人に対してなにかを指摘するのには、タイミングが肝心だと思っている。
昔、付き合っていた人が、「相殺(そうさい)」のことを「そうさつ」と言った。
こんな場合、相手にもよるし、その場のシチュエーションにもよって
私にはすぐ指摘できるときと、できないときがある。
相手に恥をかかせるのではないかとか、感じが悪いように思われないかとかいった思いが
ほんの一瞬の間に湧き上がって、たいがい、指摘できないことが多い。
このときは、すぐに指摘できなかった。
1度きりなら聞き流して終わりにすることもできるのだが、なぜか何度も会話にこの単語が出てくる。
彼が「そうさつ」と言うたびに、口の中がジャリッとする。
最初に指摘しなかったら、もう指摘するタイミングはない。
べつにそう決まっているわけじゃないけれど、私はそうだ。
仕事の話をしていたから、それは何度も出てくる。
口の中はジャリジャリするし、職場で恥をかくのも気の毒だし、相手は年下だし、
私は思い切って言った。
「ソウサツって書いて、ソウサイって言うんだよ」
相手は黙ったままだ。言わなけりゃよかったと思った。
こんなこともあった。
前の職場で、苗字に「松」の字がつく日本人スタッフがいたのだが、
常連のお客様がそれを「梅」と言う。
最初に間違えたときに、松だと指摘したのだけれど、その次もまた「梅」と言うので、
もう言えなくなってしまった。
本人と話す時には名前を呼ぶことはないので本人は知らない。
その人がいない時に、「梅○さん、今日はお休みなの?」と聞く。
とうとう私が働いていた間、ずっとその人は梅といい続けた。
すんなり素直に指摘できる人がいるのも知っている。
昨年、私の瞼になにかができたときに、顔を見て1秒で
「どしたぁー、その目!」
と言ったAちゃんのような人だ。
人の顔に何かができている時、それを1番気にしているのは本人に決まっているのだから
聞きたい気持ちはあっても、私は本人から言うまで何も言えない。
できればAちゃんのように、あっけらかんとしていたいと思うのに、
どうしてこんなことをいちいち考えているのだろうと
自分のことながら不思議でならないのである。
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昔、付き合っていた人が、「相殺(そうさい)」のことを「そうさつ」と言った。
こんな場合、相手にもよるし、その場のシチュエーションにもよって
私にはすぐ指摘できるときと、できないときがある。
相手に恥をかかせるのではないかとか、感じが悪いように思われないかとかいった思いが
ほんの一瞬の間に湧き上がって、たいがい、指摘できないことが多い。
このときは、すぐに指摘できなかった。
1度きりなら聞き流して終わりにすることもできるのだが、なぜか何度も会話にこの単語が出てくる。
彼が「そうさつ」と言うたびに、口の中がジャリッとする。
最初に指摘しなかったら、もう指摘するタイミングはない。
べつにそう決まっているわけじゃないけれど、私はそうだ。
仕事の話をしていたから、それは何度も出てくる。
口の中はジャリジャリするし、職場で恥をかくのも気の毒だし、相手は年下だし、
私は思い切って言った。
「ソウサツって書いて、ソウサイって言うんだよ」
相手は黙ったままだ。言わなけりゃよかったと思った。
こんなこともあった。
前の職場で、苗字に「松」の字がつく日本人スタッフがいたのだが、
常連のお客様がそれを「梅」と言う。
最初に間違えたときに、松だと指摘したのだけれど、その次もまた「梅」と言うので、
もう言えなくなってしまった。
本人と話す時には名前を呼ぶことはないので本人は知らない。
その人がいない時に、「梅○さん、今日はお休みなの?」と聞く。
とうとう私が働いていた間、ずっとその人は梅といい続けた。
すんなり素直に指摘できる人がいるのも知っている。
昨年、私の瞼になにかができたときに、顔を見て1秒で
「どしたぁー、その目!」
と言ったAちゃんのような人だ。
人の顔に何かができている時、それを1番気にしているのは本人に決まっているのだから
聞きたい気持ちはあっても、私は本人から言うまで何も言えない。
できればAちゃんのように、あっけらかんとしていたいと思うのに、
どうしてこんなことをいちいち考えているのだろうと
自分のことながら不思議でならないのである。
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