新聞社が舞台の小説を読んでいる。
地方都市の大手の新聞社で、役員会議で無線を取り入れるかどうかを決めかねているときに、大事故が起こる。
記者との連絡はすべてポケベルである。
ポケベルの電波が届かない山中の現場に向かった記者の安否もわからず、
記者からの記事も、すぐには受け取れない。
1秒を争うニュースの世界で、なんとまだるっこいことをしていたのか。
若い人は、戦後すぐの話かと思うだろうがそうじゃない。
1985年だ。
私はもう地方のテレビ局で働いて2年目になっていた。
携帯電話など普及していなかったし、報道記者はポケベルを持っていた。
1988年に私が父の会社に入った頃、来客の一人が、出始めの携帯電話を持ってきた。
それは、手提げ金庫の上に黒電話が乗っかったような、なんとも奇妙なシロモノだった。
それが私が携帯電話を見た最初だ。
見るからに重そうなソレを、その人は得意そうにテーブルの上に置いた。
近くにある電話から、その携帯電話に電話をかけると、リーンッリーンッという黒電話特有のけたたましい音が鳴った。
聞けば、バッテリーは2,3時間しかもたないという。
読んでいる小説の中でも、携帯電話はバッテリーが数時間しかもたないから意味がない、というくだりがあった。
その後、携帯電話はあっというまに小型化していき、
1990年あたりから、まわりでぽつぽつと持つ人が出てきたが、本体も通話料もけっこうな高額だったように思う。
並行してパソコンが普及し、デジタルカメラが出てきて、
現像するまでどんな写真が撮れたかわからないなんてことが嘘のようになった。
電話どころかカメラもコンピューターもポケットに入れて歩けるようになるまでの、30年という歳月は、
果たして長かったのか短かったのか。
待っている電話を家族にとられないように、廊下にある電話の近くでうろうろしていたあの頃。
待ち合わせに現れない相手に、最初は怒り、事故でもあったかと心配し、去るに去れずに気を揉んでいたあの頃。
いつでも連絡がとれるようになって各段と便利にはなったけれど
すぐ連絡が取れるはずなのに連絡がない、メールをしたのに返信がない、
というストレスは変わらずにある。
みじめな恋愛をしていたとき、鳴らない携帯電話を布団の中に入れて、
まるまって眠れない長い夜を過ごした。
それでも、みんなで「せーの!」で携帯電話をヤメにしたとしても、
なかった頃に青春を過ごした私ですら、そこに戻るのは難しいかもしれないなあと思うのである。
なかった頃に青春を過ごした私ですら、そこに戻るのは難しいかもしれないなあと思うのである。