毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

なにもかも ありがとう♪

2010年12月28日 14時09分16秒 | 季節の行事
ふぇ~、おわったおわった、わが家の大掃除♪

いや、大掃除なんていうほどのものじゃないんですけど、引越しのときがっちりお掃除しておいたのをいいことに、いつもより少しだけ氣愛入ったゴシゴシで 無事済んだことに(^^ゞ

ちょっと早いけど、お飾りも飾ったよ

初めてのお正月なのに お留守番させてしまうお家さんに申し訳なくて、せめて氣分だけはお正月らしく、と。。。


掃除しながらふと氣づいたけど、この家で暮らすようになって半年経つんだなぁ。。。
なんかもっとずっと前から暮らしてたかのように馴染んでる感もあり、
それでいて同時に
ここも通りすがりの一瞬の光景に過ぎないかのような、どこか夢の中のような不思議な感覚もあり。。。



明日からは実家で掃除と買出しとおせち作りです♪
父も母も楽しみにしてくれてるみたいで、ありがたいことです♪

久々にお正月らしいお正月を過ごせそうで 今からちょっとワクワク


出発間際のあわただしい日記になっちゃって あまり書けなくて残念だけど、
ここに来てくださったみなさま、今年一年ほんとうにありがとうございましたm(__)m
PCの調子もあり、秋からは写真も載せられずのんびりマイペースの更新になってますが、こんなささやかな日記でも 大勢の方に読んでいただけて とっても幸せです
来年もどうぞよろしくお願いいたします


あらら、さっきまで晴れてたのに 急に曇ってきたと思ったら雨だわ

外回りの掃除朝のうちに済ませておいてよかったぁ(^^)

ま、おかげであったかいし、今度はお正月の歌でも歌いながら山越えしましょうか~

みなさまもどうぞよいお年をお迎えくださいね

お三箇日が明けた頃に戻ります♪


ではでは~(⌒∇⌒)ノ










イェ~イ!

2010年12月22日 18時42分38秒 | 子どもたちと
今年さいごのピアノレッスンから戻ったところ。

きょうはクリスマス会も兼ねていて、もう楽しかったのなんのって

先々週に突然決まったこの企画、ほんとうにこんなんで人前で弾けるのかしら。。。って感じだったのに、なんと3人が3人ともばっちり仕上げてきました\(^o^)/

すごいなぁ。。。よく練習したね~、やっぱり人に聞いてもらうって張り合いがあるものなんだね♪


突然のお願いにもかかわらず、それぞれのお母さんと兄弟、それにお母さんのお友だちまで手作りケーキ持参で聞きに来て下さって

みんながそれぞれ演奏を披露したあと、お母さん方と私の用意したお菓子や飲み物でおやつタ~イム♪

ケーキにドーナツ、クッキー、チョコレート、サンドイッチ、ジュースに紅茶。。。心づくしの手作りお菓子でわいわいにぎやかにパーティ氣分、もうお腹いっぱい(^^ゞ

そのあとは全員でクリスマスソングの大合唱

いやもうとんでもなくハイテンション

子どもたちばかりか お母さん方まで歌ったり踊ったり、ピアノ伴奏力いっぱいバンバン弾いても 自分の音がよく聞こえないぐらいの大賑わいとなりました

子どもたちなんて、興奮のあまり しまいには椅子の上に上ってマイケル・ジャクソンのまねして踊り出しちゃったり

音楽ってなんて楽しいんだろう、みんなで声を合わせて歌うってなんていい氣分なんだろうって 心底思わせてくれた2時間半でした(^^)



で、今から奈良の実家に出発です

明日は母の80歳の誕生祝い、家族で集まってお祝いしてきます♪

すぐ出かけなくちゃならなくて、ほんとはこんなこと書いてる余裕なんかないんだけど、あんまり楽しかったんでつい。。。(^^ゞ

頭の中で まだクリスマスソングが鳴り響いてます♪


ジングルベル歌いながら山越えしようっと♪


今年は年末年始も実家なんだけど、あいだに一度戻るから、そのとき今年最後の更新できそうです


みなさまもどうかよいクリスマスを









一歩一歩進むだけ(^^)

2010年12月13日 21時58分53秒 | ふと思うこと
前の日記を読み返してふと思ったんだけど。。。

「もっとキラキラを取り戻そうよ~」って自分が思ったのは事実だし、それはそれでいいんだけど、

人には人それぞれの思いや道があるものね。

不自由を味わうことから自由への道を歩き出す、そんなルートを選ぶ人だっているわけで、それは個人個人が好きなように決めること。
どの道がいいとか悪いとかがあるわけじゃないし、そもそもハタがどうこう言うことじゃない、言えるものでもない。

読む人の状況によっては 「~しようよ」っていう表現に とまどいや反発やプレッシャーを感じてしまうかもしれないね。

ささやかな個人の日記だから 何をどう書こうといいようなものかもしれないけど、「私はこう思う、こう感じる」って書き方ならともかく、人に呼びかける・働きかけるような表現は もっと考えて使った方がいいな。。。ってちょっと反省したのでした。




このところしきりに「感じるままに」とか「本来の自分に戻って」とか そういう方に意識が向くのは、先週見た映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の影響かもしれません。

昔ながらの自給自足の島の暮らしや自然を守るために、対岸の原発建設計画を、たった500人ほどの しかも平均年齢70歳以上の島民で 28年にもわたって阻止し続けている 山口県祝島の人たちの生活と、
脱石油・脱原発を決め、新しいエネルギー源を開発し 持続可能な社会を目指すスウェーデンの取り組みを描くこの映画。

ここに出てくる祝島のおじいちゃんおばあちゃんたちがね、もうここ熊野のおじいちゃんおばあちゃんたちとそっくりなの

海と山、島と半島、和歌山と山口の方言の違いこそあれ、姿かたちも 生きる姿勢も 語られる言葉も 私がここで日ごろ見かける年配の人たちとあまりにもそっくりで、ついつい感情移入してしまって。


会場には 前作「六ヶ所村ラプソディー」で知られる監督の鎌仲ひとみさんもいらしてて、上映会前後にはトークやディスカッションが行われました。


この日は、朝は地元の一斉清掃で 「土地を守る」ということについて思いを馳せ、

その後、地元中学校の日曜参観で 「“人間本来の 自ずと感じる力 ” を失わせる社会のシステム」についてあれこれ考えさせられ、

晩がこの上映会。

なんかもう いろんな思いが混沌と頭の中を渦巻いてる感じだったんだけど。


映画の中で、原発反対運動のリーダーの人がおっしゃってました。

「わしらだけで原発建設をやめさせることはできない。
 それはわかっている。
 でも、多くの人々が氣づいて動き出すまで 引っぱって止めておくことはできる」

正確な言葉は覚えてないけれど、こんなふうなことだったと思います。

鎌仲監督も言っておられました。

「これを見てくださったみなさんお一人お一人が、持続可能な社会を創るために行動してください」



その昔 広瀬隆さんの「東京に原発を!」を読んで、講演会も聞きに行ったことのある私、当時しきりに考えたのは、どうやって反対意見を盛り上げるか、どうやって日常の電気使用量を減らせばいいか、などといった、外側からの短絡的な行動ばかり。


でも この日考えたのは、そして今思うのは、
この社会を作ってる私たちの思考が システムによって氣づかぬうちにゆがめられ 制限されて本来の自分を忘れかけてしまっているのならば、
一見遠回りのようでも その思い込みをこつこつ解いて、あるがままのほんとうの姿に戻っていくしかないんじゃないかなっていうこと。

いのちに根ざしたところから生きて行動していたら、わざわざこの地球の環境を壊してしまうような選択を そもそもするはずがないもの。


そんなこんなですご~く濃い一日だったんですが。


そのときの 湯掻き棒で引っかき回した渦がまだいくぶん残ってるかのような頭の中に、子どもたちの無邪気な喧騒が響いてくると、

なんだかほっとするんですね

そしてついつい言いたくなっちゃうんです(^^ゞ

この子たちの方がほんとうなんだよ、自然なんだよ、パワーあるんだよ
それを大人がわざわざ型にはめて元氣削いじゃうなんて もうやめようよ

って。


でも、いくら思いがつのろうと、ちっちゃな私にできるのは、今自分の目の前のことだけ。

人をコントロールしたり変えたりはできないのだから。

自分が自分の真ん中を見失わないようにして、こつこつと一歩ずつ進んでいく、それしかない。

だったら 私は私の道を 楽しく歩いていこう♪

ときに似たような歩みの人と出会って 連れ立って行ければ それもまたうれしいし、

あ、こんな生き方も悪くないな。。。って誰かに思ってもらえるようなことでもあれば、それはとってもしあわせなこと♪


自分の道をゆく

結局そこに戻ってくるのね~












取り戻せ、あのキラキラを☆

2010年12月11日 22時10分40秒 | ふと思うこと
去年は使えなかったクリスマステンプレートでブログを飾れるうれしさ

わが家もリースやらキャンドルやらでささやかにクリスマスしてます

外に出れば、あちこちのお宅で今年も綺麗なイルミネーションを飾りつけてくれてるのがまたうれしいなぁ♪




土日となると いっぺんに静かになるわが家周辺、学校お休みだもんね♪

平日の昼休みや放課後のにぎやかさといったらもう(笑)

ブランコのギーコギーコ鳴る音、ボールの弾む音、そしてなんといっても子どもたちの駆け回る足音に 笑い声や叫び声


2、3日前のこと、相も変らぬ放課後の賑わいに耳を傾けていたら、

突然「パオパオ~!」という叫び声が。

なんじゃそりゃ!?と思っていたら、

みんなよほど氣に入ったのか、たちまちあっちでも「パオパオ~」、こっちでも「パオパオ~」(笑)

しかもそれがだんだん二人、三人とそろっていって、しまいには「パオパオ~!」の大合唱に

挙句の果てには、


“せ~んろはつづく~よ~ ど~こまでも パオパオ~

 の~をこえやまこ~え た~にこえて パオパオ~



(^◇^;)


合いの手になってるぅ

何人で歌ってるんだか かなりのアップテンポなのに まあよくそろうことそろうこと、

大音響でフルコーラスしっかりやってくれました(笑)


私は家で二つ折れになって大笑い (T▽T)ノ_彡☆





子どもたちをすぐ近くで眺めていると、いのちって理不尽なものだなぁって氣がしてきます。

いや、理不尽って言うのは語弊があるな。。。

理屈抜きっていうかな。。。


低学年のちっちゃな子たち見てると特にそう思います。

大きい子たちの遊びはバレーボールとかサッカーとかだんだん形が出来てくるけど、小さい子たちのは勢い任せの出たとこ勝負。


たとえば鬼ごっこなんか始めるでしょ。

ある程度経って ちょっとこれは飽きたかな・・・っていう空氣がたちこめてくると、すかさず誰かが「ねえ、○○しよう!」と他の遊びを言い出す。

そのまま一氣に突入することもあれば、「△△がいい!」と別提案が出ることも。

すると、それやりたい!っていう氣持ちのより多い方に流れがひょいと傾いて、たちまち遊びがチェンジする。

勢いひとつでどうとでも流動的にほいほい変わっていくんですね。

自分の提案却下されちゃった子もくよくよなんてしてません、けろりと氣を変えて すぐその流れの中に飛び込んでいく。

すべてはあれやりたい、これ楽しいっていう氣持ちとノリだけ、それで状況が刻々変化しつつ、チャイムが鳴るとか帰りの時間になるとかするまで 遊びはエンエン続いていく。

みんな無意識のうちに場の流れを感じ取っていて、実にうまくそれに乗っかっていくんですね。

っていうか、みんなが無意識に発してるいのちのエネルギーの総体が 流れとなって場を創ってる、っていう方が近いかな。


こういうのにさんざん触れた後で 大人ばっかりの会議なんかに出ると、もうなんなんだ、このテンポの悪さ、このぐだぐだな生氣のなさは!ってつい思っちゃう(笑)


子どもたちは、いのちのほとばしるままに動くことを知ってるんですね


私たち大人もかつては子どもで、この勢いを肌で知ってたはずなのにね。。。


大人の世界は 理屈や決まりごとで成り立ってる部分が多いから、それに合わせてると 頭で考えることがどんどん増えていって 勢いを削がれて流れが滞っちゃうんだろうなぁ。。。

子どもだって、上の学校になるほど 回りの要求に合わせることに慣れていって、それと反比例するようにいのちの輝きが薄れていってしまうのが感じられます。


なんでも勢い任せがいいとは思わないけど、それにしても大人だってもう少し感じるままに 遊び心でキラキラするときがあったっていいんじゃないかなぁ

もっともっとみんなでそういう時間持てるようになったらいいなぁ♪



かく言う私もすっかり忘れていたことだけど、子どもたちにちょくちょくお仲間入りさせてもらうことで、自分の中の感じる力を少しずつ思い出させてもらってるような氣がします(^^)

彼らが先生なんだよね♪



いろいろと忙しかったり氣がかりだったりはあるけれど、大人だってときには理屈抜きであのキラキラを取り戻そうよ~~~\(^o^)/


パオパオ~