太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

鏡張り

2016-08-09 10:02:19 | 日記
昨日から、朝3時半起きである。

夫の仕事の始まりが1時間早くなって、5時になったのだ。

それまでの仕事とは違う内容の部署に移るからで、

それに伴い、再び昇給してくれるらしい。



昨夜、実家の母と電話で話した。

他人は、私が無意識にでも考えていることを言ってくれるようにできている。

いつでも自分以外の人は自分を映す鏡なのだから、当たり前のことだけれど、

母の場合、それがものすごく顕著だ。

私は絶対にそんなことを思っていない、と反発したくなるようなことを言うのが母だ。

でも、たいがいの場合、それは私の心のどこかにある真実だったりする。


夫が仕事を辞めたことなど、そのつど母には話している。

昨夜、近況を話すと、

「元気でいってくれているのはいいけど、ちゃんとした仕事がみつかるといいねえ」

と言った。

私は自分がやっぱりそういうふうに思っていることを認めないわけにいかない。

3週間で2回も昇給するのは嬉しいけれど、それを素直に喜ぶ一方で

今までの仕事はみんな年棒制で、時給で働く仕事は初めてだな、とどこかで思っている。


「でもさ、ちゃんとした仕事に就いても、またストレスでウツになったり辞めたりしたら振り出しに戻るよ」

「そうだね、元気で楽しそうに働いてくれていればいいか」




見回せば、そこいらじゅう鏡張りである。

そのことに気づくと、その鏡は、私が一番見たくないところを特にしつこく映してくれる。

それはもう腹が立つのを通り越して、あきれるほどだ。


夫が仕事を辞めたばかりの時、職場で同僚が私に夫の職業を聞いた。

私はとっさに無職だといえずに、辞めた会社のことを言った。

そのことで落ち込み、必死に心のお掃除をした。


夫が今の仕事を始めてすぐ、職場で契約で働いている人から同じことを聞かれた。

心のお掃除をしたのに、私はアイスクリームカンパニーだと言えずに前の会社を言い、

でも最後に、「辞めるかもしれないんだけどね」と加えた。


そのあと、また別の人たちから2回、同じことを聞かれて、

今度はアイスクリームカンパニーだと言えた。

しかし、そこに至るまでの経緯も、話した。


さらには歯の検診に行った時、夫の父が歯医者をしていたころからの衛生士に夫の近況として話した。

私が夫に出会う前から夫を知っている彼女は、家族のようなやりかたで受け止めた。

そして、2ヶ月の旅行から戻ってきた友人に会った時、私の近況の一部として話した。

その頃には、開き直り気味だった。

だからもう、ほぼ自分の中で折り合いがついたと思っていた矢先の、母との会話である。






夫の仕事を聞かれることなど、日本よりは多いにしても、これほどあることじゃない。

私がそのことを気にすればするほど、人は(鏡は)それを映して見せてくれる。

見たくなければ、見せられても嫌な思いをしないようなものに、それを変えるか、

見せられたものをまるごと受け入れて、平気になるしかない。



肩書きとか世間体とか、そういうものから私は自由だと思っていたのは大きな勘違いだった。

自由だと言えていたのは、自分の状態がそれを満たしている間だけで、

いったんそこから外れるや、私はむしょうにそこに固執してしまう。

それがいいとか悪いではなく、私はそういう自分に落胆しているだけだ。

等身大の私は、理想とは違っても正真正銘の私であり、それがわかっているだけに

「なんでこんなこと神はやるのかね!」

と、いきなり登場させられた神がなじられているのである。







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