今 畑として使わせてもらっている空き地や わが家の石垣などもそうですが、長らく放置して 草ぼうぼうになると、根っこが思い切り育って 土中にがっちり食い込み、女性ひとりの力では抜けませ~ん ということが ままあります。
そういうときに、氣長にやれば 効果的な方法。
とにかく 地上に出ている部分を刈るのです。
地面ギリギリのところで スッパリ刈り取り、少し伸びてきたら すぐまた刈る。
地上部の勢いを とことん抑えつけて しばらくおくと、やがて根っこが弱りだし、らくらく抜けるようになります。
私はよく 人間の 目に見える部分を茎や葉や花、目に見えない部分を根っこにたとえますが、上の話、このたとえにも当てはまる氣がします。
地上部が幸せであるために、根っこをしっかり育てるのが重要なのはもちろんですが、根っこにかまけ過ぎて 地上部がおろそかになっても、やはり全体として弱ってくる。
私が実際にそうだったんですが、心の探究に夢中になる中で、外の世界。。。つまり 当たり前の日常の生活が うとましく思える時期が、多かれ少なかれあるんじゃないかと思います。
まあ、仕方ないといえば仕方ないんですね。
今外に見える世界は、自身の 「過去の」 思いの具象化したものだから、内で “開眼” が進んでいるときほど 外の世界の味氣なさが際立って見え、内外のギャップが重荷に感じられてしまう。
これもまた 体験すべき貴重なプロセスなわけですが、そのときは 「私たちは 内と外 両方で一体」 だということを思い出せるといいなと思います。
草木が 根も地上部も 等しく大切なように、私たちも 見える部分 ・ 見えない部分 どちらも等しく大切。
高次の視点から見れば、三次元世界は 魂の成長をわかりやすく見せてくれる鏡だし、三次元視点から見れば、この世の暮らしを楽しむために 内的成長があるわけで。
どちらも真実であり、たがいに反映し合っていて、ふたつでひとつなんですね。
内的探究の一環で、厳しい生き方を余儀なくされる場合も 多々ありますが、そんなときほど 自分のほんとうの望みを汲んで、ささやかなことでいいから 自分を喜ばせる体験を増やすと同時に、わざわざ苦しい生き方を選んでいないか、もし選んでいるなら それはなぜなのか、自身をよぉく観察することが大事かと思います。
茎を伸ばし 葉を広げ 花を咲かせ 実を結ぶ、そんなプロセスを楽しむために、私たちは この世界にやってきたのですから