毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

雨のち晴れ♪

2012年03月31日 13時02分44秒 | 奈良・実家・家族
奈良です

きのうはいい天氣で汗ばむほどの陽氣だったのに、きょうは一転暴風雨。。。なんなんだ、この変わりようは(笑)

せっかく咲き出した桜が散っちゃう~


到着以来の実家も 「ひとつ間違うと暴風雨」のデンジャラスな空氣がそこはかとなく漂ってます(爆)

しかし。

それゆえに(いや、皮肉とかじゃなく、ね)外側になにが起こっていても 影響されない境地が確かにあるものだと知ることが出来ました(^^)

ここに来たおかげだぁ


今まではね、両親の不調和な空氣に触れるたびに まずテンションがど~んと落ちちゃってたんです。

その上で、「こんなものには負けないぞ、影響されないぞ~」って抗いながらがんばってたんですね(^^ゞ


でも、どれだけ身近に違和感ある空氣が立ち込めていようとも、それにいっさい触れず反応せずで 自分の波動を保ったり上げたりできるものなんだっていうことが、今年に入ってからじわじわとわかってきました♪

今回はハナからその氣満々で行ったせいか、自分が影響されることなく、むしろ私の機嫌よさがまわりに伝わってる手応えを感じます。


いやぁ、過去に体験した覚えのない境地でも、手探りで近づいていく中で実現できるものなんですね

状況に関係なくただ幸せでいるって こういうことだったんだねぇ


。。。なんて書いてたら、大雨大風がやんで、薄日がさしてきました☆


出来すぎだわ(笑)














桜に見送られて

2012年03月29日 11時22分24秒 | 自然




きょうも駐車場の桜。

下の方の枝から咲き始めたよ~

飛行機雲といっしょに、はい パチリ


きょうは この3月で一番?と思うぐらいの暖かさ。

セーターなんて着てられないほどのぽかぽか陽氣。

これで あちこちの桜が一氣に開花することでしょう♪


桜は毎年楽しみだけど、今年ほど毎日毎日開き具合を確かめたのは初めてのような。

やっぱり開花時期が大きく遅れたせいかしら。。。


綺麗な花を見られてよかった♪

きょうの午後から また奈良に行ってきます。

戻る頃にはもう盛りを過ぎてるだろうなぁ。。。

ちょっと残念だけど、十津川の山中と 実家の近所でお花見といきましょう(^^)

ゆとりがあったら、また奈良から桜便りをお届けしますね


ではでは、行ってきま~す (⌒∇⌒)ノ















咲き出したよ~\(^o^)/

2012年03月28日 11時32分42秒 | 自然
けさ、ゴミを出したその足で すぐそばの川を眺めに行きました。



う~ん、氣持ちいい♪

朝陽で川面がキラッキラ、せせらぎの音がなんとも心地よくて、しばらく立ち尽くしていました。


川の土手下の桜。



咲いてるひと房見っけ☆

なんて可憐な姿なんでしょうね



家に戻ろうとしたら、隣の高齢者支援ハウスのフェンスから、こんな可愛い子が顔を覗かせて挨拶してくれました♪



おはよう!

きょうもいいお天氣であったかくてうれしいね(^^)



駐車場の桜も、ほら、この通り♪




な~んかウキウキしちゃうなぁ










チューニング♪

2012年03月27日 22時22分23秒 | 自然
きょうはきのうより風が弱まって、一段と春らしい一日。

午前中は サプライズのお客さまとお喋りに興じ、午後からは家の周りの草取りをして、青ジソとベビーサラダミックスの種を蒔きました♪

去年ミニトマトを植えた場所、種を蒔くのは初めて。

相変わらず大小さまざまな石がごろごろ、草取りのたびにガラスのかけらや錆釘、燃え残ったビニールなんかがぞろぞろ出てきますが、そういうものを取り除き、生ゴミを埋め、抜いた草を積み上げてほこほこの土に返し。。。と 二年近く手をかけた土地は、わずかばかりのスペースでも どこか愛おしい。

鎌の刃で浅い溝をつけたところに種を筋蒔きし、土をかぶせて枯れ草を薄く敷き、水をたっぷりかけました。

奈良から戻ったとき かわいい芽がずらりと顔を覗かせてたりしたら、どんなにかうれしいだろうなぁ



こういう土いじりって、いったん始めると 楽しくてなかなかやめられません。

きょうも 氣がついたら3時間以上経ってました。

散歩とか畑とか 外の空氣に長い間触れるたびに、自然の氣に同調して 自分の中をチューニングしてもらってるんだろうなと思います(^^)

ああ楽しいなぁ、氣持ちいいなぁって思えば思うほど、内側からどんどんすっきりして エネルギーの通りがよくなってくるんだもの♪

春ともなればなおさらね




きょうの駐車場の桜。



風に揺れる枝を爪先立ちで撮ったから 焦点が定まらずぼやけ氣味ですが、膨らんだつぼみがほころびかけてるのわかるかな?

“サクラサク”までもう一息だよ(^_-)















花盛り♪

2012年03月26日 13時09分18秒 | 自然
風がまだちょっと冷たいけど、もうすっかり春です♪

あたたかいお日さま、空の色、鳥の声、どっちを向いても春の風情♪




うちのパンジーちゃんたちもこのとおり。

冬の寒さを乗り越えて、思う存分春を満喫しているようです(^^)


デイジーちゃんも、




ノースポールちゃんも、



はい、このとおり 花盛り。


雪に埋もれながらもしっかり持ちこたえて、あたたかくなった今、う~んと氣持ちよく伸びしてるみたい♪



そしてこちら。



ど~んとアップで

先日と同じ すぐそばの駐車場の桜。

花びらのピンクが顔を覗かせて もう今にも咲き出しそうだよ


残念ながら、数日後にはまた奈良に行くことになりそうで、こちらでの桜の盛りは眺められるかどうか。。。

戻ってくるまで咲いててくれるといいんだけど。。。


ま、いいや♪

この心浮き立つ春の陽氣を しこたまお土産に持っていくことにしましょう(^^)



春っていうだけで なんでこんなにうれしいんでしょうね











ただのキャッチフレーズにあらず

2012年03月23日 23時32分57秒 | ふと思うこと
きのうの卒業式でのこと。

育友会の会長さんが祝辞の中で「失敗は成功のもと」について話されるのを うんうんとうなずきながら聞いていた私。

もし私が卒業生さんたちに言葉を贈らせてもらうとしたら、やっぱりこれについて話しただろうなぁ。



失敗は成功のもと。

子供の頃からさんざん見慣れ聞き慣れた言葉。

あまりに慣れ過ぎて あまり意識することのないキャッチフレーズみたいになっちゃってる氣もするんだけど。

実際私の場合、この言葉が 強い実感を持って ぐんと自分の中に入り込んだのは、ほんのここ数年のことなのです。



人目ばかり氣にして 自分のほんとうの氣持ちに目を向けようとせず長いこと来てしまった私。

頭で考え 計算づくでやってみたことは ことごとく失敗で、失望や自信のなさから 過食したり、鬱になりかけたり。

そんな中 和歌山に移って、見知らぬ土地で 頼りない自分の力だけが頼りの 生まれて初めての一人暮らしをすることになりました。

最初に住んだところでは 比較的穏やかな暮らしを三年近く続けさせてもらいましたが、今にして思えば その先に待ち受けているものへの 備えと充電の時期だったのでしょう。

そこから先は、前にも増して 失敗と失望と不安の嵐。

なんとかそんな状態から抜け出そうと 役立ちそうな情報の載った本を 手当たり次第読みまくり、PCを手に入れてからは メルマガの購読にサイトの情報の渡り歩きと、とにかくジタバタと(笑)

今振り返って、あきらめずにジタバタして ほんとうによかったと思います。

そんなこんなの中で いろいろな世界を知り、力になってくれる人にも出会えたし。

そして、失敗が成功に転化するさまを 身をもって知ることが出来ました。




ほんとうの自分を知るためには、数多くの体験の中から見えてくるデータを積み重ねること。

そして、「失敗」っていうのは 「これこれこうしないほうがいいのね」っていうデータなんですね。

そうやって「しないほうがいいこと」のデータをいっぱい集める中から 「こうすればいいんだ☆」っていうのが見えてくる。

最初っから「こうすればいいんだ」しかないのと違って、不要なものを削り落とした中から現れる「これだぁ」っていうのは、すごく強くて確かで揺らがないんですね♪


「失敗」が失敗のままで終わるのは、それをデータ加工せずにそのまま放ったらかしたときだけ。

そのときは、きっとまた必ず同じような場面に遭遇することに(- -;)

だから、どうせなら一度で学んでしまうに限る。。。ということも学びました(笑)


また、自分の「これが好き」「こうしたい」がなかなか見えなかった私も、失敗の数々から「これはイヤだ」「これはもうやりたくない」というデータはどっさり集めることができました。

で、その「イヤなもの」をどんどん手放していく中から 「ああ、私こういうことが好きだったんだ、やりたかったんだ」っていうのが徐々に見えてきたんですね。

そこまで来るのに きのう書いたように約半世紀かかっちゃった訳だけれど、それだけの値打ちがほんとうにあったと思う(^^)



子供たちの中に 失敗を恐れる子がたくさんいるような氣がします。

自由奔放な小さい子たちでさえ うっすらとそんなところがあるし、自意識が育っていく年頃になればなおさら。

何よりも大人のほうに、子供が時間をかけて学んでいくのを待ってられないようなところが見えるし。

世の中の動きがどんどん早くなって、失敗の中から学ぶなんて まだるっこしくてやってられないっていう風潮があるのかもしれません。

失敗するとすぐ叱られるから、ここぞっていうところでしり込みしたり、前もって「うまくいかないかもしれないよ」って予防線張ったりする子をたくさん見てきました。

いや、誰よりも私自身がそういう子でした。

だから、そんな子供の氣持ち、よくわかる氣がします。


その上で、「たくさん失敗して、そこから学んで幸せになろうね♪」って 心から言ってあげたいです。

失敗したら、なんで思い通りにいかなかったのか、この次はどうすればうまくいきそうか、よぉく考えようね。

そして次のときは もうちょっとうまくやろうね。

失敗は恐くないから。

そこから学んで、どんどん賢く幸せになれるから。

ってね




「失敗は成功のもと」

この言葉、耳に心地よい単なるキャッチフレーズなんかじゃ決してない。

これは宇宙普遍の真理なんだよ~って 声を大にして呼びかけたい氣持ちです。












望めばきっと叶うのだから

2012年03月22日 22時45分14秒 | 子どもたちと
きょうはお隣小学校の卒業式でした。

今年の卒業生は 女の子6人。

思い起こせば、私が初めてこの学校に足を踏み入れたのが この子たちが一年生のときの学校開放週間でした。

教室の移動でもあったのか、ちっちゃな女の子6人がずらりと縦一列で 廊下を小走りに駆けていった可愛い姿が今でも目に焼きついています。

それが二学期のこと、そしてこのとき知り合いのお母さんに教えていただいたのがきっかけで、三学期から絵本の読み聞かせに参加させてもらうことになったのです。

あのときのおちびさんたちが、すらりと背が伸びて すっかりお姉さんになって、お揃いのリボンの造花をつけて きょうの晴れの席に主役として座っている。

私からすれば 手を伸ばせば届きそうなのに、あの公開授業の日からいったいどれだけの年月が経ったんだろう。。。と なんともいえない思いでした。

もう「女の子」というより「女性」といってもいいほどの存在感、みんな立派に大きくなったねぇ、としみじみ感慨深くて。

私でこれだから、娘の晴れがましい姿を見守る親御さんたちの思いはどれほどだったことでしょう。

開式前の「思い出の写真映写」や 卒業証書授与の際にひとりひとりが将来の夢を語るなど、少人数ならではのアイデア演出も魅力的な、とってもいい卒業式でした。

お天氣もきのうに引き続き春らしい晴天、あたたかい一日でほんとうによかった♪




もうじき中学生になる女の子たちの語ってくれた夢、芸人に自衛官、文具デザイナー、保母さん、絵本作家、ピアノの先生♪

あの年の子たちから見える自分の未来って どんなんだろう。

もしかしたら 夢は変わるかもしれないけど、形はいくら変わっても あの子たちの一番の望み・ほんものの望みが どうか叶いますように



私があれぐらいの頃は、いい子で優等生で心にゆとりがなくて、「自分が何がしたいか」ではなく「人にどう思われるか」ばかりを氣にして生きていました。

自分の氣持ちなんか見ようともしてなくて、当然 ほんとうの望みなんかわかるはずもなくて。

だから、成人してからも わけもわからぬまま 暮らしを立てるためにあれこれやってみては 失望することの連続だった。


そんな私も、いろんな人の力を借りて 自分のほんとうの心を少しずつ思い出させてもらい、子供の夢のようなものではないけれど、自分のこの先にも大きな希望が持てるようになりました。

子供の頃と違うのは、「何がしたいか」ではなく「どうありたいか」が常にまっ先に浮かぶこと。

他の誰よりも 自分に対して嘘のない人間でありたい。

人も自分も心から愛して 大切にし続けたい。

まだまだ残しているそぐわない思い込みから解き放たれて、自分を磨いて成長し続けたい。

いつも優しく柔らかい心を保っていたい。

すべてはひとつであることを もっともっと身近に感じていたい。

ひけらかしたり競ったりするのではなく、ただ自然にあるがままで 快い香りを放つ花のような存在でありたい。


そんな中で、自分の一番したいことをして 豊かな(贅沢な、ではないです・笑)暮らしが成り立つ巡りの一部になれたら最高だな♪


「一番したいこと」って具体的にイメージするときのほうが漠然とした印象になっちゃうのはおかしなものだけど、

自分の手で細やかに暮らしを紡ぐこと、土と共にあること、本や音楽と共にあること、言葉になりにくい世界を言葉にすること、自分の内側に新しい何かを発見し続けること、縁ある人の、とりわけ子供たちのために尽くすこと。。。そんな感じかな♪



子供の頃から 自分のしたいことがはっきり見えている人、夢に向かって着実に歩いている人って、とてもまぶしくて魅力的です。

そんなふうだったらなによりだなって思います。

それと同時に、半世紀近くかかって やっと揺るがない喜びを見つけた自分のことも けっこう好きだったりします(^^)

早い遅いは関係ないのかもね♪

今 自分の道を歩いていられること、それが幸せっていうものなのかもね♪



望めば必ず叶う。。。だから、すべての人が 自分のほんとうの心、ほんとうの望みと出会えたらいいね



















ぽかぽか~♪

2012年03月21日 19時40分43秒 | 紡ぐ暮らし
きょうのお天氣。。。これはもう春本番ね

家の中に吹き込んでくる風はまだちょっと冷たいけど、外に出れば お日さまぽかぽか、ウグイスたちの鳴き交わす声もそれはそれは楽しそう♪

そして 蛇口をひねれば 出てくる水があったかぁい。。。まさに「水温む春」♪



これはもうお散歩でしょ、といそいそとお出かけ



空の色が優しいよ(^^)





ちりめん模様のような繊細なさざ波。。。川の水もあったかくなってきたのかなぁ♪





梅の花は盛りを過ぎたけど、まだまだ綺麗、そしていい香り

それにしても去年の今ごろは もうとっくに桜が咲いてたんだけどなぁ。。。対岸の山桜もほんのり色づいてきてるから、もうじき咲くと思うけどね。。。

あれれ?もしかしたら あっちとこっちで梅と桜が同時に咲いたりして?

なんだか不思議な光景だね(^_^;)


しかし このあたりの木々も 去年の台風のときはかなり水に浸かったはずだけど、よくこうやってまた美しい花を咲かせてくれたものだなぁ♪

眺めていると、しみじみ愛おしくなってくる♪

今年も春を連れてきてくれてありがとうって呼びかけたくなる♪





家のそばの駐車場の桜。

あら、蕾がもうこんなに膨らんでる。。。これはもうじき咲いてくれそうね♪

梅とダブらんばかりの桜の開花って なんか妙な感じだけど、考えようによってはすごい贅沢なことかも



春の氣に浸ってると、こちらの心まで なんだかほのぼの優しくなってきます♪

ブログも春色にしたくなって、桜柄に模様替えです(^_-)

わが家のパンジーもデイジーもノースポールも 冬の寒さを乗り越えて 元氣いっぱい花盛り。

先日奈良で買ってきた青ジソとベビーサラダミックスの種も そろそろ蒔こうかな













無数にあって、すべてはひとつ♪

2012年03月20日 22時38分46秒 | ふと思うこと
きのうの日記で、細胞ひとつひとつにからだ全体の情報が書き込まれているように、ひとりひとりの人間にも 古今東西あらゆる人の情報がインプットされてるような氣がすると書いたのだけど。

さらにもう少し言うと、自分のまわりに見えるいろいろな人が 自分というひとりの人間のさまざまな要素を演じ分けてるようにも見えるんだよね☆

ほら、テレビの健康情報番組なんかで 白血球役の人、赤血球役の人、なんて、何人もの役者さんが ひとりの人間の体内のさまざまな働きを演じて見せるのがあるでしょ?

あんな感じ

自分のそばに 「この人意地悪だな~」って思うような人がいたら、それは私の中の意地悪な要素を演じて見せてくれてる人。

「この人陰氣だな~」って思うような人がいたら、それは私の中の陰氣さを表わしてくれてる人。

「この人ステキだな~」って思うような人がいたら、以下同文(笑)


だってね、多層構造であらゆる要素が詰め込まれてるその人の中から、あるひとつの要素を抜き出して眺めてるのは、他ならない私の意識だもの。

その要素に着目したい私がいるっていうことだよね。

じゃあ、なんで数あるさまざまな要素の中から その性質に特に惹かれるかっていうと、それは 私の中の同じ性質と共振共鳴してるから、そして、私自身の何かが 自分の中のその性質を特に氣にかけてるからじゃないかなと思うんです。


自分の中の嫌なところっていうのは なかなか素直に受け入れられないものだし、自分に自信が持てないと ステキなところについても つい卑下して見逃してしまう。

でも、人のことを判断解釈するのは あまりためらいがないんですよね(^^ゞ

「この人好き~」「この人感じ悪ぅ~」って すぐに色付けしちゃう。

でも、色づいて見える景色が 実は自分のかけてる色付きメガネのせいでそんなふうに見えてるように、相手の性格だと思ってたものも 実は自分の心の投影によるものだとしたら?

この投影のからくりをうまく使うことで、自分の中をじっくり観察するチャンスが生まれるよね♪


もちろん、相手にもその要素がやっぱり色濃く出てるんだと思います。

つまり、似たもの同士が互いに相手の中に自分を見てるっていうか。

相手を「感じ悪ぅ~」と思ってるときは、その相手も自分のことを「感じ悪ぅ~」と思ってる可能性が大なのよね(笑)



相手を見てる。

そして相手の中に自分を見てる。

向かい合わせた鏡が どこまでも互いを映し合っていくように。


こんなふうに考えていくと、もう「真実はどれ?」とか「正しいのは誰?」とかっていう問い自体が意味をなさないような氣がしてくるんだなぁ。

「どれを自分の真実にする?」「どれを自分の答えにする?」って問うほうがしっくりくるような。

そうなったとき思うのは、相手をどのように判断したところで、自分の望みどおりに変えたりは出来ないってこと。

だったら、この際相手は置いといて(笑)、鏡に映った自分をよぉく眺めて イヤなところは手放し 好きなところは大いに認めて、よりステキな自分になるように磨いていくほうが ずっと楽しいし報われるところも大きいよね♪



無数の要素を持つ自分が 無数の要素を持つ誰かと出会う、そこから派生する可能性は果てしなく、無限大にも等しいように思えます。

と同時に、まわりの人を通して映る要素すべてが 自分の意識の投影なら、そこには自分たったひとりしかいないようにも思えます。

よく言われる「すべてはひとつ」とか「ワンネス」とかって こういうことなのかもね













混沌のなかから見えてくるもの・選ぶもの

2012年03月19日 12時12分21秒 | ふと思うこと
前の日記で 「多層構造のものは 一度にひとつの次元しか言葉化できない」って書いたけど、これは、文章にするときだけじゃなくて、言葉を使って考えるときも同じ。

混沌の中から ひとつを掬い上げて形を付けたときには それ以外の要素は全部落ちちゃってる。

親のことを何回か取り上げたけど、あれだけ読んだら「どんな親?」って見えちゃっても仕方ないよね。

でも、実際にはあれは 私視点であるひとつの角度から捉えた親の姿、というだけのこと、それがすべてではもちろんないから。


横暴な面あり、同時に寛大な面も思いやりもあり。

家族ゆえに派手にぶつかることもあれば、家族ゆえによくしてもらったことも 大いにかばってもらったこともあり。

荒々しい言葉を投げつけられたのも、助けが欲しいときにスルーされたのも事実なら、いい教育を受けさせようと心を砕いてくれたり、手作りの暮らしのよさをたっぷり味わわせてくれたのも事実。

いつまでも手こずるような負の思い込みを植えつけたのも事実なら、どれだけお金を積んでも買えないような 心の財宝を育ててくれたのも事実。

私の視点も多層構造なら、親の意識だって多層構造、その組み合わせから見えるものは きっと無数といっていいぐらいあるんだよね。

あとは、そこから何を掬い上げて 自分の中にどんな世界を育ててゆくのか。

それは、それぞれが自分の意思で選ぶんだよね。



以前ひょんなことから 「細胞」についていろんな本を読んで独学したことがあるんだけど、今でも覚えてるのは、からだを作ってる細胞は 全部で60兆とか70兆とか(いろんな説があるので)ものすごい数があって、それぞれの持ち場によって 形も働きも違うけれど、実はどの細胞も からだ全体のすべての情報を持ってるんだっていうこと。

血液の細胞なら その中の血液に関する情報だけがONになってて、あとの情報は発動しないようOFFになってるんだって。

だから、そのON・OFFを自在に操作できれば、ある特定の役割の細胞を 別の役割の細胞に変える、みたいなことも可能らしい。


最近ね、人も似たようなものなんじゃないかなぁって思うんです。


ひとりひとりの人の中に、それこそ聖人から犯罪者まで この世のあらゆる人間の要素が 情報として入ってて、めいめいが その中から自分にふさわしいと思うものを(意識してでも無意識にでも)選んで、「これが私です~」って表現してるんじゃないかなって。

小さい頃に刷り込まれクセ付けられた情報に従って、あまり自覚しないまま選んでることが多いかもね、少し前までの私みたいに。

それが氣に入ってれば幸せなことだけど、もし氣に入らなくても大丈夫、いくらでも選び直せるから♪

あらゆる情報持ってるんだもの、もっと望みどおりのものがいくらでもあるから♪

簡単に、かどうかは 人それぞれだからわからないけど。

書き換えに手こずることも(私みたいにね・笑)あるかもしれないけど。


細胞のON・OFFスイッチについては 徐々に解明されているものの まだまだ研究中らしいけど、自分のON・OFFは 内側をよく探せばきっとわかるから、はるかに簡単なんじゃないかな♪


もっとよくなる、幸せであり続ける、っていうはっきりした意志があれば、プロセスは人の数だけあるだろうけど きっと実現する、そんなふうに出来てるんだ・・・なんだかそんな氣がします(^^)