毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

温もりみ~つけた(*^^*) 

2013年11月18日 16時16分54秒 | ふと思うこと


素敵なこと見つけちゃった



前に こんな日記 書いたことがあるんだけれど。。。否定的な戦いや争いに代えて、心があったかぁくなるような動きを増やすことで、楽しく世の中を変えていきましょう、っていうお話。



この動画 見て~♪

もうご存知の方もおられるかもしれないけれど。



群集に紛れ込んでいた演奏家さんたちが、ひとり、ふたり、から始まって、次第に続々と現れては加わり、やがてこんな盛大に~\(^o^)/

フラッシュモブっていうんだって。

初めて知った~(^^)



こちら はスターウォーズ、ドイツだね♪

終わったら すみやかに再び群集に溶け込んで去っていくところが また素敵♪



音楽っていいよね♪

違う国の人とでも、言葉が通じなくても、すぐ心を通わせ合える。

私もやりたいなぁ。。。ピアノかついで行って、ってわけにいかないのがザンネンだけど(笑)

いや、楽器がなくたって、歌でもいいよね♪



なんて言ってたら、こんなのこんなの も見つけちゃった♪

弟くんご一家、お友だち誘って こんなのいかが?



オノ・ヨーコさんの「ただの私」っていう本で、ヨーコさんが 花をたくさん買って 町を行く人たちにあげる「フラワーイベント」っていうのをやった、っていう話がずっと心に残っているんだけれど、わりと最近の日本でも 「フリーハグ!」と書かれたプラカードを持った人が街中に立って、望む人誰とでもあたたかくハグし合う、なんていうパフォーマンスもあるみたいで、世界のあちこちで いろんなスタイルで 優しい思いを形にしようとしている人たちがいるんだなぁ、って、なんだかうれしくて。


形はどんなでもいいよね、温もりが届き合うなら



こっち はダンス、ロンドンだって♪

楽し~




官邸前デモとかも、こんなふうに楽しくやったらどうかな?

おまわりさんが捕まえにきたら、みんなで囲んで にっこりむぎゅっとハグしちゃえ!(≧▽≦)   な~んてね































ぽかぽか陽氣

2013年11月16日 15時56分26秒 | ふと思うこと


風邪引いちゃった (^^ゞ


毎年この時期に引くんだよね。

秋は学校行事に参加させてもらう機会が多くて、講堂やグラウンドで過ごすための防寒用衣類を いつもしっかり準備してるつもりなんだけど、毎回思ったより寒くて そのたびに体調崩しちゃう。



先週10日、お隣小学校で、朝からの授業参観に加え 毎年恒例の餅つき大会やら芝生集会やらを 一日にぎゅっと詰め込んだ、盛り沢山な日曜日。

ただ、あいにく朝からザーザー降り (T_T)

寒いのはわかっていたから、厚手の下着に シルクのとっくりセーター、コーデュロイのパンツ、ネルのシャツをジャケット代わりに、餅つき用のエプロンも コーデュロイの割烹着に変え、これなら大丈夫だろうと思っていたのだけれど、教室の中はともかく、雨天変更で 餅つき&芝生集会催し物の会場となった講堂は、予想を上回る寒さ。

昼食休憩の合間に 集会の読み聞かせに使う大型絵本を取りに家に戻った際、ネルシャツをフリースのジャケットに変え、大判ショールも持参して ぐっと暖かくなったんだけど、時すでに遅かったみたい

月曜の晩あたりから のどに違和感を感じ出し、火曜には違和感が痛みに変って広がり始め、夜には 寒気まで感じるようになって、大事をとって 水曜は半日以上布団の中。。。一人暮らしだと、悪化させちゃったら身動き取れなくなるからね。

さらに木曜も 予定がないのを幸い 家でおとなしくしていたら、ほぼ治まりました(^^)

きのうはもう大丈夫って感じだったんだけど、またしても雨降りで寒かったから、家で静かに過ごす一日。

そしてけさ起きたら、うってかわってさわやかな朝日、いっぺんにエネルギー全開 \(^o^)/

家中の窓を開け、溜まった洗濯物や寝具をがんがん干して、自分もお日さまにたっぷり当たって、青空見上げて深呼吸

お日さまの光のありがたさ、健康のありがたさを、全身で味わわせてもらいました



今回も、心友直伝・おなじみの黒糖生姜湯は かなりの効き目だったと思います。

以前別の心友に教えてもらって作った「ウルトラ生姜」を使ったから なおさら温め効果抜群だったんじゃないかな♪

お湯を紅茶に、黒糖を蜂蜜に代えたりして、朝に晩にせっせと飲んでいました。

それと、10月後半ぐらいからだったかな、自然と「プチ断食」状態になっていて、それもよかったのかもしれません。

食べる量をあまり必要としなくなっていたところに、これまた別の心友のドクター南雲情報で、食事時間を晩に統一して 一日一食。

禁糖のときと同じく、なんとな~くのノリで楽しんでいて、ルールやガマンがいっさいないのが 長続きの秘訣かな♪

からだの声が指針だから、必要と思えば 晩以外も軽く食べるし、今回一番しんどかった火曜日は 睡眠優先で 結果的に一日完全断食に。

そして、思わぬ副産物。。。かなりスマートになりました

加えて、もしこの風邪の治り具合も ウルトラ生姜入り黒糖生姜湯+プチ断食効果だったとしたら(確証はないけれど なんかそんな氣がする)。。。万々歳だよね

のどの痛みが広がる段階まできてから ここまで短時間で一氣に回復したのって、たぶん生まれて初めてのことだもの。

いつも温かい言葉やお役立ち情報をくれる心友たちに 心から感謝だわ



さらにもうひとつ、今回大きかったのは、心の持ちようもあったのかもしれません。

体調を崩すと氣持ちも弱りやすいっていうけれど、この数日の私の心は、およそ病人らしからぬ ぽかぽか陽氣

これもたまたまそういうタイミングになっただけなんだけれど、からだの感覚をずーっと見つめ続けてきた結果が目に見えて現れてきたんじゃないかな、って。

もちろんまだまだ観察中だから 断定的なことは言えないけれど、私なりの手応えが感じられてきているので、この話はまた後日にでも・・・たぶん(笑)

























ひとつだよ (^^)

2013年11月07日 13時13分13秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


    「あんたはどこにいるの?」と、彼女は言った。

    「ここさ、もちろん」わたしは答えた。

    「じゃああたしは?」

    「そこだよ!」

    「あんたはどこであたしを知ってる?」

    「身体のなかのどこかでさ」

    「だったらあんたは、あんたのなかであたしのなかを知ってるってことだわ」

    「ああ、そういうことになるだろうな」

    「じゃああんたは、あたしのなかの神さまをあんたのなかで知ってるし、
     あんたの知ってるぜんぶのもの、あんたの知ってるぜんぶの人を、あんたのなかで知ってるってことでしょ。
     あんたの知ってるぜんぶの人、ぜんぶのものは、それぞれなかに神さまを持ってるから、そうすればあんたは、
     みんなの神さまをあんたのなかにも持ってるってことになるじゃない     簡単だわ」

                                                (フィン作「アンナの小さな神さま」より) 







前に 自分の中で起こっていることは、文章に表したものよりずっとカオスだ、と書きました。

一度に意識を合わせられるのは ひとつだけだけれど、それ以外のたくさんの 次元の異なる答えや考えが あちこちに散らばっていて、目の、いや、意識の端っこにちらちら映るのも どこかで感じ取っている。

よく使わせてもらう岩の例えでいうと、「不動のもの」という見方と 「絶えず振動し続ける粒子の集まり」という見方が 同時に成り立つような世界。

同次元の話だったら、これらは互いに矛盾していて どっちかがが正解で もう片っぽは間違いでしょ、ってなるんだけど、それぞれに違う次元の視点と思えば、どちらもありで それぞれが正解。

「岩は動かない」と言葉にしながら、一方では「でも動いてたりもするんだよね~」なんて思いも ぴくんと頭をもたげたりして



そして、こういうものの見方がなじんでくると、かつてならありえないことだけど 「自分なら選ばないな」っていう他人の答えでも「それはそれであり♪」って思えてくるんだよね。

なにも弾かない・否定しない 新鮮な視点。



はたから見ると どんなに「それはないでしょ」って思うような答えでも、当人の内側では それなりに整合性がとれているもの。

そんな答えを 自分の答えと同次元に並べれば、互いの物差しがぶつかりあって 否定しあうようなことにもなるけれど、その人の宇宙・その人の次元での事実と思えば、「なるほど~、そういう見方もあるのか」と、内容の賛否以前に 別次元の視点としてうなずける。

もちろん、その後の それを選ぶ・選ばないの決定は、各自の判断だけれどね☆



そして。

いろんな次元・いろんな宇宙があるのが見えてくると、今度は そのすべての中に 自分のかけらを見いだすことになるのですね。

自分の目に映る世界は、すべて自分の心の投影だから。

今見えたのは、過去にはよく使ったけれど、今はほとんど忘れかけている昔々の思考回路の片鱗かもしれない。

今見えたのは、自分では認めない・認めたくないけれど、実は自分の世界観の一部なのかもしれない。

納得いくものばかりではないけれど、でも 見えちゃったからには どれもこれも やっぱり自分の一部なんだろうなぁ、と (^_^;)



そんなふうに見えてくると、ふとした瞬間に 「あれ?自分ひとりしかいないや」っていう思いにかられることがあります。

どっちを向いても 自分しか見えてこないとしたら。。。そうも言えるよね。

それは、他人であり 他人の視点や思考である。

と同時に、自分の一部でもある。

ここにもまた、次元の違う二つの真実(自分にとっての)が 存在するわけね



今見かけた「わちゃ~」な人は、私がこれから手放すはずの 私のひとかけらかもしれない。

今逢った素敵な人は、私がまだ氣づいてない 自分の長所を示唆する 私のひとかけらかもしれない。

みんな別々、そして、みんなひとつ。

どっちもほんとう。

そんなふうに見える世界も ステキじゃない?



「すべてはひとつ」「ワンネス」などと 言葉で捉えていた世界が、内から実感できる世界へと消化・同化されてゆく道のり。

バラバラだけど ひとつでもあるっていう この感じ、な~んかいいなぁ、あったかくて 広々して 安心できて






冒頭の文章は、これまた二十年来の愛読書「アンナの小さな神さま」の中の、フィンとアンナの会話。

フィンは 大柄で感じやすい 20歳前後の若者、アンナは 生きる喜びそのもので 神さまの友でもある 6~7歳の女の子。

庇護者と孤児であり、親友であり、導かれるものと導くものである、ふたりの物語。

以前ご紹介した「ONE」と並んで、これからもずっと持ち続け 読み続けるだろうな、と思う、大切な一冊です(^^)




















   

愛を乗せて

2013年11月05日 23時09分56秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


夕方、図書館に本を借りに ひとっ走りドライブ。

どっちを向いても、杉の緑の中に 朱色や黄色、ベージュ、たまに真紅、などが入り混じって、なんともいえない美しさ

どの季節も素晴らしいけれど、一年でもっとも豊かさを感じるのは やっぱり秋だなぁ(^^)

ずいぶん日が短くなって、5時前に すでに山際の雲が 薄赤く染まっていました。

秋の夕焼けは 華やかなうちにも どこか切ないものが感じられて、ことさら胸に響きます。





他のどんな言葉にも増して強く憧れ 自分の内に見いだしたいと願った言葉、それが 「愛」。

そして、心の中をいくら探っても その片鱗も見つけることができなかったころ、「愛」とは 実に厄介な言葉でした。

中でもお手上げだったのが、「愛する」「愛してる」という表現。



この上なく大切だと思う、それを「愛してる」と言い表したいのだけれど、ひそかに心の中で思い浮かべるだけでも たちまち「ウソばっかり」と冷ややかな声がかぶさり、後ろめたさを覚えるありさま。

さらに違和感あったのが、そもそも「愛」って動詞なの? “する” ことなの? という点。

愛は 私たちの本質そのものである、という言葉を信じて、そういうイメージを絶えず思い描いていたからだったのでしょうね。




そして、今。

長年 自分の負と取り組み続けた甲斐あってか、平穏な時間がかつてないほど長くなり、ときおり わけもなく なんともあたたかい何か(エネルギー?)が 胸のあたりからこんこんとこみ上げて、泣きたいほどの幸福感に浸されるとき、もしかして これが愛というものなのかも。。。と思うようになりました。

まだまだ曇りもいっぱい残っているから、今は ときたまふっと現れては またじきに消えてしまうけれど、ほんとうは 私たちみんな、このエネルギー?の海に四六時中浸されて、至福に包まれ続ける存在なんじゃないかな、という氣がします。

「ただ 在る」とき、私たちは 愛そのものなのだ、と。

私たちの、「大いなるひとつ」としての面を思い出したときのありようなのでしょうね、きっと。




一方で、私たちは、この三次元世界に 個別化して分け出された存在でもあります。

この小さな自分がすべてだと思うときは、源である愛から切り離されたように感じるのかもしれない。

でも、小さな自分でありながら、同時に もっと大きな存在の一部であるとも感じられるときは、制約の多いこのからだにあっても、愛を感じ、みなぎらせていられるんですね。

そして、そのとき。

制約されているからこそ、私たちは その愛を 動詞と言う形、「愛する」という言葉や意志でもって、特定の方向に 意図して向けることができるのかもしれません。




見えなくても、形がなくても、存在を感じられるものは たくさんある。

それを 神と思おうと 宇宙と思おうと 彼岸にいった大切な人たちと思おうと。

でも、形がないものは、あたり一面に立ち込めてはいても、意図して方向を定めるようなことはできない。

それができるのは、良くも悪くも「分け出さずにいられない」という性質を持ち、形ある存在として 意思を持って自由に行動できる 私たち人間。

愛が欠けているところに、光を見いだせず苦しんでいる人たちに、私たちは 意図的に愛を送る・贈ることができる。




こんなひらめきを受け取ってから、「愛する」「愛してる」という言葉を 以前ほど落ち着きの悪い 使いにくい言葉と思わなくなりました。

まだ、心からこれらを使える時間はほんのわずかしかないけれど、魂磨きを続けてゆく中で、確信を持って 愛のエネルギーを乗せて 送り出し続けられる日も、そう遠くはないのかもしれません。


















珍しく。。。ちょっとだけ 政治の話

2013年11月03日 13時13分13秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


「秘密保護法反対が半数超 慎重審議求める声が82%」

「意見公募異例の9万件 8割の反対無視」

「秘密保護法案、憲法踏みにじる 法学者ら270人が反対声明」

「秘密保護法案に危惧 名古屋で集会」

「秘密保護法案、広島で反対のデモ 奈良や大阪でも予定」




大手メディアでは 取り上げないところもあるようだけれど、検索サイトで「秘密保護法案」ってワード入れれば、出てくる出てくる、新聞記事や動画から 個人のブログまで。

そして、パブコメの結果同様、その大半が 不安や懸念を表明する内容なんだけれど。。。



国民の代表であるはずの一部の政治家さんたちが、ここまで無理を通してでも 強引に隠し事をして 自分たちを守らねば、と思わずにいられない、その底に どれほど大きな不安を抱えているんだろうね

対立は 敵対する相手があると認めて 初めて成り立つものだから、敵視すればするほど 相手は強くなっちゃう。

一般国民を敵とみなして 強氣を押し通そうとすればするほど、反発する力も強くなるのは避けられないんだけどなぁ(- -;)



今の世の「かえる」流れに どれほど強硬に逆らっても、私たちすべての源である宇宙のエネルギーに抗う力なんて 人の世界には存在しないよ。

無理やり法案を通したって、いずれその無理が 自分たちに還ってくるだけ。。。「因果の法則」は 宇宙普遍の法則だからね。

「かえる」道筋から 大きく外れれば外れるほど、賛成派・反対派とも 大きなダメージを負うのは避けられない(T_T)

いや、もしかしたら もうすでに そんな変化を肌身で感じていて、だからこそよけいに不安なのかもしれないね。

傷が大きくなる前に 氣づいて引き返せるといいね。



反対する側も、「賛同しない」という意思がこれほどたくさんあることを表明することは 大きな意味があるけれど、そこに攻撃的・恫喝的な要素が入り込まないよう 氣を配る方がよさそうね。

「罪を憎んで 人を憎まず」みたいなこと、かな。

たとえいい結果を得るためでも、北風さんになっちゃうと 相手も抗わずにいられないからね

望む結果が遠のいちゃう。

この状況で 太陽さんになれるかどうか、かつてないやり方で 世の中を変えられるかどうか、立場を超えて 私たちみんな チャレンジのときなのかもしれないね



氣づく人が多ければ多いほど、早く混乱から抜け出て ソフトランディングできるね、きっと

私も、まずは今すぐできること、自分の曇りを手放し 世界観を書き換えることを 全力で続けようっと(≧▽≦)

あと、そうするほうがいいと感じたら 本心を率直に語るのをためらわないことも。



私が変れば、私の宇宙も必ず変るから、ね




















この世は ほんとに素晴らしい

2013年11月02日 20時24分51秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


きのうのブログ「こんなの どう?」のことで思い出したんだけど、もしかすると この話が あのひらめきを受け取る下地になってたのかも。

「国民の力で国家間の憎しみを減らせるか」

以前見つけて お氣に入りフォルダに入れておいたもの。



最近のニュースは 心が冷え冷えするようなものが多いけれど、一方で こういう世界もあるんだよ、ってね♪

人は 争うばかりじゃない、愛したいと心から願い、互いを思い合うことに喜びを感じる存在でもあるんだよ、って 語りかけてもらってるみたい(*^ー^*)

ブログ主の山崎富美さん、素晴らしい記事をありがとうございます m(__)m



「世界は憎しみに満ちている」と信じれば、そのとおりになる。

「世界は愛で満ちている」と信じれば、そのとおりになる。

自分が意識を向けたものが現れるんだよね。



以前、散歩の途中 杉木立の中に1本だけ混じった棕櫚の木を見つけて 「え~、こんなところに!?」と驚いたことがあるんだけど、その後 あちこちの杉の間で 棕櫚を見かけるようになりました。

それも、初めての道じゃなく しょっちゅう通っている散歩コースで。

最初から あちこちに棕櫚の木あったんだよね(^^ゞ

それまでぜんぜん目に入らなかったのに、意識し出したとたん やたら目につくようになった、と。

人の脳って そういう仕組みになっているらしいね☆



自分が何に焦点を当てるかで 分け出す世界が変るなら、自分のまわりの人や 環境や 情報を選ぶことで、いくらでも好きな世界を創ることができる。

ニュースをまったく見ない読まないというのもどうかなって思うし、テレビや新聞を置かなくても 多少は入ってくるから、ある程度はチェックするけれど、いちおうの情報だけもらえば十分だから、報道する人、転載する人の負の意識を感じたら、すかさず切り離します。

そういうのはノーサンキュー、私の世界にはいりませ~ん

それでも 自分の世界の色調が ちょっとくすんできたかなぁと氣になったら、日頃からストックしている お氣に入りの記事や動画で 氣分を一新させてもらいます(^^)



意識がネガに傾くと ついつい忘れそうになるけれど、この世には すてきなこと、楽しいこともいっぱいあるんだよ♪

人の心だって、あったかいし 優しいし 勇氣づけられるよ♪

希望がどっさりあるよ♪

私は 自分の世界を そういうふうに創るよ(^_-)



おしまいに、冒頭の話と並んでもうひとつ 元氣をいっぱいもらえるお氣に入り動画をご紹介。

もうご覧になった方も多いかもしれないけれど。


「ジャズばあちゃん 夢のセッション」


前は フルバージョンのもっと長いのがあったんだけど、著作権の関係か 音声が聞こえなくなっちゃってるので、こちらの編集版を。

見るたびにワクワクして、胸が熱くなって、しまいにじんわり涙ぐんでしまうお話。

大好きな動画です(^^)

これも アップしてくださった方に感謝です、ありがとうございます♪




ね、この世界は ほんと 素晴らしいところだよ






















あれから。。。

2013年11月01日 20時32分37秒 | ふと思うこと


あら、きょう3度目の更新、珍しいこと。




世の中で起こる、いろいろな出来事。

起こることは中立だけど、解釈は 人の数だけさまざま。

どういう解釈を選ぶかで、自分を取り巻く世界が決まる。




それにしても。。。

前向きでも 悲観的でも、自由に選べるなんて日が来るとは、長いこと思ってなかったなぁ。

むしろ、自分が選んでることさえ氣づかない日が 長かったよね(^^ゞ




自分が戦うことを選んでいると氣づいたときのことは、今もはっきり覚えています。

職場の上の人と揉めて、自分の心の動きを見つめていた最中のこと。

そうか。

私は、戦いたいんだ。

そのために、戦いたくなるような相手や 理不尽な状況を それと氣づかずに選んで引き寄せていたんだ。

もう戦いたくない、と思えるようになるまで、こんなことが続くだろう。

わかった、氣が済むまで存分に戦えばいい、もうたくさんだと思える日が、一日も早く来るように。




直後、その揉め事を機に 家も職場も新しく探すことになり、そのとき感じたのです、これは“出発” だ、と。

あの頃は まだまだ変化への不安も動揺も大きかったのに、揺らぐ心の中に すっと一筋の細い光が差し込んだように、そう感じました。

自分の直感にも まだまだ自信が持てなかった頃のことだけど、あれは正しかったんだなぁ(^^)




あの氣づきと決断から 9年半。

“出発” できて、ほんとうによかったと思います。

あの先 どういうことになるか 前もってわかっていたら、とてもじゃないけど踏み出せなかっただろうけれど(笑)

生まれる前の魂が仕組んでおいた仕掛けに、それとは知らず けっこううまく乗っかれたんじゃないかな♪




誰でも ひとりひとりにそんな見えない仕掛けがあって、よくあろうとする意思を捨てない限り、氣づかなくとも それに乗って運ばれていくんだと思います、望む世界へと。























勇氣

2013年11月01日 12時53分58秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


そういえば。

きのうのニュース。


「食材偽装表示、やはり氷山の一角だった 全国のホテルが相次ぎ公表」


ひどい世の中だなぁ、という見方も もちろんあるんですが、同時に その「ひどいこと」が 隠しおおせることなく こうして表に出てくる流れを いいぞいいぞ♪ と思う自分もいて。



『早く言わないと、ばれたら大変なことになる』かぁ、なるほど、不安ベースだね。

たしかに 今の世の中で この状況で、これからの経営を考えたら、隠し通そうが 公表しようが どっちに転んでも不安、っていう氣分になるかもしれない。

でも、人を騙してでも・・・という心の用い方は、いずれ必ず自分たちに返ってくるから。

そもそも、そういう負の世界に 自分たちを閉じ込めていること自体が、すでに大きなマイナスだよね。



勇氣を出して このピンチの裏に潜むチャンスを見つけ、大転換を遂げられたら、「かえる」流れがきっと後押ししてくれるよ(^^)





p.s.

再度このニュースを読み返して思ったんだけど。

こういう隠し事をどれぐらい続けていたのかは知らないけれど、始めたときは ばれるとは思ってなかったわけだよね。

でも今は、「早く言わないと、ばれたら大変なことになる」って。。。

そう感じさせるほど やはり世の流れが変ってるんだなって思います。





















こんなの どう?

2013年11月01日 10時10分20秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


夕べ、ブログのアップを終えて、おなじみのサイトを一巡りし、山本太郎議員の“直訴状”のニュースを読んでいたら、突然心に飛び込んできたアイデア。

おとぎ話ふうに言うと、天使が空からまいたアイデア・メモの一枚が 頭上に落っこちてきた、って感じかな?

言いだしっぺは 神さま?

了解いたしました。

私ひとりで聴くようなことでもなさそうだから、ここでご縁のある方々にもお伝えしますね♪




少し前に、戦わない解決のことを書いたけれど、好ましくないものに反対し 排除しようとすると どうしても争いになっちゃうから、逆に 好きなもの・大切なものへの愛を語り、みんなで守ろう、応援しよう、っていうアクションはどう?


ヘイトスピーチじゃなくて、ラブスピーチ。

反対じゃなくて、賛成。

反発じゃなくて、応援。

非難じゃなくて、賛美。

嫌いなものを否定するんじゃなく、愛するものへの思いを力にするの。

自分の みんなの 大切なものを、知恵を出し合って 守り育てていくの。

数の力で押すんじゃなくて、相手の反感をじっくり溶かしながら、少しずつ広げてゆくの。

ユーモアを交えて、笑いながら 楽しく、息長く、ね♪


こんな運動、どう?




はい、たしかにお伝えしました(^_-)

私のフィルター色がかなりついちゃった点は 許されて(笑)



具体的にどんな使い方ができるのかは まだわからないけど、いいアイデアだよね☆

悪口や罵倒は 心を冷たくするけれど、愛するものについて 心を込めて語っても、いやな空氣は生まれないもの。

いのちに優しい活動をする人を応援する。

豊かな自然を守り、お世話し、すべての生き物にいいように生かす道を考える。

デモだって、眉間にしわ寄せて「反対!」って叫ばれるより、にこにこ笑いながら「○○が大好き、大切にしていきたいの、応援してくれますか?」って呼びかけられる方が、共感しやすいんじゃないかなぁ。



即効性を期待したり、上っ面を変えるだけのことだと、難しいかもね。

ひとりひとりが 自分の内側と向き合うことが、やっぱり必要かも。

だから、笑いを忘れず 息長く、なのね。



家族、友人、ご近所、身近で小さなコミュニティからだったら、できるかも。

う~ん、なんかぴくぴく動くものがあるぞ。

そのうち、いい形を思いつくかもしれないね♪




天からもらったアイデア、みなさまも どうぞご自由にお使い下さい♪

なにか楽しいこと思いついたら、シェアしていただければうれしいです(^^)