的には仕事に勤しみ、五感を超えたところでは ひたすら魂の曇り取りに励む。
そんな日々も、残り1ヶ月を切りました。
これから何が見えてくるのか、ほんのりと楽しみな氣持ちです