きょうの空
画像フォルダの半分近くが空の写真という空フリーク貴秋、こんな爽やかな秋晴れのもと 天にカメラを向けずにいられるわけがない \(^o^)/
この一枚、デスクトップの背景にもしちゃいました
そういえば、この季節になると 「女心と秋の空」 だとか いやいやそれをいうなら男心だろうとかいう声をちらほら見聞きしますが、「○○心」 が定まらぬもの ・ 当てにならぬものを指すのならば、貴秋は 「マインド思考と秋の空」 とでも言わせていただきましょうか(笑)
いやもうほんと当てになりませんから (^_^;)
今ここ以外のあらゆる時空に思いを飛ばし、記憶や想像から物語を紡いでは 自作のそれに振り回されて一喜一憂したあげく 体調さえ左右されるのですから、つくづくご苦労様なことです。
。。。。なんていって 今これを書いているのもマインドなのだから、なんともフクザツな心境ですが
瞑想がからっきし苦手だった貴秋が、感覚フォーカスによって 言葉を止めて “ ただ在る自分” に集中できるようになったのは、この上なくラッキーなことでした。
きのう書いた 津留晃一さんのメッセージに 当初反応しなかったのは、今思えば 「ハートで感じる」 ということが まるでわからなかったからでしょう。
「ハートで感じる」 「ハートに自分の中心をおく」 という記述は 津留さんの他の文章にもたびたび出てきますが、意味わから~んということで 無意識にスルーしてたものと思われます ( ̄∇ ̄*)ゞ
それまでは、不安に駆られっぱなしのマインドのおしゃべりが どうにもこうにも止まらず、言葉を使わずにいるということが どんな状態を指すのかさえ 想像つかないありさまでしたから。
感覚フォーカスの体験を重ねて初めて、問題を作り出しているのも それを解決しようとしているのも すべてマインドであり、マインドのおしゃべりが止まれば その一切合財が消滅する、そもそも問題も何もなかったのだとわかる、ということを 身をもって確かめる機会に恵まれたのです。
マインドが悪いというわけではありません。
マインドにはマインドならではの役目があり、形が意味を持つこの世界では その働きはなくてはならないものです。
ただ、マインドが先頭切って 言葉をもって万事を取り仕切ろうとすると 面倒なことになるのですね。
問題を生んでは解決し 生んでは解決し、の一人芝居を えんえんと味わう羽目になります
それが楽しいうちは 楽しめばいいだけですが、本氣でそこから抜け出したくなったら そのときは 言葉をすっかり手放すことを思い出す必要があります。
女心だろうが男心だろうが 言葉で構築された世界というのは、およそ当てにならない蜃気楼のようなもの。
ひとしきり戯れたあとは おのずともっと確かなもののほうへ向かいたくなるように、もともと私たちはインプットされているようです。