毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

怒りに身をまかせてもなにも解決しない

2020年05月24日 13時06分55秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
出不精ゆえ自粛前も後もさして変わらない暮らしぶりの貴秋ですが、14日の39県緊急事態宣言解除の前と後では 空氣ががらりと変わったのを感じます。

どっちを向いてもマスクだらけなのは相変わらずでも、見えないところで人々の心に希望の光が射してきたようです。

そんな中、このコロナ騒動では下手ばかり打ってきたとしか思えないわが国の首相に いまかなりの逆風が吹きつけているみたいですね。

まああれだけ嘘や正当化で国民感情を逆なでしたあげく ここぞというところで的外ればかりやらかせば致し方ないところでしょうが、同時にいまのこの流れに危惧の念も覚えます。




なにかがおかしい ・ 変だと感じると、それを正そうとする氣持ちは誰にでも起こるもの。

そこですんなり 「ではどうしようか?」 と手段の検討に移れればいいのですが、ここに 「正したいけれど無理だ」 という抵抗感が割り込むと、怒りが湧きます。

したいのにできないというフラストレーションが生む怒りは はけ口を求めて暴れ回り、私たちはついついそれを 邪魔をしているとおぼしき誰か ・ なにかに向かって叩きつけずにおれなくなります。

が、一見外の誰か ・ なにかのせいと思えるこの抵抗の正体は、実は 幼いころ潜在意識に入り込み定着してしまった自身の否定的な思い込み。

無理という事実があるから無理だと思うのではなく、最初から無理だと思い込んでいるから そのとおりの現実が創造されるのです。




根拠あってのことかどうかも定かでない自粛を長期にわたって強いられ、経済も暮らしもがたがた、みんなの溜まりに溜まった苛立ちが この状況で安倍総理に向かうのは ある意味無理のないことではありますが、いまここで すべてを外の誰かのせいにしてしまったら、立て直せるものも立て直せなくなることは歴史が証明しています。

我慢に我慢を重ねた庶民の怒りが時の政権を打ち倒したことは、過去に何度もありました。

「ひとりひとりの力は小さくとも おおぜいが力を合わせれば動かないものも動かせる」 という信念は希望に満ちて見えますが、それで実際に真の平和や平等が実現したことが 一度でもあったでしょうか。



私たちの現実世界は 大小 ・ 高低 ・ 寒暖のように相対する二極から成り立っており、悪に対するものが正義と呼ばれるのは 童話や時代劇から私たちの日常に至るまでのお約束。

しかし この一見真反対に位置するように見える二極、よくよく見れば 実はどれもこれも同じものの程度の差でしかないのです。

だから、政権のトップの首がいかにすげ変わろうとも どの政党が多数派を占めようとも、おおもとの社会システムやそれを生み出した私たちの意識が根本から変わらない限り 暮らしぶりも変わりようがない。

問題の根っこは、いったん問題から抜け出て 引きの視点に立たない限り見えてきません。

問題の渦中に浸かったまま右をとろうが左をとろうが、なんの解決にもならないのです。




いま怒りにまかせて安倍さんを首相の座から引き摺り下ろせば、いっとき溜飲を下げることはできるでしょう。

が その後任が誰になろうと、世界レベルでのパンデミックや経済恐慌、異常氣象等々 かつて経験したことのない事態についての答えなど 誰が持っているというのでしょう。

ましてや そのような人たちでも頼らずにおれない依存心を持ったままの民衆がどれほど集まったところで、すべてを解決できる力などあろうはずがありません。

本氣でほんものの幸せや平和を実現しようと思うなら、なによりもまず 私たちひとりひとりが 誰かに頼ろう、誰かに答をもらおうとするのを止めることです。

答えは私たちひとりひとりの内にあります。

それは顕在意識だけでいかにあがいても呼び覚ますことはできず、潜在意識に入り込んだままのさまざまな思い込みを手放して初めて 雲が退いたあとの太陽のように おのずと姿を現すもの。

私たちひとりひとりがまず自分の足でしっかりと立ち、手にした答えをそれぞれの得意分野を通じて形に置き換え持ち寄るとき、かつて誰も成し得なかった真の平和が実現します。














不安定な現状だからこそできること

2020年05月07日 13時33分08秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


このところコロナ関連報道は意識的にシャットアウトしていますが、それでも漏れ聞こえる話に 「な~んか世の空氣が太平洋戦争のころと似てきたなぁ」 と感じます。

互いに見張り合い足を引っ張り合う感じとか、「非国民」 なんてワードとか、ピリピリトゲトゲギスギスした緊張感とかね。

いえ、貴秋自身が体験したわけではありませんが、母からさんざん聞かされていたことなので。

と同時に、「戦時中そっくりの空氣とは、これは戦争こそ起こせなくても 似たような状態にもっていこうとする意図がどこかで働いているということかな?」 なんて氣にもなってきます。

「あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その4」 にも書きましたが、権力者が行き詰った現行の経済システムをいったんリセットして 自分たちに富が集まる仕組みを持ち続けられるようにするには、混乱を起こし 庶民どうしが争い自滅するよう仕向けるのがもっとも効果的な方法ですから。

こんなことを書くと陰謀論者かなにかのようですが、現状をつぶさに見ていると やはりどうも不自然なのですよね。




その昔 調剤薬局で事務のバイトをしていたことがありますが、インフルエンザの最盛期には 夕方の3~4時間だけでも3ケタ近いお客さまで 狭い待合スペースがごった返したものです。

翻って 今回の新型コロナウイルスの奈良県の感染者数は延べで88名、総数で比較すればケタ二つぐらい違うんじゃないでしょうか。

なのにこの自粛騒ぎはいったい何?

学校もお店も片っ端から休ませて、スーパーに行けば誰も彼もマスクに身を固め レジには透明の仕切り板、テレビも新聞も動画もこぞって 「ステイホーム」 の大合唱、挙句の果てには休業しないお店の密告だの他県ナンバーの車への攻撃だのと。。。感染者数も死者数もはるかに多いインフルエンザ流行時にこんなことが今まであったでしょうか?

これが致死率50%以上の猛毒ウイルスとかならわかりますが、インフルとの比較で見る今回の騒動はあまりにも不自然で、意図的に煽られて起こされている可能性を感じずにはおれません。




楽しい話ではないとはいえ かつて経験したことのない事態がどう動いてゆくのか知りたくて ある程度のコロナ情報には接していた貴秋ですが、その都度湧いてくる負の感情には感覚フォーカスで対処していました。

それがなぜかじわじわとネガ感情が膨れ上がり 対処し切れないと感じて一切の報道を遮断した2、3日後に、緊急事態宣言の対象地域が全国に拡大されたのです。

その後、コロナ情報にはまったく触れていないにも関わらず やたらと否定的な感情やイメージが湧き出るようになり、これは世の中全体の空氣がぐっと負に傾いたなと感じました。

意識の共有の自覚と感覚フォーカスの習慣のおかげで 自身の内的変化をキャッチしやすくなっていたため かろうじて氣づけたことですが、そうでなかったらわけもわからぬまま呑み込まれていたでしょう。

この騒動の煽り手は、そんな人の意識の仕組みをよく理解しているようです。




感情は、この五感の世界を体験するためになくてはならないアイテムです。

感情があるからこそ、私たちはこの世界で 魂が望むあらゆる体験に存分に浸り込むことができる。

その一方で、感情に捕われたままだと 狭い個の視点から抜け出すことができなくなってしまうという弊害も起こります。

俯瞰の視点は 言葉も感情も及ばない領域のものだからです。

この領域は時間や空間の概念もないので、危機的状況を脱するための情報や智恵を 時空を超えて受け取ることができますが、ネガ感情に巻き込まれパニックになっている心には届きません。




俯瞰の視点からいえば それぞれの体験にいいも悪いもないので、この恐怖や怒りの体験が魂の望みどおりだという方は問題ありませんが、こんな状況もういやだ! という方は、ネガ感情に呑まれず むしろそれを活用して本来の力を取り戻されることをお勧めします。

まず 否定的な情報に頻繁に触れるのをやめ、からだを健康にしてくれるものを選んで食べるように、こんなときこそ心を健やかにしてくれる情報を選んで取り込むようにしましょう。

私たちが見聞きするものとそこから派生する感情が、私たちの世界を創るのですから。

それでもなお湧き上がるネガ感情とは、長年潜在意識に潜んで私たちの言動を左右していた負とお別れするいい機会と思ってまっすぐ向き合ってください。

五感の世界では絶大の威力を誇る支配者層も 俯瞰の視点を通せば 否定的意識の投影の一部に過ぎず、創造の主導権は創造者たるご自身にあることを実感される日がきっとやってくることでしょう。