毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

自己肯定

2016年04月21日 16時09分44秒 | 奈良・実家・家族


父の朝食の “三種の神器” のことは 前に書きましたが、父自ら行うこの朝食の支度には 面白い場面があります。

健康情報に従い 納豆をかなりの時間かき混ぜるわけですが、この間ただぼ~っと突っ立っているのはもったいないと、スクワットを同時に行うのです。

片手に器、片手に箸、猛然と納豆をかき混ぜつつ 腰の上げ落としを繰り返す 白髪の老年、こっけいな中にもどこか哀愁漂うこの光景、最初は笑いをこらえるのに苦労しましたが、最近はすっかり見慣れました。

これの 思いがけない効用を知ったのは、夕べの 「ためしてガッテン」 を見たときのこと。

耐えうるギリギきつめの筋トレを十回かそこらのあと 30分以内だったかな? に 糖質 (甘いものでも穀類でも) を採ると、糖がインスリンの作用で たんぱく質と結合し 筋肉増強に結びつく、とかいう話なのです。

ということは、納豆スクワットの直後に ご飯と納豆、きな粉牛乳、フルーツジャム入りヨーグルトというのは、筋トレプラス糖&たんぱく質摂取の この上ない組み合わせではありませんか

がぜん氣をよくした父、番組中の 「運動は回数や時間を多くするより 短時間でほどよい負荷をかけ効果的に」 というアドバイスに従って、けさの台所の床には どんとダンベルが置かれ、それぞれの手に3kgずつ持って スクワットをやったのだとか。

で、納豆はどこへ? ( ̄∇ ̄;)

まあいいけどね(笑)




こういう健康情報には乗りやすい父、件のダンベルも その昔ダンベル運動が流行ったときに テキストと併せて購入したもの、長らくベッドの下に転がっていましたが、こうして日の目を見たのも めでたいことなのでしょう

この方、ハンパなく重いリュックを背負って 自転車でそこそこの上り坂などもけっこう走り上がったりしていますが、どうやら本人も知らぬ間に 筋肉増強されていたようで、結構なことです。




普段は 流行に敏感な若者に 近頃の若いもんは・・・・と眉をしかめる父が、健康情報となると ミーハーに飛びつくさまは、見ていてかなり笑えますが、私の (私の場合は 健康よりも 食べ物作りか内的探究ですが) なんかよさそう、面白そうと思うと 手を出さずにいられない性分は、どうやらこの人譲りらしい。

母が存命中は、父との関わりはほとんどなかったのですが、今になって 「へぇ、身近にこんな面白い人がいたのか」 と氣づくというのも、あらかじめ魂レベルで取り決めた約束事だったのかもしれません。

傍目にどう見えようと、自分の 「好き」 を優先し、いつも前を向いて そのときそのときのお楽しみに貪欲でいる、そんなお手本が目の前にいるというのは、なかなかエキサイティングで面白いものです。

互いの好みがぶつかると 不協和音が生じることも ままありますが、思いどおりに生きてよし という肯定形を目の当たりにする暮らしというのは、母との間に生まれた否定的なセルフイメージを書き換えるために 前もって仕組まれていた ありがたい流れなのかもしれません。

父の氣まぐれや唐突さを受け入れられるようになってきた心境の変化に、自身のセルフイメージの回復を見てとるきょうこのごろです

























朝から大作戦 o(^∇^)o

2016年03月06日 11時07分57秒 | 奈良・実家・家族


けさは、8時から 「清流復活大作戦」 なる 実家近くの川まわりの清掃活動に参加。

お氣に入り図書館&ホールの駐車場に集合した数十名、雰囲氣は わが家のほうの地区清掃と似ていますが、平均年齢はやや低め、小さな子もけっこう参加してるなぁ (*^^*)

係りの人から 清掃区域の説明を受け、軍手と火ばさみ、ゴミ袋を手渡されて いっせいに出発。




この川、実家のすぐ近くにあって、

距離は 南紀のわが家の近所の川までとほぼ同じ、
            ↓これ



歩いて1分とかからないところなのですが、


こちらは



こんな感じ




残念ながら、清い流れとはとうていいえないありさま。

川の中には 古バケツや特大のビニール袋などがごろごろ落ちていて、思わずザブザブ入って拾いに行きたく・・・・いや、できるものならいっそ 川の水を総入れ替えしたいぐらいの氣持ちになりますが、それはできない相談、きょうの仕事は 周辺道路や土手のゴミ拾い。

ならばせめてこれぐらいは、と ガードレールをくぐって 土手の下のほうまでそろりそろりと下り、タバコの吸殻や飴の包み紙、空のペットボトルにガラス片など かなりの物を拾い集めました。




うんうん、少しでもきれいになるのは やっぱり氣持ちいいよね♪

この川も、いつか澄んだ水に 魚が泳ぐような清流に ほんとうに生まれ変わるといいなぁ♪




帰り道にふと振り仰ぐと、うっすらのぞく青空に 淡い日ざし。





川の水は相変わらずだけれど、心の中は なんだかすっきり風通しがよくなったみたい。。。。やはり内も外も 元をただせば ひとつもの、ということなのでしょうね




















帰る場所

2015年03月11日 08時34分43秒 | 奈良・実家・家族


ブログの更新が止まっちゃいましたが。。。。

6日から9日まで、実家に行っていました。

6日が父の誕生日で、弟から鍋の材料持参で行くからと誘われていたのですが、6日午後には 今年度最後のお隣小学校の読み聞かせもあってどうしようかと。

で、結局ひらめきで 前日に行くと決め、読み聞かせ終了後に急いで飛び出して 奈良までひた走り、夕飯にギリギリで間に合いました(笑)

いつもながら ひらめき正解、今回は短い滞在だったけど、楽しかった~




前夜に 身の回りのものの支度といっしょに、急いでプレゼントの用意

プレゼントはネックウォーマー、去年から買ってあった毛糸で 1月末ぐらいから編み始めていたものです。

もともと父のために編んでいたものなのですが、ほんとうは2月のなるべく早いうちに完成させて送るつもりだったんですね。

たまたま手芸店の店先で展示してあるのを見つけて、ふむふむ これなら編み図がなくても作れるわ、などと思い込み、毛糸だけ買ってきたんですが、甘かった

編み物は慣れているつもりだったけど、思えばここ数年はかぎ針編みばかり、棒針使うのなんて 10年以上ぶりでは?

案の定というか、輪編みでガーター編みは編めないと氣づいてから、急きょ図書館で本を借りてきて 編み方を見直さなければならなくなり、さらに心配なので 別糸でいったん試し編みをすることに。

そこから 何度も編み直しをしたり 中断したりの連続で、ようやっと あとゴム編み止めをすれば完成というところまでこぎつけたものを、大急ぎで仕上げて、カードを添えて包装。

編み図代数百円をけちった愚かさを後悔したこともあったけれど(笑)、完成してみれば いいタイミングで手渡しプレゼントできたし、その後 家でも出先でも愛用してくれている様子も見せてもらえたし、また 棒針編みについても 思い出したことや新しく学んだことで 知識は増えるわ、もっと編みたくなるわ、で、いいことづくめ♪

意味なく起こってることってないんだなぁ、と改めて感服させられたことでした(^^)




暮らしの場、精神修養道場(笑)、ヒーリングサロン、図書館兼カフェ、などと さまざまな喜びをもたらしてくれるわが家ですが、ときには離れたところで暮らしてみるのも 外からの引きの視点を養うことになって いいものです。

また 父の家事手伝いも、今回はお天氣がぱっとしなくて 洗濯の類はほとんどできませんでしたが、いささかのメニューの作り置きと掃除、それに父が買ってきていた中華鍋の使用前の手入れができたのは よかったよかった

中華鍋・・・・って、この家 調理はオール電化なんだけど、カセットコンロを使ってでもの意氣込みの父、どうやらテレビで感銘を受けた 「あおり」 がやってみたいらしいと見た(笑)

撮り溜めた 「チューボーですよ」 から 回鍋肉の回をいっしょに再見、意欲が湧いたらしい様子に、次に行ったときの晩ご飯が今から楽しみな貴秋です




以前 向かいの高齢者支援ハウスにお住まいのおじさんに、ちょっと実家に行ってきますとご挨拶したとき、「ええわだよ、帰る家あって。わしは家族おらんさか」 と言われて、あ、と思ったことがありました。

それまで実家をそういう目で見たことはなかったけれど、あまりにも自然で身近なありようゆえに、なくなって初めてその重みやありがたさがわかる類の存在なのかもしれない、と。

あのときのおじさんとのやり取りは、その大切さを 失う前に氣づかせてくれた、重要な会話だったのかもしれません。

「帰る」 という表現が適当かどうか 迷ったこともありましたが、今はとにかく 「よく来たな」 と喜び迎えてくれる人がいる幸せを大事にし 感謝して、細かい理屈は抜きで、帰る場所があるありがたさを 素直にかみしめようと思います。




次に帰るのは 母の命日あたりかな~?





















帰りま~す

2013年03月13日 12時20分17秒 | 奈良・実家・家族
行きは通行止めだった168号線、今はもう通れるって(^^)v

夕方から雨だそうだけど、今のところはまあまあのお天氣、朝からわっせわっせ洗濯したシーツやカバー類もほとんど乾いたし♪


庭には 母のお氣に入りだった淡いピンクの乙女椿が可愛い花をつけ、さざんかのバラ色ときれいな対をなしています。

沈丁花も満開で、それはそれはいい香り♪

十津川の山の中は どんな花が咲いているかな?



もう少ししたら、春の氣みなぎる実家をあとに 南紀のわが家に帰ります。

















実家にて♪

2013年03月12日 08時42分25秒 | 奈良・実家・家族


また更新止まっちゃった(^^ゞ

5日から奈良の実家に来ております。

夕べは二人してかなりの夜更かしで、けさは父がまだ起きてこないので、ちょこっと書けるかな?


6日は父の81歳の誕生日で、弟宅で 美味しいご馳走と楽しい会話のおもてなしにあずかりました。

氣さくにくつろげる空氣と その陰での細やかな心配り、いつもながらほっこりわくわくの素敵なひとときを過ごさせてもらいました(^^)


7日からは、仕事で大忙しの父に代わっての主婦業。

大したことをするわけではありませんが、多少なりとも父の仕事とプライベートのなんやかんやの時間が増え、私のほうも 自分のすることをみな喜んでもらえるのだから、これまた楽しい時間です♪

ただ、せっかくの晴天なのに、黄砂のおかげで洗濯物も布団も干せなかった3日間は悔しかったなぁ(T_T)


実家はすっかり父仕様に様変わり。

大きな書棚がすでに二つ増えていたところに、またひとつ組み立て式のを買ってきて 半日がかりで組み立て、二階にしまいこまれていた父の長年の愛蔵書の数々が めでたく再び日の目を見ることになりました。

久々に相見えた懐かしの本たちを、あっちへ並べ、こっちに置きかえしながら とうとうとその内容について語り続ける父のうれしそうな顔、私の本好きはこの人から受け継いだんだなぁと しみじみ納得です。

それにしても、どれだけ本があるんだ、この家は。。。ちっちゃな古本屋さんの一軒ぐらい開けそうな勢いだよ

しかもさらに増え続けてるし。。。書棚購入の前日に 美術全集2巻が到着し、当日夕方書店に行って さらに5冊増えました(笑)


かつて家族4人で暮らしていた家が、父ひとりになっても物の量がほとんど変わらない現状、それだけこれまで自分のことは我慢して 私たち家族のために働いてくれていたんだなぁと思うと、母が亡くなった悲しみを乗り越えて 自分ペースの新しい暮しを着々と築いている父に心から感謝すると共に、目一杯応援したい氣持ちになります。


あときょう一日いさせてもらって、明日には帰る予定です。

今夜の晩ご飯は何にしようかな~♪









断捨離

2012年07月20日 11時46分03秒 | 奈良・実家・家族
テンプレートを青空に変えたとたんに リアル天氣が雨に戻っちゃった(笑)

片付け物も中休み、きょうは久々にゆったりと過ごしています♪



それにしても。。。

おとといの日記に「片付けることで風通しがよくなって氣持ちいい」と書きました。

たしかにそれはそのとおりなんだけど、一方で かつて暮らしの一部であった品々が「ゴミ」として袋詰めにされて積み上げられている光景は 胸が痛んでしかたがありません(T_T)

母がどうしても手放せずにいた氣持ちもわかる氣がする。

それでも一生懸命やれたのは、そうやってしまいこまれていた大量の品々が 無残に水漬けのゴミの山と化した 昨年9月の水害の記憶のおかげでしょうか。

使うか手放すか ふたつにひとつ、未練だけで死蔵されることは 結局は物にも人にもいいことではないのだと思い知らされましたから。




「断捨離」っていう言葉が一時期盛んに聞かれました。

改めてウィキペディアで調べてみると、

      断=入ってくる要らない物を断つ
      捨=家にずっとある要らない物を捨てる
      離=物への執着から離れる

ということなのだそうな。

う~ん、「捨」だけじゃないんだよね。

捨てるそばから また欲に駆られて物を集めていたら、それはただ物を粗末にしていることにしかならない。

つまりは、三つそろって「なにをするか」じゃなく「どうあるか」ということだろうか。



わっせわっせと執着を断ち切って ここ数日で研ぎ澄ませたはずのわが刀、返す刃でわが身を省みれば。。。



          (^◇^;)   



うちに帰ったら また大片付けだぁ~!

引越し重ねて無駄なものは持ってないなんていい氣になってたけど、まだまだ物多過ぎ、欲深過ぎ!



修行足りてません。。。














おはよう!

2012年07月19日 06時26分17秒 | 奈良・実家・家族
久々に 5時半前に目が覚めました(^^)v

ここ3日ほど 父が早朝ウォーキングを再開したので、けさはちょうど出発に間に合ってお見送り。

朝陽を思いっきり浴びることができました

早朝の空氣はやっぱり氣持ちいい~


そろそろ父が戻ってくる頃だから、朝ごはんの支度にかかるとしましょう♪

きょうもせっせと片付け物するぞぉ~












風通しよく♪

2012年07月18日 22時22分11秒 | 奈良・実家・家族
6日からまたまた奈良に来ています。

今回は、7日晩の 父がアマチュア合唱団員として参加していた グノー作曲「聖セシリア荘厳ミサ曲」の演奏会を聴くのがメインの用。

当初は向こうしばらく曇りか雨と聞いていたこともあって、3~4日の滞在かもと思っていたのですが、予報が大きく外れて 最初の数日こそ雨だったものの そこから先は見事な夏晴れ。

もっと続くかと思われていた梅雨も あっさり明けて、今や連日の猛暑日。

となると、このギンギンのお日さまに手伝ってもらってやりたいことが山ほどあるわけで。

ここ6日ほど、タンスや押入れの中のものを片っ端から引っ張り出しては 朝から夕方までひたすら洗ったり干したり片付けたりと大車輪の毎日なのです


新しいものを買って、それまで使っていたものがいらなくなって、それでも愛着があって どうも手放しづらい。

そんなとき、「とりあえずしまっておきましょう」とタンスや押入れに入れておく、というのはよくあること。

しかし、これも限度というものがあるのでして。。。


第二次世界大戦真っ只中に女学生だったわが母、「もったいない精神」に物への思い出や愛情が重なって、もう古びた物でも色あせた物でも 何でもかんでもそこら中に押し込んで 半ば忘れていたらしい

古い服だのバッグだのアクセサリーだの寝具だの、文房具類の買い置きに 果ては子供たちの昔々の成績表からはるか以前の領収書のたぐいまで、もう出てくるわ出てくるわ

それらをすべて 父と相談しながら取っておくものと処分するものに分けて、取っておくものはお手入れしてきちんとしまい直し、処分するものはこの地区のルールに従って分別し ゴミ袋へ、の繰り返し。

多分一番音を上げてるのは洗濯機でしょう・・・一日3回も4回もこき使われて(笑)


連休最終日には、仕事が一段落した父も参戦し、押入れ丸ひとつ分の中身を全部出してより分け、結果実家は各種ゴミ袋の山

もうすごいことになってます(笑)



それにしても・・・なんで今ここまでやってるんだろう?

別に今すぐしなければならないわけではないのに、なんか連日頭もからだもほいほい動いちゃうんですね(^_^;)

母がつい最近まで使っていた服やバッグなどは とても手放す氣になれず、手入れをしてまたタンスにしまい込んだり。

それでも、死蔵されていた品々に 感謝とともに別れを告げ、家のあちこちがすっきり秩序を取り戻すごとに、家の空氣も私の心も どんどん風通しがよくなって、氣持ちいいことこの上ないのです♪



なんかよくわからないけど、これもきっと意味があるんだろうな、と思いながら、せっせと片付けにいそしむ日々です(^^)





















またまた奈良

2012年06月18日 08時07分12秒 | 奈良・実家・家族
14日からまた奈良の実家に来ています。

15日が仏事でいうところの四十九日に当たる日らしいので、ちょうど17日が父の日でもあるし。。。ということで。

夕食に母の好物を作ってお供えし、家事一切を引き受け、さらに母の身のまわりのものの整理をする毎日です。



それにしても、人ひとり旅立ったあとというのは なかなか大変なものなんですねぇ。

もともとのいのちとしてなら からだが土に還ってそれでおしまい、で済む話だったのでしょうが、人の社会のしきたりを勘定に入れると 遺された者が まあどれほどのことをやらなければならないことか。

母が亡くなったのが 介護認定の調査員さんが見えた翌日だったものだから、そこから認定がおりてもろもろの費用がはじき出され 支払いを済ませるまでに1ヶ月ほどを要し、さらに年金や保険や預金などの手続きから あちこちへの通知、いろいろとお心をかけてくださった方へのお礼状などなど、もうすること山積み。

加えて遺品の整理、これがとてつもない難事業。

なにせ戦中派で 過度なまでにものを大切にする、つまりどっさり溜め込むたちの人でしたから、もう出てくる出てくる、すっかり終わるのはいつのことやら(^_^;)

膨大なものの山に氣圧されて 感傷に浸る余裕もないのがありがたいぐらい(笑)

父は 仕事と新たな生活の設定に加えてこれらのことを抱え込んで かなりテンパった精神状態なので、少しでも負担を減らしてゆかないとね。



台風のことなどもあり 明日には帰る予定なので、きょう一日全力を尽くし かつ楽しんでいきましょ~












送る儀式について考えた ・ その5

2012年05月30日 11時11分19秒 | 奈良・実家・家族
あれ?告別式の話まで もう終わったんじゃないの?

と思われたことでしょうが。。。

そのぅ、4回も引っ張っておいてなんなんですが、肝心の「~について考えた」のところが まだ。。。

なんて言ったら そこら中から石飛んできそうだ



冗談はさておき。

今回 自分が「遺族」になってみて初めてわかったこと。

それは、「お通夜や告別式は 亡くなった方のためだけでなく、いや むしろそれ以上に 遺された家族のための儀式だ」ということです。

無宗教の式と聞いて 担当のAさんが懸念を示したのが、「あとになって『ほんとうにああいうお式でよかったのだろうか』という迷いが生じないか」ということでした。

実際に、無宗教でお葬式をしたものの、あとになって「成仏できてないのではないか」などと不安に駆られたり後悔したりしたケースがあったようなのです。

それもわかる氣がします。

大切な人が逝ってしまって、悲しみや脱力感に襲われて 一番心もとないときに、多少なりとも氣力を奮い起こして手配をしなければならないのがお葬式というもの。

自分がその立場になってみて、今住んでいる山里の「自治会主導のお葬式」のいいところがよくわかりました。

どなたか亡くなられると、すぐ地区内にお知らせの放送が入り、出棺・お通夜・葬儀の時間や場所などが告げられます。

そして、準備のために葬儀社さんが来ると、先頭に立って指図をするのは自治会の役員さんたち。

自宅で葬儀をしない場合は 自治会集会所を使うのが定番になっていて、どこに何を置くかなどの段取りもすっかりわかっていますから、その手際の鮮やかなこと。

悲しみにくれる遺族が駆けずり回らずとも 万事うまく運ぶシステムが しっかり出来上がっています。

ただ、このスタイルの弱点は、自治会役員さんの負担が大きいこと。

うちの地区の前自治会長さんは、旅先でも 集落内で亡くなった方があると 連絡が入って呼び戻されたと話しておられました。

だから、これは 集落のみんなが身内みたいなもの、という土地ならではの形なのでしょう。

そういう昔ながらの形に代わるのが 葬儀社任せのお式というものなんですね。

ただ、葬儀社さんが主導してくれるのが 宗教がらみで スタンダードな形式が決まっている場合に限られてしまうのは やむをえないこと。

では、力を落とした遺族が わずかな時間の中で ほんとうに思い通りの式を企画実現できるのかと言われたら。。。

そこは、うちみたいに 遺族が先にたってガンガン取り仕切るっていうのが変ってるのでありまして(^_^;)、万事お任せでお願いしたいと思うのも当然でしょう。

だから、実際私もそういう氣持ちになりかけたけど、特に信心してなくても お葬式は仏式で、っていうのも大いにありだと思います。


その一方で。

こうしてブログ5回分も打ち込んで書いてしまうほどに 今回のお通夜や告別式の記憶が心地よく懐かしいものとなっているのは、自分たちが 母のためにこうしたい!と望むことをとことんやり切ったからであるようにも思うのです。

まあ、その原動力のほとんどは 弟と父、そして 家のことをすっかり引き受けて 陰から支えてくれた百々子さんとほーちゃんのおかげであり、私は恩恵をこうむったというのが正しいところなんですが(^^ゞ

当たり前のようにそばにいた人が 突然いなくなってしまう その喪失感。

自分の氣持ちをどう扱ったらいいのかわからないまま 亡き人への心残りや執着がじわじわと上ってくる。

お葬式って、ちょうどそういう氣持ちを消化し切れずもて余している真っ最中に執り行わなければならないんですね。

だからこそ、亡くなった人に精一杯のことをしてあげられたと思えるとき、また、まわりの人の温かい心が故人に降り注がれているのを目の当たりにしたとき、大きな満足や安らぎを覚えて 心が救われるんだと思うのです。

私に関して言えば、職業柄とはいえ 常に敬意をもって丁重に母を扱って下さった葬儀社の方々や、多くの方々がご参列下さって 温かい思いを向けて下さったことに、まず大きく救われました。

さらに、家族が力を合わせてひとつのものを納得いくまで作り上げた高揚感、そして これなら母もきっと喜んでくれるはずという手応えに、大いに慰められたのです。


実をいうと、あれ以来 「葬儀社さん主導で執り行える無宗教のお式」のアイデアが次々と湧いてきて仕方がないのです。

母の葬儀、ご参列下さった方々から後日聞かせていただいた限りでは 割と評判よかったみたいなのです(もちろん 優しいお氣持ちからそのようにおっしゃってくださってる部分も多々あると思うのですが)。

自分たちもあんなふうに出来たらいいと思うけど、音楽のプロではないし。。。というような。

たしかに 大半の部分を自分たちで企画するのは大変だし、プロに任せたほうがうまくいく部分も多いと思うのですが、ある程度の外枠を葬儀社さんのほうで基本コースとしてあらかじめ用意しておき、その合間合間に 各ご家庭の希望を出来る限り取り入れたオリジナルパートを挟めばいいのでは?と。

しばらく実家にいた間、父とこんなアイデアを出し合ってたら止まらないぐらい盛り上がって、もういっそのこと今からどこぞの葬儀社さんに就職しちゃおうか、なんてね(笑)

まあ冗談はともかく、昔ながらの仏式のお葬式もよいものですが、どんな場合であれ オリジナルを求める機運が高まってもいる今、一番納得がいく形で亡き人を見送って 遺された者の氣持ちも救われるようなお式が一般化するのも悪くないんじゃないかな、なんていう氣もするのです(^^)





はぁぁぁぁ、それにしても 長々と書いちゃったものだ。。。

いくらいい思い出とはいえ 過去のことにいつまでも頭がつかまってるのもなぁ、という氣がしていましたが、ここに存分に書かせていただくことで、ずっと私の中で溢れ返っていた思いも無事“成仏”できたようでございます

お付き合い下さったみなさま、ほんとうにほんとうにありがとうございました m(__)m