毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

戦う世界はもういらない♪

2012年02月01日 22時22分01秒 | カミングアウト
私の両親は、今もそうですが 私が子供の頃から 理詰めでものを言う人たちでした。

親子での話し合いも、話し合いというより論戦という方がぴったり。。。毎日がディベート、みたいな(笑)

こちらに主張したいことがあるときは、前もって考え抜いて あらゆる反論を想定して 論理を組み立て、何度も練り直して しっかり頭の中に叩き込んでから 話し合いに臨みました。

でも実のところ 親の方が「初めに結論ありき」なので、どれだけ粘っても勝ち目なし

おまけに 論戦に熱がこもって双方が感情的になってくると、これまた一方的に言い返せない立場に追い込まれるし

なにこの理不尽(笑)

私にとって あの家庭で自分の筋を通すということは、絶対に勝ち目のない戦いに カッカしながら何度も何度も挑み続けては挫折することの繰り返しを意味していました。

そんなことを何年も、いや 何十年も続ける中で、私の心の中には 自分でも手に負えないほどの怒りが溜まってしまいました。

その怒りが、さまざまな社会運動へと向かう原動力だったというわけ。。。 親の代わりに 政府とか大企業とか、やはり理不尽で横暴で一方的な相手に、溜まりに溜まった怒りをぶつける形で(^◇^;)



この怒りに まあどれだけ長いこと振り回され 悩まされてきたことか。

あげくの果てに すっかり消耗して疲れ果て もうこんなもの持ち続けたくないと心底思うようになったのが こちら和歌山に移ってからのこと。

なによりも、そもそも自分の怒りの念そのものが ややこしい対人関係や揉め事をわざわざ呼び込んでるんだって氣づくことができたし。

きっかけは親だったかもしれないけど、その後はすべて自分が起こしてきたんだよね

カッとアタマに血が上るようなことは すべてといっていいぐらい 持ち越しになってる親との不調和の記憶の再現、今ここで起こってる出来事は それを呼び起こすきっかけに過ぎない。

その事実をひとつひとつ確かめ、小さい頃の痛い思い出を少しずつ開放しながら とにかく自分の心の中から変えることを続けてきました。

そして、この年末年始も含め、大元の親への怒りさえも もう手放し時だよね、とささやく心の声を聞きながら、本来のまっすぐな自分に戻ろう、古い恨みは手放して 心地よい世界を広げていこう、とし続ける矢先。

よりによって、こんな大事なときに もしかしてまた あの“代理戦争”の世界に飛び込んじゃった!?

この懸念が あのブログ投稿後のどよ~んとした落ち込みの原因だったんだなぁ。。。



これでやっと最初に戻ってつながれたようです(笑)



不安で居心地悪くていたたまれず、自分の中でいったい何が起こってたのか ブログという場をお借りして じっくり省みさせていただきました。

自分ひとり ひっそり署名しただけのことだったら 個人の日記帳止まりの話だったのだろうけど。

もしかすると、こんな自分を知っていただくきっかけとして あの28日のブログのいきさつがあったのかもしれません。

長い長いカミングアウト、お付き合い下さった皆さま、ほんとうにありがとうございました。



ゆっくり時間をかけて振り返りながら、29日に書いた「起こったことはすべて中立」という言葉を思い出しました。

どうも私は 怒りに振り回されてた頃の自分をいまだに受け入れられないところがあるらしい。

こういうことが起こるたびに つい「まだ戦いの世界を引きずる自分」っていう否定的な色めがねで見てしまっていたみたい。

でも、考えてみれば「何度引き戻されても 戦いの世界を終わらせることをあきらめない自分」ってふうに ポジの側から見ることだってできるんだよね♪

ほんとうに心地よい世界を広げていくつもりなら、どっちを選ぶかは・・・決まってるよね♪



あの件、あのタイミングに関する限り、署名の件もブログの件も 私的に今はOK。。。ただし、今度からはもっと落ち着いて しっかり情報収集&確認をしてからにしようと思うけど(^^ゞ

自分の周りに現れるさまざまな現象を無視して 自分の小さな世界だけを守り続けようとも思わない。

私の世界にそういうものが現れてくるのなら、それは私が創り出してるってことだもの。

ただ、戦いという形はもうノーサンキュー。。。二元対立で争っても ほんとうにみんながHappyになれるような世界が生まれるとは思えないもの。

それよりも もっと誰もが幸せでいられる形で 問題をクリアしていく方法ってないものかしら



これからも こんなことをつらつら考えながら暮らしていくような氣がします(^^)



さいごまでお読み下さって ありがとうございます。





















離れたいから

2012年01月29日 21時47分51秒 | カミングアウト
20代で 社会運動に 自分なりに精一杯関ろうとしてた私に 真反対を向かせる直接の原因となったのは、1990年の「長崎本島市長狙撃事件」への抗議デモでした。

天皇制とか右翼とか そういうなんやかんやには別段関心はなかったけど、たとえどんなことであろうと 暴力をちらつかせて問答無用で押さえ込む。。。そんなことがまかり通る世の中なんて怖過ぎる。

ひとりでも多くの人が 勇氣を出してはっきりと 暴力に対してNOの声を上げなくちゃ。。。と真剣に考えて、デモへの参加を決めたんですね。



ところが。

実際に行ってみると、どうも様子が違う。

シュプレヒコールの中に「天皇制反対」を叫ぶものが混じってる。。。っていうか、そっちのほうがメインかと思うぐらい。

あの~。。。なんか話が違ってませんか?

私がわざわざやってきたのは 言いたいのは そんなことじゃないんですけど。。。

なんて デモが始まってから思ったって もう遅い(笑)

すっかり興醒めして氣落ちして 唱和する氣もなくなって、列の中うなだれながら ただトボトボと歩いていました



後日、某新聞の投書欄に やっぱりそのときの参加者で 同じような違和感を覚えたらしい人からの投書があったんですが、少しあとから同じ投書欄に返ってきた主催者側の人の答えは、

「あなたも言いたいことを自由に言えばよかったんです」


いや、ちょっと待って~!

それなんだか違うと思う。。。

右もあれば左もある、人の数だけいろいろな考え方があるけれど、力づくでの発言の封じ込めだけは 立場の違いを越えて心を合わせて認めない。

その意思表示を ひとりでも多くの人が集まってするからこそ、結集したパワーが暴力への抑止力になるんじゃないですか?

みんながてんでんばらばらに好き勝手なことを叫ぶだけなら ただの烏合の衆、なんの力も感じさせないじゃないですか~



とても勉強になりました。

人の数だけいろいろな考え方があり、そんな中で心をひとつにするとは かくも難しいことなのだと(T_T)



あれ以来、原発であれ ほかのなんであれ、勉強会ぐらいまでならともかく、活動的な世界には いっさい近づかなくなりました。

はっと氣づいたら 思ってたのとまるで違うことをする羽目になって アタマ抱えるような思いは二度としたくないと。

ちょっとしたトラウマ状態(笑)



実は今回 ブログ投稿のあとで あちこちのサイトを見て回ってど~んと落ち込んだのも、このトラウマの再燃でした。

まさしく 人の数だけいろいろな考え方や視点がある。

同じ事実に基づいて書かれていても、その表現やニュアンスもさまざま。

私から見ると、(東電や政府に対して)かなり感情的・攻撃的・揶揄的・冷笑的に思えるものも混じっていて。。。



私はあの時 自分なりの思いから 選択・行動したのだけれど。

脱原発・撤去反対・署名活動・・・などというキーワードでひと括りにされてみれば、見る人の角度によっては 私自身の思いとは離れたところで すごく感情的な動きをしているようにとられてしまうこともあるのでは。。。?

自分ひとりだけのことならまだしも、ブログを通じて 人さまにまで「ご賛同下さる方はご署名を」などとやってしまった以上、調べる時間がなくて そんな世界だったとは知りませんでした では済まないしね。。。

またやっちゃったよ~



いや、人にどう思われようと 自分が正しいと信じてやったことならそれでいいじゃない、っていう捉え方もあるのはわかってるんですが。

また、いろいろな書かれ方をしているといっても、そのほとんどはとても真剣に向き合い考えておられる方のものだったし。

ただ、見に行ったサイトの多くの主催者さんが真剣であればあるほど 政府や東電の誠意のない対応への怒りが文面ににじみ出ていて、そこが今の私の泣き所というか 苦手のツボというか。。。


というのは、昔自分を社会運動に向かわせた原動力っていうのが まさにそういった怒りの感情であり、しかもその怒りこそ 今まさにそこから離れよう 手放そうと奮戦してる真っ最中の課題だからなんです。




あ~、やっぱり字数多過ぎ。。。

ごめんなさい、また次に続きます。。。


ここまでお読み下さって ありがとうございます。











落ち込んじゃった(^^ゞ

2012年01月29日 15時30分55秒 | カミングアウト
きのう あの二つのブログをアップしたあとで落ち込んだことといったら。。。

ブログを始めて以来、政治的・社会運動的ネタは 意図的に避けてたんだよね。。。

それが ひょんな流れから あんな展開に。。。いや、そうしたのは他ならぬ自分なんだけど。。。

妙にカラ回っちゃった件も含め、なんともどよ~んとした氣分に

一時は 二つとも削除して なかったことにしたいとまで思っちゃった(^_^;)




でも、あとから氣がついたの。。。落ち込むこと自体に この手の話題についての色づけというか 偏見というか、そんなものがあるよねって。

起こったことはすべて中立。

自分の意味づけが自分を落ち込ませるなら、それはもう手放し時ってことじゃないかな?



というわけで、新しいカテゴリーを設けました。

名づけて「カミングアウト」。

これまでにも増して 自分の中にどっぷり浸って語ると思いますので、そんなのこの場に期待してない、読みたくないと思われる方は どうぞスルーなさってくださいね







そもそも私、20代から30代にかけて、社会運動的なものに無関心とは言えなかった時期があるんですね。

新聞やニュースも熱心に見てたし、自分にも関りある問題に「見て見ぬフリ」は卑怯だぐらいに思い込んでた。

そして、いくつかの講演会やらデモやらに参加したあげく、「こんな世界もうやだ~」と一氣に真逆の方を向いてしまいました(^^ゞ



ドイツの従妹から 原発関連のメールやら資料やらがたびたび送られてくるようになってからも、きちんと読みはするものの、少し離れたところに身を置くことに変わりはありませんでした。

そして昨年末のこと。

たまたま実家にかかってきた従妹からの電話で話し込む中で、彼女が特別反原発活動に打ち込んでいるわけではなく、数少ない日本人として どうしても福島のことやら日本の原発の実情やらについて尋ねられることが多くて、いつの間にか日本原発問題窓口・日本人代表みたいな形になってしまったのだと知りました。

誠実でひたむきな彼女は、そんな立場をいささか氣重に感じながらも 無下には断り切れず、自分なりに少しでもお役に立てることがあれば、と、日本の情報を調べたり あちらの情報を日本語に訳して転送したりと 個人的に動いていたのだそうです。



そんな従妹の話に大きくうなずきながら、自分も 何事もなかった頃ならまだしも、現に福島でああいうことが起きている今、昔の苦手意識に縛られたまま 我関せずを続けるわけにもいかないなぁ。。。などと考えていました。



先日ジャムを送ってもらったとき同封されていたものに、実はもうひとつ、従妹が和訳・独訳した それぞれの国の方の 脱原発スピーチのコピーがありました。

それをずっと机に置いて、何度も読み返しては この問題に関する自分の立ち位置を模索する日が続きました。



そんな中で届いたきのうの転送メール。

よく調べもせずに もう時間がない!と思い込んだ私、限られた(と思ってたんだよね)時間の中で とにかく今回は自分なりに意思表示をしようと、とりあえず署名を送りました。

そのあとで、なおも署名数のカウントがじりじりと上り続けるのを見ていて、ふともう一歩進んで 自分のブログで紹介することを思いついたのです。


しかし。

googleで見つけたニュースのほか、この件に関するいろんなサイトやらブログやらを読んでいくうちに、なんか私、自分が思ってたのとずいぶん違うことをしたことになっちゃったんじゃない?という疑念が湧いてきて、ひどく落ち込んでしまったのでした。





う~ん・・・なんだかこのままいくととんでもなく長くなりそう(いつものこと?笑)なので、いったん終わって 改めて先を書かせていただきますね。

ここまで読んで下さった皆さま、ありがとうございます。

引っ張っちゃってごめんなさいm(__)m