毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

もっといっぱい遊んじゃえ☆

2010年02月27日 23時25分47秒 | ふと思うこと
今日の夕食♪




先日とあるサイトでオムライスのことを読んで以来食べたくて食べたくて。。。。

で、作っちゃいました(^^)v

卵できれいにくるむのが苦手なので、ピザチーズ混ぜて耐熱皿で軽く焼いたチキンライスの上に薄焼き卵をかぶせて♪

ケチャップでハート描こうとしたんだけど失敗、残念(^^ゞ

卵も大き過ぎてしわ寄っちゃったけど、ま、いっか~♪

白菜のスープと大根の梅じそサラダといっしょにいっただっきま~~す♪



そういえば、子供のころ母がオムライス作ってくれると、私も弟もお魚に見立ててケチャップでうろこ描いたり顔描いたりするのが定番だったっけ。

なつかしいなぁ。。。。


久々のオムライス、しみじみ大満足でごじゃりました





話変わって、バンクーバーオリンピック女子フィギュアスケート・フリー。
遅ればせながらきょう動画で見て、鈴木明子ちゃんの演技に感動のあまりぼろぼろ泣いちゃいました
よかったね、思い通りに 思いっきり楽しく滑れて\(^o^)/
メダルとか点数とか関係なく 演技が終わった瞬間の明子ちゃんの表情だけでもう幸せいっぱい

明子ちゃんおめでとう、そしてほんとうにありがとう♪




そういえば、私が初めてスケートをしたのは、小学生のとき 父に連れられて大阪・なんばのスケートリンクでのこと。
新潟生まれ・新潟育ちの父は スキーもスケートも得意で、生まれて初めてのスケート靴で 氷の上に立ってるのもやっとだった私は、父にしがみついて・・・っていうかほとんどぶら下がるようにしての初滑りでしたが、慣れてくるとこれがもう楽しくって♪

その後も数回連れて行ってもらった記憶があります♪


やがて 小学5年生か6年生のとき、当時住んでいた家の近くにスケートリンクのあるスポーツセンターが出来て、家族だけでなく 友だちなどとも滑りに行くようになりました。
おかげで 最初は手すりを離すことも出来ずにいた私も そこそこ滑れるまでに


ある日、子ども会の行事でまたまたスケートしに行ったら、その日は男女お二人のインストラクターさんが来ておられて、上手な滑り方や転び方(笑)のお手本を見せてもらったりしました。

で、さいごの20分ほどの自由時間、にこにこと滑ってる私のそばに すーっと女性のインストラクターさんが寄ってきて、滑り方が悪い、もっと手をこういう風に振って、足をこう出して、一歩一歩を大きく。。。などと指導してくれたんです。

いちおうその通りにできるようにはなったんだけど。。。インストラクターさんが離れて行ったあと、なんだか急にふぅっとつまらなくなっちゃって

上手に滑れなくてもよかったんです。
ただ滑ってることが無性に氣持ちよくて、いつまでもその感じを味わっていたかったんですね。



今でもそのときのことをふと思い出すことがあります。

子供相手のとき、特にピアノ教えてるときなんか。


奈良にいたころは いちおうピアノ教室と銘打って、年に一度は発表会開いたりとかもしてたので、とにかくきちんとした弾き方、きちんとした知識を身につけさせなきゃ、ってがんばって教えてたんですね。

でもあるとき、ある人の

「弾ければ楽しいんだよ」

というひとことにハッとさせられたのです。

そうだよね、楽しいから、楽しみたいから音楽やるんだよね。

知識や技術を身につけることが先立って、それが重荷で楽しめなくなっちゃったら意味ないよね。


その昔スケートを楽しめなくなってしまった自分の記憶と重なったんですね。

今でもあのひとことをくれた友だちに感謝してます♪




最近世の中がどんどん変わってゆく中、「強くなって競争し 勝ち抜いてゆく生き方」が主流っていうのは過去のものになりつつあるんじゃないかなって氣がします。

これからは、もっとひとりひとりがその人なりに輝いて、その人らしさを発揮することに喜びを感じながら生きていく時代なんじゃないかな。

自分を楽しませることが 自然とまわりを楽しませることにつながっていく時代♪

ひとりひとりが満ち足りていて、やたら競い合ったり足を引っ張り合ったりする必要がない時代♪

そんな時代がやってきたら、そんな時代を作っていけたらいいよね


そのためにも、秀でることを目指すよりも、まず楽しんで遊ぶこと、そんな心のゆとりを大人も子供も持てたらいいね




あ~、なんかまたスケートしに行きたくなってきたなぁ♪


・・・って、こんな私は遊び過ぎ?きゃはははは♪♪♪











物思う雨の日

2010年02月26日 22時00分51秒 | ふと思うこと
きょうは明け方から一日中ずっと雨。。。。ばしゃばしゃざーざーと降り続いています

雨の日は心がしんと落ち着きます。
雨音は途切れることなく聞こえるけれど、心に障ることもかき乱すこともなく 静かに静かに時が過ぎていきます。

雨って、土地や生き物を潤すと同時に 目に見えず溜まったり澱んだりしているものをすべて洗い流してくれる氣がします。

だから 雨上がりの空はあんなにさわやかで清々しいんでしょうね

灰色の雨の日のあとだから、お日さまの明るさがうれしい。
乾いた晴れの日のあとだから、雨水の潤いがありがたい。

いろいろな天氣がぐるぐると入れ替わりながら 長い長い道をつけていく、その上に私たちは生かされてるんだなぁ。。。。

ふとそんな氣がしました。




午後、地元小学校の学習発表会に行ってきました♪

父兄やもうすぐ1年生になる保育所の年長さんたちを前に、歌にお芝居、朗読、熊野古道の研究発表、それに先生も交えての大縄跳びまで(^^)

そしておしまいに、今年も5年生から4年生へ、種籾の授与式。

この学校では、毎年一年を通じて田んぼで稲を育て、収穫して餅つきをするところまで実習しているのですが、作業の中心になるのが5年生なので、それでこの時期に 来年度の5年生へと種籾の受け渡しが行われるのです。

それを見ていたら、ああ、巡ってるなぁ。。。って思いがこみ上げてきました。



ふきのとうが顔を出して、梅の花が咲いて、ああ、この季節がまたやってきたなって思う。

それは去年と同じふきのとうではないし 同じ梅の花でもないけど、でも同じサイクルで同じように巡ってくる。
また逢えたねって思う。

子供たちも顔ぶれは次々と変わるけど、でもみんな学年がひとつずつ上がって、6年生が卒業して、新しいちびさんたちが入ってきて。。。。この流れはずっと繰り返される。
またこの時期に立ち合わせてもらったなぁって思う。


次々と入れ替わりながら、同じように規則正しく、どこまでもどこまでも巡ってる。。。。

その流れが 自分を巻き込みながらすーっと通り過ぎていくのをふと感じて、なんともいえない氣持ちにかられました。




そして私自身はどうなんだろう。。。。

流れに乗って 着実に年を重ねながら巡っている氣がする。

と同時に、巡ってくるものを ひとところに立って 繰り返し迎え続けてるとも思う。

変わらないけど変わり続ける。

梅が散って、桜が咲いて、そんな季節の巡りに何度も何度も立ち会いながら、私自身はどこへ行くんだろう。。。。



ふとそんなことを思った雨の日でした。










春だよぉ!

2010年02月25日 19時43分42秒 | 自然
きのう、きょうと 3月をすっ飛ばしていきなり4~5月になってしまったかのような暖かさ。
きょうなんて 昼間はTシャツ一枚で過ごしてました



あのちっちゃかったふきのとうも もうこんなに大きくなったよ♪





そしてこっちはコブシの芽♪




春のエネルギーがあっちでもこっちでもぐんぐん作用してるのを感じます


私の中でも、ね(^^)v


日ごろおよそ活動的でない私も、この季節ばかりはおとなしくしていられません

洗濯物をどっさり干して、お掃除もいつもより隅々まで念入りに♪

家中の窓を開け放って 久々に思いっきり風を通すと、心の中まですっきりと澄みわたるよう♪

料理だって あれもこれもと欲張って作りたくなってきて(^^ゞ

ごく当たり前の家事をしているだけなのに、なんだかわくわくしてうれしくて仕方がないのです

これが春のエネルギーなんだねぇ。。。。

そりゃ 花も咲くし鳥も歌うわ。。。。



ただ波長を合わせるだけで からだが動き出し 心が躍り出すこの季節。。。まだまだ寒の戻りもあるのでしょうが、それも時間の問題、本格的な春の訪れはもう目の前


日ごとに喜び増すしあわせな季節が いよいよやってきたよぉ~~~\(^o^)/









準備OK?

2010年02月23日 23時39分02秒 | ふと思うこと
夕べからずっと降り続いてた雨がやんで、雲やもやの中で沈んでいく夕日がまあ美しかったこと。

夢中で写真撮っててはっと氣づいたら 70枚近くになってました(^^ゞ

さんざん迷った挙句選び出したものを。














ね、綺麗でしょ?

思わずいつもより大き目にしちゃった(笑)

きょうもいい一日だったなぁってしみじみと思わせてくれるような夕日でした(^^)






話題変わって、これは先だって1月のネイチャーゲームのときに聞いた話なんだけど、葉っぱのついてない木は立ち枯れしてるから伐ってもいいと思い込んでる人が、大学生ぐらいの年齢でもけっこういるんですって。



(^◇^;)



じょーだんじゃない



“いのち”って 目には見えないよね。

見えないところが大切なんだよね。

畑に種を蒔いて、毎日目をこらしては「きょうも出てないなぁ、変化ないなぁ」と思ってるあいだも、土の中ではすごいことがどんどん起こってる。

いのちはまず見えないところから始まってるものね


いまこの瞬間も、一見枯れ木のような枝にちっちゃな芽がぽちっぽちっと顔をのぞかせて、土の中からも新しい命がいまにも頭をもたげようとしていて。。。

見えるものだけ見てたら まだまだ寒々しくて殺風景な光景とも映るけど、心の触手をそっと伸ばしてみれば、春に向かうエネルギーがそこら中にはち切れんばかりにみなぎってるよ♪

どぉっとあふれ出すのを待ち構えてるよ♪



以前ピアノ教室をやってたときも、いま近所の小学校の子供たちと接していても思うんだけど、
小学1~2年ぐらいまでの子供たちは、個人差こそあれエネルギーの塊。
言葉や行動で表すことをためらわない勢いがありますね。

それが、4年生ぐらいからかなぁ、だんだん沈静化してくるっていうか。
ちょっとおすましになったり 寡黙になったりして、勢いがすーっと引いていく。

昔はそれをエネルギーが落ちて元氣がなくなったかのように思ってたんです。

でも今はそうじゃないなぁって。
外側に向かって噴き出していたエネルギーが内側に向かっただけのことなんだなぁって。

その分外からは見えにくくなってるけど、内側ではいろんなことが起こりながら 着実に根を張り 養分を蓄えて 次の段階に備えてるんだね。

時がきたら、いつでも再び外に向かってわ~っと飛び出せるように、ね



これって子供に限ったことじゃないなぁとも思います。

おとなだって、ガンガン突き進んでいくときもあれば 立ち止まるときもある。

なにかに背中を押されることもあれば、ストップがかかることもある。

ペースは人それぞれだけれど、どっちもアリですね(^^)


中には病氣とか失職とかで意に反してストップすることになってしまった人もいると思うけど、焦らずに立ち止まって 深呼吸して氣を落ち着けて、思い切ってゆ~っくり充電してみるのもいいのかもしれない。

ピンチはチャンス、新しいものを掴むために今のをいったん手放しなさいって神さまがくれた絶好の機会かもしれないから、ね



私はといえば、ここしばらく“とまれ・待て”の状態。

う~んとのんびりできてうれしかったけど、そろそろ動き出したくもなってきてます

充電完了間近ってことかな?

スタート直前のF1カーみたいにボルテージが高まってきてるのがわかります


これから面白くなるぞぉ~♪


春の芽吹きの勢いに合わせて ぽ~んと飛び出すことになるのかな?

楽しみだなぁ










ちょっとお休み

2010年02月22日 17時27分57秒 | 日々の楽しみ
薄曇りのきょう、午前中は青空がまだいっぱいのぞいてたけど、午後からはじわじわと雲の占める割合が増えてきています

こういう日は 雲のまだら具合で 刻々と変化する光と影のトーンが織りなす美しい光景をたっぷり見られるのがうれしくて♪















葉をすっかり落とした栗の木の枝は 藤城清治さんの影絵を思わせるよう。。。

見慣れた景色が次々と神秘的な表情を見せてくれる冬の日の午後、ぜいたくなひとときです






こちらは先日からほどいたセーターの糸で編んでいたネックウォーマー、ほぼ出来上がり。



あとはゴム編み止めで仕上げるだけ。

なんとなくよれっとしているのは 糸に縮れ癖が残っているせい・・・ってことにしとこうっと ( ̄∇ ̄*)ゞ

極細糸2本どりで 2目ゴム編みをひたすらぐるぐると輪に編んでいくだけ、と~っても簡単。


これ、なにかを作るっていうよりも、ただ“編む”感触を楽しんでみたくて始めたんですね♪

目数や模様を考えることもなく ひたすら単純な手の動きを繰り返すだけだから、少しずつ増えていく赤い編地をぼ~っと眺めながら 頭の中ではとりとめもない思いが浮かんでは消え、浮かんでは消え。。。。


なんかね、頭の中半分宙に浮いてるようなこのぼんやり感がたまらなく心地いいんです

あんまり氣持ちよくってうとうとしてきたら、編み物置いて そのまま座椅子倒しておやすみなさ~い

ガラス越しにふと射し込むお日さまの光や鳥の影に手を止めて、そのまま景色に見とれたり。

ちょっと疲れたなぁと思ったらハイ休憩、いつものごとくコーヒーブレイク、ティータイム



ここしばらく 人生ちょこっとひと休み☆の充電期間を与えてもらってるような氣がします♪

いったん足止めて 休息しながら次に備えましょうね、って言われてるみたいな♪


次がもうすぐそこまで来ているのをなんとな~く感じます(^^)


だからこそ、このくつろぎのひとときを 今のうちによぉく味わわせてもらおうっと


今のこの時間はもう二度と戻ってこないんだもの、うんと楽しんでおかなくっちゃ、ね



そうそう、きょうウグイスの初鳴き聞こえたよ♪

春がすぐそこまで来てるね。。。。










輝いてジャ~ンプ!

2010年02月21日 23時20分35秒 | ふと思うこと
バンクーバーオリンピック、盛り上がってますね♪
テレビ持ってない私も ネットの速報や動画で連日楽しませてもらってます♪
パソコンってつくづくありがたいなぁ


オリンピックっていうと ふと思い出すのが・・・あれはアルベールビルだったかリレハンメルだったか・・・いやもっと前だっけ?
ちゃんとしたことは何一つ覚えてないんですが(^^ゞ

ジャンプの選手で ひとりだけものすごく危なっかしい跳び方の人がいたんです。
そのへんの素人(いや、オリンピックは基本皆さんアマチュアですけど)さんが間違って飛び入りしちゃったんじゃあ。。。なんて思いかねないほどに。

姿勢もなんだかヘンだし、ふらつきながら飛んでるし、もちろん距離もぜんぜん出てないし。。。
どこの国の人かも忘れてしまったけど、この人どうやって代表に選ばれたんだろうって不思議に思ったのを覚えています。

ただね。。。
下手だから覚えてたっていうだけじゃないんです。

もうとってもとってもね、楽しそうなの
フラフラのジャンプ跳んだ後で、それはしあわせそうな笑顔で戻ってきて、顔だけ見てると会心のジャンプだったかのよう。
インタビューでも、オリンピックに出られてこの会場で跳ぶことができて心からしあわせだ!って目を輝かせて話してるんですね
観客も トップ選手に勝るとも劣らない大歓声を送ってるし。

ああ、この人だけ世界がまるで違うなぁ、って。

結果はというと、途中で風が強くなって 審判に危ないからって止められて棄権しちゃったんですけど。

でもそのときもぜんぜん落ち込んだりしてなかったように記憶しています。

摩訶不思議なジャンプと しあわせそのもののキラッキラのオーラ、もちろんオリンピックという場では異例な存在だったと思うけど、もうずいぶん前のことなのに、どんなすごいメダリストよりもくっきりと脳裏に刻み込まれています。



ああいう人って いつも自分軸で動いてるんですね。
人がどう思うかは置いといて、自分はなにが好きかな?なにしたら楽しいかな?っていうことをよくわかってて、ためらうことなくごく自然に楽しい方に楽しい方に自分を持っていける。

周りの人たちも、そんな様子を見てるだけでいっしょに楽しくなっちゃうんでしょうね♪

何かを達成したから、乗り越えたから、っていう喜びとはまた違って、肩の力が抜け どこか坦々飄々とした さわやかな歓び


私も以前は他人軸で うんうん頑張りながら必死で喜びを追っかけてたけど、今は誰も見てる人がなくても、天氣いいなぁ、鳥鳴いてるなぁ、お茶美味しいなぁで なんとな~くにこにこ時が過ぎていく平凡な毎日が かけがえのない愛おしいものに思えます


あのジャンパーさん、その後どうしておられるのかなぁ。。。。
ジャンプを続けてるかどうかはわからないけど、
きっと今でもあの輝く笑顔で日々楽しそうに暮らしておられることでしょうね(^^)






優しい氣持ちで。。。

2010年02月19日 22時09分00秒 | ふと思うこと
昨日に続ききょうもいいお天氣、ただ冷たい風がまだ2月だということを思い出させます。

もうちょっとあったかくなるまでは、家の中で過ごす時間の方が多いだろうなぁ(^^ゞ


で。。。

今日も今日とてお茶してます(^^)



紅茶をたっぷり飲みたい氣分だったので ポットもミルク入れも大きいのを使い、お供は新宮・香梅堂の鈴焼、頂き物です♪
ほのかにミルキーな とてもまろやかな味のカステラで 大好きなお菓子なんだ、うれしいなぁ♪


紅茶をお代わりしながらふと思い出したのが、もう6~7年ぐらい前になるのかな、神戸のとあるティールームでの出来事。

通りすがりの神戸で 時間ができたからどこかでお茶しようと思い立ち、近くの書店で紅茶専門店をいくつか調べ、そのうちの一軒に向かいました。

当時、紅茶好き、ティータイム好きが高じて紅茶コーディネーターの通信講座受けたりしてたので、雰囲氣を楽しむとともに少しでも勉強になれば、とも思ったりして。

ちょうど店主さんがおられて、茶葉のことなどいろいろとお話を聞かせて下さりありがたかったんですが。。。

ご自分のお仕事にとてもこだわりやプライドをお持ちのようで、私が受講中の講座の講師さんに多少ライバル意識がおありのようでもあり、ありがたいと同時に少し息苦しさも感じてしまったのです。

私がキーマンが好きだと言ったら 高級なキーマン茶を勧めてくださり、それを頂いたんですが、店主さん絶賛のその紅茶も、なぜか私には海草っぽい香りに思えていまひとつ陶酔できなくて。。。

ただ、当時は自分の感性や感覚、感情にまったくといっていいほど自信が持てなかったので、これだけのプロの方が言われることに間違いはあるまい、私の方がおかしいに違いない、と思い込んで なんとなく憂鬱になっちゃったのです

やがて店主さんが席をはずされ、ふと店内を見渡したとき、私が座ってるカウンターの片隅で ペットボトルを前になにやらしている若い女性の店員さんがおられました。

まだ学生さんかな?と思うほどのお若い、優しい笑顔、やわらかい雰囲氣の方で、私の背伸びした会話を聞いておられたのか、
「紅茶の勉強されてるんですか?お詳しいですね」
なんて言われて うわ~と内心冷や汗かいたりして(笑)

で、ふとそのペットボトルが氣になり、
「何しておられるんですか?」
と聞いてみたら、フレーバーティーで水出しアイスティーを作っているとのこと。

そして、ボトルをちょっと振って具合を見てから、
「飲んでみますか?」
と、にこやかにグラスに入れて出してくださったのです。

一口含むと、なんともいえずいい香りがふわぁと広がって。。。
いや、広がったのは香りだけではありませんでした。
心の底からじわ~っと溶かされるような、なんともいえずあたたかい“何か”。
紅茶そのものとはまた別の優しい温もりに、ちょっとしこりかけていた心がまろやかに包まれ、ほわ~とほどけていくのがわかりました。
なんだかじ~んとして、ちょっと涙ぐみそうになりました。

店を出て、車を運転しながら先ほどの体験を反芻していると、ふいに心の声が聞こえてきました。

あの頃の私は、大好きなティータイムと暮らしを立てることを結びつけて ゆくゆくはティールームみたいなものをやりたいと思い込み、その夢に役立てようといっしょうけんめい勉強してたんですが、

あの体験はそんな私に教えてくれました。

人の心を安らかに豊かにしてくれるのは、知識じゃない、優しい思いやりの心だよ、って

そして、これから私が創っていくのは、まさにそんな 人を安らがせ元氣づける場なんだよ、とも。

あなたが進んでいくのは、あの優しい女の人の道の方なんじゃないの?とそっと言われたような氣がしました(*^ー^*)


今となっては、ティールームという入れ物さえどっかへいってしまったようです
別に生活手段と絡めて考えなくてもいい。
家に友だち呼んでお茶、でもいいし、お茶だって抜きで あったかい会話だけだっていい。
行く先々でみんなで心地よくなるようなことが起きてくれれば、それがなによりうれしい♪


一瞬のうちに下りてきたメッセージだったけど、どうやら私の読み取り方は間違ってなかったみたい です(^_-)
いまでも進んでる方向は少しも変わってないし、それでいいんだ、そのまま行っていいんだって思えるから♪

ひとりでも、誰かといっしょでも、あのときの女の人がくれたようなじわっと優しいひとときを過ごせたらいいよね


そんなことを思いつつ。。。

やっぱり「今日のお茶菓子なんにしよー」って 食い氣をはずせない私なのですけれど ( ̄∇ ̄*)ゞ








顔晴れ~ \(^o^)/

2010年02月18日 21時45分54秒 | ふと思うこと
久々にからりと一日中晴れでした
青空がもうまぶしくて♪

午前中にとってもうれしいことがあって、ワクワク半分、夢見心地半分、なにやってたんだかよく覚えてません(^^ゞ

そんな私を現実に引き戻すのは 例によっておなかの虫(笑)

きょうはあんまり重たいもの食べたい氣分じゃなかったので、チーズトーストを作ることに。

たまねぎのスライスとピーマンの輪切りは定番の具なんですが、他になんかないかな~・・・と思い巡らせて、思いついたのが先日のコーンブレッドで使ったコーンの残り。




はい、こんなんできました~♪
名づけてチーズトースト“菜の花畑”(^^)

ハチミツ入りカフェオレとりんごを添えていただきま~す




午後は窓越しに相変わらずの青空やとんびを愛でながら、おこたで編み物♪

虫に喰われてだったセーターを氣を取り直してほどき、その糸でネックウォーマーを編んでます。

増減なしでひたすら輪に編むだけ、座椅子にくつろいで手を動かしていると、とりとめもない思いがあれこれ浮かんできます。

その中でふと意識がとまったのが、午前中にネット速報で見かけたバンクーバーオリンピックのスノボ・国母選手。

テレビなし・新聞なしの私がこの人を知ったのは、例の服装問題のニュースが最初。

そのとき思ったのは、「ああ、引っかかるんだなぁ」ってこと。

最近自分の内面が よくゴムホースのイメージで浮かんでくるんです。
つるっつるの肌のゴムホースで、そのままだったらとても滑らかに水が流れていきそうなんだけど、内側のあちこちにいろんな長さ・太さのトゲトゲが生えてるの。
だからそこで流れが乱れてしまうわけ。

トゲトゲの正体は・・・っていうと、私が自分の存在価値の拠り所にしているもの、つまり「これあっての私だぁ!」ってがんばって手放そうとしないものなんですね。

なにかにカチンときたりムッとしたりしたときに、このトゲトゲの存在を感じます。
すぅっと流れていくはずのものが、そこで引っかかっちゃうんですね(^_^;)

ニュースの記事だけを読んでの勝手な想像だけど、これっていろんな人のトゲトゲがもつれて刺し合って出来上がってしまったことなんではないかと。

あんな乱れた服装はキライだ~、許せない、とか。
国の代表なんだから、国民の大多数が納得する態度をとるべきだ、とか。
これがスノーボーダーなんだよ、スノボの代表として行くのにこのカッコで何が悪いんだよ、とか。

お互いのこれは譲らないぞ!っていうところがぶつかり合ってこうなっちゃったのかなぁ、ってね。
ふぅむ。。。。。



以前の私だったら、やっぱりおんなじように賛成か反対かで自分の説を力こめて言い立てたと思います。
トゲトゲがどんどん太く長くなってくイメージね(笑)

でも近頃はどうも、トゲトゲをなるべく減らして 水がすーっと流れてくれる心地よさの方をとりたいんだなぁ。

写真や記者会見・インタビューでの発言ぐらいしか知らないのに勝手なイメージで申し訳ないけど、国母選手ってどこかやんちゃさんな感じがします(^^)
すごい大技恐れず大胆に決めて、「どうだ、オレカッコイイだろ」って陽氣な笑顔でこぶし振り上げそうなイメージ♪

そういうのキライじゃないです♪
見る側からたとえるなら、歌舞伎の大見得がばしっと決まった瞬間とか、水戸黄門のご印籠、遠山の金さんの桜吹雪が登場した瞬間(笑)みたいな。
「いよっ、待ってましたぁ、ヒューヒュー」って手をたたいて盛り上げたくなる感じ。

ひと言で言えば「満足」かな。
期待をドンピシャ満たしてもらって あ~いい氣分、っていうような。

前はそれしか知らなかったから、それが人が味わううちで最高にいい氣分なんだと思ってました。


でも、最近それとはちょっと違う氣持ちがあることを知ったんですね。

それは、「歓び」。

人の評価とは関係なく、ただ素直にありのままの自分でいられて、しかもそれが心地いいって思える歓び。

やりたいことを思うままにやって、それが想像通り楽しくってワクワクできる歓び。

そして、この「歓び」を存分に味わうためには、トゲトゲが減って流れが滞りなくなるほどいいらしいっていうこともなんとなくわかってきました。

自分にとってなにが歓びであり楽しみかを知ろうと思ったら、自分のほんとうの氣持ちを見ることが必須だけど、人の評価をあまり氣にしてると 自分の本心が見えなくなっちゃうから。

それに、わくわく楽しんでるときって、「これは譲れーん!」とかっていう力みがないんですよね。
自分がこんなに楽しくて幸せなんだもの、やり方が違っても 他のみんなもそれぞれに楽しくて幸せだったらいいよねって 自然と思えてくるもの

そうやって歓びいっぱいで生きてる人がまわりに与えてくれるのは、「満足」というより「感動」なんだな、っていうことを、マイケル・ジャクソンや鈴木明子ちゃん、また地元の小学生たちが教えてくれました

さらに、「満足」はその場限りで終わるけど、「感動」はまわりの人にも伝染して、また新しい感動を生み出す原動力にもなるらしいってことも教わりました♪


で、両方やってみて、やっぱり「歓び」や「感動」の方がうれしいなぁって思ったんですね
だから、今はトゲトゲを減らすことに専念しております(笑)

私に関する限り、国母選手がどんな服装でも別にOK、構わないです♪
ただひとつ、いつもう~んとワクワクして楽しんでスノボしてね、って言ってあげたいなぁ(^^)



以前大好きなお友だちが、「頑張る」は苦しそうで使いたくないけど、顔が晴れるようなことするんだったら楽しくていいんじゃない?って「顔晴る」って言葉を教えてくれました。
以来私も愛用しております♪

さらに別の友だちから 英語で「Enjoy!」っていう言い方があることも教えてもらいました。
う~ん、こっちもいいなぁ


というわけで、国母選手も他のオリンピック選手も、応援してる人たちも、そして私も

顔晴れ~~~
Enjoy








梅と童話と夕焼けと

2010年02月16日 23時18分41秒 | 日々の楽しみ
数日続いた雨がやっとあがって きょうは晴れかな?と期待したけど、う~ん、ちょっと。。。
薄曇りの風の冷たい一日でした。

そんな中。。。

今年も咲いたよぉ♪



梅の花(^^)


こっちはちょっとアップで、はい、チーズ♪



雨で少し氣温が上がり氣味だったここ数日のあいだに咲きはじめたようです。

今年もまたこの季節がやってきた。。。うれしいなぁ





きょうは小学校に2月の絵本読み聞かせに行ってきました。

本日は1・2年生担当。

二学年で総勢11、2名ぐらいしかいないので、至近距離で顔つき合わせての本読み、あいまにあれこれおしゃべりを挟んだりしながらの楽し~い30分なのです♪

このぐらいの年の子たちは 思ったことをためらわずすぐ口にするので、まあにぎやかで活き活きしてて面白いこと(^o^)

おしゃべりの時間も他の学年よりたっぷり目に残したいので、きょうは10分足らずで読めそうな短いお話を2つ。

まず1冊目、「3びきのゆきぐま」。

ちっちゃい頃に「マーシャと3びきのくま」っていう絵本を持ってた記憶があるんだけど、これはそのエスキモー版という感じのお話です。

くまの親子がゆきぐま(シロクマ)で 氷のイグルーに住んでたり、女の子アルーキが犬ぞりに乗ってたり。

氷が割れて犬ぞりを流されてしまったアルーキ、散歩にお出かけ中のゆきぐまの家族のイグルーにもぐり込んで、スープ飲んじゃったりブーツ履いてみたりベッドで寝ちゃったりと人の家で思うがまま(^_^;)

散歩の途中で流されてるアルーキの犬ぞりを見つけ、助けて連れ帰ったゆきぐま一家が家に入ると、あんなことやこんなことに

とりわけ子ぐまは スープ飲まれちゃうわ、ブーツもベッドも勝手に使われてしまうわ、氣の毒に。。。

やがてアルーキが目を覚ますと、目の前にくまの鼻が3つ。

ベッドを飛び出すや 父さんぐまの足の間から逃げ出したアルーキは、犬ぞりと喜びの再会、そしていそいで飛び乗ってダッシュ!


。。。とここで2年生の女の子のひとりが、

「あ~、子ぐまのブーツ履いたまんまや~!」

いそいで絵をのぞくと、うわ~ほんとだ、よく見てるねぇ、私文章の方ばっかり氣をとられて氣づいてなかった


で、そりに乗って走り出したアルーキ、イグルーを振り返ってお礼にと手を振るのです。

いや、お礼より先にごめんなさいでしょう・・・と大人の私は思っちゃうんだけど・・・

おしまいのページはそんな大人の考えなんか吹き飛ばすようなゆきぐま親子の姿。

3匹並んで「さようなら、さようなら、また来てね~!」

なんて寛大な(笑)

童話やおとぎ話のこういう理屈を越えてほっこりできるところ、なんか好きなんだよなぁ♪



私「こぐまのブーツ履いたまま帰っちゃったねぇ」

子供「こんど返しにいったらええやん」

私「そうだよね、また来てねって言ってもらえたから返しに行けるよね」


合間合間のこういうやりとりがまた楽しくってたまらないのです


お次、2冊目は「ぽんぽん山の月」。
こちらはちょっと哀しくて、ほんのりと心あたたまるお話。

おかあさんが猟師に撃たれてしまったのも知らず、おなかを空かせて待っている4匹のこうさぎたち。
やがてのぼってきたまん丸お月さまのなかのうさぎをおかあさんと思い込み、「おもちついてるのかな?おだんごつくってるのかな?」

これを木かげから見ていた恥ずかしがりやの心優しいやまんばは、さんざんためらった後やっとの思いで買ったおだんごを 草の上に置いて立ち去ります。

こうさぎたちは、おだんごを見つけて 月からおかあさんがおろしてくれたものと思い込み、おかあさんが見守ってくれていると安心しておだんごを喜んで食べるのです。

すべてを見ていた風の子が送ってくれた風に乗って流れてきたこうさぎたちの声に、やまんばはよかった、よかったとうなずいて帰っていきます。


前のお話でちょっとテンション上がり氣味だった子供たちが、だんだんしーんとなっていくのがわかります。
ちょっと哀しいけど、でもあたたかい救いがあって ほっと心なごむお話。


2つを聞き終わった子供たち、

「どっちのお話も、くまもやまんばも優しいなぁ」

あらほんとだ、そういわれてみれば。
どっちかっていうとお話の中では恐い役割が多いものたちなのにね。

みずみずしくやわらかい心でお話を素直に受け止め、思ったことをすぐさま聞かせてくれるこの子たち、大好き

きょうも元氣をいっぱいもらいました。
いつも楽しく聞いてくれてほんとありがとうね♪



学校を出たあと図書館に寄って、家に帰り着いたら5時。

まだ雲が残っていて、その分夕焼けがきれいなこと。







窓越しに夕日眺めながらお茶を飲んでほっとひと息、きょうもとってもいい一日でした(*^ー^*)










これから出逢うみんなへ。。。

2010年02月15日 23時27分15秒 | ふと思うこと
え~っと突然ですが。。。

なんとな~く印象深い話で「ミケランジェロとキリスト像」っていうのがあります。

ミケランジェロの作品のキリスト像を「なんて素晴らしい創作でしょう」とほめたたえる人たちに彼が言うには、

「私がこれを創ったわけではありません。
 石の中に主がおられて、『私を出しておくれ』とおっしゃったのです。
 だから私は余分なものを削り落としただけ、キリストは最初から石の中におられたのです」

この話、石工と仏像の日本バージョンも聞いたことがあるので、洋の東西を問わず普遍的なお話なのかもね(^^)


で、私ね、「問いと答え」の「答え」って、このキリストさまの像みたいなもんかなって思うんです。
最初からそこにあるって。
引っ張り出されるのを待ってるだけって。

それまでは「問いと答え」なら当然問いが先でしょって思ってたんです。
それが、本などで読んだ多くの情報と 自分のいろいろな体験がマッチした結果、いつの間にやらじわじわ変化してって。

たとえば 1+1=2 っていう数式があったら、答えの「2」っていう数字は 式が現れる前から存在しているわけで。
それが 1+1はいくつ? っていう問いかけによって、初めて光の当たるところに登場してくる、と。

で、「問いと答え」がそういうものだって思えてくると、自分の内側への問いに 必ずどこからか答えが返ってくるのもそう不思議なことじゃないような氣がしてくるんですね。

答えは最初からそこにあって、問われるのを静かに待ってるんだから。

つまり、問いが発生した時点で答えとの出会いは確定、あとは時間の問題だけ、っていうことですね♪

それが信じられるようになってから、答えてもらえず放っておかれるんじゃないか、自分は見捨てられてるんじゃないか、という不安がなくなりました
問えば必ず答えはやってくる。
そうして宇宙は常に私を見守り、導いてくれる。


と同時に、今度は的確な問いを出すことの難しさが身に沁みるようになりました。

そもそもなにか事が起こって、
「なんでなんで?なんでこんなことになっちゃったのぉ~~~!?
ってあたふたしてる最中は 問いかけどころの騒ぎじゃないですもんね(^^ゞ

狼狽を脇にどけ、氣を落ち着かせて前向きに事に取り組もう、となって初めて、この混乱の元はいったいなんだったのか?と冷静に考えられるようになる。

それでも的外れな問いや曖昧な問いをいくら出しても、的確な答えはもらえない。


ほんとうに難しいのは、「まだ見ぬ答え」じゃなくて 「まだ見ぬ問い」を引っ張り出すことの方だったんですね。。。。

いくら答えが先にそこにあるといっても、正しく問うことをしない限り、そこにあると知ることも 出会うこともできない。


じゃあ、問いはいったいどこから生まれてくるんだろう?と自分の過去を探ってみたら・・・

なんとまぁ、それまで忌み嫌っていたネガティヴな事態や ピンチと思える事柄からだったんだなぁ、これが。


(^◇^;)


考えてみれば、平穏無事で幸せなときは ただそれを味わっていればいいわけで、「なんでこうなるの?」と問おうなんて氣はあまり起こさないもの。

困ったこと、なんとか打開しないといけない事態、もっといい状況にしたいという強い願いなどと出くわして、初めて必死に答えを得ようという氣になるんですものね。

そう思うと、

おお
これがピンチはチャンス、ということだったのかぁ~ \(^o^)/

ピンチは問いを発生させ、答えへと導くことで、私たちに成長するチャンスを与え、器を広げさせてくれてたんですね

まあ なにもかもなんてうまく出来てるんでしょう(*^ー^*)


こうして あちこちでさんざんアタマをぶつけながら、幾多の危機に支えられてどうにかここまでやってこられた私です(笑)

ジェットコースターみたいだったわが道も、多少起伏がなだらかになってくれたかも♪

以前は深い穴の底から助けを求めるがごときだった問いかけも、かなり穏やかにできるようになった・・・かな?(笑)



そして今、先のほうを見渡すと、まだ見えないけど 出会うのを待ってくれている答えが無数に散りばめられてるようで、わくわくと胸がときめいてくるのです

それは 知恵かもしれないし、物かも、場所かも、

人 かもしれない。

見えない糸に結ばれて、私との出逢いをそれと氣づかず待ってくれてる人が、ここから先にたくさんたくさんたくさ~~~んいるんだ、きっと、ね

そう思うと 未来がなんて明るく輝いて見えてくることか

背伸びつま先立ちして大声で叫びたくなってきます、

「きっと逢おうね~、待っててね~、必ず行くからね~~

って、ね